第16話 カズオと実験
――その日は、師匠によるポーションの基礎授業の時間だった。
師匠はポーションについている毒々しく派手な色は一目見てどれがどのポーションなのかを判別するために意図的に着色されたものだと説明していた。
『……さて、ポーションにはいろいろな種類があるとは言ったが、ここで重要なのは見た目だ。カズオ君、これを見てくれ』
師匠は俺の前に3つの小瓶を置いた。どれも無味無臭の透明な液体が入っている。
『これは着色工程を省いたポーションだ。いずれも異なる効能を持つが、どうだい? どれを見ても全く同じだろう? 前はこのまま販売していたんだが、取違いが多くてね。今の様になった理由がわかるだろう?』
『へー確かにこれじゃ見分けがつきませんもんねぇ。何時から色を付けるようになったんですか?』
そう言うと師匠が得意げに口角を上げた。
『まぁ、私がね? 今から10年ほど前に提案したたんだよ。分かりやすい色を付けようってね。それに、ポーションに問題がある場合は一律で真っ赤に変色するように調整したんだ』
『えっ、師匠が考案したんですか!』
『ふふ、大したことじゃないよ。ただ、作成途中の魔法式に少しばかり手を加えただけさ。それでも、委員の連中は脈々と続く由緒ある魔法式に手を加えるなど言語道断! っと鼻息を荒く文句を言ってきたがね』
『それは案を通すのが大変だったのでは?』
『なぁに、そうでもないさ。こう見えても私には伝手があってね。ちょっと手を回せば簡単な事だよ』
『さすが師匠、政治工作もお手の物とは御見それしました』
『はは、そう褒めても何も出ないさ……引き換えにギルド職員を10人ほど取られてしまったがね』
『えっ?』
『ああ、気にしないでくれ』
『はっ、はぁ……そ、それよりもこの透明なポーションはどうしたんです? まさか僕に見せるために作ったってわけでもないでしょう?』
『うん? これはねぇ、効能を上げる実験用さ。少し、配分を変えてより効き目が長くなるようにしようと思ってね』
『なるほど、それでなぜ透明なんです?』
『それはだねぇ……ふむ、説明すると長くなってしまうな。まぁ、簡単に言ってしまえばポーションの成分を調べてちゃんと効くかどうかを調べるにはある魔法を使う必要があるのだが、その時色がついていると細かい作業をするのに手間がかかるので、実験の際は簡単にできるよう色を付けないようにしているのさ』
『へーそうなんですか』
『そうだ、カズオ君。君、ちょっと飲んでみないかい?』
突然そんなことを言い出した。
『えっ、構いませんが……問題ないですよね』
『心配することは1つもないさ。ここにあるのは冒険者ギルドでも買える市販品とほとんど一緒でね。まぁ1時間くらいは効果が伸びてると良いのだけどね。どうせ後で誰かに飲んでもらわないといけないのだし、頼めるかな?』
『そう言う事であれば分かりました』
俺は目の前にある小瓶を1つ手に取り、中身を飲み干した。なるほど、無味無臭と言うだけあって水を飲んでるのと感覚的には変わらないな。
『何か、妙な味はしたかい?』
『いえ、特には……』
『体に変化は感じるかい?』
右手の手のひらを閉じたり開いたり、首を左右に振るなどして体を動かしてみる。
『……いえ、感じません』
『ふむ、すぐに出る副作用はないと……』
『えっ、安全じゃなかったんですか!?』
『いやいや、別に出たとしても大したことはないさ。それにここにはどんな症状も抑える万能ポーションもあるのだから問題ないよ』
『それを聞いて安心できると思いますか師匠!? ……それより、僕は一体何を飲まされたんですか?』
『ああ、それはだね……そうだカズオ君。何のポーションを飲んだのか当ててみないか?』
『何を言っているんですか、そんなの分かるわけないじゃありませんか!』
『そんなに難しいものでもないと思うがねぇ。今まで教えたポーションの中に正解はあるよ』
『……それでも14種類ありますよ』
ニヤニヤとする師匠を前にどれが正解か一応考えてみる。
ピコンッ
その時、脳内に軽快な電子音が響き渡り、視界の右端に何やらパソコン上に表示される小さな通知画面のようなモノが現れた。
『うお!』
思わず、声を出すとビクッと師匠も身体を震わせた。
『な、なんだい。大きな声を出して?』
『いえ、その……』
視線を自分の右上に向けたので師匠は俺の視線の先に目をやった。
『ふむ……ゴーストの類でもいたのかい?』
『そういうわけではないのですが……』
どうしたものか? 師匠にはアイコンが見えていないみたいだし……うーん。
(……ステータスオープン)
師匠にどう説明したらいいか分からなかった俺はとりあえず脳内でそう念じてみた。
すると、俺の思念に反応したのか俺の顔の前にステータス画面が表示された。
(なるほど、別に声に出さなくても良いのか……)
師匠のおかげで新しい発見が出来た。
さて、そんなことよりもあのアイコンの正体を探らなければ……
キョロキョロと画面上に視線を動かすと、『緊急確認』という項目が赤々と点滅しているのを見つけた。
(これかな?)
“緊急”という二文字が気になるが、俺はパッと指でそれを触れようとして途中でやめた。
それは、画面に隠れて見えないが、師匠が不思議なものを見るようにこちらに視線を向けているのを感じたからだ。
『何をしているんだい、君は?』
俺が口を開くより先に師匠はそう言った。
『あの、その、えーとですね……』
むむむ、どうしよう。一度画面を閉じてこの能力について話すべきか? いや、でもなんて言い出せばよいのか分からん。
かといって手を使わないと画面をいじれないし……視線だけでどうにか『緊急確認』の項目をタッチできないものか?
俺のそうした願いが叶ったのか、はたまたそういった機能が搭載されていることに気づかなかっただけなのか。
スーッとマウスのカーソルのようなモノが画面端から現れ、俺の視線の連動するように動いたのだ。
(あれまぁ、便利なことで)
心の中で思っただけでいろいろと便利な機能が追加されている様に感じて、頼もしい反面、数カ月もこの能力と付き合っておきながらそんなことも把握していなかった己が恥ずかしい。
いずれにせよ、師匠に説明する前にまずはチャチャッと確認だけ済まそう。
『なぁ、カズオ君。どうしてさっきから右へ左へと視線を動かしているのだ? 君には何か見えるのかい?』
……師匠が何か話しかけてきている気がするが、今この瞬間だけは応対を後回しにする。
俺はカーソルを『緊急確認』に合わせて脳内でクリックするよう指示を出す。
【重要:薬物の接種を確認】
[人体に及ぼす影響:全身の筋肉量の一時的な増加及び筋肉の肥大化]
字面だけ見ると俺が危ないお薬に手を出しているみたいだが……ふむ、なるほど。
『筋力強化ポーションの影響を表しているのか?』
『おっ、分かったのかい』
つい、口に出した言葉を師匠が耳にしたのか、画面越しに驚いたような少し大きな声と共にそう言ったのが聞こえた。
『えっ? アッ、はい』
俺は脳内で画面に閉じるように指示を出しながら、適当な相槌を打ちつつ師匠の顔を見る。
『それで、どうやって当てたんだい? 直感に頼ったのかい? それとも、今見せた一連の仕草と何か関係があるのかい?』
矢継ぎ早に質問を投げかけられる。
『さぁさぁ、早く答えてくれたまえ。私から見ると何やら確信があるように筋力強化ポーションと正解を呟いたように思えたのだけど、実際のところどうなのだい?』
うーむ、どうしよう? 何となく……って誤魔化すことも出来そうだけど、師匠ならそんなのすぐに見抜きそうだしなぁ……
そこまで考えて、ハタと気づく。
……あれ? そもそも師匠に【ステータスオープン】のこと隠す必要ってあるのか?
考えてみれば別に女神も習得した技能のことを現地の人間に言ってはいけないなんてルールとかも設けてないし、別に教えてしまっても構わないのではないか?
でも、そうするとどうやって【ステータスオープン】を得たのか説明しないといけなくなるのか……困ったなぁ。
気づいたら視線を床に向け考え込んでしまっていた。
その事に気づき、ふと師匠に視線を向けると……
『うぉ!』
何と言うか滅茶苦茶至近距離で俺の事を見ていた。正直言ってかなりビビった。まるでホラー映画のワンシーンの様に振り向いたら化け物がすぐ目と鼻の先にいたくらいビビった。
『随分と考えていた様だけど……私に何と言うのか考えはまとまったのかい?』
えーと、そうだなぁ……よし、隠すのは止めよう!
どうせ、師匠とは長い付き合いとなるのだし、ここで変に言葉を濁しても何の得にもならないだろう!
それに、師匠なら俺がこんな技能を持っていると言っても変に詮索するようなことはないだろう、たぶん!
俺は覚悟を決めて全てをうち開けることにした。
『実はですね。師匠、何故か分かったのかと言いますと……』
俺は【ステータスオープン】の能力についてあらかた師匠に説明をした――
『……ふむ。なるほどなるほど。それはなんとも興味深い』
俺の説明を聞いて師匠は何度も頷いた。
『今まで聞いたこともないような秘術だ。世の中にはまだそんなに稀有なモノが存在していたのかと知れただけでも私は満足だ』
説明をする際、女神に貰った特殊技能というのをどう表現すればよいのか分からず最終的に自分の生まれ故郷に代々伝わる秘術の一種として伝えたことはもどかしかったが、師匠はその事を口にしたときの俺の表情を見て何かを察したのか秘術についてあまり言及してこなかった。
『いずれにせよ、それはこれからの君にとって大いに役立つものだと断言できる。しっかりとその力を活かすと良い』
『ありがとうございます』
『どれ、早速だが……そんな便利な力があるのだから私も活用させてもらおう』
そう言って師匠は筋力強化ポーション以外の瓶を一つ手に取った。
『これもテストしてくれないか? 私には見えないが、そんな風にどのように体に影響が出るのかが文字で表示されるのなら、それを使わない手はないのでね』
……怪しく微笑む師匠の顔は、俺が今まで見たこともないほどゾクッとするものだった。
――それから今に至るまで、事ある毎に俺は師匠にポーションのテストを頼まれるようになった。
別に試すこと自体に抵抗があるわけではない。要は治験のバイトだ。ちゃんとしたポーションとして認可され、市場に出回る前に誰かが実験体にならなければならないのはある意味当然の事なのだが……だとしても率先してやりたいものでもない。
何故か? それは試作段階ということもあって、高確率で何らかの副作用があるからだ。
比較的マシな時であれば2、3時間程度の軽い倦怠感で済むが、これが強烈なものになるととにかくつらい。幸いにも、人体にとてつもなく悪影響を与えるような副作用が出ないように師匠が調整してくれているので、体を長期的に壊す心配がないのは救いだが、それでも二度と味わいたくないような経験を俺はしてきた。
動体視力を強化するポーションを飲んだ時は一時間以上もしゃっくりが止まらず、反射神経を底上げするポーションを飲んだ時などは滝の様に涙があふれ続け、このまま体中の水分がなくなるかと思ったほどだ。ま、これに関しては10秒ほどで収まったが……
無論、こうしたような目に合う確率は全体としては少ないものの、万が一外れを引いた日ともなれば……いや、考えても仕方がないことだ。
今か今かとキラキラした瞳で俺が飲むのを待っている師匠を前に、飲まないという選択肢は存在しない。
グイッと小瓶を口に当て中の液体を口内に流し込む。
……ポーションというのはどのように作ったとしても基本的に味がしないはずなのに、若干フルーティな味がしたのは気のせいか?
「何かいつもと違いません?」
「おお気づいたかい? いつも味気ないといけないから爽やかな柑橘系の味がするようにしてみたのだが上手くいったようだねぇ」
どうやら、味がしたのは正解だったようだ。
さて、そんなことよりもそろそろ効果が出始めることだ。
日本に居た頃の薬局で買えるような一般的な市販薬と違ってこの世界のポーションは滅茶苦茶即効性が高い。それこそ、ものによっては飲み込んで1秒もしないうちに薬の効果が現れる。
(……くるぞ)
ピコン、っとここ数カ月以内に何度も聞いた間の抜けた電子音と共に、確認を求める通知が視界の端に映る。
(さて、今日はどんなものかな……)
通知をクリックし、内容に目を通す。
【硬化魔法(弱)の付与を確認 効果時間:2分45秒】
「えっ、魔法?」
俺は思わず画面を消して師匠の顔を見てしまう。彼女はとても満足そうに頷いてから「ニヤリッ」と漫画で表現されるようないたずらっ子とマッドサイエンティストを足して二で割ったような笑みを見せた。
「ふっふっふっ、どうやら成功したようだねぇ」
「どういうことです師匠? 魔法って……僕が飲んだのはポーションですよね?」
「まぁ半分はポーションといっても間違いではないよ、カズオ君。でも、これは今までのどのポーションとも違う新たな発明品なのだよ。そうだね……名づけるとしたら“マジックポーション”とでもしておこうか。まぁ、安直なネーミングセンスだと私も思うが、そこは此奴を売り出す商人共に決めさせれば良いさ」
「マジック? 魔法ってことですか」
「これはだね、魔法を習得していない人のみならず、例え魔法の行使に必要な魔素が体に残っていなくとも、飲むだけで魔法を唱えることが出来る薬なのさ」
「それは……何とも凄い事ですね」
「ふむ、反応が薄くはないかいカズオ君? 結構な自信作のつもりなのだが」
唇の先をとがらせて露骨に不満げな表情をする師匠。案外、こういう子供っぽい顔をすること最近知った。
「いや、そのーあまり魔法の仕組みやら世界に詳しくないものでして、凄いのは分かるんですよ? 今まで師匠から教わったことを思い出せば便利なモノなのは理解できるのですが……ねぇ?」
なまじ魔法というものが全くない世界から来た身とすれば、魔法もポーションも同じく奇妙で新鮮なモノに感じてしまう。だからこそ、飲むだけで魔法が行使できるという事が凄くても、どうしてもびっくりするようなリアクションを取れない。
「むぅ、今後はもう少し魔法の勉強をする時間を多めに取るとしよう。いずれにしても魔法の効果が現れたということは実験成功ということで良いだろう」
師匠はノートに成功の文字を書き記す。
「まぁ、後はどれくらい効果が出ているかというとこだが……その点はどうだね?」
「あっ、はい。えーと、硬化魔法は(弱)と表示されています。この(弱)というのがどういうものか分かりませんが……」
硬化魔法の文字をクリックし、詳細画面を表示させる。
【硬化強度:防刃ベスト(アラミド繊維製)相当】
(……? どの程度か良く分からんな。基準となるものがどの程度頑丈なのか皆目見当がつかん)
でも、最低限警備会社の人とかが身に着けているのに近いのかな? ということはナイフ程度なら恐らく大丈夫と判断しても良いだろう、うん。
「ナイフくらいになら耐えられそうです」
「なるほど、護身用として十分か? 今度本格的なテストをしてみるとしようか。それと、硬化時間のほどはどうだい?」
「2分45秒です」
「む、3分半は持たせるつもりだったからそちらは予想よりも短いな。まだ、改良の余地がありそうだ」
「ところで、師匠。その本格的なテストっていうのはもしかして実際にナイフを刺すつもりですか?」
「うん? それは、そうだろう。今までの結果から君の能力の精度に疑問を持っているわけではないが、この目で見ないことにはね……む、その嫌そうな顔はなんだい?」
「それ、僕が実験台になるってことですよね?」
「何、怪我の事なら心配しなくて良い。ここにはちょっとした刺し傷程度なら一瞬で治してしまうような薬がたくさんあるのだからな」
「いやいや、怪我すること前提で話されましても……」
グキュルルルル
その時だった。腹の底からとんでもなく嫌な音が聞こえたのは。
だらだらと急に汗が流れてくる。
ピコンッと間の抜けた音が聞こえ、通知が表示される。俺はスッとそれを触り、内容を確認する。
『腸内環境が急激に変化しております。腹痛が発生する恐れあり』
その一分に目を通している最中に新しい一文が追加された。
『【症状:下痢】が確認されました』
「Oh……」
「どうしたんだい?」
「……失礼します」
俺は小さな歩幅でかつ今出せる最高速度でトイレに向かう。
便座に腰を据えた俺は、ギルドのトイレがこの世界では非常に貴重な水洗トイレであることに心の底から感謝した。
……その数分後、元の世界では当たり前で今まで特に何も感じていなかったウォシュレットとトイレットペーパーの有難みというものを痛感したのである。
短く辛い格闘を終えた俺が実験室に戻ると、なんだかいつもより師匠が一段と優しくしてくれたような気がする。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます