2 入居規則

 賃貸なら大体の家に入居規則がある。廊下に物を置くなだとか、ゴミ出しの日を守りましょうとか。一般常識の他に、ペットを飼ってはいけませんなんてのも。

 ちなみにこの物件はペットを飼ってもいい。ただ、変わったルールがひとつある。


 【午前1時30分には全ての窓とカーテンを閉めてください】


 入居時に念押しされた規則ルールだ。姉ちゃんと俺も理由を聞かずに疑うことなく受け入れていたけど。


 改めて考えるとおかしい。入居規則にする意味がわからない。


 このマンションは俺が見つけてきた場所だ。姉ちゃんが梅見ヶ丘に仕事が決まった時、最初は賃貸検索サイトに掲載されていたマンションに入居するはずだった。が、しかし。


 いざ一緒に不動産屋へ行ってみると既に入居者が決まっているのだと断られてしまった。んで、代わりになる物件は無いかと探していると、不動産屋の片隅に張られていたこのマンション情報が目についたのだ。


 その3LDKにして風呂トイレ別に加えて家賃は共益費込みの4万円2千円。マンション情報を指差した時に不動産屋は思い出したかのように紹介を始めたっけ。それでここの規則ルールを説明した。


 規則ルールを破ったらどうなるかは知らない。だって、疑わずにしっかりと今までは守ってきていたんだから。



 ずっとギャーギャーと押し問答をしていてやっと落ち着いた頃。テールがぼそりと言った。


「少し息苦しくはないか? 地球の環境にまだ適応できていないのかもしれぬな」

「おかしいな、ちゃんと換気してるんだけど……あ、窓開けっぱなしにしてた」


 暖房をあれだけつけていたのに窓を開けていた事実。電気代ぃ……


 定期的に換気をしていた弊害が出てしまった。


 暖房をガンガンに効かせているのもあって冬場は乾燥するのだ。それもあってスッキリする為にもいつも1時間程度は窓を開けるようにしていたのだ。締め切ったまま繁殖するウイルスとか怖いし。


 入居規則で窓を閉めろって言われてるのもあって21時には閉めるようにしていたのだが、今日はうっかりしていた。来月の電気代に重い気分になりつつ、窓を閉めに行く。


 時刻は深夜2時。

 小さな規則違反だが、してはいけないことをしてしまったようで少しだけいつもとは違う感覚。落ち着かない。


「トウヤ!」

「うわっ!?」


 思いっきり腕をテールに引かれた。バランスを崩し、しりもちをつく。

 いきなり何をするん――だ? そこで一旦思考が途切れた。


 網戸に張り付くようにが居た。ベランダへと続く出入り口一面にべったりとそれは張り付いている。


 黒い体毛を思わせるほどに靡く靄。黒い靄からは六本、いや七本程度だろうか腕のようなものが伸びていた。

 腕の先はまるで人間のような手。それにしては骨ばっていて異様な程に指が細長い。


 ゾッとして違う場所へと目を向けた。身体の中心に黒い靄のない場所があった。


 そこにはニタリと嗤ったような青白いヒトの顔が――口を、大きくひらいて


「光の矢よ!」


 呆然とした俺を置いて鋭い声が響く。


 キュルリ

 甲高い音を立ててレーザー光線が俺のすぐ隣を通る。

 テールの光魔法だと理解する前に第二、第三とレーザーが横を通り窓へと向かう。


 光は網戸ごとバケモノの顔に風穴を開けた。


「なんだあれ!」

「オレが知る訳なかろう! この世界にはあのような醜悪な魔物が生息しているのか!?」


 既にバケモノは居なくなっていた。網戸がちょうど放たれた光と同じだけ焼き切られている。ぽっかりと空いた穴は3つ、手のひら大の大きさだ。


 賃貸になんてことをしてくれたんだとテールに向き合う。文句のひとつでも、というより何か話をして自分の気を逸らしたかった。


 心臓がバクバクと音をたてて軋む。ホラー映画とかは平気な方だけど、あんなもんを実際目に入れるのとは別の問題だ。


「この世界特有の生き物なのか、あれは」

「そういう種族だってなら妖って呼ばれてる。種族じゃなくて現象なら怪異だ。そんで、あれは怪異だと思う」


 そうだ。“黄昏の魔法使い”には超自然的な存在がゴロゴロといる。そのひとつが怪異だ。畏れや恐怖を糧に増幅する現象。


「確かに魔力の波長からして、生者とは程遠く――おい、入って来たぞ」

「はいって!?……ッン、ちなみに今何処にいる?」


 背後でギチギチと網戸が軋む音。それからぐちゃりとした湿った音。


 何が起きている? 網戸を弾き飛ばそうとしてんのか。俺越しにバケモノを見ているであろうテールに顔を向ける。


「っひ、穴に身体を捩じ込んで部屋に。自らの顔を潰しながら、」

「やめろそんとこまで実況すんな。一流魔法使いでも怖いもんなんだな」

「恐れているのでは無い。気持ち悪さによる生理的嫌悪だ」

 

 原作通りの設定なら怪異は畏れで力を増す。つまりは俺が叫んでビビり散らせばそれだけ手が付けられなくなる。落ち着け、俺。


 ドクドクと音を立てる心臓を押さえつけ、出来るだけ冷静にテールに聞く。


「完全に入ってきたか?」

「うむ。此方のすぐ後ろ、窓の真上の天井に張り付いている。辺り一面焼き払ってもよいか」


 振り向きたくねぇ。たぶん振り向いたら今度こそ絶叫する。

 下手をしたら頭がどうにかなるかもしれない。

 

「駄目だ。賃貸だから家に傷付けんなよ」

「どうしようも無くなれば被害を度外視で殲滅するぞ」


 ていうか、なんでこいつはそんなに取り乱してないんだよ。異世界で魔物討伐なんてのしていたらしいから、その経験値か?

 気のせいでは片付けられない息苦しさがのしかかる。


「廊下に出て一番最初のドアが姉ちゃんの部屋。非常事態だ、そこに駆け込むぞ」


 こくりとテールが頷く。

 俺と話しながらもテールの視線だけは俺の真後ろ、その上から斜め方向へと動いていた。


「いくぞ、3、2――」


 「1」のカウントと同時に走り出した。

 下の階に響くだとか近所迷惑だとか考えている暇は無い。姉ちゃんの部屋はリビングから出てすぐだ。


「痛っ!」


 ぎちりと痛みが俺の左腕に走る。腕を掴まれた。振りほどけない。

 振り返っっちゃ駄目だ。わかっている。息苦しい。違う。首にバケモノの腕が伸びて。巻き付いて、


「トウヤを離せ!」


 眩い光がバケモノを貫いた。バケモノが俺から離れていく。

 その隙を突いて無我夢中で走った。

 部屋に駆け込み、ドアを思い切り閉める。


「大丈夫か」

「なんとかな。助かった」


 掴まれた瞬間は意識が持っていかれそうになった。あのままだとどうなっていたか。

 ひとまず逃げ込んだ姉ちゃんの部屋。ここには窓がひとつ。


 閉まってるよな? おそるおそる近づいて一応確認する。よかった、しっかりと閉ざされて、


「うっわ!」

「いたのか!?」

「今、顔みたいなのが一瞬見えた」


 マジで勘弁してくれ。もしかしなくても閉じ込められた。

 とりあえずドアから距離を置いた所へ背を預ける。へなへなと力が抜けていくようだった。

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