第20話


貧民街の奥まったところにイレーナの根城はあった。


中へ入ると、そこで獣人の少女が寝かされていた。


おそらくこの子がイレーナの妹だろう。


顔がよく似ている。


「これが…?」


「あぁ…私の妹だ」


俺は改めて毛布の上に寝かされているイレーナの妹を見た。


寝顔はとても苦しそうだ。


体のあちこちに赤い斑点があって、一眼でなんらかの病気に罹っているとわかる。


体は痩せ細っていて、骨ばっている。


病は相当深刻らしい。


「これは獣人病と呼ばれる私たち獣人たちだけがかかる病気でな…」


「ああ」


「治せないんだ…私たち獣人の治療技術じゃ…」


「ああ」


「だから人間の街に来た。そして一番腕のいい治癒魔法使いの居場所を聞いた。私は妹と共に神殿を訪れたんだ」


「…」


なんとなくその先が読めた気がした。


その時のことを思い出したのか、イレーナが表情を顰める。


「金貨100枚を要求されたよ。当然、人間の街に来たばかりの私には払えない……なんとか治療費を下げてくれと懇願したがダメだった。金がないなら話にならないと放り出された」


「…そうか」


ぎゅっとイレーナが拳を握る。


「私は途方に暮れた。妹の病気はひどくなるばかりだ。とても金貨100枚を稼ぐ時間はない。けど、生半可な治癒魔法じゃ獣人病は治せないんだ…だから…」


「もしかしてそれで犯罪を?」


「ああ」


イレーナが頷いた。


「ギルドに忍び行って金を盗もうとしたんだ。ギルドは冒険者の金を預かって管理している。それに手をつけようとしたんだ。その結果、私は捕まって、奴隷になった」


「…そう言うことだったのか」


イレーナが奴隷になるような犯罪に手を染めたのには理由があったのだ。


この子は根っからの悪人ではない。


初対面の時の俺の直感は当たっていたと言うことか。


「もう妹は自分で立って歩けないほどに衰弱している。このままだと……持ってあと半月といったところだろう…治療が必要だ…一刻も早く…」


イレーナが俺を見た。


それから地面に膝をつき、俺の手を握ってくる。


「頼む…妹を助けてやってくれないか。なんでもする。私に出来ることならなんでも」


「ああ」


「妹が助かったら……この身はお前に捧げる。お前の奴隷になったっていい。頼む……お前の力で妹を助けてくれ」


「わかったよ」


俺は潤んだ瞳で俺を見上げ、懇願してくるイレーナに頷いた。


「俺の魔法で助かるかはわからないが…出来ることはやってみる」


俺はイレーナの妹に手を翳した。


そしてこれまでたくさんの戦闘職の人たちにそうしてきたように、治癒魔法を唱えた。


イレーナの妹の体が光に包まれる。


体のあちこちに出来ていた斑点が次第に引いていった。


イレーナが大きく目を見開く。


「ほぅ」


俺は安堵のため息を吐いた。


どうやらうまくいったようだ。


「すぅ…すぅ…」


イレーナの妹の寝顔が一気に安らかになる。


とても心地よさそうだ。


「あう…あぁ…」


イレーナが妹に優しく抱きついて涙を流す。

「ありがとう…ありがとう……妹を助けてく

れて…本当にありがとう…」


「役に立てたようで良かったよ」


俺はそういってイレーナに笑顔を向けた。




「礼は何でもする。遠慮なくいってくれ。何が望みだ」


しばらくして。


泣き止み落ち着きを取り戻したイレーナが、俺にそう尋ねてくる。


俺は奴隷にもなるとすらいってみせたイレーナに首を振った。


「いや…礼はいらない。ついさっき命を助けてもらったばかりだからな。それのお返しだと思ってくれ」


「そんな…!待ってくれあれは…!」


「…?」


「そんなの卑怯だ……お前は私の命を二度救った。これでは不平等だ」


「いや、そんなことはない。一度目はただの気まぐれだったからな。恩に感じる必要はない。さっきは本当に助かったし、これ以上イレーナに何かを求めようとは思わない」


「…無欲、なのだな」


「…そうか?」


「人間に対する認識を改めなくてはな。お前みたいな奴もいるのだな」


「褒めてくれているんだったら嬉しいよ」


「も、もちろん褒めているんだ。お前みたい

な人間は初めてだぞ全く…」


イレーナはなんとも言えない表情を作る。


なぜだかチラチラと俺を見て、体をもじもじとさせている。


「どうかしたのか?」


「ひ、ひやっ…別に?」


「…?」


イレーナの様子が変だ。


挙動不審というか、焦っているように見える。


「そそそ、そんなことより……お前っ、これからどうするんだ?」


「これからって?」


「ぎ、ギルドに戻るのか…?もしそうなら、私が護衛としてお前を送り届けて」


「いや」


俺は首を振った。


「ギルドには戻らない」


「じゃあどこへ…?」


「俺は街を出るよ」


「え…」


自分でそう口にして、ズキリと心が痛んだ。


マリアンヌやシエル、教会の孤児たち、マテウス、ギルドの受付嬢さんなど、俺によくしてくれた人たちの顔が思い浮かぶ。


非常に不本意だし、後ろ髪を引かれることことの上ないのだが、それでも決めたことだと自分に言い聞かせる。


「色々考えたんだが、もうこの街にはいられない。潮時だと思ってな」


「どうして…?」


「いつどこで狙われるかわかったものじゃないからな。神官様とやらは多分俺を消すまで諦めないと思う。だから、俺がこの街にいたらいけないと思う」


自分の命ももちろん大事なのだが、何よりもマリアンヌやシエルたちに迷惑をかけたくないという思いが強かった。


もしかしたら彼女たちは、俺が狙われていることを知ったら俺のことを匿ってくれるかもしれない。


でもそれだと、彼女たちまで俺の仲間だと思われ、神官様の手が及ぶかもしれない。


マリアンヌやシエルを危険なことに巻き込むぐらいなら俺が街から消えた方がいいだろう。


「最後にお別れぐらいは言いたかったんだけどな」


「…お前」


気づけば俺はイレーナに抱きつかれて頭を撫でられていた。


頬を伝う何かが、自分の涙だと気づくのに少し時間がかかった。

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