第8話 ギルドでの朝


 「あっ、カズオさんおはようございます!昨晩はよく眠れましたか……って聞くまでもないですよね」


 早朝、忙しそうに仕事をしていたハンナは俺を見かけると元気よく話しかけてきたが、俺の顔を見るなり苦笑いと共にその声のトーンを落としていく。


 「……個室にすれば良かったです」


 俺は絞り出すような声でそう言った。


 「あーやっぱりそうなりましたか……もし良かったらそこの端にある席で休んでいても構いませんよ?まだ、誰も来ないと思いますので」


 「……ありがとうございます、ハンナさん」


 俺はフラフラとした足取りで彼女が指さした席まで歩き、ドサッと倒れ込むように椅子に座ると、テーブルに顔を突っ伏して目を閉じる。後ろの方でハンナさんはパタパタとあちこち動き回って作業をする音が聞こえるが、そんなものは全く気にならない。


 結局、俺はほとんど一睡もできないまま一夜を過ごした。あのおじさん達のいびきがいつかは収まるだろうと希望を捨てなかったが、明け方まで代わる代わる反時計回りにいびきをかき続け、俺がその音を気にするよりも強い睡魔が訪れた時には既に外が明るくなっていた。


 その挙句、彼らは朝早くから仕事があったらしく、俺が眠りについて数分もしないうちに起きると、俺の事なんてお構いなしに大声で話しながら支度を始め、荒々しく部屋を出て行った。


 彼らがいなくなったことで静寂を取り戻し、ようやく眠れるかと思ったが、明るくなってふと薄目を開けると、ベッドの上を無数の小さな虫がはいずり回っているのを見た俺は悲鳴と共に飛び上がり、荷物を掴んで部屋を飛び出したのだった。


 そのせいで、殆ど疲れのとれないまま今に至るわけだが、そんな俺の身体にとっては硬い椅子とテーブルでさえ極上の寝具に思えるほどだった。


 そして今、ようやく眠れるなんて考える暇もなく、数秒も経たずに俺は自分の意識を手放していた。

 



 それからどれくらいの時間が経過したのだろうか。ガヤガヤと周囲が騒がしくなった様に感じた為、俺の意識もゆっくりと覚醒へと向かった。


 「起きたか」


 「うぉ、びっくりした!……って、アランさん?」


 顔を上げた瞬間にいきなり声を掛けられ、思わず自分でも驚くほどの大きな返事をする。


 いつの間にか目の前の席にアランさんが座っていた。初めて会った時と同様に不機嫌に近い無表情を浮かべているが気持ち目を細めているように見えるのは俺の出した声に不快感を覚えていると思われるせいだろうか?


 「……こんなところで寝ていた割に元気だな」


 うん、やっぱり俺の出した声を気にしているのだろう……まあ、別に気にする必要もないか。


 「朝早くからアランさんもギルドにいらしてるなんて、大変ですね?」


 姿勢を正して、俺がそう言うと彼は怪訝な様子で右の眉を上げる。


 「何を言っているんだ。もう昼だぞ」


 「えっ?」


 周囲に視線を動かすと、ギルドの中は既に多くの人が行き交っていて、ハンナさん達が忙しそうに働いている姿が見える。それに加え、窓から差し込む光を見ても日が高く昇っていることは明らかだった。


 「はは、思った以上に寝ちゃってたみたいですね……」


 そんな場所で熟睡していたと思うと急に恥ずかしくなってきた。ハンナさん、俺の事起こしてくれたらよかったのに……なんて思うのはいくら何でも彼女の厚意に甘えすぎか。


 「お前は俺が今日最初に来た時から寝ていたからな。混んできたのに席を独占されているとハンナが困ってたぞ」


 「うっ、それを言われると申し訳ないことをしてしまったとしか言わざるを得ないです」


 「まぁ、起きたならこれ以上気にしていても意味のないことだと思うがな」


 そう言うと、アランさんは席を立ちあがる。あれ?そう言えばなんでこの人ここに座ってたんだろう?


 他の席に座っている人達と違って商談しているわけでも食事をしているわけでもない。テーブルの上に何かを置いてあった形跡もないから殆ど身一つで先ほどまでここにいたわけだ。


 「そう言えばアランさんは何してたんですか?」


 その質問に対しピクッと僅かに身体を揺らすと、立ち去ろうとしていたアランさんはその場に止まり、視線を俺から外す。


 どうしたんだろう?


 「まぁ、その……なんだ。昨晩は、済まなかったな」


 歯切れ悪く、小声でアランさんはそう言った。


 済まない?一体の何の事なのか俺にはさっぱりだ?


 チラリとこちらを横目で見たアランさんは、俺が頭の中で疑問符を浮かべていることに気づいたのか、こちらに向き直る。


 「だから、その、カモだとか何だとか、偉そうなことを色々と言ったことだ」


 「えっ?」


 なんでそんなことを?


 俺がぽかんとした表情で見ていることに気づくと、アランさんはしまったと言うような顔をする。


 「いや、何でもない。忘れてくれ」


 「はぁ、分かりました」


 この人は昨日酔った時に言ったことを気にしているのか?顔や言動に似合わないことで……って、そんな風に思うのも失礼かな?


 アランさんはボケッとしたままの俺を見てどう思ったのか知らないが、何故かため息をつくと再び正面の席に座りなおした。あれ、もう用は済んだんじゃないのか?


 「……お前さんと話していると何と言うか調子が狂うな」


 「はぁ」


 「まあいい、それよりも一つ聞きたいことがあったのを思い出してな」


 「なんです?」


 アランさんは、両手をテーブルの上で組むと俺の顔をジッと見ながら言ってくる。


 「昨日は色々あって聞けなかったんだが、あんたあの森で何してたんだ?」


 なるほど、アランさんからすればほとんど軽装な人間が只一人森の中にいるって言うのも奇妙な話か。


 「それはですね――」


 だが、自分が森の中にいた理由を話そうと思って思いとどまる。


 ――そう言えば、俺は自分の事をどのように説明すれば良いのだろうか?


 馬鹿正直に別の世界で死にそうになったところを女神様の力によって生きながらせさてもらった上にこの世界にやってきましたと言うか?いやいやいや、そんなのおかしな奴だと思われるだけだ。


 それよりも、どこか別の街から来たと言うべきか? 幸い、女神様から授かった力によってある程度だが、俺はこの辺りの地名を知っている。適当な場所を挙げればアランさんも納得するだろう……でも、もしアランさんが名前を言った場所の事を知っていたらどうする? 俺の知識は本物だが体験を伴っていない。そして本当のことを言っているにも関わらず実情とズレていた場合、それはそれでおかしなことにならないだろうか?


 ならいっそのことアランさんも言ったことがないような遠い地名を言ってみるか?いや、そんなことを言ったらなんでそんな遠い地方の奴なあんな森にいたのかますます疑問を持たれるかもしれない。それに、俺は他の地域の常識も言葉も知らないのだからぼろが出る可能性もある。うーん、どうしたものか……


 この場を切り抜けるための適切な言葉をひねり出そうとしても思考の沼にハマるばかりで這い出るための出口が見当たらない。


 「……どうした?」


 アランさんは急に言葉に詰まった俺を見て怪訝そうな顔をしている。まいったな、何か言わないと……


 「あ……その」


答えを探すため、視線を逸らす。だがそんなの時間稼ぎにもならない。

ええい、ダメもとでそれっぽいことを……!!


 「実はですね」


 「いや、言いにくいならいいんだ」


 「えっ?」


 「正直、お前さんの格好を見ても何を今までやってきたのか皆目見当がつかん。だが、そう言った連中がこの街の傍にいるのは大抵、“アレ”の場合が多い」


 「何です、“アレ”って?」


 「いや、別にそうだと決めつけているわけでも、それが悪いって言っているわけではないのだが……どうもこういう時に何を言っていいのか分からん」


 アランさんが先ほどから何を言っているのかさっぱり分からない。だが、彼が何らかの勘違いをして、それが原因で俺への質問を止めたのなら……まぁ、いっか。


 「それで、これからどうするつもりなんだ?」


 「どうすると言いますと?」


 「……察しが悪いのかどうか分からん奴だな。だから、これからお前さんはどうするのかということだ。今の手持ちは昨日俺がやった分しかないのだろう? どうするのかは知らんが、今日のようにこのまま寝て過ごすわけにもいかんだろうが」


 全くと言わんばかりにアランさんはため息をつく。


 「まぁ、あの森にいたということは大方ここを目指していたのだろうから、何も当てがないわけではないと思うが……おい、聞いているのか?」


 アランさんが何かを言っているようだが俺の耳には半分も届いていない。何故なら、これからどうすれば良いのか(色々あって今まで忘れていたということもあるが)、何も考えていないことによる途轍もない焦りを感じているからである。


 どうしよう。この世界に飛ばされてからはやれ、異世界だ、モンスターだ、魔法だとかいろいろなことにばかり目移りしていたが、ふと立ち止まって今後の事を考えると元の世界以上にお先真っ暗ではなかろうか?


 俺は一体どうやって生活をしていくんだ? 金もほとんどなければこの世界で働くためのコネもない。


 何か仕事を探そうにも、今の俺の知識と経験で何が出来る?それを探しているうちに金が底を尽きないか?自分の女神様の授けてくれたこの世界の知識を総動員して今考えるしかない!


 「おい、本当にどうしたっていうんだ?」


 本格的黙り込んで下を向く俺を見て、不気味さを感じているのか、やや引き気味の声でアランさんが話しかけてくるが俺に返答する余裕はない。


 「……もしかして、本当に何の当てもないのか?」


 恐る恐るというよりかは、まさかそんなことあるわけないだろうという感じでアランさんは訊いてくる。


 「あの……どこか働ける場所を紹介していただけないでしょうか」


 気づけば俺は生きてきた中で一、二を争うほどの気弱な声でそんなことを言っていた。


 しばしの沈黙を挟んで、アランさんは右手でガシガシと後頭部を掻いてから、一度視線を天井に移し、ゆっくりと息を吸ってから俺に言った。


 「助けた奴が野垂れ死にするのを見過ごすことは出来ん。この街でどこのギルドも通さずに即座に紹介できることは少ないが……それでいいか?」


 「ありがとうございます」


 どんな仕事を紹介されても構わない。今の俺には情けなくともアランさんに縋るしか道はないという確信があった。

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