第70話


軍を率いる立場のアリシアが怪我人としてここにやってきたという時点で、何か異常事態が起こったと考えるのが妥当だ。


アリシアの傷は放っておけば命を落としかねないほどに重傷だった。


統率役の彼女がそれほどの怪我をするということは、敵勢力から与えられた被害がよほど大きかったのかと俺はそんな予測をしていた。


アリシアはしばらく口を閉ざして悲痛の表情を浮かべていたが、やがて重々しい口調で語り出した。


「話さなければなりませんよね……我が軍を率いる将として……私にはその責任がある…」


「な、何があったんですか?」


「申し訳ありません。我が軍は今回の戦で、負けるかもしれません」


「…っ!?」


いきなりの衝撃発言に俺は驚いてしまう。


アリシアの表情は相当深刻だった。


「えーっと……自分、全然戦況とか知らないんですけど……相当まずい感じなんですか…?」


俺はずっとこのテントで怪我人の治療を行っていた。


それがこの戦争で俺が最大限役に立てることだと思ったからだ。


基本的に戦況などは聞かされておらず、ひたすら治療を続けてきた。


怪我人の多さから戦闘が激しいことはなんとなく察していたのだが、まさか我が軍は負けかけているのだろうか。


「最初はうまくいっていたのです。おそらく、あなたの働きも寄与して我が軍は防衛ラインを維持することができていました…」


アリシアの話では、つい十数時間前まで戦況はイスガルド防衛軍優勢だったらしい。


カナンの街を占領しようと侵攻してきたシスティーナの軍隊を、防衛軍および冒険者たちは協力して何度も返り討ちにしていたらしい。


数はシスティーナの軍隊の方が上だったが、防衛ラインはなんとか維持されてきた。


日を経るごとにシスティーナの軍隊の勢いは落ちてきて、イスガルド防衛軍が優勢になってきた。


このままいけば、カナンの街の防衛は成功するというのが大方の見方だったらしい。


「ですが……最悪の事態が訪れてしまいました……勇者が、現れてしまったのです」


「勇者…」


その二人はなんの前触れもなく戦場に現れたらしい。


アリシア曰く見たこともない魔法爆発によって兵士数十人が一気に吹き飛ばされたらしい。


イスガルド防衛軍は、ちょうど突撃作戦に失敗し、敗走したシスティーナの軍隊を追い詰めている最中のことだった。


そこへ勇者二人がいきなり現れ、戦況をひっくり返したらしい。


兵士も冒険者たちも、なすすべなく撤退を余儀なくされ、ただ一人戦いを挑んだアリシアも勇者二人にやられてしまったらしい。


「どうしてたった一人で戦いを挑んだのですか?」


「私は戦を率いる将です。逃げるわけにはいきませんでした……それに、勇者の末裔としての役目を果たすのなら、ここしかないという思いもありました」


「勇者の末裔…?」


「あなたが素顔を見せてくれたのですから、私も話さなければなりませんね。自分の身の上を」


そうしてアリシアは自分の身の上について語ってくれた。


彼女がこの年齢、そして女という性別でありながら戦を率いているのは、ひとえに彼女が勇者の末裔の一族であるのが理由らしい。


かつて魔族が大陸で猛威を振るい人類が追い詰められていた頃、異界から召喚された一人の勇者が世界を救ったらしい。


その勇者は世界を救った後、この世界の住人との間にたくさんの子供をもうけた。


アリシアはその勇者の子供の末裔の一人であり、ただ一人勇者の力を一部引き継いだものらしい。


その力は、勇者が世界を救った後に残していった聖剣の力を引き出せるというもの。


勇者が世界を救うために召喚したと言われている聖剣の力は凄まじく、その力を引き出せるアリシアは、これまで一対一の戦いで負けたことがなかったほどだったらしい。


「私は役目を果たせませんでした。勇者二人に手も足も出ずに負けてしまいました……聖剣も奪われました。勇者の力は圧倒的でした。かすり傷ひとつ負わせることができませんでした」


だが、そんなアリシアを持ってしても勇者には手も足も出なかったらしい。


彼女はあっけなく負け、聖剣は奪われ、死ぬ寸前まで追い詰められたらしい。


殺されなかったのは単に勇者の気まぐれだったと、アリシアは悔しげに語る。


「私たちは……負けるかもしれません。現状、防衛軍に勇者二人に対抗する術がない。王都で耳にした噂が現実になってしまいました」


「…」


アリシアはこの街に来る前、王都で勇者の噂を耳にしていたらしい。


システィーナがカナンの街侵略のために、勇者を召喚し、戦争に投入するかもしれないと。


出来るだけそのことについて考えないようにしていたらしいのだが、勇者が敵にまわるという最悪のケースが現実になってしまった。


アリシアは、イスガルド防衛軍に勇者に対抗する術はないと悔し紛れに断言した。


「あなたは逃げた方がいいかもしれません……間も無く侵攻軍が勇者と共にここへ到達するでしょう。そうなればあなたは命を落とすか……捉えられて戦争に利用されるかもしれません。そうなる前に逃げた方が…」


「俺は逃げませんよ」


逃亡を進めるアリシアに俺はキッパリと言った。


「え…」


呆気に取られるアリシアに俺は真剣な眼差しで言った。


「ここに残って戦うって決めたので」


「そう、ですか…」


アリシアが微笑した。


「少し、心強いと思ってしまいました……うふふ。ごめんなさい。こんな状況なのに笑ってしまって」


「いえ…別に構わないんですが。その、あんまり思い出したくもないと思うんですが、勇者はどんな奴らでしたか?」


「勇者ですか?ええと……とにかく強くて、動きも早くて、魔法の威力も桁違いで…」


「いえ、そうじゃなくてですね……強さとかよりも見た目が気になりまして…」


「見た目?」


首を傾げながらも、アリシアは戦場で見た勇者の見た目を教えてくれた。


「…」


そうだよな、とそう思った。


アリシアの教えてくれた勇者の見た目の特徴は、俺と一緒に召喚されたあの大学生カップルと完全に一致していた。


もしかしたら人違いかもしれない。


そんな可能性は完全に消え去った。


システィーナに利用され、戦場で防衛軍を殺したのはあの二人なのだ。


「だいたいこんな感じの見た目でしたね…」


「そうですか…ありがとうございます。えっと……質問ばかりで申し訳ないんですが、勇者がこの街を狙う理由に心当たりってあったりします?」


「街を狙う理由ですか?」


「はい。勇者は異界人なわけですよね?特にこの街に恨みとかはないと思うんです。だから、どうして向こうの王女に協力するのか気になって…」


「どうなのでしょう……はっきりとした理由はわからないですが……戦場であった時に、魔族の協力者がどうとか、そんなことを言っていたような気がします」


「魔族…」


やっぱりあの二人は、こちら側が魔族の仲間だとシスティーナに信じ込まされているのだろうか。


傲慢で支配的な性格を利用され、イスガルド防衛軍は人類の敵だと思わされているのだろうか。


だとしたら……もしその勘違いを解けば、この戦争を終わらせることが出来るだろうか。


「あの…どうしてそんなことが気になるのですか?」


「いえ……ちょっとした興味本位です」


自分が今やらなければならないことが、見えた気がした。


だが、出来るだろうか。


回復魔法しか使ってこなかった俺に、あの二人の説得が。



〜あとがき〜


近況ノートにて3話先行で公開中です。

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