第3話    八天春学園ラジオ放送部?

 秋彦に案内された場所は、体育用具室としか思えないプレハブ小屋だった。


 しかも点在していた場所はサークル棟の裏にあった林の中である。


「円能寺先輩、こんなところに案内されても困るんですけど」


「まあまあ、何はともあれ中を御覧じろ」


 秋彦は扉を引いて夜一に小屋の中へ入るよう促す。


 その所作があまりにも丁寧だったので夜一は断ることもできずにプレハブ小屋の中へ足を踏み入れた。


 次の瞬間、疑いを含んでいた夜一の瞳が爛々と輝く。


 プレハブ小屋は体育用具室ではなかった。


 それどころか教室程度の広さのプレハブ小屋の中には、感嘆の声が漏れるほどの放送設備で埋め尽くされていたのだ。


 音楽や効果音などを操るミキサー卓を初め、二十インチの液晶テレビ、デスクトップ型のパソコンが壁際の長机の上に綺麗に置かれている。


 他にも目を奪われる代物が色々とあった。


 プレハブ小屋の中は半分に区切られ、遮音効果の高いガラス窓の向こうには中学の放送部でも見られなかったラジオスタジオの光景が広がっていた。


 また部屋の中央に置かれた机の上に見える大型のリモコンのような物は、マイクの機能を切り替えるカフという装置だろう。


「凄い……機材が熱を持たないようエアコンまで完備されている。あっ、あのスタジオの出入り口の近くに置かれているハンマーは何ですか?」


「あれは災害時に使う奴さ。万が一、放送中に地震があってスタジオの扉がひしゃげた場合、あのハンマーを使って強引にこじ開けるんだ。スタジオへ続く扉は頑丈だからな」


「中学の放送部にはありませんでした」


「そりゃあ、そうだろう。中学の放送部にラジオのブースなんて基本ねえからな」


「じゃあじゃあ、あれは……」


 と、夜一が遊園地ではしゃぐ子供のように気分を高揚させたときだ。


「ヤガマサン(うるさい)! ワラビ(子供)のようにビービー騒ぐな!」


 長机の下から一人の男がのそりと出てきた。


 短く刈った髪に意思の強そうな瞳。


 地肌は真夏の太陽で焼いたような小麦色である。


 まるで南海の猟師を彷彿とさせる男だった。


 それだけではない。


 男の右眉には刃物で切られたような大きな傷跡があった。


 次に夜一は男のネクタイに視線を移す。


 八天春学園の学年はネクタイの色で判別できる。


 男が締めていたネクタイの色は青色。秋彦と同じ二年生だ。


「副調整室の壁はブースの中とは違って遮音壁じゃないんだ。それぐらい見て分かれ」


「そりゃあ無理だ。素人に普通の壁と遮音壁の違いなんて見分けられねえよ。つうか……また机の下で読書してたのかよ、武琉。いい加減に止めろ。目が悪くなるぞ」


「どこで本を読もうとワン(俺)の勝手だ」


 武琉と呼ばれた男は空いていた席に座ると、本の続きを読み始めた。


「円能寺先輩、あの人は誰ですか?」


 夜一は秋彦の耳元に口を近づけてそっと尋ねる。


「心配するな。あいつは俺たちの仲間さ。ほれ、さっそく自己紹介して来い」


 背中を押された夜一は恐る恐る武琉に歩を進めた。


(さすがにヤンキーじゃないよな)


 夜一が不穏になるのも当然だった。


 読書に耽っていた武琉の風貌は、一言で表すのなら異様。


 右眉の傷跡や服の上からでも見て取れる肉体の逞しさは、およそ放送部に在籍しているのが不思議なほどである。


 それでも放送部の一員ならば自己紹介は必須。


 夜一は勇気を出して武琉に声をかけた。


「あのう、初めまして。お、俺は朝霧夜一と言います。これからよろしくお願……い!」


「何だ? 変な声を出して」


 武琉は本から顔を外すと、鷹のような鋭い目つきを向けてきた。


 しかし夜一は射抜くような視線よりも、武琉が読んでいていた本の挿絵に目が釘づけになった。


 なぜなら挿絵には十歳前後と思しき二次元の美少女キャラが、不自然にアイスキャンディを舐めている姿が描かれていたからだ。


「ライトノベル……お好きなんですか?」


 間違いなかった。


 武琉が読んでいた本は純文学でも一般小説でもない。


 萌えキャラが多く登場していた有名なライトノベルである。


「ワン(俺)がラノベを読んだら悪いのか!」


 次の瞬間、武琉の身体から突風のような殺気が放射された。


 夜一は研磨された針を突き刺されたような錯覚に見舞われる。


「どうどうどう、待望の新入部員を脅すんじゃねえよ」


「ワン(俺)は馬じゃない!」


「馬並みに喧嘩が強いんだから一緒だろうが……それよりもお嬢はまだ来てないのか?」


「君夜ならお前の後ろにいるぞ」


 夜一は身体ごと振り向いた。


「こんにちは。あらあら、今日はみんな早いのね」


 出入り口の前には奈津美とは性質の違う美貌の持ち主が佇んでいた。


 奈津美は関西弁も手伝ってか純朴な感じを受けたが、秋彦に「お嬢」と呼ばれた君夜は垢抜けた大人の雰囲気がひしひしと感じられた。


 ただ、それは脱色したような茶髪のせいだったのかもしれない。


 しかし、いくら校則が緩いと評判の八天春学園とはいえ茶髪は無視できない校則違反のはずだ。


 しかも一年生の証である白色のリボンではなく、君夜は二年生の証である青色のリボンをつけていた。


 髪は冬休みの間に染めたのだろうか。


 などと夜一が思考を働かせていると、全員を見回しながら秋彦が大きく拍手を打った。


「よーし、これで役者が揃ったな。さて朝霧君……いや、これからは親しみを込めて夜一と呼ばせてもらおう」


「さっき会ったばかりでもう下の名前で呼び捨てですか」


「細けえことはいいんだよ。それにせっかく夜一なんて漫画かラノベに登場するような珍しい名前なんだ。俺たちも朝霧と呼ぶより夜一と呼びたい。なあ、そうだろ? 奈津美」


 話を振られた奈津美は「当然やないですか!」と大声で肯定した。


「ヘタレ受けそうな夜一君に対して俺様キャラの部長が強引に夜一と呼ぶ。でもでも、ここで主従関係が成り立ってハッピーエンドには突入しません。ハッピーエンドになりそうなタイミングになったとき、密かに部長に想いを寄せていた武琉君がついに我慢できず部長に詰め寄るからです。「秋彦、お前はワン(俺)と夜一のどっちがいいんだ?」「おい、いきなり何を言い出すんだよ」「いいから答えろ。秋彦、お前はワン(俺)と夜一のどっちが好きなんだ?」「どっちも好きに決まっているじゃねえか。お前は親友で夜一は待ちに待った期待の新入部員だぞ。どっちが好きかなんて比べられねえよ」「誤魔化すな! お前は……いつもそうやってワン(俺)の心を掻き乱す」「武琉……お前」と、この部屋で甘酸っぱい会話が繰り広げられていたときでした。そんな二人のやり取りを偶然にも夜一君が扉の外で知ってしまう。もちろん最初は見て見ぬ振りをして帰ろうと夜一君は思いました。せやけど、やっぱり心の奥底に芽生えた感情はそう簡単には消せません。結局、夜一君は後ろめたさを感じながらも二人の会話を盗み聞きしようと決心した。さっそくとばかりに夜一君は聞き耳を立てると、部屋の中から「秋彦、ワン(俺)は前からお前のことが」「武琉……本当に俺でいいんだな?」という聞き捨てならない台詞が聞こえてくる。部長と武琉君は場の雰囲気に飲み込まれて愛欲という名の炎を点してしまったんです。さて、大変なのは盗み聞きしていた夜一君です。部屋から聞こえてくる制服を脱ぐ音に過敏に反応し、我慢の限界を迎えた夜一君は部屋の中に入ります。そして事態は禁断の三角関係に発展して――」


「長えええええ――――っ!」


 奈津美の妄想に終止符を打ったのは秋彦だった。


「お前のBL妄想劇に勝手にリアルな俺たちを登場させるんじゃねえ。せいぜい漫画や小説のキャラで我慢しておけ。それと高らかに口にもするな。恥ずいだろうが」


「ひゃう……す、すんまへん。いつもの癖で」


 秋彦の一喝で我に返った奈津美はあからさまに挙動不審に陥った。


 顔を真っ赤に紅潮させて全身を小刻みに震わせる。


 一方、挙動不審とまでは行かなくとも奈津美の変貌振りに夜一は困惑した。


 BL。


 カップリング。


 ヘタレ受け。


 俺様。


 腹黒。


 鬼畜。


 これらの単語は婦女子ではなく、腐る女子と書いて腐女子と書く人たちが好んで使う言葉ではなかっただろうか。


「待て待て、そんなに引くな夜一。奈津美がお前をヘタレ受けと決めつけたのは、あくまでも外面から判断しただけのことで……」


「秋彦、朝霧が引いたのはそこじゃないと思うぞ」


 そう突っ込んだのは緩く両腕を組んだ武琉だ。


「奈津美の妄想にお前まで中てられてどうする。第一、例の件はもう言い終えたのか?」


 武琉の言葉に秋彦は「そうだった」と開いた左手の掌に右の拳を打ちつけた。


「夜一、お前をここに連れてきたのは他でもない」


 呆然としていた夜一に秋彦が真面目な口調で言う。


「是非、俺たちのクラブに入ってほしい。今の俺たちにはお前の力が必要なんだ!」


 人差し指を突きつけられた夜一は目を丸くさせた。


 先ほどまで感じていた秋彦の軽薄さがここに来て微塵もなくなったからだ。


 返答に困ること数十秒。


 夜一は一言一言区切るように言葉を紡ぐ。


「え~と、君の力うんぬんという件は知りませんが……俺は最初から放送部に入部するつもりでしたから断るつもりはありません」


 ただ、と夜一は秋彦から放送設備が整った部屋の中を見渡した。


「八天春学園の案内パンフレットに、放送部の部室は文化系サークル棟の三階にあると書かれていました。だったらサークル棟の裏にひっそりと存在しているこの放送設備が整ったプレハブ小屋は何です? ラジオ局が所有しているラジオ・カーみたいなものですか?」


 そもそもラジオとはスポーツの実況やトークが中心の番組が多く、放送設備が整ったスタジオの中で収録することが当たり前だ。


 しかし、屋外でのイベントや交通情報を正確に伝えるためにラジオ・カーまたは中継車と呼ばれる放送設備を積んだ自動車を多くのラジオ局は所有している。一般的には駅伝を実況するラジオ・カーが有名だろう。


「うふふ、今年の一年生は面白いことを言うのね」


 直後、脳が痺れるような甘美な声が聞こえた。


「こんな高額な放送設備が整った簡易スタジオがあるわけないじゃない。そもそも、このクラブは学園に活動が認められている放送部とは関係ない場所」


「ちょっと待て、君夜! それ以上バラすな!」


 秋彦の抵抗も虚しく、君夜は髪の毛の先端を弄りながら言葉を続ける。


「ここは八天春学園ラジオ放送同好会。正式な活動を認められていない否正規クラブの一つよ」


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