立てられた星条旗


『ゴー!』


 私たちは強襲艇から飛び出し、採掘拠点に降り立った。すぐさま銃を構える。周囲に人がいないかを探す。

 降り立ったのは比較的開けた土地だ。右手には崖が、左手には前回隠れていた丘が見える。採掘拠点は窪んだ土地にあった。

 前方には採掘拠点に建てられた仮組みの構造物と、小さな岩がある。構造物はトラス構造の建設足場だ。まだシートを被せておらず、骨組みが丸見えで人は見当たらない。

 岩の方はそれほど大きくないが、人が隠れるには十分な大きさだった。クリアリングには、その背後を確認する必要がある。


「(確認するぞ)」


 私はハンドサインで隣にいるジーンに合図を送る。マンツーマンで陣形を組み、ゆっくりと岩陰との距離を詰める。

 同時に、周りに人影がないかを見る。目に見える隠れ場所を見張り、奇襲を未然に防ぐ。

 私とジーンは、岩陰に5メートルのところまで近づいた。地球上ならわずかな呼吸音でも聞こえる距離だ。

 だがここは月面で、空気はないので音も聞こえない。宇宙空間での戦闘は常に奇襲と隣り合わせだった。

 私とジーンは、指でカウントダウンを行う。


「(3……2……1……)」


 ゼロになった途端、私とジーンは走った。5メートルの距離を一気に詰め、岩陰の裏を確認した。

 人は居なかった。岩の裏は日陰に覆われ、真っ黒に塗り潰されている。人がいた痕跡はかけらもなかった。


「クリア!」

『クリア!』


 私は周囲の安全を確認し、通信機越しにそう叫んだ。私が担当した強襲艇の南側のエリアでは、ロシア人は見当たらなかった。足跡は幾つか見えたが、辿っても手がかりにはならなかった。


『いたぞ!ロシア人だ!』

『こっちに来てくれ!』


 私が周辺をくまなく調べていたところ、エドワードが通信機越しに叫んだ。私は彼らが担当した北側のエリアへ飛び跳ねて向かった。


『手を上げろ。両手をヘルメットの後ろに』


 現場に向かった時、エドワードは岩陰に隠れていたロシア人飛行士二人に、銃を突きつけていた。

 私もエドワードの元へ向かう。銃をロシア人飛行士に向けつつゆっくり接近し、包囲網に加わろうとした。


『おい、聞こえているのか?』

「通信が合ってない。調節するんだ」


 焦るエドワードに、私はオープン状態にした通信機を使ってそう伝えた。エドワードは周波数が合っていない事に気づいたのか、ハンドサインで私に呼びかけを任せる旨を伝えた。


「聞こえるか?両手をヘルメットの後ろに」

『…………』

「聞こえているんだろう、手を上げるんだ」

『ッ…………』


 私の方は周波数をオープンにしているので、呼びかけは相手の飛行士にも聞こえているはずだ。覚えたてのロシア語で二回も呼びかけたが、相手の飛行士はその場を動かない。

 飛行士の手には、銃が握られている。白で塗装されているが、AKシリーズと同じ曲線カーブを描いたマガジンと、その上に取り付けられた光学カメラは、こちらとほぼ同じ構成だった。


『手を上げろ!最後の警告だぞ!』

「おい、熱くなるな──」


 周波数をオープンにしたエドワードがそう叫んだ。私は熱くならないように警告したが、不動のまま採掘拠点に居座っていた二人の飛行士は、その声に反応して銃を握った。


『ッ──!!』


 その途端、彼らは倒れた。宇宙服を貫く衝撃を受け、月面を踏みしめることが出来ず、その場に仰向けで倒れ、レゴリスを撒き散らした。

 私はエドワードの方を見た。フレッドとエドワードの二人は、少しよろけて足を踏ん張っていた。銃口からは煙が見え、月には風がないのでその場に留まっていた。


「撃ったのか……?」

『……悪いが隊員の命の方が大事だ』


 私はエドワードが言い終わるよりも先に、ロシア人飛行士の容態を確認しに行く。二人いるうち、片方の飛行士がもがき苦しんでいる。私は急いで彼の方へ向かう。

 ソ連製の白と青が重なったソコル宇宙服。私は被弾したと思しき箇所を見る。彼の被弾箇所は脇腹で、大穴が空いている。


「まずい、空気が漏れてる!」

『……くそっ』


 私より一足遅く、エドワードも駆けつけた。飛行士の空気漏れしている箇所に、私は両手で押さえつけようとする。しかし、複雑な二重構造の中でも空気漏れが起きているのか、飛行士はまだ悶え苦しんでいた。


「そこ押さえろ!」

『っ……だめだ、漏れ続けてる!』

「ダクトテープ!」


 残ったフレッドに、ダクトテープを持って来させた。このままでは急激な減圧で、彼の脳組織に重大な損傷が出てしまう。

 急いでダクトテープで穴を塞ぎ、中の穴から空気が漏れないよう、よく塞いだ。しかし、いよいよ飛行士の容態がおかしくなったのか、彼は手を空の方へ伸ばしていた。


「おい、しっかりしろ!」

『だめだ、急激な減圧で……』


 彼の伸ばした手は、ゆっくりと下を向く。力を入れているように見えない、脱力したような動きだった。


「……傷口は塞いだはずだ。流石にここじゃ中まで見れん」

『こっちのロシア人はまだ生きてます。穴は塞ぎました』

「よし、急いで基地に移送するぞ」


 私はエドワードにそう言って、二人の捕虜を基地に持ち帰ることとした。部隊は急いで撤収作業に入る。


『おい、旗を立てるのを忘れるな!』


 エドワードはそう言った。

 その言葉で私は最初の任務を思い出し、強襲艇の荷台から一振りの星条旗を持って来た。それを赤い旗が立っている場所まで、走って持っていく。

 深く立てられた赤い旗を、一杯の力で引っこ抜く。そして空いた穴に、星条旗のポールを突き刺す。

 目標は達成された。









 作戦の成功はあまり感じられず、強襲艇は急いでホライゾン基地に戻った。

 捕虜のロシア人二人を強襲艇に押し込み、最短のルートでホライゾン基地に搬送。負傷した飛行士二人は、集中治療室に運び込んだ。この際減圧は考慮せず、酸素マスクだけつけて医師たちの治療を受けていた。


『……では、作戦目標は達成したんだな』

「はい。赤い旗は星条旗に入れ替えております。政治的に見ても、我々の勝利です」


 ハミルトン飛行士は、ヒューストンへの報告の際、写真を転送した。その写真は基地に帰還する直前に私が撮影した写真だ。

 写真には星条旗と採掘拠点、そして強襲艇が写っている。これは月面における初の軍事作戦が、成功に終わったことを意味していた。歴史的な写真だろう、ヒューストンはこの写真に満足していたようだった。

 だが喜ぶべきはずの両者は、表情が優れなかった。やはり、銃を発砲する事態にまで発展するのはまずかった。


「発砲に関しては、現場の飛行士たちを責めないでください。銃の使用は許可されていました」

『わかっている。状況から見て自衛は止むなしだった。隊員の命の方が大事だろう。よくやってくれた』


 ヒューストン側は言葉を濁しつつ、そう言って現場の隊員たちを労った。

 発砲自体、避けられなかったのかもしれない。あの時私はロシア人の飛行士に何度か手を挙げるよう呼びかけたが、言語が通じて、しかも通信もオープンにしていたのに、彼らはそれを無視した。

 ソ連本国から何かしらの指示があったのだろうか。どちらにせよ、あの状況で武器を構えられては、発砲するしかない。


「捕虜についてですが、一通りの治療は終わりました。二人のうち、片方は意識不明。もう片方は命に別状はないそうで、要請さえあればソ連側に捕虜を返すことも出来ます。」

『わかった。だが負傷者が出ている以上、ただで返されてもソ連側は納得しないだろうな……』

「じゃあ、どうするんです?」

『……交渉するしかない。合衆国の外交力を信じよう』


 ヒューストンの責任者は、重苦しい言葉でそう言った。地球の情勢に対して大局で何もできないのは、彼らも同じだろう。

 いつの時代だってそうだ。歴史は自分の関与できないところで進んでいく。今この瞬間も、彼らができることは少ないだろう。


「……ちなみに、地球の情勢はどのように進展しましたか?」


 ふと、ハミルトン飛行士はそんなことを質問してみる。


『……こちらはだいぶ厳しい。ますます核戦争の前夜みたいになっている』


 責任者が言うには、実は今ヒューストンにも核ミサイルの照準が定められているらしい。カリブ海沿岸にソ連海軍の艦艇が出没し始め、対するアメリカもシベリカ近海にて航行の自由作戦を進め、両者とも一触即発だという。

 さらに事態を悪化させる要因として、大韓航空の民間機がソ連に撃墜されたニュースも入って来ている。航法ミスが原因と思われるが、まだ確かな情報は公開できず、国際緊張だけが高まっているらしい。

 地球の情勢は悪くなる一方だった。


 一方、私は隔離された居住区画に足を運んでいた。

 硝子の窓で遮られた空間には、捕虜のロシア人が一人。部屋は二重扉で区切られていて、厳重に施錠されている。

 ここは通常、月面基地で病気などが蔓延しないよう隔離するための施設だったが、今は監獄として使われている。捕虜のロシア人はベットに腰掛け、俯いていた。よく手入れされた短い口ひげで、歳は三十代くらいだろうか、意外と若い。


「言葉は分かるな?」

『……ああ』


 私は部屋の向こう側に立ち、マイクを使って話しかける。部屋のスピーカーが私の声を彼に届け、会話が成立した。


「君の名前は?」

『セルゲイだ。階級は中尉』

「俺はゴードン。ゴードン・アンヴィル、NASAの飛行士だ」


 お互いに自己紹介をし、まずは信頼感を築く。捕虜とはいえ、こういった信頼関係は大事だ。待遇としても地球の戦時条約に則るべきであるとし、彼にはこの綺麗な部屋が割り当てられた。機能としては独房そのままだが。


『……随分とロシア語が流暢だな』


 彼はそう言った。私の覚えたてのロシア語は、本場の人々にとっても流暢に聞こえるらしい。それは嬉しく思う。


「宇宙飛行士たるもの、言語も達者でないとな」

『俺も一応英語が喋れる。宇宙飛行士に求められる技能ってのは、どの国でも厳しいものだな』


 セルゲイは少し笑った。私も釣られて笑う。

 緊張は少しずつほどけているのか、彼はある程度リラックスしていた。私の笑顔を見せ、お互いの距離感を詰める。


「……さて、本題に入ろう。君はあそこで何をしてた?」

『我が方の拠点の様子を警備していた』

「それは任務か?政府からの命令があったのか?」

『任務だ。……悪いがこれ以上は何も言えない』


 セルゲイはそれ以上を言わなかった。再び俯き、指を弄る。どうやら今の段階ではこれ以上話してくれなさそうだった。

 私は両手を腰に当て、しばらく考え、今日の尋問はこれで終えようかと思った。


「……分かった。今はゆっくり休んでくれ。また明日来る」

『…………』


 そう言って、私は隔離室を後にしようと後ろを振り向いた。私がドアに手を掛けようと思ったその時、再びセルゲイが声をかけた。


『おい……』

「なんだ?」

『アナトリーはどこにいる?俺と一緒にいたもう一人の飛行士だ』


 私は集中治療室にいるもう一人の飛行士を思い出した。


「……彼は治療室だ。生きてはいるが、まだ君には会わせられない」


 私は言葉を濁してそう伝えた。それを聞いたセルゲイは、少し俯いて黙り込む。そして状況を察したのか、強めの語気でこう言った。


『くれぐれもあいつを殺すな。もし死んだら祖国はお前らを許さない。覚悟しろ』

「…………」


 その言葉を最後に、彼は部屋のベットに戻った。

 私は無言で部屋のエアロックを閉めた。

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