AとB、赤と白

柏木 維音

第1話

 私は主に横浜市周辺で活動をしている探偵だ。神奈川区の八角橋商店街に小さな事務所を構え、助手と2人で細々と活動している。細々、と言っても十分生きていけるぐらいの稼ぎはある。

 ……と、自信満々に言える日が来ることを願いつつ活動中だ。如何せん、この仕事は安定しているとは言い難い。忙しい時もあれば、暇な時もあるわけで……。

 

 そんなわけで今日はともて暇な日だった。私と助手のミーコはこういう暇な日に、いつもとあるゲームをして暇つぶしをしている。それはとても単純なゲームであり、やることはお互いにネタを出し合って雑談をするだけだ。雑談のネタは自分が体験したこと、人から聞いた話、創作怪談等々……何でもいい。

 ただ1つルールがあり、それはネタを考える制限時間は30秒ということだ。制限時間内にネタを出せなければ負けであり、その日の昼、もしくは夜のご飯を奢ることになるのだった。

 


「────と、この監督のテレビドラマに度々登場していた『赤い洗面器の男』の話にはそういう裏話があったんだよ」

「はあ、そうだったんですねぇ」

「じゃあ次はミーコの番。よーい、始め!」

「えーっとぉ……わたしが浅草で天丼を4杯食べたお話ってしましたっけ?」

「浅草には天ぷら屋がたくさんあって、どの店も美味しそうだったから思わず食べてしまったって話だろ? 確かごま油を使っていた店が1番のお気に入りなんだっけ?」

「そうです! えっと、じゃあ、えーっと……あ、そうだ! 昔の知り合いの、B君のお話ってしました?」

「B君? それは初耳だね。時間は21秒か」

「セーフですね! じゃあ、始めます……まずですね、先生は英語のアルファベットの『B』についてどう思いますか?」

「アルファベットのBぃ? 別に、アルファベットの中の1つ、Bっていう文字だなとしか思わないけど」

「大抵の場合はそうですよね。じゃあ、これからBという文字が入った言葉を挙げていきますので、共通点を当ててみてください。Bクラス。Bランク。B級。B級映画。B級グルメ……」

「どれもこれも『2番手』、みたいな意味の言葉じゃないか?」

「そうです! 不思議ですよねぇ、『B』という文字が入ってしまうだけで1段階評評価の落ちる言葉になってしまうなんて」

「そういやそうだな……しかし、B君とやらの話はいつ始まるんだい?」

「もうすぐです。とにかくわたしが言いたかったのは、AとBという文字を比べた際、Bの方が劣って見えてしまうことがある、ということなんです。これからお話しするB君は、とある悩みを抱えた人だったんですけど──」





 ※※※





 わたしの同級生に、B君という男の子がいました。

 勉強とスポーツはクラスの中でもできる方、性格はいじわるでもなく、優しすぎるわけでもないごく普通……と言いたいところですが、1つだけ問題がありました。それは、とても負けず嫌いだったことです。


 最初に言った通り彼は勉強もスポーツも出来る方でした。出来る方、ということで、1番では無かったのですね。もちろん、テストや徒競走で1位を取ることもありましたけど、2位3位を取る事の方が多かったのです。そうなると負けず嫌いのB君は悔しがったり、泣いたり、要するに癇癪を起してしまうんです。

 1、2年生の頃はまだよかったんですけど、学年上がるにつれどんどんと行動がエスカレートしていきます。物に八つ当たりしたり、ひどい時には1位の子に襲い掛かったり……


 そんなB君の様子をみた先生は、B君と話してみたり、お母さんを呼んで3人で話し合ったりしたこともありました。しかし、一向にB君の性格は改善されることはありませんでした。B君のお母さんも、「家で言い聞かせます」と何度も言っていたのですが……。仕方なく、わたしたちは何らかの順位付けの際には出来る限りB君に花を持たせてあげようという事に決めたのです。そんな風にして小学校を卒業しました。


 

 中学に進学し、新たな問題が起きました。

 うちの中学は人数がそれほど多くなかったので、それぞれの学年はAとBの2クラスしかありませんでした…………はい、お察しの通り、B君はB組になります。


 中学に進学したての頃は小学生の時と同様、たまに癇癪を起すくらいでした。ですが次第にB君の様子がおかしくなっていき……わたしたちが3年に進級する始業式の日、クラス替えの結果が張り出された掲示板の前でB君の感情が爆発してしまいました。


『僕はB組じゃない! 僕はB組じゃない!』


 そう喚き、貼られていた紙を破き、辺りの物という物に八つ当たりを始めます。


『BじゃないBじゃないBじゃないBじゃないBじゃない!』


 激しく頭を揺らしながら両腕を振り回し、地団駄を踏んで奇声をあげる姿は人間離れをしていて、とても怖く感じたのをよく覚えています。その後B君は先生に宥められ何とか落ち着きを取り戻したのですが、理由を聞かれた際こう答えたそうです。



『B組のテストの平均点はいつもA組に負けていた。1、2年の時の体育祭も勝てなかった。合唱コンクールも負けた。B組に居たら勝てなくなる。僕個人は絶対に負けていないのに。どうして僕をB組に入れるんだ。僕はB組じゃない。僕はBクラスじゃない。僕はBランクじゃない。僕はB級じゃない。僕はBじゃない』



 急遽、B君は3年A組になりました。

 A組に入ることで落ち着きを取り戻してくれるだろうと思ったのですが、結果は全く違います。B君はB組の人たちを見下し、敵意を向けたのです。



『B組の連中に絶対負けたくないから、みんなで体育祭の練習を毎日しよう』

『B組の連中に絶対負けたくないから、みんなでテスト勉強を毎日しよう』

『B組の連中より優れた存在であることを証明するために、絶対に校則を守ろう』

『僕はBではなく、Aなんだ』

『僕はBではないから、負けるのはあいつらの方なんだ』



 2年続けてB組に在籍し、たまたま色々な順位付けでB組が負け続けてしまい、B君の思考はすっかりと歪んでしまったみたいです。クラス全員で反旗を翻せばおそらく勝てたのでしょう。しかし、誰もが癇癪を起したB君と対峙することに恐怖を感じていました。中学3年になり体が大きくなったB君が、小さい子供のように癇癪を起す様は本当に恐ろしかったのです。結局わたしたちはある程度B君に従いつつ、それでいて関わることを避けるようにしました。

 しかし2か月程経ったある日、B君に支配されていた異様な学校生活は突如として終わりを告げることになります。B君が転校したのです。先生からB君が転校したという話を聞いた時、誰1人として何の反応も示しませんでした。みんなすぐに状況を理解できなかったのでしょうね。あのしぃんと静まり返った教室の雰囲気を、今でもよく覚えています。




 ※※※




「──なるほどねぇ。なかなか面白い話じゃあないか」

「そうでした? でも、この話にはまだ続きがあるんです。この前中学の同窓会があったのですが……なんとそこに、B君が現れたのです!」

「え、何だ。これってミーコの作り話じゃなかったのか」

「実話ですよ実話! B君は実在する人物です!」

「何でそんな危険人物を同窓会に呼んだのさ」

「呼ぶわけ無いじゃないですか! 幹事の人に確認しましたよ」

「内通者がいたとか?」

「それは無いと思いますけどねぇ。小学校時代はまだ何人か一緒に遊ぶ友達がいたみたいですけど、中学時代は1人きりでしたし。みんな本当に怖がっていたんですよ」

「じゃあB君が自力で調べたのだろう」

「えぇ~出来ますかねぇ?」

「出来るさ、簡単ではないだろうけどね。今の時代SNSで自分の事を必要以上に明かしてしまう人は結構いるだろう? もし1人でも昔の同級生が見つかれば、そこから芋づる式に他の人も見つけられるって寸法さ。そうやって見つけた同級生のアカウントを日々監視し、今回の同窓会の事を知ったんじゃないか?」

「うわぁホントに怖いですねぇ、SNSって。わたしも気を付けないと」

「もしくは誰かをストーキングしていたのかもね。昔の同級生の実家を覚えていてもおかしくないだろう。そこで見張っていれば、1人暮らししている現住所まで容易にたどり着ける。そして、盗聴盗撮を……」

「もっと怖い!」

「で、同窓会に顔を出したB君はどうしたんだい? 未だにAだのBだの言っていたのかな?」

「いえ、それが……AとかBではなく、なんだか別方向の異様さが……」





 ※※※




 わたしたちの中学校の同窓会が行われたのは先週です。集まったのは25人で、みんなで楽しく過ごしていました。

 小一時間程経った時でしょうか。部屋の襖が勢いよく開けられ、そこには全身を赤い物で包んだ人が立っていました。全身というのはほぼ言葉通りで、赤いシャツに赤いネクタイ、赤いスーツ。赤い手袋に赤い靴下、真っ赤に染められた髪。唯一赤い物に包まれていなかった顔は、酷い肌荒れをして赤く腫れていました。


『みんな、久しぶり』


 中学の時と比べ殆ど声変わりをしていなかったので、すぐにB君だとわかりました。周りのみんなもすぐに思い出したのでしょう。どうすればいいのかわからず、その場で固まって一言も発することができませんでした。

 B君はゆっくりと近づいてきて、1人1人何かを確かめるようにじろじろ眺めていきます。1番初めに目をつけられたのは、わたしの隣に座っていた友達でした。B君は目線を合わせるようにしゃがみ込み、友達に質問しました。


『今、何のお仕事をしているの?』

『…………市内で、事務職を』


 友人の答えを聞くと、B君は口角を釣り上げてにんまりと笑い


『そう。僕はね、○○〇自動車の本社で働いているんだぁ』

 

 と、自慢げに答えます。満足したのか、立ち上がるとまた何かを確かめるように歩き回ります。そうして同じ質問をなげかけ、その都度同じ回答をしては気味の悪い笑みの浮かべるというのを5人程繰り返します。その後部屋の出入り口まで戻るとぐるりと部屋を見渡し、


『やっぱり僕は赤なんだ。誰も敵う者はいない』


 そういって出て行ってしまいました。




 ※※※




「──どう思います? 普通じゃないのは相変わらずだったんですけど、どうしてB君は赤に執着していたんでしょう?」

「もしかして、B君に話しかけられた人たちは白、もしくは白ベースの服装をしていたんじゃないのかい?」

「どうだったかなぁ……あ、隣の友達の服装はよく覚えています。確かに白ベースでした」

「B君は中学生時代、自分はAに属される人間であると信じ込み、Bと付くもの嫌い、見下していたのだろう? それが大人になった今、『AとB』ではなく、『赤と白』に変わったのだろうね。日常生活においてアルファベットと関わる機会はまあ多いけど、色は何倍も多い。というか常に何かしらの色を目にしているわけだから」

「そっか、中学生の頃は毎日自分たちのクラスのA組、B組というアルファベットを目にしていましたもんね。それが大人になってなくなったから……。でも『赤と白』という組み合わせはわかります。『紅白歌合戦』とか、『紅白幕』とかがありますからね。じゃあどうしてB君は赤の方に執着しているんでしょう? AとBみたいにはっきりと上下関係が示される言葉なんて、赤と白にありましたっけ?」

「君は小さい頃、戦隊ヒーロー系の番組は見ていたかい?」

「戦隊ヒーローってあれですか? アカレンジャーとかの。あんまり記憶にありませんけど何回かは……え、ちょっと待ってください。冗談ですよね?」

「男だったら赤=リーダーの色というのはすぐ頭に思い浮かぶんじゃないかな。だから赤が、『色』の中で一番上だと思い込んでいるんだろう。で、赤と対になっている色は白。なのでB君の頭の中には、『赤>白』という式が出来上がっているというわけさ」

「そんな安直な……」

「普通はそう思うよね。でも君の話を聞く限りB君はまともな精神状態ではないのだろう。だから、そんな考えを持っていてもおかしくないと思うけどね……しかし嫌な予感がするな」

「そうですか? 自慢話をするだけで危険な様子はあまり感じませんでしたよ。そりゃまあ、関わりたくはありませんけど」

「いや、中学生時代に歪んでしまった思想が今も続いているんだ、何が起きてもおかしくない。この先『自慢話』だけで済めばいいんだが……」





 ──結果として、私の悪い予感は当たった。

 愛知県にある○○〇自動車の本社に勤めていると話していたはずのB君が、同窓会の日以降も横浜市内の至る所で目撃され、やはり虚言であったことが判明する。しかし彼は街中で同級生を見つけると、全身を赤で包んだ装いで不気味な笑みを浮かべつつばたばたと駆け寄ってきて、『〇○○自動車の本社で働いている』と何度も自慢をするのだ。


 そこから彼の行動はさらにエスカレートしていった。ミーコの同級生たちの家にB君が訪問するようになったのだ。B君に会いたくない同級生たちは当然居留守を使うのだが、出るまでずっと家の前から離れないらしい。ずっと、というのは本当にずっとで、次の日の朝まで扉の前に居たそうだ。出社するため仕方なく家を出るのだが、出てきた瞬間B君は嬉々として例の自慢話を始め、10分程話を聞いてやると満足して帰っていくという。


 そうして同窓会の日から1か月が過ぎた日。横浜市内の同級生の家を順々に訪ねていたB君がとある人物の家に訪問した際に事件は起きた。その日B君が会いに行った同級生を仮にA君としておこう。A君はミーコの同級生の中でも特に優秀な人物らしく、仕事はとても順調で、周りには美しい妻、可愛い子供、新しい一軒家と絵に描いたような幸せ家族だった。


 そんな『本物』のA君には、B君の『偽物』の自慢話は微塵も通用しなかった。それどころか、本物を目の当たりにしたB君は発狂してしまう。家族を守るためA君は彼を追い払ったのだが、しばらくするとガラスの割れる音が鳴り響いた。外に出て確認してみると、敷地の外からB君が石を投げつけていたのだ。当然A君はそれを止めようとしたのだが、B君は持っていた石で頭を殴り逃げてしまった。幸いA君の命に別状はなかった。


 今までミーコの同級生たちから警察に相談があったのだが、決め手がなく注意をするぐらいしか出来ていなかった。今回の件にて器物損壊と傷害の罪でやっと捕まえることができると、同級生たちは皆期待する。

 

 しかし、A君との事件を起こして以来B君はぱったりと姿を見せなくなった。




 

 ミーコには刑事の従兄がおり、その刑事から捜査の内容をいくつか聞くことができた。それが以下のような内容だ。


 B君の家は横浜市の保土ヶ谷区にあり、父母と家族3人で暮らしていたそうだ。

 A君の事件が起きた後警察がすぐに家を訪ねてみたのだが誰もいなかった。近所のの人に話を聞いてみると少し前までB君は見かけていたが、親御さん2人の方は全く見かけなくなったという証言が聞けた。


 周囲の調査を行いつつも捜査員がちょくちょく家を訪ね続けていたのだが、ある日B君の家を訪ねてみると鍵が開いていた。令状を用意した捜査員が家の中を1部屋づつ調べていき、2階にあるB君の部屋らしき場所へ侵入した際、その場にいた者は絶句した。


 部屋が真っ赤で、加えて酷い匂いが充満していたからだ。壁、床、家具、窓に至るまで赤い塗料が塗られている。赤い勉強机の上に赤い紙が1枚あり、赤いペンで何か書いてあるようだった。後日、『僕は白じゃない』という言葉である事が判明する。

 様々なものが鮮やかな赤で彩られている中、布団、枕、シーツといったベッドにある物だけが黒ずんだ赤色をしており異彩を放っていた。布団をめくってみると、中に居たのはB君の両親だった。

 

 捜査は続いているが、今もなおB君は見つかっていない。

 



 私はB級、Bランクといった言葉を聞くと、A・Bという文字に、赤・白という色に人生を狂わせられたそんな男の事を思い出す。

 AとB、赤と白、金銀銅、松竹梅……順番を表す言葉は色々あるが、使う際は気を付けた方がいい。あなたの身の回りに居る人物は、実はそれらの言葉に何らかの執着心を抱いているのかもしれないのだから。

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AとB、赤と白 柏木 維音 @asbc0126

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