第98話
受付嬢のクロエは困惑していた。
もう冒険者ギルドに勤めて10年以上になる彼女は、今までこんなタイプの冒険者を見たことがなかった。
その男は、おそらく歴史に刻まれることになるであろうイスガルド防衛戦争の少し前にふらりとこのギルドにやってきた。
年齢はおそらく30歳周辺ぐらいだと思う。
見慣れない顔立ちでやたらと腰が低そうな人というのが第一印象だった。
(こんな年齢で何をしにきたのかしら…この人)
男の年齢は、冒険者になるにはあまりに遅すぎるように思えた。
普通冒険者を志すものは、遅くとも10代後半にはギルドで登録を済ませるものだ。
もうベテランと呼ばれてもいい歳になって初めて冒険者登録をするものは本当に稀だった。
(多分すぐに現実を知って諦めるでしょう…運が悪ければモンスターとの戦闘で命を落とすか
も…)
クロエは男の冒険者活動が長続きするとは思っていなかった。
おそらく冒険者という職業に夢を見てやってきたのだろうが、現実はそこまで甘くない。
まず稼げるようになるまでにかなりの下積みが必要だ。
冒険者は、ギルドで冒険者登録を終えて資格をもらっただけでは稼げない。
最初は誰しもが地味で金にならないクエストをいくつもこなし、冒険者ランクを上げなければならない。
まともに食っていけるだけの金が得られるランクに到達するまでに半年はかかるだろう。
もうあまり無理をすることもできないような歳の男が、この苦行に耐えられるとはとても思えなかった。
そして仮に下積みを終えてかろうじて食っていけるだけの冒険者ランクに到達したとしても誰もおっさんとパーティーを組もうとは思わないだろう。
冒険者ランクを上げるには、相当な実力がない限りパーティーを組まなければならない。
ソロ活動は危険だ。
不測の事態が発生した時に対処が間に合わず、命を落とす可能性が高くなる。
ゆえにほとんどの冒険者がパーティーを組んで活動している。
しかし若者中心の冒険者界隈において、歳を食ったものは避けられる傾向にある。
最近このギルドに来たばかりのあまり素性もしれないおじさんとパーティーを組む若者冒険者はおそらく現れないだろうと思われた。
それらの理由から、クロエはこのおっさんの冒険者生活は長くは続かないと読んでいた。
そして、クロエの予想は外れた。
「どういうこと…?一体どんな手を使っているの…?」
クロエの予想に反し、男は信じられないスピードで冒険者ランクを上げていった。
普通の冒険者が何年もかかるようなランク上げを、わずかな期間でやってのけた。
上級者パーティーのクエストに臨時メンバーとして加わるという荒技を使って。
「何者なの…?貴族?大商人…?一体どんなコネを使ったのよ…」
クロエは男がパーティーを組んだ冒険者パーティーのリストを見て目眩がしそうだった。
揃いも揃って上級冒険者パーティー。
このギルドの稼ぎ頭、主力と捉えられているような名だたる冒険者たちばかりがそこにずらりと並んでいた。
男は、この街にいる人間なら誰でも一度は聞いたことがあるような有名な冒険者たちと当たり前のようにクエストに赴き、ギルドの貢献度評価システムを最大限に利用して嘘のようなスピードで冒険者ランクを上げていた。
こんな冒険者はクロエは今までに見たことがなかった。
こんなにたくさんの上級冒険者たちと臨時でパーティーを組めるなど、一体どのような繋がりを持っていたらこんな芸当が可能なのだろうか。
クロエはあり得ないと思いつつ、男が大商人の御曹司、あるいは身分を隠した貴族ではないのかと疑った。
男とクエストを共にした冒険者パーティーにそれとなく探りを入れてみたこともある。
しかし、なぜか冒険者たちからはあまり要領を得ない答えが返ってくるだけだった。
皆が男をパーティーに加える理由を隠しているように見えた。
あまり冒険者の事情に立ち入るのは受付嬢としていかがなものかと思い、クロエはそれ以上探りを入れるのをやめた。
男はあっという間にBランクへと到達した。
クロエは気がつけばギルドにいる時の男の姿を目で追うようになっていた。
事務作業を捌きながら、チラリと酒場の方へ視線を送る。
そうすると大抵男はそこでラーズというこのギルドの名物老人と酒を飲んだり食事をとったりしていた。
たまに女の冒険者に話しかけられた男がデレデレとした表情をしていると、なぜだかちょっとムッとする気がした。
なぜかはわからない。
だが男にはクロエを惹きつけて離さない何かがあった。
「あ…きた…!よかったぁ……ふぅ」
イスガルド防衛戦争の後。
男はしばらくの間ギルドに姿を見せなかった。
ひょっとして戦争で命を落としてしまったのだろうか。
あるいは街をさってしまったのだろうか。
そう思ってクロエは心配になったのだが、男は戦争から一か月ほどがたって何事もなかったかのようにまたギルドに姿を見せるようになっていた。
男が死んだわけでも街をさったわけでもなかったと知ってクロエはほっとした。
「このクエストを受けたい。手続きを頼む」
「は、はい…!」
冒険者活動を再開した男は、どうやらソロでの活動を始めたようだった。
Bランクになり、もうソロでも十分実入りのいいクエストを受けられるようになったのが理由だろう。
クロエは今までパーティーでの活動が主だった男がソロでクエストを受けることに不安を覚えた。
「ソロのクエストは危険ですよ…?大丈夫ですか…?」
「問題ない。手続きを頼む」
「し、しかし……ソロとパーティーでは危険度が全然違ってですね…ソロだと不測の事態に対処でいなくて死亡率が…」
「…?別に規則違反ということじゃないですよね?俺はソロでクエストを受けられる状態のはずですが」
「も、もちろんそうなのですが…」
あまりに男が心配だったのでクロエは、気づけば自分の立場を忘れてソロのクエストがいかに危険かを男に力説していた。
だが一端の受付嬢に、冒険者に対してあれこれ指図するような権利も義務もない。
明らかに受付嬢の業務の範囲を逸脱したクロエの行為に、男は怪訝そうな表情を浮かべ、周りの先輩受付嬢は呆れたような視線をクロエによこした。
結局男はソロでのクエストに出ていってしまった。
クロエは心配そうな表情でその後ろ姿を見つめ
る。
「なに、クロエ。あの男が好きなの?」
「…っ!?べ、別にそんなんじゃ…」
「隠さなくてもいーの。クロエ、いつもあの人のこと見てるもんね」
「…気づいてたの?」
「そりゃ気づくよ。あれだけあからさまだったら」
受付嬢たちがくすくすと笑い、クロエは恥ずかしくて顔を赤くした。
自分はあの男のことが好きなのだろうか。
わからない。
だが親近感が湧いているのは確かだった。
男にはなぜか不思議な魅力があった。
今までどの冒険者にも抱いたことのない感情をクロエは男に対して抱いていた。
(どうか無事でいてください…)
クエストに失敗してもいい。
命を落とさず無事に返ってきてほしい。
そんな祈りをクロエは冒険者の神様に捧げた。
「クエストを終えてきた。換金をお願いできますか」
「…っ!?」
果たしてクロエの祈りが届いたのか、男は夕刻になってギルドに戻ってきた。
クロエが想像だにしなかったとんでもない戦果と共に。
〜あとがき〜
近況ノートにて3話先行で配信中です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます