第6話 素寒貧になって
「はい?」
自分でもびっくりしたほど素っ頓狂な声が出た。
「すみません、もう一度言っていただけませんか?」
はっきりと自覚するほど声が震えている。聞き間違いであってほしい、そう願いながら再度相手の返答を待つ。
「ですから、代金として銀貨二十九枚いただきます」
ハンナさんはニコニコとした事務的な声で俺に言う。
「oh……」
あまりの衝撃に言葉を失う。はは、待て待て待てまずは冷静になろう。そして、もう一度ここに至るまでの経緯を振り返ろう。
漫画的な表現なら俺の瞳は渦巻の様になっているだろうなと思いながら俺は起きてからの状況を思い返すことにした。
今から三十分前。空腹と共に俺は目を覚ました。気がつけば日も沈み始め、部屋の中に夕日が差し込んでいた。
身体を起こしてゆっくりとベッドから起き上がる。それから二、三回ほど小さくジャンプして、腰を動かして体を左右にひねったりした。
「うん、これなら大丈夫だろう」
三分ほど継続して身体を動かしても痛みはなく、おおむね完治しただろうと思う。
「さて、飯でも食べるか」
ハンナさんが持ってきてくれた水を器に移して一口飲むと、自然とその言葉が口から零れる。
俺は部屋を出ると寝る前にハンナさんから聞いた道順に従って受付に向かう。
年季を感じさせる幅の狭い廊下を抜けた先に目的の受付はあった。
ギルドの受付はまるで西部劇に出てくる街の酒場のような感じに俺には見えた。ただし、壁も床も石造りで良く見れば全く違う構造だというのにそう思えたのは、受付と思われるカウンターの後ろが厨房の様になっていてせわしなく何人かの料理人が走り回っている姿や、安そうな木製テーブルを囲んで数人のガラの悪そうな男が酒を片手にカード賭博に興じている様子が見えるからだろうか?
いずれにしてもギルドという言葉を聞いて、高校生の時に世界史で習ったはずのドイツの職人組合がどういった人々の集まりだったのかという記憶がほとんどない俺にとって、自分の抱いた感想がこの場にそぐわないものかどうかの判断なんてできるわけもないか。
さて、そんなどうでも良い建物の感想などはともかくとして俺は自分の荷物を受け取るためにも受付に行かなければならない。幸い、ハンナさんの姿をすぐに見つけることが出来たので早速傍に近づいて声を掛けた。
「あら、カズオさん。もう起きても大丈夫なんですか?」
俺の声を聴いて朗らかな声でハンナさんは答える。
「ええ、おかげさまで。気分的にはほとんど怪我する前と同じくらいですよ」
「それは本当に良かったです。あっ、そうそう。これ、カズオさんの荷物です」
ハンナさんはカウンターの下から俺の持っていた革袋と剣を出してくれた。
「ありがとうございます。身体だけじゃなくて荷物まで無事でホッとしてますよ」
「ふふ、アランさんが持ってきたんですよ。これがないと大変だろうって言って」
うーん、これでますますアランさんが俺の中でテンプレベテラン冒険者としてのイメージが固まってきたな。
「そうだったんですか。これはもっとお礼を言うべきでしたか」
俺は笑ってから荷物を受け取り、一応中身を確認する。うん、特に変化はない。
さて、荷物も受け取ってこれからどうしようか……
「あっ、言い忘れていたことがありました」
今後の事を考えようとしたその時に、軽いノリでハンナさんがそう言った。
「どうかしましたか」
「ええと、怪我が治ったばかりで申し上げにくいのですが、お代をいただかないといけなくて」
「お代?」
聞き返してすぐに思い至る。そう言えば、治療費含めて無料ってわけにもいかないか。
「そうでしたか。それで、どれくらいですか?」
この世界で保険に入っているわけでもないし、俺の知識にも相場に関するモノがないみたいだからどれくらい請求されるのか分かんないけど、まぁ大丈夫だろう。
「はい、えーと全部で銀貨二十九枚ですね」
「はい?」
――というわけで、現在に至るわけだが、うん、まぁ、あれだ。特に何も解決しないね。俺は黙って財布の中を見る。俺が得ている知識の中でこの世界の通貨は金貨、銀貨、銅貨の三種類を基本としていることを分かっている。銅貨二十枚で銀貨一枚、銀貨十枚で金貨一枚分の価値があるという知識も俺の中にある。
さて、それを踏まえた上で俺は今いくら持っているのだろうか?
俺は急いで中身を確認する。
金貨が二枚、銀貨が八枚、銅貨が二十枚……うん、払うことは出来るけど、えっこれ支払うと俺文無し?
バッと顔を財布から上げハンナさんの顔を見る。すると、申し訳なさそうな顔で目を逸らされた。恐らく今俺はとても情けない顔をしていて、それで俺の財布の事情を察したのだろう……
「……少しまけてもらう事って出来ます?」
「すみません、それは出来ないんです」
「あっ、そうですよね……」
暫しの間無言の時間が過ぎ、俺は財布の中身を全て出す。
「ありがとうございます」
そう言って、彼女は硬貨を全て確認し、カウンターの脇に置いてあった何かの紙にサインしてから硬貨をカウンターの下から取り出した袋に入れて仕舞った。
「あの……」
「はい、何でしょうか?」
「僕が何に対して支払ったのかその内訳を聞いてもよろしいでしょうか?」
「勿論です」
そう言って彼女は先ほどサインした紙をこちらに渡そうして、一旦手を止めた。
「あっ、そういえばカズオさん、読み書きは出来ますか?」
おずおずといった感じに訊いてくる。
言われて俺はまだこの世界の文字を見ていないことに気づいた。俺は彼女が渡そうとした紙に視線を落とす。
一目見てそれが『カラム語』だということが分かった。
「あー読める?……みたいですね」
自分のことながら何故か疑問形になってしまった。まぁ、一度も見たことない文字にもかかわらず読めるという感覚が若干気持ち悪くてそういう声が出たんだと自分を納得させる。
俺がそう言うとハンナさんは驚きと好奇心とが混じったような目で「そうですか」と言いながら紙を渡してくれる。どうしたんだろう?まあいい、それよりも今はコレだ。
どれどれ、えーと、『救出料:銀貨七枚』、これは妥当な金額だな。アランさんが危険を冒してまで俺をスライムから助けて荷物と一緒にここまで運んでくれたのだから。
次に『宿代:銀貨一枚』・『荷物預かり代:銅貨十枚』・『服の貸し出し:銅貨五枚』・『服の洗濯:銅貨五枚』、この四つもまあ、分からなくはないな。むしろこれくらいの金額なのは良心的なのだろうか?比較できる対象がないから分からないけど。
それで最後が『お布施:銀貨二十枚』っと……高すぎない?
えっ、えっ、どういうこと?お布施代ってことはこれは俺の治療費か?それが銀貨二十枚?これって適正価格なの?
「あの、このお布施代って……」
つい、ハンナさんに訊いてしまう。
「あっ、それは回復魔法の行使回数一回につき銀貨二枚と決まっていまして……」
ココだけの話という感じでひそひそと彼女が言ってくる。なるほど、治療に感謝するお布施ってことだけど実際はちゃんと価格設定しているのね……って待てよ?
それを聞いて俺の中のモヤモヤが一気に晴れた。そうか、俺に対して効果をセーブして行使された十回の回復魔法!あれって本来なら一回で十分なのにわざと能力を抑えることで行使する回数を意図的に増やしてその分俺に請求してきたってわけか!
頭の中でザカリアス司教の俺に向けてきた笑みの正体が分かったぞぉ!アレは慈悲の笑みじゃなくてカモを見る目だってことか!
くそぉぉぉぉぉ!何が「神の御心のままに」だ!こんなの違法に決まって……
そんなこと言っても今の俺にどうこう出来るわけじゃないか。相手は街の司教、それにあんだけ太って高そうな指輪をしてるってことは今までもそうやって儲けてきたんだろうから素寒貧の俺じゃあ逆立ちしたって敵いっこねぇか……
「あの……大丈夫ですか?」
ガックリと肩を落とした俺を見て心配そうにハンナさんが声を掛けてくる。
「あっ、いえ、別に大丈夫です……」
そう言って俺は力なく渡された紙をハンナさんに渡し、フラフラとその場を立ち去った。
「あっ!あの!」
背後からハンナさんに呼び止められ俺は振り返る。
「もしも、ギルドをお出になるのであれば服を返却してください」
「あっ、ハイ」
もう、そう答えるしか俺にはなかった。
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