第9話 帝国自由都市マリエンブルク

 ……やっぱり、少しくらいは仕事を選ぶべきだったんだろうなぁ。


 「あっ、今日もお疲れ様です~」


 フラフラとした足取りでギルドに戻ってきた俺は、背中越しにどんな時でも元気なハンナさんの声を聴き、軽く手を振って彼女に答える。


もう、声を出す気力もない。


 彼女の方を見ないまま借りている個室に向かい、部屋に入るとそのままベッドに倒れ込む。


 着かえるか、最低限汗を拭かないとシーツに汗が染みこんで後でひどい悪臭がする気がしてならないが、そんなことを考える余裕もなければ、指一本でも動かすのが億劫になるほどの疲れが全身からにじみ出ている。


 「はぁ……、俺ってこんなに運動不足だったんだなぁ」


 ――俺は十日前にアランさんに言ったことを後悔していた。


 どんな仕事でもやると言ったその日の午後、俺はアランさんの紹介で運送業を営んでいるトーマスさんの元を訪れた。


 俺が運び込まれた街、『帝国自由都市マリエンブルク』は複数の商業ギルドが強い影響力を持つ場所だった。


 そのため、ギルドの親方の紹介がなければほとんどの職にありつくことが出来ず、何の縁もゆかりもないよそ者にとっては中々に厳しい環境にある都市だ。


 だが、そんな中でトーマスさんを含む運送業界は違っていた。国の重要な交易路に位置するマリエンブルクは別名、『富の集まる場所』とも呼ばれ、帝国中に行き交う商人たちがよく訪れる場所である。彼らから得る通行税はこの都市の税収を支える重要な柱の一本であだ。また、それに伴って発展したのが運送業である。帝国は表向き皇帝を頂点とする統一国家であるが、その実情は複数の有力諸侯が集まって構成される連邦国家に近く、それぞれの貴族の治める領地ごとに税を集めており、そのあり様はまるで独立国家さながらであった。


 その為、商人が帝国中を旅すると、領地の境目ごとに存在する関所にて幾度に渡って高い通行量を治めさせられることになってしまい、商人たちにとっては大きな悩みの種となっていた。


 こうした状況に目をつけたのがマリエンブルクの有力者たちである。数十年前に皇帝から自治権を勝ち取ったこの都市の商人たちは、街を大きくしていく過程で培ってきた多くのコネを用い、この都市の発行する商売の許可証を持つ人々が、主要な道の途中にある関所から徴税される金を一部免除できるシステムを構築したのであった。


 許可証を得た商人たちは、街にやってきた他の商人たちに対し、これから先安価に、かつ安全に積み荷が目的地に届くように手配する代わりに、許可証を買うように求めた。


 これにより、それまで手工業の街として発展してきたマリエンブルクが一躍、交易の街として帝国全土にその名が知れ渡るようになった。


 また、初めは許可証の売買だけで儲けてきた都市の商人たちが、更なる利益を求め運送業に手を出したことで、今やこの街では毎日のようにどこかで商品の荷下ろしと積み替えが行われている。


 それによって多くの人手が必要となったマリエンブルクでは、運送業は例外的に身元を保証せずとも日雇いで働かせてくれる数少ない仕事の一つとなっている。


――そういった背景を働き始めて三日目の昼食休憩中に、雇い主のトーマスさんが教えてくれた。


 トーマスさんは、商隊の護衛として冒険者を雇うことも多く、その関係でアランさんと知り合ったらしい。


 そのせいなのか、彼は俺の事を冒険者の見習いだと勘違いしていたらしく、仕事を紹介された初日は、いきなり大量の重い荷物を運ばされる羽目になった。俺は就業時間を待たずして動けなくなり、俺の陽数を心配して見に来てくれたアランさんに担がれてギルドの宿に運ばれた。


俺は疲労のまま眠りこけ、目が覚めたら筋肉痛でまともに起き上がる事すら大変な状況に陥った。


 しかし、そこは異世界。体中の痛みで苦悶の表情を浮かべる俺を見たハンナさんが気を利かせて疲労回復用の飲み薬を定価の半分(銅貨五枚)で売ってくれた。


 この飲み薬、ハンナさんは“ポーション”と呼んでいたが、ステータス画面でどの程度体に効いているのかを確認すると、元の世界の栄養剤などとは違い飲むだけで筋肉の炎症をすぐに治してくれる優れモノだった。


 その代わり強力な反面、短期間に幾度も服用すると身体に悪い影響を及ぼす可能性もあることも書かれてあって、ゲームの様に回復薬を乱用できないことも知った。


 ただ、良かったことに肉体労働が不得手だと言うことに気づいたトーマスさんが、次の日から初めほど沢山の荷物を俺に運ばせないようにしてくれたおかげで、すぐに薬に頼らなくても良い状態で仕事に臨めるようになった。


 それでも全く疲れないわけではなく、ただ単に仕事の最中に倒れることなくどうにか朝から夕方までギリギリ体力が持つようになっただけなので、初日同様、ギルドに戻ったら電池の切れたロボットの様に眠る日々を過ごすことになることに変わりはなかった。


 トーマスさんの仕事に休日はない。商人たちは朝晩関係なくひっきりなしにマリエンブルクにやって来て、彼のギルドに運送の依頼を行う。


 傍目で見てもとても儲かっているのだということは分かるが、はっきり言ってオーバーワークになっていることは否定できない。


 俺がトーマスさんとゆっくり会話をすることが出来たのも街の仕組みを教えてくれた三日目だけ、それ以降は朝と夜にあいさつを交わす以外彼が立ち止まっている姿を見る事さえないくらいだ。


 まぁ、それくらい繁盛していて猫の手も借りたいからこそ体力のない俺を雇ってくれているのだろう。


 日雇いでも一日で銀貨一枚くらい稼げるし、一緒に働いているおっさんの話では後一月程度はこの状態が続くらしいから金に困ることもないな……でも、そこまで俺の身体が持つかなぁ。


 完全に眠りに着こうとしていた身体がその疑問に達すると同時に覚醒する。俺は寝返りをうつと、天井をぼんやりと見つめる。


 まだ二週間も働いていないが、俺の身体は悲鳴を上げている。それを、感覚だけでなく、明確に俺は“知っている”。


 「……『ステータスオープン』」


 俺の瞳の前に映し出される画面。サッと、画面に手を触れて体の状態を確認する。


 「あらら、まいったね。こりゃ」


 まず目に飛び込んできたのは画面上に大きく赤い文字でまるで俺に注意を促すかのように表示される『疲労』の文字。


 ステータス画面を読み進めていくと、慣れない運動を長期間行ったせいか、筋肉を痛めてしまったらしい。それに加えて体を酷使した影響で免疫も多少低下しているようだ。


「俺は考えていた以上にモヤシだったってことか」


 自然とため息がこぼれる。こんなことになるなら前の世界でウォーキングでも日課にしておくべきだった。どうせ、時間は無駄にあったのだから。


 でも、過ぎたことを悩んでいても何も始まらない。 


 それに、後二週間もすれば忙しい時期は乗り切れるのだから、それまではどうにか頑張っていこう。


 幸い、自分の健康状況はステータス画面のおかげでいつでも把握できるわけだし、体を本格的に傷めないように仕事することくらい俺でもやっていけるだろう。


 それどころかもしかすると、俺の身体が後二週間の労働で以前よりも立派に成長する可能性の方が高いはずだ。うん、これは文字通りの嬉しい(体の)悲鳴ということだ。


 ……何だかよく分からい結論に行きついた気もするが、まあいいや。


 俺はステータス画面を閉じると、瞳を閉じた。


「さぁ、早く寝て明日からの残りの半分、張り切って乗り切ろう!」


 そして自分自身を鼓舞するかのように小さくそうつぶやいたのだった。

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