第19話   ラジオ放送部のプレ放送

 現在、部室の中には四人しかいない。


 うち一人が台本の作成を始めた以上、残りの三人がやるべきことは少しでもラジオ番組の質を向上させることだ。


 ディレクターである秋彦に命令され、パーソナリティであった夜一と奈津美は素直にブースの中に入った。


 以前と同じ席に座り、機敏な動きでヘッドホンを装着する。


『どうだ? 俺の声にノイズなんて混じってないか?』


 奈津美がカフを操作してマイク機能をONにすると、ミキサー卓の前に腰を下ろした秋彦のクリアな声が聞こえてきた。


「はい、感度良好です。どうぞ」


『だから無線じゃねえって言ってんだろ! いい加減に覚えろ!』


 秋彦が語尾を強調させたとき、眼前に座っていた奈津美が唇の端を鋭角に吊り上げた。


「もう、何ですかプレ放送始めた途端イチャイチャして。分かりましたよ。うちは大人しく傍観していますから好きなだけイチャイチャしてください。二人ともBLだったってことで」


『訳分からねえこと抜かすな! いいからプレ放送始めるぞ!』


 ブースの中に番組のオープニング・テーマらしいアニメのBGMが流れる。


「これって前にかかったアニソンですよね? 他の曲はないんですか?」


『失敬な。まるで俺がこの曲しか知らないように聞こえるじゃねえか』


「違うんですか?」


『違うわ。他にも色々な曲をストックしてるっつうの』


 ミキサー卓を操作したのだろう。


 ブースに設置されていたスピーカーから次々とジャンルの違う曲が流れ出す。


 ヒップホップ、バラード、デスメタル、演歌、アニソン。


 すべて歌が入っていないカラオケ・ヴァージョンである。


 何曲か聞いていたとき、夜一はスピーカーから流れ始めた一つの曲に心を奪われた。


 南国の海を想起させるような穏やかなメロディである。


「これいいですね。心が不思議と落ち着きます」


『武琉が勝手に吹き込んだBGMだな。気に入ったんなら今日はこの曲をかけるが?』


「お願いします……って俺だけで勝手に決めたらまずいよな。奈津美はいいかな?」


「うちは一向に構わへんよ。童謡からBLソングまで何でもありやで」


『BLソングなんてラジオ番組で使えるわけねえだろ。つうことで、今日のBGMは沖縄の海をテーマにしたBGMでやるぞ。それで番組のほうはまだ台本がないから前と同じ自己紹介から始めようと思う。その後は互いの家族構成や将来の夢なんかを語ってもらおうか』


「うちはOKですよ」


『夜一も異論はないな?』


「どのみち俺の意見なんて認めてくれないでしょう?」


『よく分かっているじゃねえか。パーソナリティはディレクターの指示に従うのが鉄則だ』


 半ば予想していた返事に夜一は「はいはい、分かりました」と投げやりに了承した。


『そんじゃあ、おっ始めるぞ。三……二……一……キュー』


 キュー出しが終わると同時に、奈津美が軽快な声で言葉を紡ぐ。


「皆さん、こんにちは。八天春学園ラジオ放送部パーソナリティを務めさせていただく、一年B組芸術科の門前奈津美です。ところで朝霧夜一君に質問。攻めの対義語は何ですか? よろしくお願いします」


「え? 攻めの対義語?」


『馬鹿野郎、進行を止めるな! 奈津美の質問に答えつつ挨拶するんだ!』


 秋彦の喝を受けて夜一は高速で思考を働かせた。


「み、皆さん、こんにちは。同じくパーソナリティを務めさせていただく、一年A組普通科の朝霧夜一です。攻めの対義語は守り……かな? どうぞよろしく」


「カアアアアアアアアアット!」


 直後、鼓膜を突き破りかねないほどの大絶叫が鳴り響いた。


 夜一と秋彦は咄嗟に両耳を押さえる。


 しかし、ヘッドホンを装着していた夜一に両耳を押さえる行為は果てしなく無意味だった。


 そのため、夜一は全身を痙攣させて苦悶した。


『奈津美、パーソナリティが勝手に進行を止めるなって言ってんだろ! しかもハウリングを起こすほどの馬鹿でけえ声も出すんじゃねえ!』


「あんな答えを聞いたら叫びますよ。攻めの対義語は受けと決まっているやないですか」


『それは腐女子回答だろうが! 攻めの対義語は守りだ! 辞典で調べてみろや!』


「さて、それではさっそく番組の続きをしましょう。改めて自己紹介します。うちの名前は門前奈津美。将来は歌手になりたいと本気で思うてる高校一年生です。家族は両親と弟が一人いてます。特に弟は姉の私が言うのも何ですけどめちゃくちゃラブリーなんです。何てったって弟の名前はうちの愛読しているBL同人誌――〈僕の恋人はサラリーマン〉に出てくる主役の男の子と同じ春樹。しかも見た目もそっくりで……あ~、十歳以上年上のサラリーマンとつき合ってくれへんかな。はい、次は夜一君どうぞ」


『お前まで俺を無視するのかよ!』


 頭を激しく掻き毟っている秋彦に半ば同情しつつも、夜一はパーソナリティとしての職務を果たすべく舌を回す。


「え~と、改めて自己紹介します。もう一人のパーソナリティである朝霧夜一です。将来の夢は多くの人に親しまれるようなキャラを演じる声優になること。家族構成は母親が一人いるだけです。父親は三年前に死にました。他にも叔母が幼稚園を経営して……」


『ちょっと待て、夜一。今凄いことをさらっと流さなかったか?』


「叔母が幼稚園を経営していることですか?」


「ちゃうちゃう。部長が訊きたかったのはそこやない。夜一君、お父ちゃんおらへんの?」


 夜一は一度だけ首を縦に振った。


「トラックの運転手だったんだけど、三年前に事故で死んだ。それがどうかしたか?」


「どうかしたかって……お父ちゃんが死んだのにえらいあっさりしてるな自分」


「もう三年も前のことだからな」


 嘘は言っていない。


 夜一の父親だった総太郎は交通事故に遭って他界した。


 夜中の高速道路をトラックで走っていたとき、運転を誤ってガードレールに衝突したのだ。


「それよりも互いの自己紹介や家族構成は言い終えましたよ。次は何をするんですか?」


 夜一が窓ガラス越しに質問すると、秋彦は両腕を組みながら唇を尖らせる。


「奈津美に負けず劣らずお前も凄いな。身内の不幸を淡々と語るとは……夜一、恐ろしい子」


「いやいや、そんな漫画に出てきそうな台詞よりもこれからの進行内容を言ってください」


『そう言われても台本がないからな』


「ほんならコーナーしましょう。ラジオにコーナー番組は必須ですやん?」


『コーナー番組? 具体的にどんな?』


「実は前から考えていたんです。ディレクターの部長にもブースに入ってもらって、夜一君と甘酸っぱさと鬼畜感が入り混じった濃厚なBL劇を――」


『絶対に嫌じゃあ!』


「全身全霊で断る!」


 結局、この後はリスナーからメールが送られてきたという体でトークの練習を行った。


  期待していたBL劇を反対された奈津美は最後まで不貞腐れていたが、さすがの夜一も演技とはいえ秋彦とイチャつくのは御免だった。


 そう言うわけで今日の夜一は、トークの練習に加えてラジオ番組の進行を覚えることに意識を集中させたのだが、このときの夜一には知る由もなかった。


 これから自分の身に恐るべき災難が降り注ぐということを――。

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