作戦名"ヘリオス"


 月面、地球での緊張が高まる中。

 カザフスタン、バイコヌール宇宙基地にて。併設された滑走路に、一機の大型輸送機が侵入した。巨大な輸送機は、搭載された六発のエンジンを始動。地を蹴るような力強い加速で飛んでいき、滑走路を離れた。


 機体はAn-225Mという、世界最大を誇る大型輸送機だ。六発の大型大出力エンジンを搭載し、横幅は88m以上を誇る。まさしく空の巨人とも言うべき輸送機だ。

 輸送機の離陸と同時に、2機のSu-27戦闘機も離陸した。戦闘機はAn-225Mを護衛し、彼らは順調に高度を上げ、上空10000メートルの成層圏に達する。

 そこでAn-225は空中待機を発令され、中央アジアの上空を旋回し始めた。


『地上管制よりバイカル、中央より離昇許可が降りた。これより秒読みを開始する、準備せよ』

「了解。こちらバイカル、離昇体制に移行する」


 今回離陸したAn-225Mには、機体の上部に小判鮫のような別の機体が載っていた。

 小判鮫の機長を務めるアレクセイ・レオーノフは、モスクワ州の地上管制からの指示を受け、計器の秒読みを地上と合わせ、自動操縦に切り替える。


 小判鮫の名は、ブラン2.01"バイカル"という。

 機体は白と黒の耐熱タイルに覆われ、空中から大気圏離脱が可能な液体燃料エンジンを四基も搭載していた。

 ブランはソ連初となる、本格的な空中発射型宇宙往還機だ。空中発射によりわずかな機体構成で宇宙に往還機を上げることのできる、画期的なシステムだった。

 元はアメリカのスペースシャトルに対する対抗馬だった。当初こそアメリカと同じくロケットにより打ち上げられる予定だったが、様々な事情があり空中発射となった。

 ロケットに装着した姿が、あまりにもスペースシャトルに似ているからという政治的理由を噂されているが、今はどうでもいい。


「全く、月で戦争とはな。誰も望んでない話だよ」


 操縦士はパベルだった。彼はそんな愚痴をこぼしつつ、操縦系統の調節を行う。

 宇宙飛行においては、アレクセイとパベルはソユーズLOK以来実に14年ぶりのコンビであった。

 初の月面着陸からそれくらいの時が経ち、二人ともそれなりに高齢になってきている。皺が目立ち始めたが、ソ連ではまだまだ現役の飛行士としてベテラン扱いされていた。


「口を慎むんだパベル。私が会話を逐一録音していることを忘れるな」


 三人目の宇宙飛行士として、操縦席にはニコライという宇宙飛行士が乗っていた。彼は若手の飛行士だったが、年上のパベルに対してそのように注意を促す。

 政治的な意味合いでこのオービターに乗っている彼からすれば、パベルの軽はずみな言葉は逐一報告しなければならない。強い語気を使うニコライに、パベルは毛だるそうに返事をする。


「へいへい、了解ですよ」

『離昇1分前です』


 パベルが鬱陶しそうにそう言うのを見て、アレクセイはふっと笑う。同時に計器類から女性の声でアナウンスがなされた。

 飛行士たちの目が変わり、カウントダウンのメーターに注目する。


『5……4……3……2……1……機体分離』


 An-225からバイカルが分離する。

 切り離されたバイカルは、携えた外装燃料タンクごと空中に投棄された。ふわりとした感覚が身体を包み、身体が浮き上がりそうになるが、それはすぐに収まった。


『エンジン点火』


 自動操縦により、バイカルのメインエンジンが点火される。外装の燃料タンクごと、機体が空中で加速する。飛行士たちは席に押さえつけられ、その加速力の高さを肌身で感じる。


「поехали!!」


 あの時と同じく、さあ行くぞとアレクセイは唱えた。

 バイカルは上空に見える月に向かい、勢いよく飛び立っていく。









 ほぼ同時刻、月面のホライゾン基地。

 ハミルトン飛行士以下、ホライゾン基地にいるほぼ全てのクルーが中央区画に集められていた。

 さながらブリーフィングルームのような雰囲気の中、ハミルトン飛行士は中央区画のモニターのスイッチを切り替える。通信はヒューストンにつながっていた。


『ホライゾンクルーへ、ヒューストンだ。これより大統領からの命令を伝える』


 モニターから責任者が説明を始めた。

 ヒューストン側の責任者は、ひと束の書類を手に取ると、それを読み上げる。そこには合衆国大統領の署名サインが記入されていた。


『作戦名は"ヘリオス"。α-33を奪還し、星条旗を立てよ。この際手段は問わず、発砲も止むなし。これ以上月面における領土係争が発展しないよう、何がなんでも奪還せよ……以上だ』


 責任者が命令を読み終える。

 大統領からの直筆の命令を、ホライゾンクルー達が真剣な表情で聞き取った。皆の表情は硬い。


「……了解しました。これよりこちらは作戦準備に取り掛かります」


 ハミルトン飛行士は復唱を行い、命令を承諾した。いよいよ始まる月面での強襲作戦に、彼も表情が真剣そのものだった。


『頼んだ。作戦メンバーはそちらで決めてくれ』

「了解です。しかし、地球の状況を見るに発砲はしたくないものですな」

『血が流れないのならそれに越したことはない。だが注意しろ、未確認の増援がいるかもしれん。ソ連側が武器を持っていないとは限らない』

「了解。こちらも万全な状態で挑みます、アウト」


 ハミルトン飛行士はヒューストンとの通信を終えた。即座に後ろの飛行士達へ振り返り、席を立つ。そして、口を開いた。


「……これより編成を発表する」


 編成が発表される中、飛行士達は真剣にそれを聞く。私も選ばれるのを聞いて、より一層身が引き締まる思いだった。


 約一時間後、私は減圧を終え宇宙服を着用していた。私はアレックスと共にエアロックから出ると、月面を軽快なステップで歩いて、基地に併設された駐機場へ向かう。

 今回はローバーではなく、着陸船を使う。駐機場に待機してあったアポロ着陸船の一つに、私たちは飛び乗った。

 着陸船は改造されていた。月面の低高度でホバリング作業を行うため、横に張り出しを伸ばしてその先にスラスターを増設している。張り出しの後ろには、人が掴まって乗ることができるスペースが増設されていた。

 着陸船の分離機能は廃止され、溶接されていた。底部にあるメインエンジンは、月面で飛び上がりすぎないよう出力が制限されている。完全に月面だけで運用するための強襲艇だった。


「アレックス、今回も頼んだぞ」

『任せてください。宇宙船の操縦だってピカイチだってところを見せみますよ』


 この強襲艇を操縦するのはアレックスだった。アレックスは宇宙船の操縦技術も持っているため、乗り手には今回も彼が選ばれた。

 月面においてほとんどの乗り物を操縦できる彼の存在は、もはや無くてはならない存在なのかもしれない。

 私は宇宙船の梯子を登り、背面に取り付けられた足場に乗った。私は銃を肩に下げ、両手を手すりに回した。


「全員、乗り込んだな?」

『ああ、これで全員だ』


 エドワード飛行士もやって来て、隣の手摺に掴まった。私たちは隊員が集合するのを待ち、着陸船の上で待機する。


『ゴートン隊長』

「ん、その声はブライアンか?」


 通信にブライアンが話しかけて来た。

 私は月面基地の方を見て、手を振るブライアンを見ながら話に答える。


『通信越しですみません。ゴードン隊長、健闘を祈ります』

「ありがとう。そっちは居残りだそうだな?」

『はい。残念ながらまだ医師のお墨付きがもらえず……』


 ブライアンは残念そうな声でそう言った。おそらくあの時倒れてしまったのを悔やんでいるのだろう、私はそれを察してフォローを投げかける。


「居残りも重要な任務だ。お前はこの基地を頼んだ」

『はい!隊長の帰る家は必ず守ります!』


 ブライアンの威勢のいい声を聞き、私は少し安心した。そして同時に、腕時計を見ていたハミルトン飛行士が作戦の合図を送る。


『……時間だ。TF-01、作戦を開始せよ』

『了解です。メインエンジンスタート!』


 アレックスが強襲艇のエンジンをスタートさせる。機体が緩やかに振動し始め、そしてゆっくりと、月面の地表から飛び上がった。

 私は手摺に掴まり、振り落とされないように耐える。


『RCSオン、出発します!』


 機体はRCSスラスタをオンにし、強襲艇は噴射だけでホバリングを開始した。そして、強化されたRCSを巧みに使い、低空を這うように進み始めた。


『ヒュー、ローバーよりずっと速いじゃないか!』

「この低高度ならソ連のレーダーには見つからない。行けるぞ」


 地上を走るよりも速く、強襲艇は月面を這って進む。広大な月の砂漠を突き進み、クレーターを飛び越え、強襲艇は飛んでいく。


『見えたぞ、渓谷だ』


 月の野を越え山を越え、ついに目標地点の渓谷に辿り着く。ここまでソ連側の動きは報告されていない。これを越えれば奇襲作戦は成功する。


「ヒューストン、こちらTF01。作戦は第二段階に突入、これより電波封鎖を開始する」

『了解。諸君らの健闘を祈る、オーバー』


 ヒューストンとの通信を終え、無線封鎖に入る強襲艇。アレックスの操作でスラスタを細かく噴射し、渓谷側の方に舵を切る。


『こ、この機体であの渓谷に入れますかね?』

「問題ない。アレックスの操縦は何でもピカイチだ、彼を信じろ」


 渓谷の壁が迫る。まるで挟み込まれるような圧迫感が、私たちを圧倒する。


『入りますよ。しっかり摑まっててください!』


 強襲艇は渓谷の中に突入した。

 壁がさらに迫り来る。普段ならローバーで駆け抜けていくはずの狭い空間。速度は全く緩めなかった。壁に機体を擦らないよう、強襲艇はさらに細かくスラスタを噴射し続ける。


『うおおおっ!』

『すげえ、そういうアトラクションみたいだ……』

「残り距離、2000」


 目標地点までの距離が縮まる。機体はさらに速度を上げ、着陸に備えて脚部を広げた。

 だがここで、90度近い渓谷のカーブが迫ってきた。アレックスはここで機体の速度を緩め、スラスタを全力で噴射し、カーブに迫る。


『あっ、注意──ッ』


 しかし、カーブで右側に倒れすぎてアンテナを岩に擦った。私たちの目の前で、折れたアンテナが飛んでいく。


『すみません!』

「……今のは危なかったな」


 幸いにも強襲艇の本体に損傷はない。

 擦って取れたのは予備の通信アンテナだった。通常のアンテナが使えない時の予備だったが、この際あってもなくても問題はないだろう。


「渓谷を出るぞ!」


 私は通信機越しに叫んだ。

 カーブを抜け、機体の眼前に開けた土地が広がる。影が薄くなり、採掘拠点が見えてきた。

 壁の圧迫感が、一気に消え失せる。

 両サイドの壁が無くなり、採掘拠点の上空に出た。


『着陸します!』


 私たちの強襲艇は、採掘拠点の駐機場の上空に展開。メインエンジンを小さく吹かし、レゴリスを大量に巻き上げながら、ゆっくりと着陸した。


『ゴー!!』


 エドワードが叫んだ。

 私たちは銃を携え、強襲艇の荷台から飛び出す。ふわりとした浮遊感に包まれながら、私たちは採掘拠点α-33に降り立った。


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