迫りくる猶予
カルフォルニア州、ケープカナベラル宇宙基地。
済んだ青空の下、一機のロケットが打ち上げを待っていた。
機体名はデルタⅡ。月まで飛べるサターンVなどと違い、固体燃料を搭載したこのロケットは、主に地球周回軌道への衛星打ち上げ用として運用されていた。
『5……4……3……2……1……launch!』
カウントダウンがゼロになり、固体燃料が点火された。鮮やかなオレンジの火がノズルから噴出される。発射場が白煙に包まれ、ロケットがゆっくりと持ち上がる。
『lyft off!』
デルタⅡが発射場から飛び立つ。昼空の下、白い尾ひれを引くロケットロードが、天頂まで伸びていた。ロケットはそのうち、地上から見えなくなる。
打ち上げの管制はケネディ宇宙センターに移る。
管制室では、職員らが軌道上の衛星群の軌道を固唾を飲んで見守っていた。搭載された一基の軍事衛星を、先に打ち上げられた衛星群の軌道とぴったり合わせてやろうというのだ。
「衛星分離……予定の軌道へ投入」
衛星は自らの推進機を用い、軌道面を調節。衛星群との相対速度をゼロにし、軌道系射角も合わせた。アラスカの上空を掠める、ギリギリの位置に衛星群は周回していた。
「コンステレーション防衛システム、衛星群のシステム構築完了。これで完成です」
最後の衛星が投入されたことで、衛星群はデータリンクを構築、ひとつのシステムとして起動した。
このシステムは、弾道ミサイル防衛としてアメリカが計画した衛星攻撃システムだ。宇宙空間で弾道ミサイルをいち早く撃墜することを目的に、有名な宇宙戦争映画にちなんだ計画名で進められていた。
完成したシステムは、宇宙空間観測衛星と追跡システム衛星、そして攻撃衛星の合わせて30基近くの衛星群で構成されている。
「これで少しでも核の脅威が減ってくれればいいんだがな」
管制室で腕を組む局長は、打ち上げが成功した防衛衛星を見ながら、率直な感想を漏らした。だがぼそりと呟いたはずのその言葉は、管制室が緊張で静まり返っているため、隣にいる係長に聞かれていた。
「そうはいかないでしょう。この衛星群で迎撃できるのは200発程度です。この程度では核抑止は崩せないかと」
「結局核の脅威はまだ健在、というわけか……」
局長はなかなか収まらない緊迫した国際情勢に、深くため息を吐いた。
この衛星群も、今回の事件を受けて少し急ぎ足で完成させることになった。国防省はよほど核戦争を恐れているらしい。気象観測衛星の打ち上げを延期し、予備のデルタⅡまで使えと矢の催促だった。
「まったく、情勢は悪くなるばかりだよ。どうにかならんのか」
「外交での解決も糸口が見えなさそうです。幸い、まだ月面で死者が出てないのが救いですね」
「はぁ……核戦争だけは御免被るよ……」
局長は溜息を吐く。核戦争の危機は刻一刻と迫っているように見えた。
恐らくこの世界のだれも望んでいないことだろうが、疑念に駆られた人間はどんなことをしでかすのか分からない。もしかしたら、本当にひょんなことで核戦争が始まるのではないかと、皆が不安だった。
その時、局長のいるガラス張りの部屋の電話が鳴った。一番近くにいた係長が電話を取る。
「局長、ハワイより連絡です」
「なんだ?」
係長は電話を受け取る。
電話をかけてきたのは、ハワイのオアフ島にある天文台の学者からだった。
「なに、太陽フレアが?」
局長は学者から伝えられた内容に驚愕し、思わずそう聞き返した。
『はい。かなり大規模なフレアが、今日の早朝に発生していたようです。到達すれば、月面の基地にも影響が……』
「到達はいつ頃ですか?」
『今から17時間後。まだ余裕がありますが……こんな事態です、早めに連絡したほうがいいかと思って』
「ありがとうございます。また何かあれば」
係長は電話を切り、すぐさま係長に指示を伝達した。
「太陽フレアだ。月面基地に情報を伝達。それから……国務省にも連絡を入れろ」
「はい!」
指示を受けた係長は、すぐさま弾き飛ばされるように部屋を出た。
数時間後、ホライゾン基地にて。
緊張状態の最前線に位置する月面には、いち早く太陽フレアの情報が伝えられた。現在外では、太陽フレアに備えた防御設備の構築を行なっている。
「あと半日でフレアが直撃するってよ」
「たまったもんじゃない……こっちはそれどころじゃないっての」
ホライゾン基地では、何人かのクルーが窓に保護シートを貼り付けながらそうボヤいていた。
保護シートは宇宙服の修理素材として持ち運ばれた物で、現在は原子炉と冷却設備の区画がある東棟を中心に保護シートを貼り付けている。
ハミルトン飛行士もその作業を手伝っていた。保護シートの端を持ち、ダクトテープでそれを固定しつつ、側の飛行士に問いかける。
「外の作業は順調か?」
「いいえ、少し遅れ気味です。それでも原子炉周りはあと6時間ほどで覆い隠せます」
「頼むぞ……もし設備がやられてメルトダウンでも起こしたら、ここは永遠に住めなくなるからな」
まだ隠されていない窓から、外の様子を伺う。そこでは三人の飛行士が、月面作業車を使って作業を行なっていた。
基地で作業を行っていたのは、私達の第3分隊であった。今度は銃を肩に下げ、積み上がった砂の形を整えている。
『ゴードン隊長、放出口をもう少し上げますか?これじゃあ、いつまで経っても……』
作業車にいるアレックスは、作業車を慎重に運転しつつそう言った。
「焦るな、太陽風が来るまであと7時間はある。それまでに終わらせればいい」
私ははそう言ってアレックスを諌め、予定通りの作業を進めさせた。私も作業に戻る。
私はブライアンと共に、手作業で砂をかけていた。基地の設備に砂をかけることができる月面作業車だが、狭いところでの作業には向いていない。だから設備の隙間の箇所は、手作業でやる必要があった。
『このまま、作業が終わるといいんですがね……』
「そうだな、またソ連が何かやらかしたら困る。早めに終わらせてしまおう」
ブライアンが言う通り、作業は順調とは言い難かった。宇宙服を着ての作業なので、手足が嵩張り作業が思ったように進まない。
既に日付が変わる前から作業を続けていたが、予定よりも遅れ気味であった。太陽フレアが来る前に本当に間に合うのだろうか。少し心配だった。
『……そういえば、ゴードン隊長は捕虜のロシア人と会ったんでしたっけ?』
「ああ」
作業を続けながら、ブライアンがそう聞いてきた。作業のペースは止めず、私は会話を始める。
『どんな人でしたか?』
「普通の人間だった。若くて身だしなみも整えられていて、俺たちと変わらなかった。話もある程度通じたしな」
『……やっぱりそうですよね、同じ人間なんだ。なのに、なんだって争わなきゃいけないんだか』
ブライアンは、なんだか物悲しげにそう言う。謂れのないことで人間が争わなければならないことを、彼なりに憂いているのだろう。
私は少し手を休め、呼吸を整えた。そしてまた、ブライアンとの話を続ける。
「それに関しては同感だが、人間は複雑で、どうしても相容れないところがある。争いは起こってしまう生き物なんだ」
『俺は悲しいです。人間が月面に来れるようになっても、また戦争だなんて』
確かにそうだな、と私も思った。
人間は月に行けるまで技術を伸ばした。だが、その本質はいつまで経っても成長していない。月でもまた戦争が起きそうになっている。
「嫌な話だよな、本当に」
私は一宇宙飛行士として、ブライアンに賛同した。だが現実として、地球と月は遠くて近くて、その領域には人間のエゴが絡むのだ。仕方のないことなのだろう。
『ゴードン、聞こえるか?』
「っ……こちら第三分隊のゴードン、聞こえるぞ」
突然通信機で呼びかけられたので、私はそれに答えた。相手はハミルトン飛行士のようで、慌てているのか少し声が早口に聞こえる。
『緊急事態だ。今直ぐ作業を中止し、基地内に戻ってくれ』
「どういう事だ、何が起こってるのか説明してくれ」
私が状況を問いただすと、ハミルトン飛行士は重苦しい語気でこう言った。
『……ソ連が着陸船でこっちに向かってる』
「なんだって!?」
私は素っ頓狂な声で叫んだ。
レゴリスが撒き散らされる。
丘上から三機の着陸船が、一気に基地の方向へ駆け抜けて来ていた。ノズルの噴射口から小刻みにスラスターを噴射し、低空で滑るように飛行する。
三機の着陸船は、基地から2000m南の位置に速度を緩める。逆方向に噴射を行い、急速に停止し月面に着陸した。
「くそっ、裏手に回り込まれた!作業どころじゃないぞ!」
「敵の数と配置は?」
保護シートで覆われた窓から、ハミルトン飛行士が双眼鏡を覗く。
視線の先では、二機のソユーズ宇宙船と、一機の大型の大型艇が着陸していた。着陸艇からはソ連の宇宙飛行士たちが、六人ずつ次々と降りてくる。
「展開したのは……12人か」
「いや待て、後ろの着陸艇が──」
側にいる飛行士が、背後の着陸艇に注目した。ハミルトンもそちらに目線を向けると、大型の着陸船から白い装輪車両が展開された。
地表に降り立ったそれは、角ばった幅広の車体と、重機関銃一挺を備えた小さな砲塔を持つ。地球上でよく見かけるソ連製の装輪装甲車によく似ていた。
「BTRだと……」
これには普段冷静なハミルトン飛行士も、そんな小さな声しか出せなかった。まさか月面でソ連製装輪装甲車のBTRが現れるとは思わず、吃驚している。
しかし彼の傍らに立つ飛行士が、なにか違和感を覚えたようでそのBTRを注意深く観察する。
「うーん、確かにBTRを元にしてあるが、砲塔と車体が四角いし、心なしか横幅も延長されているように見える。地球で見るタイプとは違うな」
「じゃあ、なんだってんだ!?」
思わずハミルトンが聞き返す。軍事に詳しい飛行士は、冷静に分析したうえでこう言った。
「月面仕様の装甲車だよ。ソ連は大真面目に月面戦争を考えていたって事だ」
そんな事は分かっている、ハミルトン飛行士はそんなふうに言いたげだった。
すぐさま後ろに振り返り、補給担当のクルーに問いかける。
「こちらの対戦車火器は?」
「M72 LAWが五発ほど……しかし、この平野ではとてもBTRには近づけなさそうです」
携行対戦車火器のM72 LAWは、採掘作業や緊急時の爆砕用に持ち込まれたものだった。
持ち込んではいるが、この真っ平な丘でBTRに近づくのは難易度が高い。例え地球上であっても、歩兵だけでBTRに近づくのは危険すぎる。
「奴らここを本気で制圧するつもりか……?」
ハミルトンが危機感を募らせていると、通信担当のクルーが電話を持って駆けて来た。
「ソ連側から通信が入っています」
「貸せ」
ハミルトンはその飛行士から受話器をひったくり、プレストークボタンを押した。通信がソ連側と繋がれ、音声が鮮明になる。
「聞こえるか?私はアメリカ航空宇宙局所属、基地司令のハミルトン・マッキニーだ。貴官らの所属を述べよ」
『……私はソビエト連邦空軍所属、ズヴェズダ大隊指揮官のイヴァン・グリーゼフだ』
ソビエト側の指揮官が名乗った後、少し沈黙が流れた。クルーたちの緊張感が高まり、ハミルトンに視線が集まる。
いい加減目的を聞こうと、ハミルトンがトークボタンを押したタイミングでソ連側の方が語り掛けた。
『先に言おう、我々は諸君らの基地を制圧しに来たわけではない。交渉をしに来たんだ』
「交渉とは?」
『諸君らが拉致している我が方の捕虜を、今すぐ返還してほしい。我々が求めるのはそれだけだ』
彼らは単刀直入にそう言った。
要するに言えば、仲間を救出しに来たのだろう。だが捕虜の一人は未だ重篤な状態で、船外に放りだせる状態じゃない。
そもそもこのような捕虜返還はハミルトン飛行士の一存では決められない。合衆国政府と相談しなければならないだろう。
「そうか。こちらとしても応じたいが、流石に政府との相談が必要だ。時間をくれないか」
『……いいだろう。二時間の猶予をやる、その間に答えを出せ』
ハミルトン飛行士はしばらく考えた後、そう言って時間稼ぎをした。ソ連側の指揮官も、猶予を決めて了承する。その間に他のクルーたちが動き出した。
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