採掘拠点α-33

 ホライゾン基地、中央区画。

 私とブライアンが中央のコア区画に入った時、部屋には既に十数人のクルーが集まっていた。交代で哨戒中、周辺で作業中のクルーを除けば、基地にいるほぼ全員だろう。

 アレックスの姿もあった。勤務時間的にはそろそろ就寝のはずであるが、律儀に上着を着てそこに立っている。ブライアンはアレックスの元へ届け、私は今月の基地のリーダーを務めるハミルトン飛行士に到着を報告をする。


「第3分隊だ、全員揃っている」

「了解。よし、これで全員か」


 ハミルトン飛行士は、周りの飛行士たちを一瞥する。指差しで人数を確認したのち、話を切り出した。


「説明するぞ。連絡の通り、ソ連の着陸船が我々の採掘拠点──ポイントα-33にした。そう、ここだ」


 ハミルトンは黒板に張り付けた地図を指さし、説明を続ける。


「だがヒューストンの観測によれば、不時着したのは三人乗りの着陸船で、軟着陸には成功しているらしい。機種も確実にソユーズとのことだ。そして救援に向かうべきソ連側のズヴェズダ基地にも目立った動きはない。それでもソ連側は事故だと言っている」


 ハミルトンがそこまで説明したところで、多くの飛行士達は怪訝そうに首を傾げる。


「それ、怪しくないですか?」

「そうですよ。あの人命重視を謳うソ連が、事故を起こしたのに動かないって」

「そうだ、怪しい。これは事故を装った我々の拠点への攻撃の可能性がある」


 攻撃。その言葉にクルーたちはざわついた。

 実際、あり得ないことではない。ポイントα-33の拠点はソ連側との境界線上に位置しており、現在は合衆国が利権を主張しているものの、そこで採れるヘリウム3岩石を巡ってたびたびソ連側と対立していた。

 月面で数多く採掘されるヘリウム3は、核融合発電の実現には欠かせない核燃料だ。月面のレゴリスや岩石などに数多く含まれ、これを100トン持ち帰るだけでアメリカ全土の電力を一か月賄うことができる。ソ連においても、自国どころか東側諸国全体の電力を賄える計算だ。

 この夢資源を巡って、両国が保有する採掘場では既にこのヘリウム3の岩石が採掘されている。地球では持ち帰ったこれをもとに核融合炉の実験が行われ、実用化も近いらしい。

 これらの鉱物資源を巡って、利権争いが起きるのは当然と言えた。ソ連側も同じように核融合炉の実験を行っており、将来的にさらに多くのヘリウム3が必要になる。今のうちに少しでも多く拠点を取っておきたいのだろう。


「これからどうする?」


 私はそう問いかけた。

 今回のソ連側の不時着が事実かどうかにしても、合衆国の採掘拠点にソユーズがいるというのはとても容認できないはずだ。ハミルトンは少し不自然な間をおいてから、こう説明する。


「……ヒューストン、および合衆国政府は当該の基地への調査を命じた。まずは偵察、という事だ。これより我々はローバーを用意し、六人で現地に乗り込む」

「それはいつだ?」

「今すぐだ」


 どうやら合衆国政府は、よほど現状を知りたいらしい。何もしない訳じゃないのは良かったが、いささか急で息苦しくも感じた。


「というわけで、これより編成を発表する。まず第1分隊、フレッド、ジーン、エドワード」

「おっしゃ、俺たちか!」

「やってやろうぜ!」


 ハミルトンは手書きのメモを取り出し、各員の編成を読み上げる。

 エドワード飛行士を分隊長とする第1分隊は全員が元海兵隊のパイロットで構成されており、海兵隊はパイロットであろうと歩兵の訓練を課すため、確かに今回のような危険な任務では頼りになる面子だった。


「続いて第3分隊……アレックス、ブライアン、そしてゴードン」

「っ……」

「お、俺たちですかい……」


 二つ目の分隊として、私たちが指名された。

 ここで私は眉を顰める。というのも、隊員は日中の作業をこなしたばかりでコンディションが万全ではない。いささか不安がある編成に思えた。私はハミルトンに一応口を挟む。


「……俺は問題ないが、二人はもうすぐ就寝時間だった。コンディションで不安がある」

「悪い、頼まれてくれ。展開できる分隊は君たちしかいないし、残りは居残り組で、基地を空にするわけにはいかないからな」


 確かにこのような事態の上、ホライゾン基地の広さを考えると、基地の要員を6人以下にするのは不安が残る。仕方のない配役なのだと思い、私は納得した。


「だとさ、今日はもう少しばかり頑張ろうじゃないか」

「仕方ないですね、任せてください!」

「……やるしかないか」


 それを聞いたブライアンは自信満々で拳を組み、自身を鼓舞した。アレックスの方は多少不安があるようだが、覚悟を決めたらしい。二人ともちゃんとついて来てくれそうだった。


「二分隊はそれぞれ、ローバー1と2を用いて当該拠点へ移動せよ。拠点の状況を偵察したのち報告。ただしソユーズの乗員がいた場合、こちらの指示を待て」

「了解」

「了解だ」

「では標準時間2230より作戦を開始する。各員は準備に掛かれ」


 作戦説明が終わり、ハミルトンは解散を命じた。

 それぞれのクルーが任命された配置へ急ぎ、基地を移動する。


「俺たちも行くぞ」

「はい」


 私たちも遅れまいと二人に声をかけた。

 アレックスとブライアンは、部下として私に付いてくる。









 ホライゾン基地の構造は、拡張を繰り返したため少しばかり歪だ。最初のうちは迷うこともある。

 まずは基地の中央には、最初に投下されたコアモジュールがある。これは基地のロビーを兼ね、すべての区画と接続している。先ほど作戦説明が行われたのもこの区画。その上には拡張された通信塔が聳え立ち、地球との長距離通信を可能としている。

 西側には三つ並んだ居住区があり、21名のクルーが滞在可能。居住区は狭い宇宙船とは違い、キッチンもあればベッドもある。水は貴重だがシャワーも使える。

 北、南、東には直径22mの円筒状の区画が接続されている。それぞれ役割が違い、北と南は各種研究施設。東は倉庫や車両ハンガー、そして原子炉がある複合施設だ。


 私たちが向かったのはその東棟だった。東棟には宇宙服と武器庫などが併設され、私たちはエアロック内で気圧に慣れるのを待っていた。

 実は宇宙服は、地球上のような1気圧に保つことはできない。そんなことをしたら服がパンパンになって指を動かせなくなる。

 なので通常よりも低い気圧で作業することになるが、そうなると人間は気圧に慣れる必要が出てくる。私たちもこのエアロック内で一時間ほど、気圧に慣れる作業をこなした。

 減圧中を示す赤のランプが、青に切り替わった。減圧完了の合図を受け、私たちは立ち上がって宇宙服に手を伸ばした。


「ようし、ソ連の奴らに目にもの見せてやる」

「待てよブライアン。今回は偵察が優先だ」

「わ、分かってるよ。ちょっと場を盛り上げただけだって」


 そう言いながら、私たちは宇宙服の中に入り込むようにして装着した。内部から手を伸ばし、裏側の気密チャックを閉める。


「お前ら、コンディションは大丈夫か?」


 ブライアンに頼み、一人では閉められない外側のチャックを閉めてもらった。私は宇宙服の着心地を確かめつつ、そんな事を聞く。


「問題ないですよ。俺、体力には自信があるんで」

「俺も問題ありません。眠くはないです」


 その言葉を聞き、少々不安がありながらも納得した。日中も宇宙服を着て作業をしてたのだ。二人とも今は元気そうだが、減圧後は体力も削られる。余計心配だ。


「そうか。なら大丈夫だな」


 まあ、今回は偵察のみだろうし、そこまで体力を使う事もないはずである。ひとまず彼らを信じることとした。

 私は最後にヘルメットを被り、ガチャリと首元のロックを閉めた。機密性を確認するため、ズレがないかを念入りに確かめる。

 問題がないのを確認すると、手元のダイヤルを回し、宇宙服内に空気を取り込んだ。これにより、6時間以上はこの宇宙服で活動できる。


 手順に従い、ブライアンとアレックスのチャックも閉めてやった。彼らもヘルメットを被ると、同じように空気を取り込み、船外活動の準備が整う。

 そして武器も持っていく。私は鍵を用いて、エアロック内のロッカーを開け、中に立てかけてあった銃を取り出した。

 真っ白な塗装に頑丈なフレーム。今回は宇宙服を着ていても狙いがつけやすいよう、大きめのドットサイトが接続されている。


「点検!」

『問題なし』

『……問題なし』


 海兵隊と同じ手順で銃の点検を行う。傷や凹みがないかを確認し、最後にチャンバーを開ける。

 ボルトを引き、初弾を装填する。機構に問題がないのを確認すると、銃を宇宙服の金具に取り付け固定した。


「よし、行くぞ」


 私たちはエアロックを開けた。眼前に月面の砂漠が広がり、太陽と地球が顔を出した。私たちはエアロックから外に出る。

 東棟を半周回り、車両ハンガーへ向かった。ハンガーは重厚なエアロックがすでに解放され、先んじて宇宙服を着こんだ第1分隊が待機していた。彼らに到着を知らせる為、手を振った。


『遅いぞ!』

「すまん、減圧に時間がかかった」


 分隊長のエドワードに通信でどやされた。遅れたつもりはないが、確かに出発5分前は海兵隊では遅刻扱いなのかもしれない。

 とはいえ、減圧は急すぎると体調を崩す。致し方ない遅れだったと主張したかったが、海兵隊出身のエドワードに言い訳は通じない。


「アレックス、いつもの通り運転を頼んだ」

『了解です』


 アレックスにそう指示を出して、私は手すりで割り当てられた月面ローバーに乗り込んだ。

 使うのは汎用性の高い五人乗りの月面ローバー。見た目はフレームだけになった普通自動車に見える。スケスケだが、車自体は頑丈で、この手すりがあらゆる衝撃を吸収する。

 私は助手席に座った。天井のフレームに手をつき、尻が浮くのを防ぐ。体を押さえつけ、私はシートベルトを体に巻き付け装着した。

 ブライアンは後ろの席に座った。後ろ側の天井には丸いフレームが取り付けられており、ここから身を乗り出すことができた。


『2230だ、出発するぞ!』

「了解、後ろから付いてく」


 作戦開始時刻になった。アレックスはローバーが跳ねないよう、ゆっくりとアクセルを踏む。電動モーターが緩やかに駆動し、二台のローバーは月面基地を出発した。

 後ろを振り返ると、留守番組の職員らが窓から手を振っていた。私はそれに手を振り、見送りに応えた。


 ローバーは月の砂漠を駆け抜けていく。

 月面の重力は低く、空気も無いため摩擦も少ない。そのためローバーは、地上よりもはるかに注意して運転しなければならない。

 クレーターは当然避けるとしても、少しの小石や急なカーブでも横転する危険性がある。月面に道路などがあるはずもなく、アレックスは少し緩めの運転をしていた。神経を使ってなければいいが。

 だが一番ローバーの運転に慣れているのはアレックスだ。月面の環境では、ローバーの運転も特殊技能として扱われる。なにぶん現地で長時間運転しなければ、この地で安全に運転するのは難しいからだ。

 採掘拠点には一時間ほどで到着するはずだ。だが今回は偵察を兼ねており、現地には先んじてソユーズが着陸している。愚直に正面から採掘拠点へ乗り込むのは危険だった。

 そのため、ゴードンは遠回りを選択した。本来なら南側の峡谷を伝えば一発で行けるが、あえて東側の丘に回り込み、ローバーはそこで停車した。そこは採掘拠点まで200mほど離れていた。

 私たちは運転手をローバーに残し、ブライアンを連れて丘を登る。エドワードの分隊もジーン飛行士を連れて丘を登ってきた。


「よし、ソユーズはどこだ……?」


 まず私は、見える範囲の地形にソユーズがいないかを探った。

 採掘場はそれなりに広い盆地になっていて、南と西は崖に囲まれている。東側は自分たちのいる丘まで緩やかに地面が伸びており、見下ろすことはできた。

 だが空気のない月面では、暗い影になっている部分には何も反射しないため、窪地のほとんどは必然的に真っ黒に塗りつぶされている。ソユーズは暗くて見えなかった。

 だが──


「ライトが見えるぞ」

「ああ……」


 採掘場には、ぽつぽつと人工的な光が見える。それは真っ暗な峡谷内を照らしているように見えた。

 私はすかさず、銃の上部フレームに取り付けられたカメラを起動した。銃の安全装置は解除せず、スコープの代わりとして取り付けられているカメラを望遠鏡代わりに使う。

 見える範囲の明るい点を探る。よく見ると、明るい点からは三脚が伸びており、人工的なライトだと言うことがはっきりした。

 そのライトの横を、黒い影が横切った。丸いヘルメットの形をしたその影は、何かの作業をしているのか、時々地面にしゃがんでいる。どう見ても人影だった。


「……見えたか?」

『ああ。俺たちのクルーじゃない、ソ連の飛行士だ』


 私はエドワードの肩を叩き、後のことを任せ、即座に後ろを振り返ってアレックスに叫ぶ。


「アレックス、拠点にソ連人がいる!この事を基地に報告しろ!」

『了解です』


 分隊通信でアレックスに報告を促すと、私はまた正面に向き直った。隣にいるブライアンが悪態を吐く。


『や、奴ら、不時着を装って……』

「そのようだな。見ろ、あそこだ」


 暗い影と日向の境界線に、岩陰に隠れるようにしてソユーズLK着陸船が立っていた。最新型の3人乗りモデルで、どう見ても軟着陸ではないピカピカの状態だった。

 確かにここは、やろうと思えば宇宙船が着陸できなくはない広さの土地がある。だが軟着陸を装ってやるには相当な技能が必要で、事故を装うには相当ギリギリの速度で投入しなければならない。

 並大抵の技術ではないだろう。少なくとも自動操縦を途中で解除しているはずだ。つまり、明らかに人為的な着陸……


『ぐっ……うう……』

「なっ、ブライアン!」


 急にブライアンが呻いたと思えば、彼は地面に突っ伏して意識を失いかけていた。私は慌てて彼に駆け寄り、丘から引きずって彼の容態を確認する。

 彼は青ざめて、涎を垂らしていた。高山病に近い、減圧症だった。意識はあるが、これでは立ってはいられない。


「ブライアン、聞こえるか?」

『だ、大丈夫です、少しふらついただけで──』

「無理はするな。お前はローバーに戻れ」


 私はブライアンを介抱し、ゆっくりと立ち上がらせる。側でそれを見ていたジーンが、私の代わりに彼の肩を持った。私はブライアンを彼に任せて、丘に戻る。


『アイツ何やってるんだ、まだ大して動いてないぞ」

「……黙れ。それよりどうするんだ?」


 海兵隊特有の根性論が始まりそうだったので、私はそれを遮り、エドワードにそう聞く。乗り込むにしても待機するにしても、二人の指揮官の意見は擦り合わせたい。


『……待機する。ブライアンが減圧症で倒れたら、乗り込むための人数が欠ける』

「そうだな。俺も賛成だ、ヒューストンからもこれ以上の指示は来ていない」

『……本当なら今すぐ乗り込みたい。くそっ、アイツら土足で拠点に上がりやがって……』


 怒りを露わにするエドワードをよそに、私は再び周辺をスコープで探る。人数は見たところ3人で、こちらの半分くらいしかいない。

 だがローバーの運転手とブライアンの介護を考えると、今動けるのは私とエドワードの二人だけだ。乗り込むには危険すぎる、待機は妥当な選択だった。


 しばらくすると、ソ連の飛行士の一人が何か棒のようなものを持ち、それを地面に突き立てた。


 ソ連の国旗だった。

 合衆国の拠点の一つに、赤い旗がはためく。

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