太陽の気まぐれ


 月の砂に杭が立てられる。

 レゴリスを巻き上げ、杭は砂の奥深くまで差し込まれる。杭打機が退くと、その先に取り付けられた傘が大きく開いた。

 探査機の対熱シールドを改造したそれは、大気圏の熱に耐えられる素材である他、薬液が中にあることで電磁波なども防ぐことができる代物だった。


『イヴァン隊長、陣地の太陽フレア対策が完了しました。とりあえずソユーズが張った傘の中にいれば、太陽の電磁波は防ぐことができます』

「わかった。各員は日傘の下に隠れつつ、引き続き基地側への警戒を怠るな」

『了解です』


 着陸地点の陣地化を監督しつつ、大隊指揮官のイヴァン・グリーゼフ中佐はホライゾン基地の方向へ目を向けた。

 双眼鏡で見る吉は静まり返っている。窓には保護シートが被せられ、明かりも消してあるようだった。相手のクルーは基地設備に立て籠もっているのか、備え付けられた銃座にて狙撃銃を構えているだけに見える。


『……今のところ、基地側に動きはありません。発砲もなさそうです』

『このまま基地を制圧できれば、月は我が国のものです』

「それは軌道上のブラン次第だ。アイツらが月面を封鎖してくれない限りそれはあり得ない」


 イヴァンは一部の隊員が調子づいていることに注意する。このような場合、隊員の血の気がエスカレートしないように努めるのも指揮官の役割だった。

 月面におけるこのような大規模な作戦は前例がなく、基地に対する強襲制圧は望み薄であることも彼らの慢心を防がなければならない理由である。

 そうして陣地構築が完了したころ、イヴァン大隊長の通信回線がコール音を鳴らした。イヴァンは無言でプレストークボタンを押し、その通信を受け取る。


『……イヴァン大隊長殿、聞こえるか?そろそろこちらの意思を伝える』


 ハミルトン飛行士からの通信だった。

 イヴァンは相手の通信を黙って受け取る。









「引き渡しに際し、アナトリー飛行士は重篤な状態にある。生きてはいるが、宇宙服の中に生命維持装置を組み込む必要がある。ああ……ああ……分かった。こちらも作業に取り掛かる」


 ホライゾン基地では、沈黙が流れていた。

 ハミルトン飛行士は受話器を置き、後ろを振り返る。怪訝そうな顔でこちらを見つめる飛行士たちにやるべきことを伝えた。


「これより捕虜となっているセルゲイ飛行士とアナトリー飛行士をソ連側に移送する。その際、重篤な状態にあるアナトリー飛行士は機材を宇宙服に搭載した状態で移送しなければならない。各員、移送準備に取り掛かってくれ」


 ハミルトンに命令されたのを聞き、クルー各員は解散し、それぞれの作業に取り掛かった。クルーたちは無言で、もしくは悔しそうにその場を去っていく。

 しかし、一部のクルーがこの場に残った。その中にはゴードンたちの姿もいる。


「……何故奴らの要求を呑んだのですか?」


 エドワード飛行士がそう尋ねてきた。

 もっともな疑問だ、武器で脅されて条件を飲もうなど愚策中の愚策。少なくともアメリカという国がやっていいことではない。彼はそう言いたいのだろう。

 ハミルトン飛行士も、その事は分かっている。しかし、合衆国政府から受け取ったその命令書を片手に毅然として反論した。


「引き渡すだけなら簡単な話だよ。彼らはだって引き渡さなければ基地への攻撃も辞さない考えだ」

「合衆国の宇宙飛行士が脅しに屈するんですか!?」

「じゃあお前は、あのBTRの前に立てるのか?」


 ハミルトン飛行士が言うその言葉に、エドワードは黙ってしまった。実際、脅しに屈する屈しない以前に、目の前の戦力との差が大きすぎる。装甲車相手に歩兵だけではどうしようもない。


「合衆国政府も、月面に捕虜というジョーカーを持っていたくはないらしい。国際情勢が一気に緊迫したこの状況では、捕虜など持ってても火種にしかならない」

「…………」


 そこまで言われて、エドワードはもう何も言わなかった。

 ハミルトン飛行士も、合衆国の飛行士が相手の要求に従うのは心良く思わない。しかし、地球側が相当緊張に包まれていることを受ければ、致し方ない処置であるのかもしれない。


「さぁ、それよりもう直ぐ太陽フレアが来る。それまでに移送を完了させなければ、俺たちはお釈迦だ。急ぐんだ!」


 ハミルトン飛行士はクルー達を急かす。

 私はエドワードの肩に手を当て、直ぐに作業へ戻るように伝えた。早く移送作業を終わらせなければ、太陽フレアはここを直撃してしまう。時間との勝負だった。











 月面の軌道上。

 そこに灰色と黒に彩られた幅広の翼が翻る。眼下に見えるのは月面の灰色、クレーターとレゴリスの反射。ソ連の往還機バイカルは、月面地表から約200kmの高高度を飛行していた。

 機体の様子は空中発射時とは違った。機体の底部から赤外線照準システムを展開、カーゴからは水平発射ミサイルランチャーが顔を出している。

 搭載されていた武装を展開したのだ。空中発射型往還機から"戦闘"往還機にモードを切り替えたバイカルは、月面軌道に侵入する。


「月面軌道に到達。基準点を月に切り替え」

「……切り替え確認。月周回軌道に入る、逆噴射開始」


 パベルとアレクセイが、自動操縦を調節し月面軌道へと移行する。

 機体が反転し、バイカルの補助スラスターが展開。その数秒後、逆噴射を開始した。

 ガスが勢いよく噴射され、バイカルはゆっくりと減速していく。液化燃料ガスが少しづつ減っていく。

 数秒間の逆噴射の後、機体の燃料が四分の一ほど減った。そのタイミングで補助スラスターの噴射は停止する。


「燃焼終了」


 ガクンと機体が揺れ、体が引っ張られるような感覚がそこで治った。


「……しばらくは軌道上で待機だ。操縦はアレクセイに代わる。警戒は怠るなよ」


 ニコライがそう言う。飄々とした態度でアレクセイ達に命令を下す。それに対して、パベルは気だるそうに命令を復唱した。


「へいへい……じゃ、俺は下の部屋に行ってますんで」

「おう」


 アレクセイはパベルへ無言で頷く。また操縦の方に戻る。

 パベルの方も大変そうだ。目をつけられていなければ良いがと思った。ニコライはKGBの幹部で、遠い月に行く私たちの監視役として乗り込んでいる。

 一応、飛行士としての技術はあるが随分態度は偉そうだ。たった三人しかいないバイカルのクルーの中、口うるさいコイツがいるのが無駄に思える。

 とは言っても、月面で勝手に自動操縦を解除し、着陸に失敗してソユーズを横転させた私の事だから、きっと何かのリストに加えられていたのだろう。身に覚えのない事だが、祖国はそういう国なので致し方ない。


「さて、"コロンビア"は何処にいるか……」

「さあ。レーダーはまだ捉えられておりませんね」


 バイカルの監視レーダーには、まだ周辺の探査機などしか映っていなかった。これらは地上管制とリンクして識別済みの目標であるため、マーカーが除外されていた。

 目標となるアメリカ合衆国の宇宙船はまだ捉えられていない。時間から見てそろそろ接触予想時刻と重なる頃だが。


「おっと……レーダーコンタクト」

「見つけたか?」


 ニコライが画面に張り付く。レーダーフリップまでには、識別前のアンノウン表示が一つ増えていた。

 距離247km、軌道高度550km、速度は988m/s。現在減速中なのか、速度から割り出した予想軌道円が段々と小さくなっている。


「減速してるぞ」

「黙っててください。今分析中です」


 拡大し、バイカルのセンサーを用いて分析を行う。しばらくレーダー反射や形状などを、機体のシステムが解析する。

 解析の結果、オービタークラスの宇宙船であることが判明した。


「オービタークラス宇宙船……間違いない、スペースシャトル"コロンビア"です」

「よし……やはり月に派遣されていたか」


 スペースシャトルのコロンビアは、アメリカが保有する宇宙往還機だ。バイカル同様、再利用可能な宇宙船として設計され、カーゴベイには22tの物資を運ぶことができる。

 スペースシャトルは現在、アメリカ航空宇宙局の主力人員輸送システムであり、カーゴにはアポロ着陸船が搭載されている。

 今回も月面へ人員を下す最中だったのだろう、段々と高度を落として着陸船を送り込もうとしていた。


「追跡しますか?」

「当たり前だ。人員を下ろされる前にアプローチを仕掛ける」

「了解です。では……遠点にて少々加速します、それで軌道を合わせられるかと」

「上出来だ。やってくれ」


 バイカルは軌道調節のため、高度が最大になる点で少しだけ加速することにした。これにより、月の反対側の軌道円が拡大し、相手側にアプローチを仕掛けられるというわけだ。

 アプローチの際、軌道傾斜角も念頭に入れる。相手側は月面に対して10度ほど傾いた姿勢で航行しているので、こちらは軌道傾斜角を調節する。


「……完了です。あとはアプローチまで何もしない方がいいでしょう」


 軌道円の拡大を終え、機体の燃料にも未だ余裕がある頃。私はニコライ飛行士にそう言った。

 時折コロンビアとの軌道円に気を配りつつも、ニコライはシートベルトを外した。リラックスしているのか、深く息を吐いた。


「ふんっ、マニューバを行ってしまえば後は暇なもんだな。宇宙船というのはどうも地味で仕方ない」

「そういうものです。武器を持ってても、戦闘してない時の方が長いのかもしれません」


 ニコライにそう言うと、やることもなく私は傍に浮いていた本を手に取り読み始めた。当局の検閲を切り抜けた、大衆向けの輸入本だった。

 中身は王道のファンタジー小説で、ロシア文学の要素で脚色しつつ、検閲項目を翻訳しているらしい。

 剣と魔法が世界の全てである話の舞台では、月が重要な役割を果たす。そこにはこう書いてあった。「月の魅力に取り憑かれた時、人はその本性を露わにするだろう」と。


 数時間後、バイカルはコロンビアから13kmほどの距離にまで接近していた。逆さまに反転した窓の後方に、コロンビアから発せられるライトが見えていた。

 相対速度が120m/sほど。すれ違う直前のタイミングで減速を開始した。スラスターからガスが噴射され、一気に減速する。相対速度がほぼゼロになったところで、バイカルの機首を巡航方向に戻した。


「よし、作業前だ。いいタイミングでアプローチできたな」

「ここからが本番です」


 アレクセイはマイクを手に取った。


「こちらはソビエト連邦空軍所属、戦闘往還機"バイカル"。スペースシャトル"コロンビア"に警告する。作業を中止し、軌道上に戻れ。さもなければ貴船を撃墜する」


 コロンビア号にそう呼びかける。これ以上アポロ着陸船を月面に下ろすわけにはいかないので、このように一機ずつ追い返していくのだ。

 それがバイカルが月面に派遣された本当の理由。月面基地への補給でも、人員の投下でもなんでもない、ただの月面封鎖作戦だ。

 祖国はこれに先立ち、二日前にアメリカに警告を行った。「これ以上事態をエスカレートさせるなら、月面を完全に封鎖する」と。

 コロンビア号はそれを察知した上でここに来たのだろうが、そんなことは関係ない。今すぐ彼らの物資投下を遅らせる、それが狙いだった。


「アレクセイ飛行士、もっと機体を寄せろ。警告になってないぞ」

「ですが、それですと万が一のデブリに当たる危険性が──」

「ごちゃごちゃ言うな!さっさと近づけろ!」


 ニコライが覇気迫る勢いでそう言うので、アレクセイは仕方なく機体を寄せていく。


「繰り返す。当機は貴機を破壊可能な武装を搭載している。死にたくなかったら立ち去るのが賢明だぞ」


 コロンビア号はそれでも動かない。確かに作業を中断しているが、軌道上に戻る素振りは全く見せなかった。


「くそっ……こうなれば威嚇射撃だけでも」

「待ってください。エスカレーション行為は核戦争の危機を……」

「黙ってろ!」


 ニコライがさらに苛立つのを見て、アレクセイは眉を顰める。だがここで、あらかじめセットしてあったアラームが鳴った。全員の注目がコックピットでオレンジ色に光る計器に集まる。


「だめです、時間切れだ」

「なんだこのアラームは……まだ威嚇射撃の一つも──」


 アレクセイはタイマーのボタンを押し、音を切る。そして機体のスラスターをピッチ方向へ動かし、底面を太陽に向けようとする。


「な、何を──」


 座席から放り出されたニコライが、操縦席を舞いながらそう言った。アレクセイは冷静な操作で底面を太陽に向け、窓のシャッターを閉める。


「太陽フレアが来ます」


 その瞬間、全身の毛が逆立つような感覚に襲われた。

 太陽フレアの電磁波が、燃料タンクを抜けてわずかながらも降り注いできたのだ。

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