66.愛情なんてやっぱり呪いだ。


 どうしてか平常心をガリガリ削られていく私に反して、余裕たっぷりな天地あまちは変わらない。


「問題が無いなら付き合ってもいいって事か?」


 心臓が跳ねる。その刺すような痛みで、既に早鐘のように脈打っていたのに気付いた。


 呪われたように目を逸らせない。離れようと座り直したいのに、身動みじろぎしか出来ない。


「そ、そんな消極的な動機で、いいのかな。お前はずっと、真剣だったのに……」


「お前だって一生懸命考えての答えだろ? それまでの価値観を変えてでも俺と向き合ってる」


「それは、お前が教えてくれたからだよ。今までの私は、人の話を聞かなかったから……」


 天地あまちは肩を竦めて笑った。


「最大の長所でもあるだろ。俺はお前のそういう所が好きだぜ」


 堪らず持ち上げた右手の甲で口元を隠し、目を逸らした。


 何か決定的なミスを犯した気がした。後ろめたさみたいなものに喉を絞められるような苦しさを覚える。


「……困らせないで。喋れなくなる」


 自分の声が消えそうなぐらいに小さい。コントロールが出来ていない。


「別にいいだろ。以心伝心なんだから。お前もそれで、問題無いんだろ」


 何で私だけこんなに取り乱してる。


 分からない。


 天地あまちはファミレスで見せていたものと同じ穏やかな笑顔なのに、言い訳など許さないような圧力を纏って更に身を乗り出した。


 息が止まる。


 掴まれていた右手を下ろされた。


 私の前髪が、天地あまちの額に触れる。


「散々お預け食らったんだから言ってくれてもいいだろ? 俺が好きってよ」


 心臓の音以外何も聞こえなくなって、今が何時なのかも分からなくなった。


「なっはっは」


 いつの間にか天地あまちは笑っていた。威圧感は消えて、私から離した身体を仰け反らせて。


「冗談だよ。お前押しに弱過ぎるって」


「……え?」


「どうしたらいいか分かんなくなって応じようとしただろ。駄目だぞそんな安請け合いしたら」


「いや、だって……」


「だってじゃねえよ。罪悪感でオーケー貰っても困る」


 天地あまちは何がそんなに楽しいのか、上機嫌に続けた。


「改まって話し出すから何言われるのかとビビったら。真面目過ぎだよ。恋愛よりやりたい事あるから無理って言えば済む話だって。振るのが申し訳無いから合意しようとするってマジ……! 支離滅裂だぞお前? 優し過ぎ。いとちゃんが心配してたのも分かる」


 気に障る事を言われぼうっとしていた頭が冴える。


「……その言葉は嫌いだ」


「でも事実だよ。今の態度見たら全員がお前の事お人好しって言う。あんなに頑固なのに相手の為にあっさりその思想を捨てるって。出会ってまだ一ヶ月も経ってないのに」


「気持ちに時間は関係無い」


「だな。でないとお前も、いとちゃんの為に侍女になる道を選んでない。やっぱり徹頭徹尾お前とは、誰かの為に在ろうとする女だよ。だから好きになった」


 いつの間にか引いていた顔の熱が、僅かにぶり返して来る。


「もう動じないからな。馬鹿にして」


「本気だよ。振られたショックよりその芯の強さに惚れ直してる」


「もういい。この馬鹿。じゃあこの話はもう終わりだからな。帰る」


 立ち上がった。もう天地あまちに目もやらず出口へ歩き出す。


「因みに友達からなら問題無いっていうのは何の遠慮も無い本心なんだよな?」


 釘を打たれたように足が止まった。


 見たい訳じゃないが、どうしてか視線が天地あまちに吸い寄せられる。


 頬杖を突き、こちらを見上げて笑っていた。それは余裕たっぷりにニヤニヤと。 


 天地あまちは腹立つその顔で続けた。


「あれを言ったタイミングでは俺はまだゴリ押ししてなかったし。って事はつまり、お前は男に言い寄られた程度で意志を曲げるようなやわじゃないって証明された上に、その信念のままこの先も在り続けると決めた最高の女って訳だが、俺の好意だけは例外になるかもしれない可能性があるって事だ。その実現は、お前自身の価値観が拒み続けるものとしても」


「だから、無謀だからやめろって言ってるんだろ。もし私が恋だの何だのしてみろ。自己の否定だ。そいつの事しか考えなくなるなんて、望む生き方と逆行してる」


「へえーデレデレになるんだなあ。薄情なぐらいの博愛主義でお兄さんもねて、いとちゃんにさえ一生ものの罪悪感を植え付けたのに」


「あのなあそんな性格の奴が世間なんて知るかってぐらいになるんだぞ。視野狭窄に陥って当たり前……」


 イライラと返していた言葉が詰まる。


 致命的なミスを犯したと気付く。


 失せたばかりの顔の熱が最高温度になって襲いかかって来る。


 当然天地あまちはそれを見過ごさず、それは嬉しそうに言語化した。


「立場もしがらみも無関係な無償の愛なんて受けたら、自分が自分じゃいられなくなる程溺愛する恐れがあるから全然俺には脈アリですって事だよな。『信条に反するのでそう簡単には落ちません』って注釈付きで」


 過去一死にたい気分になった。


 生きてて最も酷い口の滑らせ方をした。


 ああでも、そうだ。


 そもそも出会って一ヶ月も経ってない相手に、十年一緒だったいとにさえ隠していたみっともない本心やら愚痴やらをペラペラ喋った上甘えようとしていた時点で、私とはっくにおかしい。自分のあの頑固さが信じられないぐらい素直過ぎるし無防備過ぎる。いつからそれを是としていたのか、自分ですら分からない。


 愛情なんてやっぱり呪いだ。


 これが恋だと言うなら神経毒の間違いだ。


 正気を砕き破滅へ至る、死すら招きかねない猛毒。


 それでも逃げないと決めたから、精一杯意地を張って天地あまちを睨む。


 そう簡単に折れはしないが、お前の所為で折れるなら悪くないともうに思ってしまっているから。


「……ああそうだよ。性懲りも無くかかって来い。一生ってぐらいあしらってやる」


 天地あまちは不敵に笑い返して来る。


「一生付き合ってくれる気でいるなんて嬉しいな。ああ必ず惚れさせてみせるぜ。今度はゴリ押しせず、正々堂々な」


「あー勝手にしろ。もうどんな目に遭っても沈黙したりしない。全部に向き合うって決めたんだ。ファミレス帰って一人で飯でも食ってろ」


 今度こそ出て行こうと歩き出した。


 公園の隅に植えられている木に止まっていた烏と目が合う。その烏はスマホをくわえていた。


「……えっ?」

 

 間抜け面で声を漏らす私に、烏は嫌らしく目を細める。


「カァ。おーい青春だなあよすがァ」


 烏はそう言うなり翼を広げ、「いいもん録れたからいとにスマホ返しに行こ」と空へ飛び立つ。


 めいだ。末守すえもり八咫烏やたがらす。母の命令で連絡係として飛び回っていたので屋敷に残っておらず、唯一お兄ちゃんの攻撃から生き残ったクソからす末守すえもりが手懐けた最初の一体であるあいつが死なない限り、時間をかければまた殖える。

 

 いやそんなんどうでもいい。いとって言ったか? 録ってたのか? 何で? 私がちゃんと天地あまちに向き合えるか心配して?


 遠ざかっていくめいは上機嫌で喋り続ける。


「こんなんで焼肉奢ってくれるなんていとの奴も太っ腹だなァ。色恋だのに免疫無いよすがの事だから絶対迷走して面白くなるのに、空閑くうがの野郎との予定が被ったから放っとくなんて訳にはいかねえとか何とか……」


「おォい止まれいい加減にしろどいつもこいつもぶっ殺すぞ!!」


 全速力で走り出した。偶然夕陽に向かう格好で。



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