第50話
カナンの街を含む国、イスガルド王国。
湖のほとりに立つ美しい王城、その執務室で、イスガルド王国の現国王、カムル・イスガルドが従者からの報告に悩ましげな表情を浮かべていた。
「と言うことはあの女が我が国に戦争を仕掛けてくるのは確実と言うことか」
「はい。明らかに戦争の準備をしている兆候があります。どんなに遅くとも一月以内、早ければ2週間以内に我が領土に攻めてくるかと思われます」
「そうか…」
カムル・イスガルドは表情を厳しくする。
従者からの報告の内容は、隣国のムスカ王国を実質的に支配しているシスティーナ王女がまたしてもイスガルドの領土に攻め入る準備をしていると言うものだった。
これまで幾度となくシスティーナはイスガルドの街へと侵攻を繰り返してきた。
その度にカムルは、周辺諸国へと協力を呼びかけ、現地の戦闘職にも協力を仰ぎ、なんとか防衛戦を戦って領土を守ってきた。
しかし、支配欲旺盛のシスティーナはまだイスガルドへの侵攻を諦めていなかったようだ。
またしても兵力を増強し、戦争の準備を整えていると言うことだった。
「狙われているのはまたカナンの街か」
「ええ、おそらくそうだと思われます」
「やはり狙いはダンジョンか……あの女め。我が国の要衝を落とし、資源を根こそぎ奪う気だな」
「それが目的だと思われます」
システィーナがイスガルドへ侵攻してくるとすれば、場所は当然カナンの街だろう。
カナンの街にはイスガルドに莫大な富をもたらすダンジョンがある。
戦略的な要衝でもあるカナンの街は、イスガルド側にとっては非常に厄介なことにムスカ王国との国境沿いにある。
ここを落とせば、なし崩し的に周辺の街もシスティーナの軍の手に落ちてしまうだろう。
資源を守るために、そして何よりも国民たちを侵略者から守るために、カムルは王として絶対にカナンの街を守る必要を感じていた。
「あの街は絶対に守らなければならん……すぐに周辺諸国へと協力を要請しろ」
「はっ」
数人いる従者の一人が、命を受けて執務室を退出した。
カムルは、周辺諸国からの援軍を信じて、望みをかけるように退出する従者の背中を見送った。
カナンが戦争好きのシスティーナ王女の手に落ちれば、戦争の原資を提供したも同然だ。
そうなれば、ムスカと国境を接しているすべての国にとって不利益となりうる。
そうならないためにも、周辺諸国はカナンの街防衛戦に必ず協力してくれるはずだとカムルは願望も含めて信じていた。
「大義は我々にあるのだ……きっと周辺諸国は我々の側についてくれるはず……前回の侵攻から我々も兵力をさらに増強している……そう簡単にあの街を明け渡すものか…」
カムルはシスティーナが決して他国に対する侵略を諦めたりしないことは理解していた。
彼女のとめどない支配欲に早い段階から気づき、対処するには融和などではなくこちらも兵力を増強し、真っ向から立ち向かわなければならないことを知っていた。
だから、前回の侵攻からさらに兵力を増強していた。
重大な犯罪を犯したものなどをやむなく兵力に組み入れ、民に負担をかけるのは申し訳ないと思いながらも、税の徴収も増やした。
民の生活が苦しくなるのは心苦しいが、国がなくなって仕舞えば、もっと最悪な状況に追い込まれるのは明白だった。
幸いなことに、先代の王の民思いの統治のおかげで、民は事情を理解しており、税率を上げたことに対してそこまで不満の声は上がらなかった。
あるいは、戦争好きのシスティーナの支配下に入れば、自分たちの運命がどうなるのか、理解していたのかもしれない。
ともかく、そんな国民たちの協力もあってシスティーナの軍を迎え撃つ準備は予め整っていたのだ。
「王よ…失礼ながら……一つお耳に入れておかなければならないことが…」
「なんだ?」
カムルが必ず防衛戦争に勝たなければならないという意志を固めていると、従者が少し苦しそうな表情で言った。
「あの王女が……勇者召喚を行ったという噂があります…」
「何…?」
カムルは一瞬耳を疑った。
「今なんといった…?」
「まだ事実かどうか、判然とはしません。ですが……これはすでに国民の間で囁かれていることでもあります。ムスカの王家が勇者召喚を行った可能性があります。そして勇者を戦争に利用しようとしている、とも」
「…まさか、あの女か?」
「はい…おそらくシスティーナ王女が黒幕かと」
「…」
カムルは呆然とする。
まだ正確な情報は掴めていない。
しかし、あの女ならやりかねないとカムルは思った。
勇者召喚。
それは本来、人類に危機が訪れたときにのみ古来から行われいてた最後の手段。
異界から人間を呼び寄せ、彼らの強大な力によって人類共通の敵を打ち砕き、生き延びるための救いの一手。
勇者召喚には莫大な費用と人命がかかるのだが、王族などの強い権力者にはそれが実現可能だった。
しかし勇者召喚には暗黙の了解があり、私利私欲のために行ってはならないというルールがあった。
過去に、私利私欲のために異界人をこの世界に呼び寄せたものたちがいた。
そう言うものたちはことごとく異界人の制御に失敗し、王族と人々に大きな厄災をもたらす結果となった。
そもそも勇者召喚とは、異界人をこの世界の都合で勝手に呼び出す非道な手段。
ゆえに、人類に本当の危機が訪れた時以外は決して行うべからずという、禁忌の手段として封じられてきたはずだ。
その暗黙のルールを、こうも簡単に破る王族が現れるとは。
しかも人類同士の争い、自分の勢力圏を広げるために、勇者を利用するなど、非道も非道、言語道断の行為だった。
「だが……あの女ならあり得る……あの女は悪魔だ。自分の欲望を満たすために手段は選ばんだろう…」
自分や他の国の王族の常識からしたら考えられないような非道な手段でも、あの女ならやりかねないとカムルは思った。
システィーナは自らの旺盛な支配欲を満たすためなら手段を選ばないだろう。
何度もカナンの街を攻めようとして失敗し、痺れを切らして勇者召喚という禁忌の手段に訴えたのかもしれない。
「まずい…非常にまずいぞ……もしあの女が本当に勇者を召喚し……万一飼い慣らして戦場に投入してくるなんてことがあったら……我が軍はおしまいだ…」
勇者の力は絶大だ。
その力はたった一人で戦局を変えてしまうほどの力がある。
仮にシスティーナが戦場に勇者を投入してきた場合、イスガルドとその他諸国の軍隊は、システィーナの軍隊の前に敗れることになるだろう。
「王よ…どうしますか?万一の場合には、こちらも勇者召喚で対抗を」
「そんなことできるわけないだろう!あの女の同じところまで身を落とすつもりはない!」
国を思って出た言葉だと分かっていても、カムルは従者の軽率な言葉を看過できなかった。
「も、申し訳ありません…」
「いや、すまない……いいのだ。お前が国を思ってくれているのは分かっている…」
カムルはため息をついた。
仮に勇者召喚を行うとしても、召喚した勇者がこちらの命令に従うとは思えない。
自分が戦争に利用されるだけの道具だと知ったら、こちらに牙を剥いてくるかもしれない。
勇者の力を持って内からも外からも狙われる。
それこそ最悪の悪夢というものだ。
カムルはそう考え、勇者召喚で対抗するという策を頭の中から完全に打ち消した。
「とにかく戦力の増強に力を注ごう……報奨金を出すのだ……戦争に参加する戦闘職のものたちに対して……それから、此度の戦争で多大な戦果を上げたものには特例として、爵位を用意する。そのように伝達しろ」
「良いのですか?」
従者が驚いた顔でカムルを見る。
確かに、度重なる防衛戦争でイスガルドの国庫はすり減っていた。
だが今はなりふり構っている場合ではなかった。
「背に腹は変えられない。国がなくなるよりマシだ。そのようにしろ」
「はっ」
命を受けた従者が出ていく。
「はぁ…」
精神的疲労を感じたカムルは、椅子の背に身を預け、重いため息をつくのだった。
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