第17話 初めての魔法習得

 ポーションを飲んで腹を下してから2週間が経ったある日の昼休憩の時、俺は師匠に言った。


 「師匠、僕に魔法を教えていただけませんか」


 「ふむ、それはまた随分と急な話だね。どうしたんだい?」


 ズズッと熱いお茶を一口飲んでから師匠は珍しいものを見るような目でそういった。


 まぁ、師匠がそう言うのも無理はない。


 「カズオ君、今君に魔法を教えることは出来るが、まだ基礎鍛錬を始めたばかりじゃないか? 何もそう急ぐ必要はないだろう」


 「勿論、師匠の言うことは分かっているつもりです。しかし、僕はもう我慢できないのです」 


 「何をだね?」


 「トイレの事ですよ」


 「トイレがどうかしたのかい?」


 「……まぁ、今するような話題でもないかもしれませんが。その、用を足した後のあの尻を拭く紙ではなく、植物と言いますか……」


 「アルゲサのことかい? はて、何か妙な虫でも湧いていたかな?」


 「そう言うわけじゃありませんが……なんかこう拭きにくいというか、ザラッとした感覚が嫌というか……」


 「はぁ、それと魔法と何か関係するのかい?」


 「ですからその、水を作り出すというか発射する魔法を使いたいなぁ……と思いまして」


 自分でも何とも要領の得ない話し方だと思う。


 でも、俺にとっては深刻な問題だ。この世界で水洗トイレが使えるというだけで、とても幸運だということは分かっているが、それでもなお欲を追求したいのが人間の業というものだ。


 アルゲサというこの世界によく生えている草の葉が紙に代わってこの世界におけるトイレットペーパーの役割を果たしている。しかし、何と言うか人間でいう産毛のような小さい毛がたくさん生えていて、尻を拭いた時のなんとも言い表せないゾワッとした感覚が慣れないし、トイレットペーパーと違って分厚くて使いにくい。


 おまけに流すことも出来ないから、使用済みの草を桶に入れて捨てに行くのも面倒だ。


 ちなみに、何故か師匠はこの草を使わない。それどころか数か月も一緒に暮らしていてトイレを使用した形跡すらない。


 一度だけ、「師匠ってトイレ使っているんですか?」って聞いてみたら、まるで鬼のような迫力を纏った張り付いた笑顔で「女性に訊くものではないよ?」と言われた。


 ――今思い返してもあれは怖かった。


 ともかく、俺にとってアルゲサは生活必需品でありながらどうにもストレスのたまる存在なのだ。


 「要するにアルゲサを用いずに尻を綺麗にしたいというわけか?」


 「まぁ、簡単に言ってしまえばそうです」


 「……そんな目的で魔法を習いたいと言ってきたのは君が初めてだよ」


 「まあ、自分でもそうじゃないかとは薄々感じてますよ。ですが、水が必要な事って結構あると思うんですよ。ほら、手が薬液で汚れた時とか、野外で怪我をした時とかあるじゃないですか? 水は貴重ですし、そういう時にパッと使えると便利だと思うんですよ」


 「ふーむ、そうかい?」


 「はい、僕も掃除の時とか料理の時とか、アッと思った際にサッと汚れを拭いたりするのに使えたらなと日ごろか持っていたところでして」


 さぁ、色々と理由をつけてみたがどうだろうか? 我ながら苦しい理由付けだと思わなくもないが……


 師匠は考えるように顎の下に指を添える。


 「よし、分かった。いいだろう」


 一分ほど沈黙が続いた後、師匠はそう言った。


 「ありがとうございます、師匠」


 「何、別に難しい魔法でもなければそれほど危険でもないからね。教えるだけ教えよう。それに、君にも扱える魔法があった方がこれからの鍛錬のモチベーションアップにも繋がるだろう」


 「はい、よろしくお願いします!」



 ――そして魔法を取得すると師匠の前で宣言してから3週間、ついに魔法を習得する日がやってきた。


 「まず、魔法を習得するにあたって何が大切か、覚えているかい?」


 「確か、自分の体内にある魔法の素、即ち“魔素”の量を把握することです」


 「そうだ。では、どうしてそれを把握しないといけないかは説明できるかい?」


 「それは魔法を行使する時に体内の魔素が、行使した魔法に応じて消費されるからです。万が一、自身の体内にある魔素以上消費するような魔法を行使した場合、足りない分を補うために臓器や骨の一部が無理やり魔素に変換されて抽出されてしまいます」


 「その通り、身の丈に合っていない魔法を操ることは文字通り身を削る結果となる。そうならないためにも、自分の身体に貯蔵される魔素の限界量を知ることが必要だ。それではカズオ君、君の貯蔵量をどれくらいだ?」


 「1.2です」


 これは俺がギルドに勤め始めてすぐに師匠に図ってもらった数値だ。曰く、魔法を全く使えない人に毛が生えた程度の量に当たるそうだ……悲しい。


 「うむ、正解だ。魔法を使うことが出来るギリギリと言ったところだな。では次に、魔法の習得をする準備として呪文は覚えたかい?」


 「はい、問題なく諳んじることは出来ます」


 「上出来だ。では、早速取り掛かるとしよう」


 魔法の習得はいつもの実験室で行われることになっている。


 ただし、普段とは違ってテーブルや実験器具は片づけられ、広く何もない空間が造られている。


 「さて、今回は比較的簡単で事故の起きにくい方法での習得となる。分かるね?」


 「はい、精霊を通じて魔法の扱い方を直接心に刻み込む方法ですね」


 「ああ、そうだ。精霊は接し方を間違うと手ひどい目に合うが、だが今回その点は問題ない。私の古い知り合いを呼ぶのでね。さぁ、カズオ君、準備が出来たらそこの円の中に立ってくれたまえ」


 「はい、師匠」


 俺は幾つかの植物の液を混ぜ合わせて作られたインクを用いて書かれた大きな円の中心に立つ。円の縁には古代カラム語で精霊を呼ぶための呪文が書かれてあり、また俺は右手に精霊を呼ぶための対価である宝石を握っている。


 「さて、始めようか」


 師匠が静かに目を閉じ、ゆっくりと良く通る声で呪文の詠唱を始める。俺もそれに合わせ、暗記した呪文を唱える。言い間違えないように気をつけながら。幸い、拙いながらも途中で噛まず、最後まで一息で言い切ることが出来た。


 すると、周囲の温度が一気に低下したように感じ、ブルッと体が自然に震えた。まるで水に溶けるかのように右手に握った宝石が消えて無くなっていく。


 やがて部屋の中にも関わらず徐々に霧が立ち込め、瞬く間に俺の目の前に大きな靄の塊のようなモノが現れたかと思うと、一瞬で人の形を形成した。


 それは、パッと見女性の彫像のようであるが、その全てが水によって構成されている。その為、正確にその姿を把握することは出来ない。更に、人とほぼ同じ体躯でありながらまるで重力など存在しないかのようにフワフワと浮いている。


 『アタシを呼んだのは君?』


 脳内に直接響くように大人の女性とも子供とも受け取れるような声がする。


 「はい、水の精霊のアニタさんですか?」


 『その名前でアタシを呼ぶってことは君、オルウェンの知り合い?』


 「知り合いというよりも弟子だよ、アニタ」


 師匠が円の外から声を掛けた。アニタはその場でクルンと宙返りをして師匠を見た。


 『あら、オルウェンもいたの。久しぶりね、最後に会ったのはいつかしら?』


 「去年かな。あの時は色々と助かったよ」


 『全く、貴方には何時も無理ばかりさせられるから大変なのよね。それで、今日はどういった御用かしら?』


 そう言いながらアニタは俺の方を振り向く。


 『……っと、今日アタシに用があるのは君の方ね?』


 「はい、本日起こし頂いたのはぜひ、水を生成する魔法をご教授いただければと思いまして」


 『あら、何をさせられるかと思ったらそんなことで良いの?』


 表情は良く分からないが、拍子抜けしたような感じがする。


 しかし、思っていたよりも随分と人間らしい反応をするものだ。精霊というのは人間のような姿を取るために誤解されることも多いのだが、彼らは人間とは全く異なる存在だ。性別もないし、大人や子供といった概念もない。


 彼らは魔素が多く含まれる大地から誕生し、生まれた時から高度な知性と高い魔法適性を持っている。


 そうした精霊は自由気ままに誰にも縛られることもなく、永遠とも思えるような長い寿命を過ごしていると、俺は書物で読んだ。


 でも、今俺の前にいる精霊は、その特異な姿を除けばまるで人間と何ら変わりがないように見える。


 「アニタ、彼はまだ新人でね。これが初めての魔法取得になるのさ」


 師匠がそう言うと、アニタは俺の周りを飛んでジロジロと前進を眺めてから、俺の顔を至近距離から覗き込んだ。


 『ふ~ん、まあいいわ。貴方、名前はなんていうの?』


 「カズオ、サカザキカズオです」


 『そう、ならカズオって呼ぶわ。アタシ、面倒なことが嫌いなの。だから、サッサと終わらせるわよ』


 「お願いします」


 『まずは、立ち方ね。腕からは力を抜いて、自然なままにして。リラックスすることが肝心だから。でも、背中が丸くならないようにピンと背筋は伸ばして』


 俺は言われた通りに姿勢を正す。


 『いい? これから始めるけど、私が指示するまで動かないでよ』

 

 そう言うと、徐々にアニタの身体がスーッと薄くなっていき、非常に濃い霧のようなモノが俺の身体を包み始めた。


 『指先までちゃんと意識を集中させなさいよ』


 「はっ、はい」


 なんとも奇妙な感覚だ。自分の身体の中にある1つ1つの血液の流れが全て手に取るように分かる。それだけじゃない、体の表面にある毛穴全部に神経が通っているかのようだ。


 『始めるわ、いい? もう一度言うけど、どんなに変な感触がしても身体をなるべく動かさないでね』


 「うっ!」


 『ホラ、動かない!』


 突然、体中の血液が右手に流れていくような感じがして、全身の毛が逆立った。


 アニタに言われなければすぐにでも左手で右手を抑えてしまっただろう。


『よし、右手を前に突き出して手のひらを開いて!』


「はい!」


 『そのまま、手のひらの中心に意識を集中させて!』


 「はい!」


 右手に向かって体中にある水分が流れていくような感覚がする。


 『はい、呪文!』


 「《ウォ・アクアゲタ》!」


  暗記した古代カラム語の呪文を口に出す。


 ブシュッ!


 その瞬間、まるで勢いの強い蛇口から飛び出すかのように水が手のひらから飛び出た。


 「おおう! ……あれ?」


 思ったよりもなんかしょぼいな。


 イメージとしては消火ホースから出るくらいの勢いを水の量だったが、実際はコップ一杯くらいの水がビュッと出た感じだ。


『うん、上出来ね。初めてにしてはよくやったじゃない』


 いつの間にか人の姿に戻っていたアニタが俺の横で満足そうに腕を組んでいた。


 「あ、ありがとうございます」


 まぁ、問題無く出来たみたいだし別に構わないだろう。


 『後は、今の感覚を忘れないように反復練習するだけね。さっ、失敗しても良いからまずはさっきのイメージを思い出しながらやってみましょう』


 「はい!」


 それから2時間ほど、定期的に休憩を挟みながらアニタは俺に魔法を教えてくれた。初めは中々1人でできないものだったが、師匠のアドバイスもあって最後の方はどうにか自分1人の力で水を出せるようになった。


 『……こんなものかしら。いい、カズオ? 今日のやったことを毎日十分でもイメージトレーニングで構わないから続ける事ね。そうしないと、感覚が鈍って魔法を正しく発動できなくなっちゃうから』


 「分かりました」


 『うん、よろしい。じゃあ、アタシはこれで帰るから、またなんか用があったら呼びなさい。ただし、それ相応の“対価”は忘れないことね』


 そう言い残し、アニタは現れた時と同様に霧となって消えていった。


 「カズオ君、疲れたかい?」


 「はい、師匠から事前に聞いていた以上に疲れたような気がします。何と言いますか、こう肉体的というよりも只々疲れたと脳が感じているみたいです」


 「まぁ、初めて魔法を使ったら誰でもそうなるさ。アニタが言ったみたいな鍛錬を続けて行けばいずれは疲れずに魔法を使えるようになるよ」


 「明日から毎日頑張ります。出来れば、1日に一度は普通に使ってみたいものです」


 「それは構わないが。ただし、1つだけ注意することがある。それが何だかわかるかい?」


 「えっ、使いすぎると魔素減少が起こって健康が害されるってことですよね? その事は勿論注意します。日常生活を手助けするための魔法で体調を崩したら洒落にならないですから」


 「それもそうだけど、それ以上にあの魔法は魔素に関係なく、使い過ぎると体に障るからね? それはだね――」


 師匠は俺に丁寧にその理由を説明してくれた。なろほど、そいつは確かに危険だ。


 「……分かりました。十分気をつけます」


 「うん、理解してくれて私もうれしいよ。さっ、明日からまた実験を始めるから、疲れているところ済まないが、部屋を元に戻すのを手伝ってくれよ」


 「任せてください、師匠」


 俺は力こぶを見せるような仕草をして自分の体力にまだ余力があることを示す。


 「ありがとね」


 師匠は俺が普段やらないような動きをしたことに目を丸くしたが、すぐにふんわりと笑った


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