第15話 カズオの奮闘記


 『えっ、オルウェンさん……ではなく師匠と僕しかいないんですか⁉』


 『ああ、そうなんだよ。君が来るまでは私1人で切り盛りしてたんだ。まぁ、これから二人三脚で頑張っていこうじゃないか』


 それが、ギルドに入って交わした最初の会話の内容だった。


 朗らかに笑う師匠を前に俺は色々と不安がこみ上げてきたが、だからと言って当然ながら「じゃあ、辞めます」等と寝ぼけたことを言うわけにもいかず、俺の新生活が始まった。


 薬品ギルドで働き始めてからの1カ月半は、弟子というよりは雑用係と言った方が適切な状態だった。


 それは師匠が俺に何も教えてくれなかったとかそういう話ではなく、純粋に俺がやらなければならない作業が多すぎたことに起因する。


 まず、俺が取り組むことになったのはギルドの掃除だ。


 俺がギルドで働くようになるまでのおよそ2年間、オルウェン師匠は一人でギルドの切り盛りを行っていたらしいのだが……残念ながらその間ただの一度も掃除をしてこなかったのである。


 だが俺は百パーセントその責任を師匠1人に押し付けることは出来ないと考えている。


 何故なら、後でハンナさんから聞いた話であるのだが、薬品ギルドの業務は非常に多岐に渡り、それを1人でこなすこと自体とんでもない事であり、通常なら1月と持たずに身体を壊してしまうほどの仕事量だという。


 それをたった1人で2年間もやりくりしてきた師匠は超人とも呼ぶべき手際と気骨を持つ人物だ。俺はそんな彼女を心の中から尊敬している。


 まあ、気恥ずかしいので直接本人には伝えていないのだが……


 ……しかし、それはそれとして実験やらポーションの製造にかかりきりだった師匠は薬品ギルドにあるすべての部屋を見事“汚部屋”に変えてしまったのも事実である。


 俺も元の世界に居た頃はろくに掃除もせず、ゴミを部屋にため込んではお袋にどやされたものだが、その俺でさえ、掃除をしようという強い決意を抱かせるほどに汚かった。


 幸いなことに、薬品ギルドはこの世界においては非常に珍しく水道設備が完備してあったため、貴重な水をふんだんに用いて掃除を行うことが出来たのは大いに俺の助けになった。


 後でハンナさんから聞いた話によると、ポーション製造に水が欠かせないことから先々代のギルドマスターが大金を投じて水道を敷設したらしい。


 いずれにせよ、俺は雑巾と箒を相棒として朝から晩まで掃除に明け暮れた。


 1週間もあれば綺麗になると考えていたが……実際は俺の想像以上だった。


 まず、俺にとってどう対処すれば良いか分からなかったのがファンタジー世界のマンドラゴラの様に時折奇声を発する人面が張り付いたような無数の植物の存在だ。


 これらの大半は人語ではない独特の言葉のような音を発するだけの量販店で買うことが出来るドッキリ玩具みたいなものだったが、中には蔦や根っこを足の様に器用に動かして床の上を這いまわる奇怪なエイリアンのような奴もいた。


 こういった植物の存在を知らなかった俺は、コイツらが栽培されている部屋の扉うっかり開けっぱなしにしてしまったため、あっという間にギルド内に入り込んでしまったのだ。


 とりわけ、『トリフガル』と言う名前の植物は、厄介な存在だった。見た目は足の生えたカブみたいだったが、妙に素早く、人の気配を感じると物陰に隠れてしまうため、捕まえるのに苦労した。


 特に、掃除をほとんどしていない2日目に逃がしてしまったことから、ギルド内にある無数のごみの山を駆けまわる『トリフガル』を確保するのに3日もかかってしまった。


 おまけに『トリフガル』は多少人語を理解しているのか俺のことを覚えたみたいで、捕まえようとする俺を見るたびに「カズオ、カズオ!」と目玉のような器官を俺に向けながらケタケタと笑い声をあげてギルド内を駆けまわる姿は今思い出しても気持ちが悪い。


 出来る事ならこんな不気味な植物の相手もするのは嫌だったが、貴重な薬になるらしく、丁寧に世話をする必要があった。


 しかも、今までは師匠が魔法を使って直接コイツらの相手をせずに世話をしていたらしいが『良い経験になるさ』の一声で俺が面倒を見ることになってしまった。


 そのうえ、魔法の手を借りずに世話をするとなると繊細なところがあるコイツらの相手をするのは大変で、師匠から借りた植物図鑑を片手に掃除の合間を縫って作業に取り組んだが、ちょっとでもこいつらの機嫌を損ねると一斉にブツブツと人を呪うかのような地獄の底から響くような声を発するので掃除で疲れた俺の心はドンドン摩耗していった。


 次に俺にとって大変だったのは大量の書籍の整頓だ。


 薬品ギルドには創立当初から貴重な写本やギルドマスターたちの研究成果が本として収められている。


 それには古代の巻物なども含まれていて、どれも一目見ただけでそれが歴史的価値もある物なのだろうと分かるものばかりだ。


 ……だが、それらの貴重品がギルドの床にいくつも無造作に積まれていた。


 尊敬すべき師匠の数ある欠点の1つなのだが、彼女は研究に集中するとあまり周囲に気を配らなくなり、かつ、自分の座っている場所からまるで彫刻の様に動かなくなってしまう。


 その時必要となった資料を“物体を引き寄せる魔法”の力で自分の傍まで持ってくるのは結構なのだが、読み終えても仕舞わずに足元にドンドン積み上げていく癖があるのだ。


 それによって師匠が実験成果をまとめようとしたり、どこかに報告書を書き上げようとするたびに地上に盛り上がるタイプのアリの巣のようなモノがテーブルのそばに出現する。


 一度師匠に魔法の力で棚に戻せないのか聞いてみたが、魔法は制御が難しく、正確に棚に仕舞うことが出来ないから無理だと言われてしまった。


 いずれにしても戻されずに部屋に積み上がる本とは別に、書庫の立派な本棚はドンドンと空になっていく。


 でも、目当ての本を魔法で簡単に手元に呼び寄せる事が出来る師匠に取っては何の支障ないため、そのままにされてきたのだった。


 そこで俺が本棚に戻すことになったのだが、それにはいくつもの問題があった。


 1つは、どの順番に仕舞えばいいのか分からなかったことだ。俺にはこれらの本を分類、系統別に分ける知識はなく、かつ大半の本が俺の読めない言語、つまり『カラム語』以外で書かれていたのだ。


 無論、何も考えずにただ棚に突っ込めばしまうことも出来たが、それでは棚の中の埃を拭いまで行った“綺麗な掃除”の結末とはとても言えない。

 

 かといって忙しく、週に一度はギルドを空ける師匠の手を煩わせるわけにもいかず、俺は途方に暮れたが、最終的に師匠お手製のカラム語翻訳辞典を片手に1つ1つのタイトルや作者名を確認して分類わけするという地道な方法をとることとなった。


 更に分類訳以上に大きな問題が俺の前に立ちはだかった。


 それが紙を好んで食べる紙魚に似た昆虫の一種である『カピンダ』の存在だ。


 ジメジメとした埃っぽいところに生息する奴らにとって薬品ギルドは格好の住処となっていた。


 一応今までは師匠が魔法で『カピンダ』の嫌う匂いをギルド内の所々で発生させ侵入を防いでいた様だが、どうやらごく稀に生まれる匂いに耐性を持つ個体が入り込んでいたらしい。


 しかもそうした『カピンダ』の個体は通常の3倍近く大きく、俺は本を開いた時に足元に落っこちてきたソレを見た時、情けないくらい大きな悲鳴を上げたものだった。


 結局、本の整理と『カピンダ』の駆除には5週間を要し、全てが綺麗になった今でも俺は奴らがまた侵入して来るんじゃないかと思うと鳥肌が立つほど嫌な気持ちになるものだ。


 しかし、こうした一連の問題以上に俺にとって厄介だったのはよりにもよって師匠だった。


 熱心に研究に打ち込む姿は立派なものであるが、それに比例して様々なゴミを日々生み出す、それが師匠だ。


 それは書き損じの貴重な紙であったり、実験後に必要なくなった薬液であったりと思い出すだけでも多種多様な廃棄物を日夜生成してくれた。


 その為に、師匠の研究が進むにつれて俺が綺麗にした部屋は次々と新たなゴミの山を置くための空間へと様変わりした。


 だからといって、そうした行いをする師匠に対し、俺は注意をすることなど出来ない。


 それは、雇われている身のというのもあるが、何よりもたった1人で膨大な作業量をこなす師匠を、掃除の邪魔になるからという理由で苦情を入れるのが忍びなかったからだ。


 ――俺に出来る事はただ1つ、愚直に掃除に打ち込むことだ。

 

 俺がギルドに来て1カ月と3日目。ついにギルドは他の人間を招き入れても十分に応対できるほどに綺麗になった。


 ごちゃごちゃになった棚はすべて整理し、埃まみれだった床の汚れは全て綺麗にふき取った。

 

 俺は今までの人生で最も真面目に、精力的に掃除に取り組んだことだろう。これほどまでにやる気を持続して1つの事柄に取り組むことが出来たとは、我ながら信じられないほどだ。


 恐らく、元の世界であったならどうあってもこんなことはなかっただろう。


 それはゲームや動画等、俺を誘惑する魅力的な娯楽が存在すること以上に、家族の誰かが掃除をしてくれるだろうという俺の心の奥底にある甘えが、やる気を削いでいた違いないからだ。


 その点、俺が掃除をしなければお世辞にも人の住む場所ではなかった薬品ギルドは底をついていた俺の勤勉さを奮い立たせるには最適な空間だったと言えるかもしれない……


 

 ――そしてギルドに俺が来てから1カ月と4日目。大掃除が終わった翌日。俺は、師匠に呼び出された。


 『カズオ君、今まですまなかったねぇ。これはから君を1人前のポーションマスターになれるよう、まぁ、私になりに教えてみようと思うよ』


 俺に掃除ばかりやらせたことを気にしていたのか、師匠は申し訳なさそうにそう言ってくれた。


 無論、もったいない言葉だ。俺の様に何の専門知識もない若造に給料を支払ってくれる師匠に俺から言うことは何もない。


 『ありがとうございます。これからは掃除だけでなく。師匠のお役に立てるよう精進いたします』


 精一杯の笑顔で、俺は自分の本心を伝えたつもりだ。


 『……そうかい、では今日からよろしく頼むよ』


 そうって笑いかけてきた師匠の顔は、俺がこれまで見た師匠の中でもっとも、自然で嬉しそうな笑顔だった。


 こうして雑用だけではない、本当のギルド職員としての日々がスタートした。それは高校を卒業して学びの場から離れていた俺にとって久しぶりに訪れた学習の機会でもある。


 師匠は、俺に様々なことを1から教えてくれた。ポーション製造の基礎とのなる植物学、薬学、魔法学、そしてポーション生成に必要な指南書を読むために必要な『ムハラム語』まで、丁寧に説明してくれたのだ。


 難しい事ばかりで、なかなか身についた実感もないが、いずれ自分のステータス画面に学習の結果が『学習技能』として反映されることが俺のひそかな楽しみである。


 その為にも師匠に物周りの世話をしながら精一杯勉強に勤しみたいものだ。


 ……っと、ここまでの事を簡単に思い返してみると俺にとって悪くない、むしろ元の世界に居た頃よりもはるかに充実した生活を送れているのは事実なのだが……


 何と言うか、師匠と過ごす時間が増えるにつれて今まで気にしてこなかったことが色々と気になるようになり、こう、モヤモヤとした、口に出来ないような不満のようなモノが充足感と共に俺の中に満ちてくのを感じていくんだよなぁ。


 はぁ……これも今置かれている環境を考えれば贅沢な悩みなのも分かってはいるんだけど。


 「おーい、お茶はまだかい」

 

 自分を呼ぶ師匠の声でハッと意識が現実に戻る。見れば、水も沸騰し、湯気が立ち上っていた。


 「はーい、只今お持ちします!」


 師匠に返答しつつ、お茶を入れる準備をする。危ない危ない、いつの間にか意識を遠い世界に飛ばしてしまったようだ。


 トレイにポットとカップを乗せ、実験室に戻ると、先ほどまで作業にのめり込んでいた師匠がこちらを向いてユラユラと体を左右に動かしていた。


 「口の中がパサパサするぞカズオ君」


 「今入れますので少々お待ち下さい」


 サッとお茶をカップに入れ師匠に渡す。


 「熱いので気を付けでください」


 「ありがとう、カズオ君」


 師匠は両手で受け取ると猫の様にチビチビと舐めるように飲み始めた。


 (今日の気温を考えると少し冷ましたお茶を出せるように工夫した方が良かったかな?)


 いや、このお茶は熱い方がおいしいのだし、知識のない俺が余計な手を加えるのはよそう……


 「そうだ、カズオ君」


 「はい、何でしょう?」


 少し視線を下げてお茶のことを考えていると師匠が俺を呼んだ。


 パッと師匠の方を見るとカップをテーブルに置き、満面の笑みを浮かべている。


 (……嫌な予感がするな)


 ニンマリと言う擬音が似合うような笑みを師匠が浮かべた場合、今まで碌なことがなかった。


 「カズオ君、ちょっとテストに付き合ってくれないかい?」


 「……テストというとアレですか?」 


 「おお、話が早いね!では、早速これを頼むよ」


 師匠はテーブルの上に置いていた小瓶を取ると俺に差し出した。


 (またか……)


 俺は恐る恐る受け取る。


 「ささ、グイッといってくれ!」


 キラキラとした目をこちらに見せて師匠は言う。


 チラッと小瓶の中をみる。橙色の液体がチャプっと音をたてて揺れた。


 (まぁ、今回は前回ほど変な色じゃないか……)


 「ハァ」と息を吐いてから小瓶を口元に運ぶ時、最初にこうやってポーションを飲んだ時のことを思い出していた。

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