第27話 嵐の前触れ

 「ふぅ、これで良しっと」


 俺はゴミをまとめた大きな袋を3つ、薬品ギルドの裏口に置いた。週の初めの日、その昼前までにゴミをここに置いておくと業者が回収してくれるのだ。何でも流行り病への対策として3年前から市が街の衛生環境を整える為に、積極的にゴミを集めて処理しているらしい。


 それまではギルド毎にゴミの処理などを独自にしていたそうだが、そのままの制度だったら今頃ここはどうなっていたのだろうかと考えるだけでもゾッと背中が震える。


 「それにしても、あんまり良い天気じゃないなぁ……」


 空を見上げて1人呟く。


 あの晩餐会があってからもう10日が経過しているが、あの日の様に雨が降ることはなくてもどんよりとした曇りが続いている。その様子はまるで今の街の住人の気持ちを代弁しているかのようだ。


 事件の翌日、この街の主要なギルドの重役たちが倒れたとあってほとんどの店が一時的に営業を停止する等混乱もあったが、交通の要所であり、外から大勢の人が訪れるこの街で仕事の手を休めるわけにはいかず、その日の夕方から今に至るまでに全てが平常運転に戻った。


 しかし、この街の雰囲気は変わってしまった。市役所をはじめとした行政機関、そして商人ギルドは事件の解決まで複数人の荒事に長けた護衛を雇うようになり、門の前には剣を腰に下げた男達が昼夜を問わず立っていて、周囲に厳しい視線を向けている。


 それだけではなく、マリエンブルク市警による捜査も本格的に行われるようになり、街の至る所であの朱色のマントを見かけるようになった。しかも、ハンナさんから聞いたところによると、普段は目立たないように地味な色合いの服を着て、人目を避けて動く彼らが大っぴらに外を出歩くのは姿の見えぬ犯人に対する威圧の意味もあるらしい。


 こうした人たちの存在が目に付くようになると、彼らが何かしらの行動を起こさなくとも街全体が物々しく、重苦しい空気に変わっていくのを日を追うごとに感じていく。その為か日中の人通りは変わらなくても、夜出歩く人はめっきり減った。


 住民達も大事件を起こした犯人が見つかっていないこともあって、「街中に潜んでいるのか?」「それとも街を既に離れたのか?」はたまた「晩餐会の出席者に犯人がいるのではないか」と色んな噂が飛び交い、姿の見えない犯人への恐怖と好奇心が自然と他者に向ける視線に現れるようになってきている。


 そうした人達が纏う雰囲気は喧騒と活気にあふれるマリエンブルクに似合わず、どうにも俺は今までにないほどの居心地の悪さをここ数日感じている。特にここ2、3日は外出するたびにジロジロと見られている様な気がしてならない。まぁ、気のせいだとは思うけど……


 それでも、薬品ギルドは通常通りに営業している以上、俺のやるべきことは変わらない。朝起きて食事の用意をして、師匠を起こしてご飯を食べさせ、ゴミ出しをして、店番して、買い出しに行って、もう一度店番して、実験の手伝いをして、魔法とポーションの勉強をしてから寝る。この流れを週一度の休日を除いてこれまで続けてきたんだ。たとえ、大きな事件が起きようとも、師匠がいつもの生活を続けるなら、俺も変わらずにやり遂げるだけの事だ。


 さて、そんな決意を新たにしたところだが、早速いつもと違うことをしなくてはならない。何故なら今日は月に一度の特別な買い出しの日だからだ。この日は街の北側にある聖エルマ教会の正面にある広場で幾つかの行商団たちによるバザーが行われる。


 薬品ギルドが衰退しているこの街では薬の素材になる薬草類はまだしも、冒険者が好んで購入する様な身体強化用ポーションの素材になるような物はほとんど出回っていない。それらをまとめて買うことが出来る唯一の機会が今日である。更に今までは師匠の荷物持ちに過ぎなかった俺が、今回のバザーから俺一人で薬草類の買い出しを任されるようになったのだから、師匠の期待に応えられるように頑張らなくては弟子の名折れになってしまう。


 俺は「パンッ!」と両頬を軽くたたいて、気合を入れると、早速バザーに向かうことにした。




 「えっ……やってないの?」


 喜び勇んで向かった教会前の広場で俺はガックリと肩を落とした。普段なら様々な仮設の商店が立ち並ぶこの広場はほとんど無人に近く、僅かに3店舗、それもグルウィント運送のしか出店していなかった。


 「どういうこと……?」


 「カズオ、お前こんなところで何してるんだ?」


 俺に声をかけてきたのは珍しいことにトゥルフゼフスさんだった。


 「そちらこそ、こんなところで何してるんです?」


 「何って、そりゃ仕事だよ仕事」


 「ならこっちも仕事ですよ」


 「何もない広場で?」


 「買い出しのつもりだったんですけど……生憎店がなくて」


 「店? まさかバザーに来るつもりだったのか?」

 

「そうですけど……何か問題でも?」


 それを聞いてトゥルフゼフスさんは呆れた様な、そして困った様なそんな顔をした。


 「お前さん、何も聞いてないのか?」


 「聞くって、何を?」


 「先に一つ聞いておくがここ5日ほど何処か、薬品ギルド以外に顔を出したか?」


 「いえ、別に」


 「じゃあ、マリア辺りと顔を合わしたか?」


 「特に会ってませんが?」


 「なら、1日の大半を何処で過ごしてたんだ?」


 「師匠の実験に付き合ってましたが?」


 「そうか……はぁ~」


 いきなりトゥルフゼフスさんは大きくため息をついた。


 「何なんですかいきなり」


 つい、ムッとなって言うと、彼は左右に首を振りながら笑った。


 「こんな状況でもお前さんの所は通常運転なんだな……いや、それともそうした方が良いのか?」


 そして、自問自答しながら勝手に頷いている。


 「何の話です?」


 「いや、何でもないさ」


 こちらからその理由を尋ねてもトゥルフゼフスさんに答える気はないらしい。


 「それよりも今日のバザーは中止だ。商人共がここに入ってくるにはもう数日かかるだろうよ」


 急に話題を変えてそんなことを言い出し……えっ、中止?


 「中止ってなんでまた……」


 バザーは商業の街マリエンブルクにとって大きな意味を持つ。この街の職人と行商団との交流の場でもあり、この街の人にとっては貴重な北部ン地域の品を入手する機会でもある。だからこそ、規模の差こそあっても必ず月に一度開催されていたバザーが中止になるなんて思いもしなかった。


 だが、トゥルフゼフスさんはさも当然と言った顔をしている。

 

「それは門のところで足止めをくってくるからさ。お前だって分かるだろ? あんな事件があったんだ。一度に多くの人間が出入りするようになるんだから、その隙に犯人に逃げられたくないんだよ」


 「犯人って……警察はまだこの街に犯人が残っていると?」


 「知り合いから聞いた話じゃあそうらしいぜ? 事件のあったあの晩、丁度グルウィント運送の連中が南門から大きな荷物を運びこんでいたらしくてな。あっちの方は夜通し人が居て誰かが通れる様な隙はなく、北門は魔獣対策で閉めちまってからな。そして当然正規の入り口じゃない東西の門はゴツイ警備達が詰めている。そして連中が鼠一匹通してねぇって言ってるんだから、まだ街に潜伏してんじゃないかと疑ってんのさ」


 「それで町の出入りが厳しくなったと?」


 「そういうこった。そのおかげで俺も明日の出立が遅れそうでまいってるよ」


 「もしかしてトゥルフゼフスさんがここに来たのはその件で?」


 「ああ、こっちは1カ月も前から準備してるし、同行するのも数人だって言ってんのに行商団の連中の審査が終わるまで通せねぇときたもんだ。全く役所の連中は頭が固いと思わねぇか?」


 「それも彼らの仕事でしょうから」


 「ほう、お前さんは連中の肩を持つのか?」


 片方の眉を上げ意外そうな顔でトゥルフゼフスさんは俺を見る。


 「そういうわけじゃないですけど、犯人を捕まえなければならない彼らの心情も理解できますから」


 「なるほどねぇ……それをお前さんが言うのか」


 トゥルフゼフスさんはまたしても何か自分自身に話すようにしゃべる。俺、何か変な事でも言ったかな?


 そんな俺の心の内を読み取ったのか、トゥルフゼフスさんはいつもの顔に戻った。


 「バザーは中止になったと言っても完全にやらないってことじゃない。市としても大事な金を落とす連中をおめおめと逃がすはずはないからな。まぁ、お前さんも気長に待つと良いさ」


 「こっちとしてもすぐに入用ってわけではないですからそれは構わないんですけどね。ただ、これからも続くとなると色々と面倒……って、それはこっちよりもトゥルフゼフスさんの方がですよね」


 「何、こっちだってやりようはあるさ。今日の所は駄目でも、今週中には多少無理にでも話を通させてもらうさ。それよりもお前さんの方こそ良いのか?」


 「良いも何もさっき言った通りですよ?」


 「いや、その事じゃないんだが……まぁ、その様子なら心配ないな」


 どうにも今日のトゥルフゼフスさんは奥歯にものが挟まったような、気になる言い方を続けるなぁ。でも、どうせ訊いてもはぐらかしそうだし……まっ、いっか。


 「それでは、僕はこれで」


 「なんだ、どっか行くのか?」


 「バザーが中止になったのは残念ですが、それならこの後の予定が繰り上がるだけですから」


 「予定ねぇ」


 「まぁ、予定なんて偉そうな言い方しても実際はただ今日の昼めしを買って帰りに冒険者ギルドに寄るだけですけどね」


 「そうか。なら気を付けて行けよ」


 「トゥルフゼフスさんこそ、また北に行くなら気を付けてくださいね。アランさんから聞いた話じゃあ近頃随分と物騒なんでしょ?」


 「確かに、オーベルヴァルトで勃発した反乱のどさくさに紛れて野盗共がうろついているようだが心配することはないさ。そんなときの為の腕利きを揃えてんだからよ」


 「はは、だとしても気を付けるに越したことはないですよ」


 「心配性だなカズオは……だがその忠告はありがたく聞いておくさ」

 

「では、僕はこれで」


 軽く頭を下げて立ち去る俺に「おうっ」と言って右手を上げるトゥルフゼフスさん。


 「あっ、カズオ!」


 「何です?」


 彼に背を向けて数メートルほど歩いたところで急にトゥルフゼフスさんに呼び止められた。


 「あーなんだ」


 呼び止めておきながら彼は言葉を探す様に視線を下に向けつつ「あー」とか「うー」と唸っている。どうしたんだろう、いつものトゥルフゼフスさんらしくないな?


 「一言だけ伝えるとするとあれだな。お前らしくあれよ!」


 「どういう意味です?」


 「意味は……お前自身で考えてくれ! じゃあな!」


 それだけ言うとトゥルフゼフスさんは俺に背を向けて歩いて行ってしまう。なんなんだ一体?


 さて、今の彼の言葉の意味を考えてみると……まぁ、それをするのは別に今じゃなくてもいいだろう。俺は思考を中断して、今日の昼に何を食べるのか考えることにした。


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