4 アルネウス・テールと結論

 灯夜は窓の横に立つ。そしてテールはドアノブを掴んだ。

 ――いくぞ。

 その掛け声と共に窓を、ドアを。同時に開ける。


 ォォォオオオオ


 声と呼ぶには無機質な重い音が響いた。そうして怪異は窓からやってきた。


 ベランダへ続く窓よりも小さな入り口から身体を捻じ込んで。腕の伸ばし、手近にいた生き物――灯夜に掴みかかろうとする。


「させるか!」

「っテール、頼んだ!」


 この部屋、というよりも灯夜が住む404号室の形をテールは思い描く。


 ノートに描かれた間取りから立体的な空間を想像する。魔法の顕現には何よりも想像力イメージを必要とするからだ。


「荒ぶる風よ!」


 頭に描くものは風。部屋全ての空気を押し出すような風だ。

 瞬間、住居の隅々を突風が吹き荒れた。


「トウヤ!」

「わかってる!」


 風が収まった瞬間に灯夜は窓を閉める。次に向かう先はリビングのベランダだ。


 既にこちらにも怪異は居なかった。


 しっかりと施錠した後、灯夜は大きく息を吐いてソファに突っ伏した。


「ほんっとさぁ! 真正面からアイツの顔見ちまったんだけど」

「仕方なかろう。あのような金属の窓など、開き方はもとより閉じ方もわからぬのだ」


 灯夜の推論から成る結論はこうだ。


 開いた窓から招かれたと解釈し入ってくる怪異ならば、同じように窓を開けて部屋の中から押し出してしまえば拒絶出来るだろうというものだった。


 風を部屋全体に生き渡るように発生させられる人間が居なければ出来ない芸当だ。

 咄嗟の思い付きだったが成功したらしい。今は怪異の気配に加えて息苦しさも消えていた。


「理解はしてるけどそれはそれってやつだよ。ま、ここに住むなら他にもいろいろ覚えてもらうしかないけどな」


 ぽかんと呆けたテールに灯夜は笑った。

 余裕な奴の顔が崩れる様はいつだって面白い。


「俺は召使いじゃねぇからな。わざわざ全部の世話なんてしねぇぞ、王子サマ」


 吊り橋効果ではないがこの異世界人を住まわせてもいいと思ったのだ。


 だって、灯夜は漫画知識で知っている。テールの使用できる魔法、その手札を。


 彼は異世界において最高峰の魔法使いである。空中飛行だけでなく、中距離であれば転移魔法も使える。


 こんな面倒ごとを置いて、逃げようと思えばいつだって逃げられた筈なのだ。それでも灯夜を見捨てなかったのは外ならぬ良心に違いなかった。



 少年――アルネウス・テールは魔法大国アルネリアに末の王子として生まれた。


 魔法の才と整った容姿。魔法に関しては一を聞いて十を理解し、それ以上に使いこなす程のものだったのだ。彼は生まれながらにして完成されていた。


 それもそのはず、彼の役割は救国の決戦兵器となるはずだったのだ。


 当時のアルネリアは周辺の国々と争っていた。いくら魔法に秀でているとはいえ人間の数は有限。次第に周囲を包囲する連合国に押されていたのだ。


 国を救うには圧倒的な力が必要だった。そして王家への威信を高める存在が必要だった。


 ならば、手っ取り早く王家の人間を英雄にしてしまえばいい。継承権を持つことがなく、それでいて有事の際にはいつでも稼働出来るような存在を作り上げよう。


 そういった意図の元、国一番の魔法使いの女と掛け合わされて生まれた。そうして目論見は成功し、物心がつく頃には破格の性能を持つ魔法使いとなっていた。

 魔法に関する飛びぬけた力を持ち、意思すら希薄で王家に従順な少年。それがテールだった。


 ところが予期せぬ事態が起こる。テールが10歳に届きそうな頃、後は実戦に投入するだけ。その段階になって連合国との和解が成立し、至って平和な世界となってしまった。


 テールの力は必要が無くなってしまったのだ。それどころか新たな争いさえ生みそうなほどの力を持っていたのだから、誰から見ても邪魔な存在となってしまった。


 能力としては惜しいがいっそのこと処分をしてしまおうか? そんな会議さえ行われていた。


 正直な話、当時のテールにとってはそれさえも興味が無かったのだが――ひとりだけ憤った人間が居た。


 歳の離れた兄でもあるアルネリアの第一王子だ。


 冒険者としての身分で各国を渡り歩き、旅先の人々と交友を深め、遂には連合国との和平条約を締結させた立役者でもある。


 彼は戦争責任を父王に問い詰め、その座から引きずり下ろした後に国王となった。その権限によりテールをただの弟として扱ったのだ。

 娯楽を片っ端から教え、散歩だと言い遠乗りに連れまわしテールを構いまくった。


 では、何故テールが片道切符に手を出してまで国や世界を捨てたのかというと――早い話が喧嘩別れだ。


 弟として家族の情を向けられていたのだろう。それぐらいテールにだってわかっていた。だが、


 他者を蹂躙出来る能力があった。他者を救えるだけの能力があった。それなのに兄は何処にでもいる普通の人間、ひいてはただの弟として扱ったのだ。


 ――お前に頼らずとも大丈夫だ。


 善意だけでそう言い切り、使えるものは使えという忠臣の進言さえ聞き入れなかった。


 兄の周りには治癒が得意な者、手先が器用な者、頭の良い者とそれぞれの個性を活かす人間が大勢いたのに。


 散々その力を利用されそうになっていたのだから他人の為に使うなと、個性ともいえる魔法能力を奮うことが許されなかった。


 やりたいことをやれと言われても、誰かの指示通り動くように教育されていたテールには何も出来なかったというのに。


 必要とされない人間に存在価値はあるのか? 自分は力を必要とする誰かの為に作られた筈だろう。


 そうしてテールは結論を出した。


 ならば望み通り自分の力を、誰の指図も受けずに自分の為だけに使ってやろう。そうだ、いっそ誰も自分を知らない異世界ならば好きに生きられる。

 そうして追い詰められた少年の考えは比類なき能力によって叶えられた。


 異世界に渡るまでの理論は完璧であった。誤算であったのは異世界に渡ってから。

 兄から聞いていたような冒険者にでもなろうと考えていたというのに、目に映る世界は理解の出来ないものばかりだった。


 置換された知識によって、四角い石で出来た箱が“住居”であるとはわかる。走る金属の箱が“馬車”だとはわかる。


 断片的な単語としてそれが何かわかるだけで理解が出来なかったのだ。


 辺りを見回しているうちに脳が処理落ちをした。何とか暗い橋の下へ身体を潜り込ませ、状況を整理する。想像以上に不味い状況だった。


 世界を超えるなどという大魔法の影響で無尽蔵を誇るテールの魔力は生まれて初めて空になっていたのだ。

 それだけならまだいい。


 本来ならば勝手に回復するはずの魔力が元に戻らなかった。世界が異世界からの異物を拒絶していたのだ。


 誰か助けを求めようにも喉は枯れ果てていた。思うように声が出ない。やっとのことで土手を歩く通行人へ手を伸ばそうにも、路傍のゴミを見るような目をした後に通り過ぎて行った。


 多くの人間はテールに気が付かず歩き去り、気が付いた人間も浮浪者のように転がる彼を助けようとはしなかった。


 ただ一人を除いて。


 面倒そうな顔をしながらも渡された食事によって救われた。食事を現地の人間に渡されたことによって、異世界からの異物は世界に認められたのだ。


 手持ちの食事を渡しただけだと命の恩人本人は何でもないように言う。本来ならば自分じゃない人間がお前を救っていたと言う。


 それがどうした。少なくともテールを助けたのは岡町灯夜だった。

 だから自分の意思で彼に役立つ力を奮おうと決めたのだ。


 たとえ彼の知る自分が悪い者であったとしても、彼の力にだけはなろうと決めた。

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