第39話 魔獣の臭い

 見渡す限り何処までも湖面が続く広大なネーカー湖に到着してから二十分が経過した。ここでの休憩は一時間が予定されている。行商団のメンバーたちは残り四十分となった休憩時間を有意義に過ごすべく、草むらでの昼寝や湖での釣りなど、各自が思い思いに好きなことをしていた。


 コルツベルクまでの厳しい旅の最中に得られたつかの間の休みということもあって、しかめっ面で仕事に従事している彼らの表情にも笑顔が見られる。


 そんなことをぼんやりと考えている俺も、獣車を留めいている街道から湖まで続くなだらかな斜面に座って昼飯を食べていた。献立はボソボソのパンと燻製肉、旅に出たその日の昼から毎日続く代わり映えのしないメニューだ。


 しかし、雲一つない青空の下で、陽の光りがキラキラと反射する湖面を見ながら食べていると、そんな味気ない食事でも結構おいしく感じるものである……まぁ、ボソボソとしたパンの食感は変わらないけど……


 「よぉ、こんなとこにいたのか!」


 「トゥルフゼフスさん、何か用ですか?」


 俺は革袋に入った水を流し込んでパンを一気に飲み込むと、俺の横に腰を下ろしたトゥルフゼフスさんに返事をした。思えば、こうして座って彼と話すのはマリエンブルクを出発した日以来だ。


 「特別用があるってわけでもないさ。ただ、お前さんがボケッと座ってんのが目に入ってな」


 「なんです、それ?」


 旅に出てからというもの、常に険しい顔をしていたトゥルフゼフスさんだったけど、今この時は街にいた時と同じ雰囲気を纏っている。


 「どうだい旅は?」

 

 「何もかも新鮮ですよ。自分はマリエンブルクしか知りませんでしたから」



 トゥルフゼフスさんの問いに答えながら視線を湖の方に移すと、獣車を牽いていた七頭の長毛種のアルマが湖の水を全て飲み干すんじゃないかって勢いで水を飲んでいるのが見えた。


 朝昼晩とほとんど休みなく動いているのだから大食漢なだけでなく、あれだけの水分も必要なんだろうと小学生のような感想が頭に浮かんだ。


 そんなことが頭に浮かんだ時、俺は視線を感じ横を見るとトゥルフゼフスさんが俺の顔を興味深そうに覗き込んでいるのが見えた。


 「何か?」


 「なに、相変わらず面白い奴だと思ってな」


 ちょっと前に耳にした言葉をトゥルフゼフスさんは口にした。


 「その面白い奴って何なんです? ベアトリスさんも言ってましたけど、僕ってそんなに面白いですかね?」


 俺は率直に思ったことを聞いてみた……ちなみに、俺が名前を口にした当のベアトリスさんは他の人の様に釣竿を使わず、湖の浅瀬に半身を沈めた状態のまま素手で魚を取っている。うん、豪快な人だ。


 「何だお前、自分で口にして気づかないのか」


 「どういう意味です?」


 「だってそうだろ? お前さんは余所者で、あの街の生まれじゃないわけだ。それなのにお前さんはあの街以外を知らないと言っている。それも冗談じゃなく本気で、だ」


 「それは……」


 「それ以外にもお前さんはあまりにもチグハグなのさ。その辺の連中以上の知識を持っているというのに、子供でも知っている様な常識に欠けている時がある。お前さんと話をしているとまるでどこか遠い、この世界とは違う場所から来たんじゃないかって思うくらいさ」


 トゥルフゼフスさんは心底愉快そうに笑う……どうやら、俺の会話の節々から違和感を覚えていた様だ。俺は学習技能『一般常識ラムダル(中級)』を通じてこの世界のごく一般的な知識や常識を知って“は”いる。


 しかし、その技能を通じて物事を知っているという感覚は奇妙なモノだ。確かに知識や常識などの事柄についてスラスラと話すことも出来るし、場所であればぼんやりとその情景が脳裏に浮かぶこともある。


 でも、それは写真や映像を通じて情報を得ている感覚に近く、直接見て、肌で感じるということはない。言ってしまえばこの世界の情報を脳内へ直接流し込まれたようなものだと俺は考えている。


 だから、今回の旅で俺は肌に触れる風や陽の光り、そして草木の匂いを通じて、ただ知識として“知っている”だけだったこの世界を、初めて実感できた気がしたのだ。


 でも、それはトゥルフゼフスさんやベアトリスさんにとって奇妙なものに見えただろう。俺の振る舞いはまるで箱庭に閉じ込められた人間が初めて外の世界に触れた時の様だろうからだ。しかも、彼らは俺がマリエンブルクの外から運び込まれたことを知っているのだから猶更そう思えたに違いない。


 「……やっぱり僕って面白い奴ですか?」


 そして気づくとそんなことを口走っていた。


 「ハァ?……ハハッ! 今度は急に何言ってんだ! ああ、十分お前さんは面白いよ!」


 「それは、はは、何よりです」


 自分でもアホなことを言った気がするが、それを聞いたトゥルフゼフスさんは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたと思ったら、今まで見た中で最も大きく口をあけて笑った。


 それから十秒ほど笑い続けたと思ったら、今度は急に真顔になった。


 「……なぁ、カズオ。おかしなことを言うかもしれんが、お前はそのまま“面白い奴”でいてくれよ?」


 「今度はなんです?」


 「まぁ、聞いてくれ。ベアトリスの言う面白さは分からんが、俺の言うお前さんの面白さってのは、この世界に染まっていないってことなんだと俺は思う」


 「染まってない……ですか?」


 「ああ、そうさ。俺……いや、この行商団の連中にとってはただの何もねぇクソ田舎の光景を、綺麗な瞳で新鮮だと言い切れることや、ギスギスしているギルド同士の関係も気にせず色んな奴と交流できることさ。どれも俺達には出来ねぇことさ」


 「それって褒めているんですか?」


 「どう思うかはお前さん次第さ。だが、染まんねぇ方がお前らしく生きられると俺は思う。その考えに偽りはない」


 「……はぁ、そうですか」


 急に何を言い出しているんだこの人は?……なんて俺の考えが透けて見えたのかトゥルフゼフスさんは苦笑した。


 「兎に角、お前さんはコルツベルクから戻ったら、根無し草のカズオじゃなく、マリエンブルクの一市民にして、薬品ギルドの一員として生きることになるんだから、その心構えをしとけってことさ!」


 それだけ言うと、バシッと痛いほど力強くトゥルフゼフスさんは俺の背中を叩いた。


「はい、分かっていますとも」


 背中をさすりながら俺は”市民”という単語を心の中で再度繰り返した。


 今から一か月前、俺は正式にマリエンブルクの市民権を得た。それまではあくまで師匠に雇われている、運送ギルドにおける農村からの季節労働者と同じ扱いだったが、一年間マリエンブルクで働いた実績に加え、毒殺未遂事件時の行動が評価され、市民権を与えても良いと市議会が判断してくれたらしい。


 これで俺も”市民”として師匠やハンナさん達と同じ立場になったわけだが……当然、それに伴う責任も発生することになる。特に、俺はたった二人しかいない薬品ギルドのメンバーであるのだから、これまで以上に市議会の仕事にも関わること。だから気を引き締めなければ……


 「トゥルフゼフスさん、これからもマリエンブルクのカズオをよろしくお願いしますよ」


俺がそう言うと、トゥルフゼフスさんは軽く「おうっ」と返事をした。


 「うん……なんだ?」


 その時、湖の方から人々のざわめきが聞こえてきた。見れば釣りをしていた人達が全員浜に引き上げていて、皆で集まって何かを話しているようだった。


 そして話の中心にいたと思われるベアトリスさんが東側の森を指し、それに従うように周囲にいた四人の冒険者が武器を手に取って森へと走っていくようだった。その光景を他の行商団のメンバーたちは心配そうな顔で見送っている。


 「……何か、あったんですかね?」


 遠目で見ても明らかなに奇妙な感じがする。


 「さあな、ここからじゃ分からん」


 そう言いつつもトゥルフゼフスさんの表情から笑みが消え、鋭い目つきで森の方を見ている。


 そこへ水が滴った姿のままベアトリスさんが斜面を駆けあがってきた。


 「どうした?」


 「トゥルフゼフス、厄介ごとになりそうよ」


 「厄介ごと? 何かあったのか」


 「臭いがするわ。魔獣の臭いが……」


 報告に来たベアトリスさんは鋭い視線の東側の森に向ける。俺もつられて森の方を見るが、何かが木々の間から飛び出してくる気配もなければ臭いもしない。

 

 だが、彼女だけはジッと、まるで何かがやって来るのを警戒するように森を見つめている。


 「よし、すぐに出発だ。アルマどもをサッサと街道に戻せ!」


 ベアトリスさんの発言を聞いて即座に立ち上がるとトゥルフゼフスさんはそう言った。その顔はベアトリスさんの言葉に全幅の信頼を置いている顔だった。


 「カズオ、ポーションの準備だ。グダグダしている暇はないぞ!」


 トゥルフゼフスさんはいつにない険しい顔で俺に指示を出す。


 「あっ、はい!」


 “ポーションの準備”、その発言が緊急を知らせる合図だどいうことを事前にトゥルフゼフスさんと決めていた俺は慌ててその場を立ち上がる。


 俺の返事を聞いた瞬間にトゥルフゼフスさんはその場から駆け出し、まだ状況を理解出来ていない斜面に寝転んでいるメンバーの元へ向かって行く。


 「元々、あまりにも臭いがしないものだから変だとは思ってたけど……カズオ、私も見に行くからしっかり準備しときなさい!」


 そう言うと、風を感じるほどの速さでベアトリスさんが森の方へと走っていき、あっという間にその後ろ姿が小さくなっていく。


 (おっと! 彼女のことをここで突っ立って見ているわけにはいかない!)


 「キリアンさーん、キリアンさーん!」


 街道に留めている獣車に向かって大声を出しながら俺も全力で走り出す。すぐにでもポーションの用意をしなくては……


 獣車からゆっくりと顔出すキリアンさんの姿を目にしたときは、すっかり俺の頭は仕事モードに切り替わっていた。


 かくして、ベアトリスさんの“鼻”をきっかけに急遽早まった出発の時間に多くの行商団メンバーが悪態を吐いた。作業をしている俺の横でも彼らは口々に文句を言っていたほどだ。確かに、彼女にしか感じ取れない“臭い”だけで貴重な休憩時間が削られるのは嫌のだろう。


 それでも、臭いを感じ取れない俺にさえ、ベアトリスさんの顔から何か危険なモノが差し迫っているのを感じ取った。文句を言いつつも作業するメンバー達も露骨なサボタージュをしないのは、彼らの中にも彼女を通じて何らかの危険を感じ取ったのではないかと思う。


 そして、それが功を奏したのか、たったの10分ほどで俺達は出発の準備を完璧に整えた。


 ベアトリスさんをはじめとする5人の冒険者を待つ獣車の隊列の上を、先ほどまではなかった厚い雲が通過していく。それを見て俺は何か不吉な予感がする……


 「おーい! 来たぞー!」


 そこへ先頭の獣車の見張りをしていた冒険者の大きな声が響く。獣車の荷台から顔出した俺も森から斜面を駆けあがってくる5人の人影が見えた。


 「早くだせ! ぼやぼやしているとくるぞ!」


 獣車に飛び乗りながら偵察に出ていた熟練冒険者が叫ぶ。そして、それに呼応するように長毛種のアルマに鞭が飛ぶ。


 ガタンッ!


 この十日間で一度も感じた事のない大きな揺れを伴って一気に獣車が加速する。


 「ウォォォォォン!」


 その時、俺は激しく動く獣車の音に混じってかすかに不気味な獣の声が森の方から響いた気がした。


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