第37話 旅立ちの日
陽が昇り始めたばかりの早朝、俺はマリエンブルク北門前の広場にいた。普段は人通りの少ないこの時間に、百人近いに人間が集まっている。多くの人がせわしなく動き回る中、俺は様々なポーションが収められた専用の革鞄を手に取って立っていた。
「おーい、コイツで最後か?」
ひょっこりと獣車(この世界における馬車の代わり、馬でなく大型の四足歩行の獣が牽く)の荷台から顔を出した人足のおじさんが俺に言う。
「はい、お願いします」
「あいよー」
俺が差し出したそれなりに重量のある鞄を片手でヒョイと受け取ると、まるで軽い荷物でも扱うようにして荷台に載せた。その光景を見て、以前やったもののやっぱりこの仕事は俺に向いていなかったんだとあらためて実感した。
だが、そんなことを再確認するより先に俺にはやることがある。
ズボンのポケットから荷台に積むポーションの一覧を記載した紙を取り出すと、一番下の項目にチェックをつける。
「よし、これでオッケー」
後は、自分が直接持っていく鞄を忘れさえしなければ何の問題もない。
チラリと足元に置いた大きな旅行鞄を見る。師匠のおさがりということもあって、だいぶ年季の入ったものだが、別にボロというわけでもない。それに、マリアさんがほつれていたところを修繕してくれたから、下手な新品よりもいいだろう。
「ふぅ、これでひと段落着いたか」
そんなことを考えながら独りごちていると、俺に話しかけてくる声がした。
「そっちの積み込みは終わったかい?」
「はい、今ので全部積み終わりました」
チェックリストをポケットにしまいながら俺は返事をする。
「なら、君も一休みすると良い」
そう言って声の主はスッと俺に温かいお茶の入った木製のマグカップを差し出した。
「ありがとうございます、キリアンさん」
俺はキリアンさんと一緒に獣車から少し歩き、広場に設置されている長椅子に並んで腰かけた。
キリアン・ホフマンさんは俺と同じくコルツベルクへ向かう行商団の一員で、ポーションマスターの資格を持っているただ一人の冒険者だ。また、今回の旅に治癒師が同行しないこともあって、キリアンさんが行商団全員の健康を管理する立場にある。
アランさんと同じ冒険者だけど、キリアンさんは細身で、綺麗に手入れされた口髭が特徴的な男性で、ワイルドな容姿のアランさんとは真逆だ。
ちなみに半年間師匠にみっちり仕込まれたおかげでポーションマスターの見習いの立場を手に入れた俺は、旅の間キリアンさんをサポートすることになっている。そのことはちょっとだけ心配だけど、まぁ、何とかなるでしょう。
「それにしても春にしては随分と冷えるね」
俺に手渡したのとは反対の手に持っていたお茶を飲みながらキリアンさんはそう言った。厳しい冬は去っても、今のような早朝はまだ気温も低く、冷たい風が吹いていることもあって実際の気温以上に寒く感じる。
「キリアンさんは寒いのは苦手ですか?」
「私は南の出身でね。寒いところはあまり縁がなかったんだよ。これまで旅をしてきたのも、土地勘を買われて南ばかりだったし、マリエンブルクよりも北へ行くのだってかれこれ十年ぶりになるだろうね」
「そうなんですか」
「うん、ここのところは行商団じゃなくて、魔物討伐に参加してたからね。だからコルツベルクはここよりも寒いからその事を考えると少しだけ気がお重いよ。そういうカズオ君は寒いの慣れているのかい?」
「そういうわけではありませんが、それ以上に“今日から旅に出るぞ”っていうドキドキの方が勝っている感じです」
「はは、君は今回が初めてだったね。まぁ、そんな気を張る必要はないよ。今回はちょっと変わった道を進むけど、去年に比べればずっと安全な街道を進むことになるはずだから」
「雪解けでドロドロになった道を進むって聞きましたけど、そうなんですか?」
「そのためにほら、獣車を引っ張るのに長毛種のやつを連れてきているだろう? アレは泥道でも構わずズカズカ進むし、水の中だってへっちゃらだからね。その分、大食いだけどね」
キリアンさんがコップで指し示す先にいる獣は確かに足先まで長い毛で覆われている。確か、北方に生息する大型アルマの一種だったっけ? 去年の今頃運送ギルドで働いていた時は荷物を運ぶのに夢中でそんなところまで見てなかったな。
「大食いって、どれだけ食べるんですか?」
「通常のアルマ種の1.5倍は食べるぜ」
その時、今回の行商団のリーダーであるトゥルフゼフスさんがこちらもお茶の入ったカップを右手に持って会話に入ってきた。おそらく、彼の方の仕事もひと段落着いたのだろう。
「そんなに食べて大丈夫なんですか?」
俺の右隣にドスンと座ったので、俺とキリアンさんは少しだけ身体を左に動かした。
「だから、増えた分の食費の合計と、迂回路を通ることで加算される目的地までの日数と旅費、どっちかお得か計算したんだよ。そしたら三日分、こっちの方が安いって分かったのさ」
「三日分、それはまた僅差ですね」
「ああ、だから今回の旅に遅れは許されない。カズオ、キリアン、“強行軍”になっても大丈夫だよな?」
ここでトゥルフゼフスさんの言う“強行軍”とは、おそらくポーション服用による疲労軽減や身体強化によって行商団全体の速度を上げることを指すのだろう。事前にアランさんから聞いてた通りの単語が出たぞ。
「勿論、その準備はしています。しかし、副作用の事も考えますと乱用できるわけではありませんからその点は留意してください」
一応、キリアンさんと考えておいた回答を言う
「それは分かっているさ。ただ、準備が出来ていることをもう一度確認しておきたかったのさ」
いつもの様な強気な顔で話すトゥルフゼフスさん。その態度は分かっているのかいないのか、外目では判断できない……ちょっと強引なところがあるし。
「分かっていると思うけどトゥルフゼフスくん。一度でも魔物と遭遇したらポーション服用による身体強化は出来ないからね」
俺と同じように不安な点があるのか、念を押すようにキリアンさんが言った。
だが、トゥルフゼフスさんはその事を気にもしていないように笑った。
「魔物のことなんて今回一番心配のいらないところさ。何せ、今回はあいつがいるだろ?」
トゥルフゼフスさんは左手で自分の左前方を指さした。
「♪~」
そこには何か珍妙な歌を口ずさみながら両肩にそれぞれ三つも飼料が入った袋を担いで歩いているベアトリスさんの姿があった。一つの袋が二十キロくらいあるはずなのにまるで羽毛でも運んでいる様な足取りだ。
今回の行商団は七台の獣車で構成されているけど、あの姿を見るとそのほとんどの荷物を彼女が運んでいるんじゃないかって思える。
「確か、彼女はアラン君のお弟子さんだったかな? 聞いたことはあったけど、噂通り本当に力持ちだね」
「有名なんですか、彼女?」
「ああ、“赤毛のベアトリス”って言えば西方で知らねぇ奴はいないほどの腕利きさ。あいつがいれば魔物なんてポーションの力を借りなくたって単独でねじ伏せるだろうよ」
「へー、そんなに凄いんですか」
俺がそう言うと、珍しく意外そうな顔をトゥルフゼフスさんはした。
「なんだ、アランの旦那とよく話している割には聞いてないのか?」
「実はお弟子さんがいることを聞いたのも一週間前が初めてなんです」
そう言いながら俺の脳裏によぎるのは一週間前の冒険者ギルドでのことだ。
自分の倍くらいの体格差がある大男とやりあったというのに息も切らせずに快活に笑っていたベアトリスさん。派手な登場と一緒に俺とアランさんの席まで来たので、その時に軽く挨拶を交わすことは出来たけど、その直後にこめかみをピクピクと震わせたアランさんに引きずられたままどこかに行ってしまったので会話らしい会話はしていない。
その後は今日のための準備があったので話をするどころか今朝になるまで顔を見る事さえなかった。
「なるほど、そんなことがあったのか」
彼女と初めて会った時の話をすると、トゥルフゼフスさんは一人納得したようで何度も頷いた。
「トゥルフゼフスさんは彼女の事を知っていたんですか?」
「いや、俺も会うのは今日が初めてだ」
「なら、何を頷いていたんです?」
「ああ、あいつのもう一つの渾名のことさ。お前の話を聞いてようやく納得できたと思ってな」
「渾名ですか?」
「そうさ、“能天気な狂犬”って呼ばれているらしいぜ」
「……なんです、それ? その二つの単語が並ぶ意味がよく分かんないんですが?」
「俺も最初はそう思ったがな。お前の説明を聞くと納得がいくものさ、ほれ」
もう一度、ベアトリスさんを指さす。彼女の方を見ると、今度は食料の入った袋を両肩と頭に三つずつ載せて歩いている……重くないのだろうか?
いや、相も変わらず珍妙な歌が聞こえるし、あのニコニコ顔を見るに何の問題もないのだろう。それと、周囲の人足たちの彼女に向ける尊敬と恐怖とが混じった目が気になる。
「普段はああやって、何考えてんだかよくわかんない顔でちゃっちゃと仕事を済ませているらしいんだがな……」
そう言っている間にベアトリスさんは荷物をドサッと獣車に置いて、また大量の荷物を一度に担いで運んでいる。このペースだと数分もすれば他の人足と合わせて全部の荷物を載せ終わるだろう。
「気に入らないことがあると雇い主だろうが誰だろうがズケズケと言うし、腕力に訴えられたのであれば自慢の剛力であっという間に叩き伏せる。その姿からつけられた渾名だそうだが、なるほど本当にその通りだとは思わなかった」
「その話は私も聞いたことがあったけど、確かにあの様子じゃそれ以外の噂も本当かもしれないね」
「他の噂って?」
「ああ、それはね……」
キリアンさんが口を開こうとすると、トゥルフゼフスさんが「パンッ」とカップを持ったまま器用に手を鳴らしながら立ち上がった。いつの間にかトゥルフゼフスさんの従者が隣にいて、彼からカップを受け取っている。
「さて、お喋りの続きは乗ってからにしてくれ。準備は出来たようだからな」
「えっ、もうですか?」
ふと、視線をベアトリスさんのいた獣車の方に移すと、いつの間にか周囲に置かれていた全ての荷物が片付いていた。ほほう、後数分はかかると思ったけど、なんとまぁ手際のよいことで。
「さっ、乗った乗った。カズオ、忘れ物はないか? 一度出発したら取りに戻ってこれないからな」
「大丈夫ですよ」
俺はそう言って足元の鞄を持ち上げる。
「これに全部入ってますから」
「そうか、ならいいんだ」
それだけ言い残すとトゥルフゼフスさんは右端の獣車に走っていった。
「さて、私達も行こうか」
彼が走っていくのを一緒に見たキリアンさんも立ち上がったので俺もそれにならった。
「ところで、君のところは誰か見送りに来ていないのかい?」
自分達の乗る獣車に向かって歩きながら空になったカップをキリアンさんに渡した時、そんなことを言われた。
「見送りですか?」
「今日街を離れれば次に戻ってくる頃には夏になるだろう、だから誰か来ていないのかなと思ってね。私は独り身だし、この街の出身じゃないけれど、君はそうじゃないんだろう?」
そう言いながらキリアンさんの向けた方に視線を移すと、確かに家族と思われる子供連れの女性が何人か行商団の人と話しているのが見える。
「まぁ、みんな忙しいので。それに、餞別は貰いましたから」
「そうか、なら良いんだ。こう言っておいてなんだけど、こういう時に一人というのも何だが寂しくてね」
「キリアンさん、見送りをしてくれる人が欲しかったんですか?」
あれ、なんかデリカシーのない発言をしたかも。
「はは、そういうわけじゃないんだけどね……あっ、そうだ餞別って何を貰ったんだい?」
何だか、話題を逸らされたような……まあいいや。
「それは、出発してから話しますよ。ここで喋っているとまたトゥルフゼフスさんに何か言われそうですし」
「そうだね。じゃあ、パパッと乗ろうか」
そんな事を話しながら俺とキリアンさんはポーションで満載の獣車の荷台の端に乗った。座り心地が悪いけど、これからしばらくは此奴のお世話になるのだから慣れないといけないな。
ゴトッ
大きな音と共に獣車が動き出したのを感じた。そして、その数分後には俺を乗せた獣車がマリエンブルクの北門を抜けた。
俺が乗っている獣車が最後尾から一つ前を進んでいることもあって、座っている荷台の後ろからゆっくりと遠ざかっていくマリエンブルクの街が見える。
気絶した状態のまま運び込まれたから、初めて外から見るマリエンブルクの光景には中々考え深いものがある。
その時、視界の端、もう小さくなっているマリエンブルク北門近くの城壁の上に、人影が見えた。
「師匠……?」
ここからでは性別すら判別できないが、何故か俺はそう思った。
ジッとこちらを見つめている人影を数秒眺めていると、スッとその人影が消えた。おそらく城壁を降りて行ったのだろう。
「行ってきます」
人影が消えた時、いつの間にかそんなことを呟いていた。
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