第28話 歪み

 「ただいま戻りましたー」


 師匠に聞こえるように大きな声を出しつつ、ギルドの扉を開けると意外な人物がそこにいた。


 「お勤めご苦労さん」


 丁度、奥の廊下から受付に出てきたのはフリッツ捜査官だった。あの日の晩以来の再会である。


 「フリッツ捜査官……どうも」


 気の抜けたいつもの自分の声を聞かれたこともあって驚きよりも恥ずかしさが勝ってしまった。

 ペコリと頭を下げる俺に対し、フリッツ捜査官の鋭い視線には変わりはないが、口元には微笑が見える。


 「それで、本日はどのようなご用件で?」


 「いや、今日の用事はもう終わったよ。君の師匠に少々訊きたいことがあったからね」


 「そうだったんですか。それで師匠は?」


 「彼女なら奥の部屋だ」


 「そうですか、ありがとうございます」


 俺は彼に返事をしつつ、とりあえず買ってきた荷物を受付のカウンターの上に置く。


 「ふむ……」


 その様子を何故かフリッツ捜査官はジッと見てくる。


 「あの、何か?」


 「ああ、気にしないでくれ」


 「はあ、そうですか」


 気にするなと言われても、こうジロジロと見られて心地よい気分にはならない。


 そういえばトゥルフゼフスさんと別れて今に至るまでにあった人達、パン屋の主人やギルドの冒険者達も俺の事をこうやって見てきたけど……顔に何かついてたかな? それとも服か?


 俺がキョロキョロとしながら自分の身体を見ていると「ククククッ」という笑い声が聞こえ、顔を上げるとあのフリッツ捜査官が笑っていた。その時の彼の顔にはあの鋭い視線もいなく、ただの30過ぎの一人の男が普通に笑っているといった感じだ。


 「あの……どうかしましたか?」


 声をかけると彼の笑いと表情はスッと顔から消え、あの日と同じ顔に戻った。


 「いや、これは失礼。忘れてくれると助かる」


 「そうですか」


 「さて、私はこれでお暇させてもらうとしよう。カズオ君、それではまた」


 そう言い残すと、フリッツ捜査官はさっさとギルドから出て行ってしまった。


 「何だったんだ?」


 そんなことを口にしつつも、彼がやってきた目的は明白だ。あの日の事について俺にしたみたいに色々と師匠に話を聞いたんだろう。


 しかし、また訊きに来るってことは何かあるんだろうか? 確か、師匠も事件翌日アレコレと市警の人に話を聞かれたはずだけど……


 もしかして疑われているのか?


 「ふっ、それはないか……」


 考えといてなんだが、師匠が疑われているなんてありえないだろう。過去にあんなことがあったにせよ、日ごろからほとんど他人に興味を持たず、日がな一日研究に没頭している師匠がどんな理由で晩餐会に毒を盛るのだろうか?


 しかも、俺があの場に飛び込んでなければ師匠も毒を口にしてにもかかわらず、そんなことあるはずがない。


 俺は心の中に生まれた小さな不安を振り払うと、師匠のいる研究室に向かった。




 「彼は私を――いや、私達を疑っているよ」


 「そんな馬鹿な」


 いつもの椅子に座っている師匠に昼飯のパンを手渡しながらフリッツ捜査官との会話について訊いてみると、あっさりとそう言った。


 「どうして、僕達を疑うんですか?」


 さっきに消し去ったはずの小さな不安が再び心の中に台頭しているのを感じながら素直に思ったことを訊いた。


 「それは、私に事件を起こす動機があるからさ」


 「えっ、師匠にあんなことをする動機が!」


 「そんなひっくり返った様な声を出すなカズオ君。別に私自身に彼らにどうにかしたいという気持ちは微塵もないさ。ただ、客観的に見て動機があるという事さ」


 「それってもしかして5年前の……」


 「ほう、それを口にするとは誰から聞いたのかな?」


 師匠はニヤッと笑った。それを見た俺はハッと気づいた。


 「あっ、これはその……」


 しどろもどろになりながら何と説明しようか考えていると、師匠はカラカラと笑った。


 「何、そう焦る必要はないさ。いずれ君には話さなければならなかったことさ。それに、私も別に話したくなかったわけではないからね」


 「じゃあ、どうして僕には半年も教えてくれなかったんです?」


 マリアさん達から聞かされた時からずっと気になっていたことをぶつけてみた。


 それを聞いた師匠は「フッ」と笑った。


 俺はこれから師匠が何を言うのかグッと身構えた。


 「それはね……忘れていただけだ」


 そして俺は盛大にズッこけそうになった。


 「あの、その、冗談ですよね?」


 まるで漫画のキャラの様にワナワナと震えながら師匠に尋ねた。


 「残念ながら本当の事だね……と言いたいとこだが、言葉を加えるなら言う機会をうかがっているうちに忘れてしまったというのが正しいかな」


 師匠は照れくさそうな顔をしながら座りなおした。


 「私としてもあまりしたい話ではないからね。あの一件、確かにうちのギルドは被害者のような立場にあるが、言ってしまえばうちの師匠にも原因がなかったわけじゃない。あの人は研究者としては立派だったが、政治家としては三流も良いところだ。もう少し、世渡りが上手かったらこうも拗れることはなかったろうさ」


 まるで他人事の様に話す師匠だが……自分も立派にその後を継いでいることには気づいていないのだろうか?


 「そして拗れた時に生じた様々な歪みの影響が今に出ているというわけなのだよ、カズオ君」


 「それが、僕と師匠が疑われる理由になると?」


 「そういうことだ。カズオ君、君は5年という歳月を聞いてどう思う?」


 急に話題が逸れた気がするが……


 「5年……子供にとっては長い時間ですが大人にとっては短い時間の様に思えなくもないです」


 俺は小学生の頃と高校生の頃に感じた時間の進み具合の違いを思い出す。そして俺の口にした答えは師匠にとって満足のいくものだったらしい。


 「そうだ、5年というのは案外短いものだ。それに実際はその後のグルウィント運送とアウグスト薬品との一連の出来事を加えればその時間はさらに短縮される。その意味が解るかいカズオ君?」


 「意味、ですか?」


 俺が首をかしげると、今度は悲しそうに小さく師匠は笑う。


 「つまりは多くの人にとってまだあれは過去のものになっていない……いや、今もまだ続いていると思っている人がいてもおかしくはないだろう。カズオ君、一度生まれてしまった歪みが大きくなるのに時間はさほど関係ないものだと私は思うのだよ」


 「では、師匠はあの一件は全て5年前の事に起因すると考えているんですか?」


 「さぁね? そういうことを推理するのは市警の仕事だ。それに、私はある意味巻き込まれただけだ。はっきり言って街の情勢がどうなっているかなんて知らないし、知りたくもない。ただ……」


 「ただ、何です?」


 「あの場にいた連中が私がやったものと考えるのは無理もない。君には言わなかったがあの会場には私の師匠を糾弾した者がまだまだ沢山いたからね。あの者達に一服盛る為にわざわざギルドの奥から出てきたと邪推しても不思議じゃないだろう?」


 「でも、師匠の皿にも毒は盛られていたじゃないですか」


 「あの連中なら私だけ解毒薬を持っていたとでも考えるだろう? それに、君が止めたから結果的に私は何も口にしていない」


 それを聞いて俺はハッとした。


 「もしかして、俺が疑われているのって……」


 「ようやく気付いたかい? そう、君が割って入ってきたのが演技だとしたら、私が毒の盛られた料理を口にせず、かつ他の者達が一口でも食べてしまった頃合いを見計らって部屋に飛び込んできたと考えたとしてもおかしくはないだろう?」


 「そんな馬鹿なことがありますか。すべて、推測とこじつけじゃないですか!」


 「そう、こじつけに過ぎない。だが、そんなことですら皆の脳裏によぎってしまうほど五年前の出来事は深くこの街の住人に刻まれているのさ」


 師匠は目を細めで俺ではないどこか遠くに想いを馳せているようだ。


 「その全てに終止符を打つためにヤーコブは晩餐会の場であのようなことを言ったのだろうが……遅すぎたようだな」


 「師匠……」


 師匠が晩餐会で聞いたというヤーコブ氏の発言。それはきっと、この様な事態を起こさないための事だったのだろう。厳格で怖い雰囲気を常に纏った人だったが、その根底にはマリエンブルクと共に仕事をする職人達への深い親愛の気持ちがあったことは間違いない。


 「カズオ君、これからが私達の正念場となるだろう。幸い、市警の連中は私達を容疑者の候補には入れているだろうが、今日の感じなら犯人候補一覧の下の方に名前が載っている程度だ。だが、捜査が行き詰まっていくとそれもどうなるか私にも分からない」


 「僕達を捕まえるかもしれない……と?」


 「可能性は低いがな。捜査の進展が芳しくなかったら彼らとしても何らかの成果を上に報告しなければならないだろうからねぇ」

 

 「そのためだけに僕達を捕まえるんですか?」


 「君も納得はいかないだろうが、案外そういうものさ。それよりも今後、周囲から今まで以上に好奇の目で見られることは覚悟しといてくれたまえ。私達は自信をもって今回の件と無関係だと言い切れるが、こういった時に流れる噂は信じられやすいからねぇ」


 師匠は軽くため息をついた。


 「まぁ、それくらいなら別に構いませんが」


 少し、考えてから俺はそう言った。今日も含めたここ数日の間に感じた視線の正体はそう言った噂がらみのことだったのだろうが……うん、あの程度なら実害とは言えないだろう。


 「ほほう、頼もしいことを言ってくれるじゃないか」


 そう言って、師匠は会話の最中定期的にモシャモシャと口にしていたパンを食べ終わると、スッと立ち上がった。


 「さて、食事も済んだことだし、こんな話は止めにして実験を再開するとしよう」


 「了解です、師匠」


 会話が一区切りつき、いつもの師匠に雰囲気が戻ったので、俺も弟子としての仕事を再開すべく、食べかけのパンを口に放り込むと実験の支度にとりかかった。

 

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