第36話 赤毛の少女

 この世界での生活に自分は上手く順応することが出来るのだろうか? マリエンブルクで日々を過ごすようになった最初の三日間、眠りにつく前はそんな事ばかり考えていた。しかし、転移してから三日も過ぎると現実は俺にそんな不安を抱かせる暇を与えることはなかった。


 四日目からは丸一日続く肉体労働で疲れが溜まって、夜は倒れるように眠る毎日だったし、弟子入りしてからはあまりにも多くの作業に忙殺され、そんなことを考えている余裕さえなかった。


 それから半年が経ってようやくこの街に馴染んだかと思えば、市長選挙とそれを標的とした毒殺未遂事件に巻き込まれ、危うく三途の川を渡るところだった。そして、事件後の一連の処理が完了し、まるで事件などなかったかのように行われた市長選挙が平穏に終わった頃にはマリエンブルクの街に厳しい冬が到来してきた。


 その頃になると、薬品ギルドでの作業にも慣れ、毎日の業務に追われるだけでなく自分だけの事を考える時間も出来るようになっていたが、その時にはもうこの世界に慣れるとかそういうことを考える事はなくなっていた。


 かじかむ手に息を吐きながら、朝から晩まで同じサイクルを黙々と行い、元世界にいた時のように空き時間はぼんやりとして過ごす、何かしらの目的もないままに過ぎていく日々を退屈と思うよりも先に“当たり前”の事だと思うようになった時には、俺はマリエンブルクで二度目の春を迎えていた。


 「えっ、コルツベルクに……ですか?」


 なので、師匠からこの話を聞いた時、俺は失礼なことに、嬉しいよりも先にようやく手に入れた安定した日々を捨てる事への不快感を覚えてしまった。


 「そうだ。何か嫌なことでもあるのかい?」


 返答から俺が乗り気でないことを察したのか、師匠は右の眉毛を上げて俺の顔をジッと見つめる。


 「いえ、そのようなことはありません」


 師匠の瞳に自分の浅ましい心の内が見透かされたような気がして少し恥ずかしい。


 「カズオ君、君は私の弟子になってまだ一年だが、それなりの事は教えたつもりであるし、君の仕事ぶりを見ている限り一人でも問題はない。だからこそ、コルツベルクでの商談に私の代わりに赴いてほしいのだよ。分かるかい?」


 椅子に座っている師匠はゆっくりと足を組み替えながらそう言った。


 コルツベルクはマリエンブルクから北におよそ七十キロ街道を進んだ先にある城塞都市で、帝国を南北に縦断するオーベル大河に面し、マリエンブルク同様に帝国の交通の要衝として知られている。


 そのコルツベルクにユルゲン・ブロッホというポーションの製造と販売に力を入れている商人がいる。元は一級品の腕を持つ魔術師として知られていたが、帝国魔術協会の政争に嫌気がさし、商人に転向したという経歴を持っている。


 そしてユルゲン氏は師匠の師匠であるマーテルン氏の旧友でもあり、その縁で師匠の作るポーションを自分の店頭に並べたいといった旨の書簡が送られてきたのがつい数日前の事である。


 「ユルゲンは少し変わったところのある男だが悪い奴じゃない。私のポーションを売りたいという話もこちらとしては断りたくないところでもある。だから、私の品を幾つか持っていき、高値で売りつけてくれ。コルツベルクはその立地から冒険者が多く集まる都市であるのだから、売り上げも見込めるはずだ」


 普段、商売っ気があるのかどうか分からない師匠がここまで機嫌よく話すということは、そこまでコルツベルクでの商売が魅力的なのか、それとも何か違う理由があるのか今の俺には判断できない。でも、一つだけ言えることはある。


  「しかし、それほど重要な商談であるなら、それこそ師匠が行くべきではないでないのですか? お世辞にも私は商売上手であるとは言えませんし、ポーションに関するノウハウもまだまだ未熟です。それに、旧知の仲である師匠の方が話もまとまるのではないでしょうか?」


 俺としては至極真っ当なことを言ったつもりだが、師匠はそう思ってないらしく、首を左右に振った。


 「カズオ君、君は色々な意味で分かっていないようだ」


 「どういう意味です?」


 「それはだね、カズオ君……いや、これ以上話す必要はないか」


 まるで幼い子供を諭すような口調で話し始めたかと思ったら、急に何かを納得するようにポツリと呟いた。


 「兎に角、これは師匠である私からの命令だ。コルツベルクに行き、ユルゲンに私の作品を高く売りつけるんだ。いいね?」


 有無を言わさぬ顔で話す師匠に俺は二の句が継げなかった。


 「……分かりました。精一杯努力します」


 「うむ、それでよろしい」


 個人的な納得は得られていないもの、これ以上師匠に反発する理由もないから、俺としては受け入れるしかない……あっ!


 「では、すぐに準備しますが……ところで師匠」


 「何かね?」


 「コルツベルクに行くまでの手配ってどうすればいいんですか?」


 そこで俺は、自分がこのギルドでの仕事以外に街の事をほとんど知らないことを思い出した。


 「ふっ、何だそんな事かい」


 「申し訳ありません、あまり外の事は不勉強なモノで……」


 「なに、気にする必要はない。第一にすることは……」


 「第一にすることは?」


 師匠は俺の顔見ビシッと右人差し指を突き付けた。


 「私以外の頼れる人に訊くことだな」


 「……分かりました」


 そして、師匠が自分以上に社交性がないことを思い出した。



 コルツベルク行きが決まってから一週間後。俺は冒険者ギルドの本部に併設された食堂いた。いつものようにハンナさんにポーションを届けた後、俺はここで少し遅めの昼食を摂っていたのだ。ようやく、コルツベルクへ向かうための全ての準備が整ったこともあって、自分を祝うつもりも込めて少し高めの肉料理を頬張っていた俺の前にドカっと荒々しく座った男の顔を見て俺は驚いた。


 「よぉ、いいもん食ってんじゃねぇか」


 「アランさん、帰ってきてたんですか?」


 「一昨日の夜に戻ったばかりだ。まぁ、二日すればまたここを発つがな」


 店員を呼び止めて適当に料理を注文するアランさん。


 「そういや、こうやってお前さんと飯食うのも懐かしい気がするな」


 「当たり前ですよ。選挙が終わってから半年近く、殆ど街にいなかったじゃないですか」


 「そうだったか? どうも依頼をこなしていると時間の感覚が無くなっていくもんでな。最後にいつこの街にいたのか……つい一週間前のような気もするし、十年も留守にしていたような気もすんだよな」


 「そういうものなんですねぇ」


 「まぁ依頼をこなした後、記憶が無くなるまで酒を飲むのを止めねぇのも原因かもな」


 「身体悪くしますよ?」


 「何、俺にとっちゃポーション以上に良い回復薬だ」


 大声で笑うアランさんの様子は最後に見た時と何も変わっていなかった。


 「それで、お前さんは俺がいないうちに何か面白い事でもあったか?」


 そんな風に言われたこともあって、俺はコルツベルクについての話をした。


「なるほど、そんなことがあったわけか」

 

モシャモシャと燻製の肉を咀嚼しながら黙って話を聞いていたアランさんは言った。


 「ええ、そこからは大変でした。自分の知る限りのこういったことに詳しい人に聞いて回りましたよ。特にコルツベルクまでの直行便が夏までないこと知った時は茫然としましたね」


 「まぁ、この時期は雪解けの影響もあって街道が沼地に早変わりしちまうからな。ここから真っすぐコルツベルクに向かうよりもトルーンに行くんじゃないか?」


 グビグビとエールを喉に流し込みながらアランさんは言う。久しぶり会ったけどよく食べて飲む人だよなぁ。


 「ええ、それで最初はトルーン経由も考えたんですが、時間は余計にかかるし、何よりもお金の問題がありますから」


 「それで、最終的にどうしたんだ?」


 「懇意にしている商人の方が丁度行商の為にコルツベルクに行くという話を耳にしましたのでそれに相乗りさせていただくことになりました」


 「ほう、良くそんな話を通せたものだ」


 「勿論、無料じゃありませんよ。行商団の護衛の方に配るポーションの半分をこっちが提供することになりましたから。それも定価の六割の値段で」


 「そいつは損にならんのか?」


 「いえ、コルツベルクでの宿代も出してくれますし、うちのポーションの宣伝にもなりますから。何より、トルーン行きよりも安いことが最高です」


 「なるほど、話は分かった。道理でトゥルフゼフスの奴がポーションはたっぷりと提供できるって言ったのか」


 その名前を聞いて俺は思わず質問した。


 「あれ、トゥルフゼフスさんの名前を僕出しましたっけ?」


 そう、俺が世話になる商人とはトゥルフゼフスさんの事なのだ。いつもはヴァッサウ方面に行商に行く彼が、新たな開拓先としてコルツベルクに行くことを聞いて、それに相乗りさせてもらうことを決めたのが四日前の事である。


 俺の質問に対し、アランさんは首を振る。


 「いや、俺のところで請け負った行商団の護衛の仕事があるんだが、その行き先がコルツベルクだったからもしやと思って話を聞いていたんだが、その様子だと当たりみたいだな」


 「ということは、行商団の護衛につく冒険者の方ってアランさんの事なんですか。だとしたら、光栄です」


 「おう、任せろ!……って言いたいとこだが、実は俺は行かねぇんだ」


 「えっ、どういうことですか?」


 「俺のところって言ったが、正確言うとお前んとこと一緒で冒険者も弟子を取るんだ。だから、今回同行するのは俺の弟子ってことだな」


 「アランさん、お弟子さんがいらしたんですか?」


 何というか、一匹狼って感じのするアランさんに弟子と言う言葉がどうにも似合わない。


 「意外か? まぁ、俺も弟子を取るって柄じゃないんだがな。冒険者をある程度やってると、弟子を取らなきゃいけねぇのさ。そういう義務があるんだ」


 「そういうものですか」


 「そういうものなんだよ。まぁ、最近できた制度だがな。冒険者ってのはなろうと思えば誰でもなれる仕事だからな。だから本来なら冒険者に向かねぇ奴もなったりするし、流儀の分からねぇ傭兵くずれがなったりもするのさ」


 「そういった人達を見極める必要があるということですか?」


 「ああ、そうさ。だから熟練者が形でも弟子ってことで一年くらい面倒みんのさ。まっ、中には特定の奴に師事したくて弟子入りしてくるような奴もいるがな」


 そう言って、遠い目をするアランさんを見て恐らく彼の弟子がそうなのだろうと思った。


 「ところで、護衛を勤めるお弟子さんってどんな人なんですか?」


 俺がそう言うと、ほんの僅かにピクッと目元が動いたような気がした。


 「あー腕っぷしの強さは保証できる。何せ、俺が一から鍛えたからな」


 「そうですか、それは頼もしいですね」


 「ただ、な。その、強いことは良いんだが、強いが故というか、強さにも善し悪しがあるというか……」


 なんだろう、あのアランさんにしては珍しく歯切れが悪いぞ?


 「てめぇ! 今なんて言った!」


 その時だった。ギルド本部の扉を貫通して今俺達が座っている席に聞こえるほどの野太い男性の声が外から響き渡った。


 「喧嘩か?」


 「それにしちゃ、デケェ声だな」


 ざわざわと周りの客たちの声も表の声に反応する。それに対し、アランさんだけが何故か石像のように固まってしまった。


 「聞こえなかったの? こんな往来でそんなせこいことすんなって言ったのよ!」


 今度は女性の声だ。先ほどの男の声に負けないほどに大きく通った声だ。


 「何だと! もういっぺん言ってみろ!」


 「はっ、もうアタシが何を言ったのか忘れたの? でかい図体している割に頭の容量が少ないのね!」


 「言ったな! 例えガキでも容赦しねぇぞ!」


 「アハハ、そんなに顔を真っ赤にしたら凄んでも滑稽なだけよ!」


 相手をからかうような女性の声を聴いただけで、相手の男がどんな顔しているか想像できる。こいつはおっぱじまるぞ。


 俺の周りにいた客たちもどんどんギルドの窓に近づいて外の様子を見ている。彼らはまるで何かの格闘技が始まるのを待っている様な感じだ。


 「ぶっ潰す!」


 威勢のいい声が聞こえたかと思うと、窓枠に寄っていた客たちから歓声が上がる。どうやら、始まったらしい、俺も外の様子見に行きたい気もするが、周囲の客たちと反対に全く動こうとしないアランさんが気になって席を立てない。


 「どうかしましたか?」


 「いや、別に……」


 俺の問いに対しても碌に返答せずに頭を抑えるアランさん。大声が頭にでも響いたのだろうか?


 「うぉぉぉ! 見たか、今の!」


 「ああ、すげぇ身軽な女だ! 曲芸師か?」


 「おお、あの男、酒樽を持ち上げたぞ! まさかそのままぶん投げる気じゃねぇだろうなぁ! 中身がもったいないぜ!」


 「だがあの様子じゃやるぞ! そら、あいつやりやがった!」


 「おい、見ろよ! あの女、それを片手で受け止めたぞ!」


 「嘘だろ! なんつー力だ!」


 客たちは随分と盛り上がっている。この人達にとっては丁度いい見世物のようだ。

 

 バチィ! ドゴォ!


 今度は、凄まじいく大きな肉を打つ音がする……えっ、こういう音って扉越しでも聞こえるものなの?


 「うぉ、えげつねぇ……」


 「宙に浮いたぞ、あいつ……」


 客たちも半分引いている様な声を出している。


 「おい、こっちくるぞ!」

 

 バゴォォン!


 ついに、ギルド本部の扉を背中でブチ開けながら巨漢の男が転がってきた。目測でも二メートルを超す身長に三桁以上は絶対にある超重量級の男は、強かに身体を床に叩きつけられたためか目を回しているようだ。服がめくれ、むき出しになった男の腹にはくっきりと靴の跡が残っているのが目に付いた。


 「まったく、大したことないわね」


 その靴跡をつけた張本人が大股で店内に入ってきた。腰まで伸びた赤毛と、遠目で見ても分かる日に焼けた浅黒い肌が特徴的な小柄な女性。それこそ、さっき男が言ったように傍目には十代半ばにしか見えない。


 「むやみに事を起こすなと言っただろうが……」


 その時、心の底から洩れるようなため息と一緒にアランさんが口を開いた。その声が耳に届いたのかパッと赤毛の女性がこちらを見る。


 「あっ、師匠!」


 師匠、間違いなく、彼女はそう言った。


 「彼女が……お弟子さんですか?」


 「ああ、弟子のベアトリスだ……」


 なるほど、確かにアランさんの言うように、確かにとても強い。それが目の前の惨状をすっ飛ばして俺がベアトリスを見た時に率直に感じたことだった。

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