1 原作崩壊
高校1年の冬。冬休みに入りすぐ。
俺はとんでもなく戸惑っていた。それはもうすごく。
「大丈夫か? 其れほどにも重要なことを思い出したというのか?」
「ああそうだよ。なんでこんなもん忘れてたのかってぐらいデカいのをな」
人間の記憶、うっかりでも忘れちゃいけないものがある。
そういったなんで忘れてたんだって内容を思い出していた。
「ほら、これでオレが魔法使いだと証明できたであろう。ああ、自己紹介がまだだったな。オレは――」
「アルネウス・テールだろ」
名乗る前にぴしゃりと言葉の続きを絶つ。
このままこいつのペースに乗せられて堪るか。そんな気分だ。
とりあえず混乱している自分の頭を冷やす為にも窓を開けて深呼吸。冷たい風が肺を満たす。
「何故知っている?」
「その前に確認だ」
俺を覗き込むオレンジ髪の少年。こいつの名前はアルネウス・テールだ。
実はとっくに自己紹介を済ませていたのかって?
違う、元からこいつの名前を俺は知っていた。
自分が岡町灯夜となる前に知っていたのだ。そしてこいつの想起魔法によって思い出した。
状況を整理しよう。
まずはコンビニ帰りの橋の下、河原で倒れているこいつを介抱した。
その後図々しくも食事を強請られ――食うだけ食ったこいつはいきなり元気に。
そのまま俺の家までついて来やがった。家に居るのは俺だけだから、家族が困惑なんて目には合っていない。
なんせこの家に今住んでいるのは俺独りなんだから。
ちなみに物語でよくある家族が死んだとか不仲だとかそんな悲しい理由では全く無い。
ただ、姉の職場と俺の通う高校が近いから一緒に住んでいたのにその姉が本社へと栄転しただけだ。
話を戻すと、その付いてきた行き倒れ――テールが『自分は黄昏級魔法使いだから役立つ。だから家に置け』なんて意味の分からんことを言い始めて、言い合いになった。
だって普通に考えてファンタジーコスプレ野郎が魔法使いを自称し始めたら事案だろう。
『出ていけ』『ここに置け』の言い合いから『本当に魔法使いなら証拠を見せろ。この妄想癖野郎』まで発展して。
で、だ。
今使えるうちの最上位魔法を使ってやると俺にかけた魔法が想起魔法。その効果は
「この想起魔法って、それが大切なもんなら前世の記憶でも思い出せるのか」
それはない、とテールが首を振る。
「冗談の質が悪いぞ。最上位魔法である想起魔法とて無理だ。出来るとすれば神々の
己の魔法、その効能ぐらいはわかっているときっぱりと否定した。やけに尊大な話し方で。
話し方こそ尊大だったが、こいつはこの話し方が似合う。ああ、漫画の通りだ。こいつならこんな話し方をするよな。
わかっていたからこそすんなりと耳に入ってくる。
「転生する魂は純然たるものでなくてはならぬ故に余分を雪がれる。常識であろうに」
「ねぇよそんな常識」
激しい頭痛の後、思い出した前世。
死因は暴走トラックに轢き殺されたトラ転。なんで最悪な死に方を覚えているんだ。
トラ転なんてテンプレだと言われてしまえばそうだが、
そんなもんを覚えていて嬉しい奴なんているか。今度はこうならないように気を付けろって意味か?
でもって前世の名前だとかは朧気。なんとなく前の人生を覚えてはいるけど自分だという実感が薄い。
思い出した限りじゃ孤独な人間みたいだった。詳細に覚えてないってことは
しっかりと覚えているのは漫画や小説の内容といった知識だ。というよりも、前世の自分の
「では
「……岡町灯夜」
「トウヤというのだな。オレは此方がとても気に入ったぞ。これからよろしく頼む」
「はぁ!? よろしくってなんだ」
こっちは前世の
「此方の住居を借り受けるのだ、知らぬままでいるのも不便であろう」
居付く気マンマンじゃねぇか。許可した覚えは一切ない。
いや、待てよ。こいつ確か漫画でも最初からわりと押しが強かったような。
「して、何故オレが名乗る前に名を知っていた?」
「前世の記憶を思い出したから」
「だから冗談のセンスが最悪だぞ」
なんで魔法使いの癖に信じてないんだ。
魔法なんて使えるファンタジー野郎なら前世の記憶があるぐらいわかるだろう。
「お前はアルネウス・テール。魔法大国アルネリアの王子サマ。お家騒動で不貞腐れて地球――日本には転移魔法で来た。
元の世界の知識と地球の知識に置換魔法をかけているから母国語は日本語。だから苦手科目が英語。
つってもしっかり読み込んでないから詳しいプロフィールは知らねぇけど」
流れるように記憶を読み上げるとこいつ――テールは目を丸くしていた。
「英語? 読み込むとは……?」と先ほどの俺に負けず混乱を極めているようだ。
ぽかんとしていても整った顔立ちが何となく癪に障る。
「合ってるだろ。俺が前世で読んでたバトル漫画“黄昏の魔法使い”の悪役がお前だったから知ってる」
「待て、確かにオレの等級は黄昏だが……悪役? そもそも漫画とはなんなのだ」
「あー、そこからか。お前の居た
「オレの居た世界の名まで知っているのか」
前世を思い出してだいぶ俺も混乱していたらしい。頭に浮かんだ内容を後先考えないで全部ぶちまけていた。
本当は前世の記憶だとか黙っていた方がいいんだろう。それこそ黙ってこそこそ暗躍、なんてのが転生系物語のセオリーなんだから。でも言ってしまったもんは仕方がない。
適当に棚から漫画本を出して漫画とはなにかを説明する。渡した漫画は某鬼殺し漫画だ。
外国人にウケがいいらしいしちょうどいいだろう。
たぶんこの漫画も前世にあったと思う。そこから考えるに、俺が転生したこの日本も全くの異世界というわけじゃないのかもしれない。
「……では何故此方は前世の記憶を持っている?」
「お前が想起魔法とかわけわかんねぇ魔法使ったからだろ」
「オレの魔法にそのような効果はない。せいぜい古くとも胎内記憶までだ。肉体に宿る前の記憶など呼び起せるものか」
想起魔法とは記憶を思い出す、要は召喚魔法。だから元から“無い”ものは思い出せないのだと。
“鬼殺の刀”の続きを読み進めながらもテールは俺の質問に答える。読みながらとはマルチタスクが得意らしい。目だけは漫画から離さず、一巻を読み終えると次巻を要求した。
国内国外問わず大人気漫画は異世界人の感性にも刺さるようだ。
「トウヤ、此方の前世ではこの漫画のようにオレの人生が漫画で描かれていたということだな」
「ああ」
前世の記憶があるなど納得できない。その問題を一旦置いておいて俺の言い分は理解したようだ。
むしろその唯一にして最大の問題にさえ目を瞑れば俺に前世の記憶があると認められる要素しかなかった。
実際なんで俺も前世の記憶があるのかわからない。
よくある物語じゃトラックに轢かれて死んだら神様がチート付けて転生なり転移なりさせてくれるもんだが、俺の記憶にはそんな存在欠片も出てこなかった。
「ふむ……ならばちょうどよいではないか」
「なにが」
「知識とは力。此方の持つ漫画知識とやらは未来予知そのもの、大いなる力とも同義。此れより先、存分に役立てよう」
テールは元居た世界を捨てて片道切符で地球にやってきたキャラだ。
お家騒動とは言ったが、それはもう泥着いたもので。末王子の癖に強すぎる魔力故に後継ぎ問題の火種となり迫害され、身内のゴタゴタに嫌気がさして転移魔法によって地球へとやって来たのだ。
その転移魔法だって魔法大国が有事の際に貯蓄していた魔力を根こそぎ奪うなんて荒業で。
利用できるものがあるんだったら俺の漫画知識だろうが使うだろう。でもな、
「悪い、たぶんそれは出来ねぇ」
「未来が変わることを恐れているのか」
「とっくに未来なんて変わってんだよ。原作剥離、原作崩壊、原作破壊。呼び名はいろいろあるな」
「うん?」
モノによっては役立つ所もあるんだろう。でもテールが役立てられるものなんて何もない。
黄昏の魔法使いの内容は異世界からやってきた魔法使いテールをヒロインが拾ったことで事件に巻き込まれ、物語が進んでいく。
主人公とその幼馴染のヒロイン、そしてテールの3人で進む物語。こいつの役回りは簡単に言うと闇落ち系悪役でラスボスだ。
男二人とヒロインがいたら、片方の男がライバルキャラにされる。ありがちな内容だろう。
そして漫画の内容はというと襲い来る怪異を異能をもつ主人公がパワープレイでなぎ倒していくと言った感じだ。
あとはまぁ、ヒロインとの恋愛が中心になっていくだけの話なわけで。
「お前が出てくる漫画、あの河原でヒロインに拾われるところから始まるんだよ」
まだわかっていないらしい。テールは顔に疑問符を浮かべている。
「つまり、だ。漫画のヒロインじゃなくて俺に拾われて俺ん
「うん? つまり此方がヒロインということか?」
「やめろ寒気がする!
漫画とはそもそも前提が違う以上、俺の持つ知識はただの妄想になっちまったんだよ」
何がヒロインだゾッとした。後は怪異に巻き込まれるのだってだいたいヒロインだから、そういう意味でも嫌すぎる。
ここまで説明してテールはようやく理解が及んだようだ。「なんと……」と動揺している。
そりゃまぁ、人生勝ちまくりモテまくり! みたいな糸口が潰れたんだから当然か。
「では此方はどんな役をしている? ……当ててやろう。とんでもなく親切な隣人だな」
「どんな印象だ。俺はモブだよ。少なくとも作中で俺みたいな奴がいた記憶はない」
「そんなはずなかろう!」
強く否定された。恵んだコンビニ飯程度に恩義を感じているのかもしれないが大げさな。
不満げなテールにひらひらと手を振る。
「今ならあの河原に戻ったらヒロインが拾ってくれるかもな。役立たずの俺よりもっといい場所に行きな」
こんな原作に名前が出て来たのかすら怪しいモブの所にいる理由なんてない。知識ならいくらでも提供するからさっさと出ていけ。
だって、この世界が“黄昏の魔法使い”の世界なら。厄介ごとの匂いがして正直関わりたくない。
一般人が認知していないだけで妖や怪異、魔術師といった奴らが跋扈してるこの世界、俺なんて戦力外もいいところだ。
「行かぬぞ」
だのに、だ。テールはあっけらかんと言い放った。
意地でも俺の家に居付く気らしい。
「お前が俺の所に居るのは飯を貰ったからだろ。本当なら五葉――ヒロインがお前に飯をやって拾うんだよ」
「だが、このオレに食事を渡したのは何者でもない此方であろう」
「だから、原作じゃ唯一お前を見つけて同じようにコンビニのおにぎりをやったヒロインに心を許すんだ」
ただの刷り込みにすぎないんだよ。
「同じ行動しただけの俺の所に居付くな懐くな!」
「この世界においてその行為をオレにしたのは此方だ」
ただ飯をやっただけだというのに。
漫画のアルネウス・テールは警戒心が強い代わりに一度心を許すと距離感を一気に縮めてくるようなキャラ造形だった。
本人だけあってこいつは漫画の印象そのままだ。
漫画では、河原で倒れていたテールを誰しもが見て見ぬフリをする中でヒロインが介抱したからこそ心を許すようになる。
その性根に惹かれたのだとヒロインに心境を述懐するシーンがあった。
「助け起こすことも、食事を恵むことも、誰にでも出来る行為であろう。
だがな、通りすがりに過ぎ行く者どもの中でオレに手を差し伸べた人間は此方だけだった。
だから此方を気に入ったのだぞ」
「うるせぇ! やめろ、それまんま漫画のシーンに出てきた台詞だからな」
「む……だから会ってもいないヒロインとやらよりも、オレを助けた此方をこそ気に入った。ともかく、オレは何かしらの役に立つ」
なかなか引き下がらない。雛鳥の刷り込みみたくべったりだ。
こんな異世界、心細い気持ちもわからなくは無いが――人間ひとりを家に引き入れるなんて一介の高校生の判断を超えている。
「討伐、征伐、探索――治癒は出来ぬが、それ以外であるならば冒険者パーティの一員として申し分ない筈だ!」
「やっぱ役に立たねぇじゃねぇか。冒険者なんて仕事、日本にはねぇよ!」
こうやって言い合っているうちにも原作は粉々に崩れ落ちていく。
夜も更けていった。
だからうっかり忘れてしまっていたのだ。
この家の――いや、違う。
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