絵描きの集い/マフィアパロディ

@harumikan2101

蛹はいつか変わりゆく。

「早速だけど」

そう軽々と開かれた口に嫌気が差した。

「君達には」

僕のそんな気分がこの人にわかるわけもなく、最大限伝えられるように自分の顔を引き攣らせた。

「この任務に2人で行ってもらうよ」

右手の人差し指と中指で挟んだ紙を皮肉とでも言うように僕に見せつけてくる。

紙に書かれた"一掃"という文字。

予想通り、僕にとっては蟻を潰すよりも簡単な任務になっている。

この人は僕がこの任務に行きたくないことを既にわかっている。

わかっている上でこんな馬鹿げたことを言っているのだ。

つくづく性格が悪い人なのだと理解させられる。

僕の隣に立つみすぼらしい人物が小さく口を開く。

どうせ「了解」とか何とか言う気なのだろう。

そうはさせるかよばーか。

「えーーーー!!!」

こいつの言葉を掻き消すつもりで大声をあげた。

僕の気分も、表情でもわからないのであれば直接口で言うしか手段はないだろう。

「なんで僕が!!」

ほらどーだ。

この僕が必死に否定しているんだぞ。

この人にとって僕という存在がどれほど惜しいか、自分でもわかっている。

「そんなに任務が嫌かい?」

だが小麦はまるで自分には敵なんかいないとでも言うような柔らかい口調でそう言い放った。

任務自体は好きだ。

だがこれほど簡単な任務なんて退屈で堪らない。

どちらかと言えば退屈になる任務が苦手なのだ。

嫌いなんて言葉を使ってしまえばそれは任務自体を嫌ってしまう要因になりうるかもしれない。

「そーじゃなくて!なんで僕がこんなやつと一緒に任務に行かないといけないのさ!!!」

極めつけはこのみすぼらしいガキだ。

髪もボサボサ、前髪で目元が隠れていて、しかもほとんど喋らない無口のネクラ野郎ときた。

無口なんてそれこそ退屈の権化だろう。

小麦がどこかから拾ってきた子犬みたいなものだが、わざわざこの僕と子犬を同じ任務に組み込むなんて有り得ない。

「新人教育も兼ねてるんだ」

「だからってなんで僕なの!」

「教育係に適任だと思ってね」

小麦は「ハハハ」と僕に笑って見せた。

何が笑えるというのか。

僕がその気になればお前なんかすぐ殺せるのに。

僕よりも弱いくせに。

お前の右腕であるひなせにも勝ってんだぞこっちは。

「こんなネクラ野郎のお守りなんて御免だね!!!」

お前も何か言えよネクラ。

まだ一度も任務を経験してないだろ。

怖いなら怖いとさっさと言え。

「みかんも入ったばかりの頃はヒナセに教わったじゃないか」

小麦は悠長にも任務が書かれてある書類を読みながら僕と会話し続けた。

信頼してるということか?僕がお前を殺さないと。

それか余程のお人好しか。

それを考えるとすぐに込み上がった怒りは冷めていった。

「僕をこいつと同じにしないでもらいたい」

小麦はそれを聞いて一瞬僕の方を見た。

だがすぐに書類へと視線を戻した。

「僕こんなネクラじゃなかったし。今も昔も元気だし。それにこいつ、生気も感じられない。生きようなんて意思が感じられないんだよ。新入りだからって優しくするほど僕は心広くないんだよ」

思いつく限りの悪口を言った。

全部こいつに当てはまってるから別に言い返すことも出来ないだろ。

ネクラ野郎も何か言ってくることも無いし。

しかし、小麦は数秒時間を置いて口を開いた。

「まあ、新人だから実質1人だ」

慈悲にも同情にも近いような柔らかい笑みでそう僕に言い聞かせた。

この人には逆らえない。

最初からわかっていたことだ。

素質ある指導者というのは性根が誰よりも強い。

どんなに強い風が吹いても、誰かに掘り起こされようとしても絶対に土から離れることはない強い根。

そりゃ、この僕でも下につきたくなるよな。

「頼んだよ」

軽々しくも重く感じる言葉が吐きかけられる。

隣に立つ人物を横目で睨んだ。

自分とそう変わらない背。

自分と違ってまるで未来を消失した瞳。

自分とは似ても似つかないのに、何故か昔の自分を思い出した。

任務の場所へ行く途中、ネクラ野郎は一言も声を出さなかった。

少し好奇心が疼き、足を引っ掛けてみたりもしたが声は出さずに転びそうになるところを踏ん張った。

「よっわ」

流石に声には出していない。

心の中で思っただけだ。

「ねぇネクラ、お前いくつ?」

今さっき足を引っ掛けたくせにそんなこともお構いなしに話題を振る自分が好きになった。

「え......っと...」

ネクラは手を出して必死に数を数えた。

頭で考えろよ。

頭わっる。

「じ...じゅうは......ち」

「へぇ近いじゃん、僕19」

ネクラは表情を変えることはなかった。

もっと喜べよ、この僕が話しかけてやってんだからさ。

「生まれは?あ、今時自分の生まれ知らない奴の方が多いか、悪い悪い」

もっとも、悪いなんて微塵も思ってないけど。

裏世界に入るぐらいだ、どうせスラムとかそこら辺だろう。

「育ちは...コン...テ地......区...」

ほらビンゴ。

僕って頭良〜。

コンテ地区なんてそれこそスラムの中のスラムだ。

ウジが湧いてる死体なんて10歩も歩けばすぐに見つかる。

だが住んでる人間のほとんどは栄養失調や伝染病なんかでかなり弱っているおかげで暴力や喧嘩もほとんどない。

まぁ、スラムの中なら一番治安は良い方かもしれない。

「僕はシトラス地区〜。どうよ結構良いでしょ」

シトラス地区もそれこそ昔はスラムの1つだったが、数年前から工業化が進み、今では裏世界の首都とまで呼ばれるほど発展した地区だ。

僕って勝ち組なんだなとつくづく思う。

このネクラ野郎が可哀想に見えてくるよ。

「そう...ですね......」

ネクラ野郎はそう言ったきり口を開くことはなかった。

なんだ、つまんねーの。

もっと羨ましがってもいいのに。

どうせなら僕を楽しませるようなことでもして見せろよな。

そんな意味の無い会話をすればすぐに任務場所に着いた。

目の前にあるのはコンクリートで作られた三階建ての建物。

どうやらここを拠点にしている連中がうちの組の金を横領、更には小麦の名を使ってここら一帯の島から勝手に金を徴収しているとのこと。

「内部の情報は1階に下っ端が数名。5人といったとこかな、多分護衛みたいなものなんだろうけど。ネクラはこいつらの相手ね。僕は2階と3階の奴ら散らすから」

「......はい」

やけに自信のない返事だ。

まさかとは思うがこのネクラ、人を殺したことがないのか。

人も殺したことがないのによくこの世界に入る気になったな。

ネクラ野郎はスーツの中に隠していたナイフを取り出した。

こんなやつに近距離戦闘なんてできるのか。

僕の頭には一抹の不安がよぎった。

こんな簡単な任務もこいつのせいで失敗するのかと、そのことで頭がいっぱいになった。

「人を殺したことは?」

「あっ......な...い......です」

「殺せんの?」

「.........でき...ます...」

腹が立つ。

なんでこいつは自分で出来もしないこと全てをそう了承するのか。

拒否でもすれば解雇されるとでも思ってるのか。

僕がリーダーならすぐにそうしてるだろうが、生憎この組のリーダーは小麦だ。

小麦ならそんなことをするはずがない。

あの人は自分の目を信じている。

それなら僕も彼女の目を信じるしかない。

僕は後ろ髪を結び、スーツの内ポケットから拳銃を手に取った。

小麦からのお下がり銃だ。

「ほとんどは僕が殺る。お前は1人ぐらいは自分で殺れ」

ネクラは返事をしなかった。

そう高くもない目標だ。

1人殺すぐらいなら誰だってできる。

素人にとっては丁度いい目標にはなるだろう。

「行くぞ」


1階の敵は粗方僕が片付けた。

拳銃で撃ち殺すだけの簡単なシューティングゲームではつまらないと思い、利き手と逆の左手で撃っていた。

そのおかげで弾ブレが激しかったが、命中率は十割を下回ることはなかった。

しかし意外と人が多かった。

5人という予想は大きく外れ、実際は12人だった。

だが僕には関係ない。

人が増えようが所詮下っ端だ、僕の敵になるわけがない。

入念に準備した手間が無駄になってしまった。

だが問題は別にある。

「待ってくれ!!!」

1階に響き渡るほどの醜い死に際の命乞い。

12人中11人は僕が殺した。

つまりこの声をあげている奴が12人目だ。

「金でも情報でも!!なんでもやるから!!!」

そいつの上にはネクラ野郎が馬乗りになっている。

殺している間、横目でネクラを観察していたが、意外と良い動きをしていた。

相手の銃口を逸らし、一瞬の隙を突いて相手の手から銃を離し押し倒していた。

しかしそこから状況が変わることがない。

躊躇しているのか。

この人の血の匂いと埃で充満しているこの空間でまだ躊躇する余裕があるのか。

それとも、まだ倫理観が残っているのか。

くだらない。

「命だけは!!!」

こんな醜い人間を前にして慈悲をかける必要なんてあるわけがない。


自分は何も役に立てていない。

したことといえば先輩が殺した人間の返り血を浴びただけだ。

せめてこの人間だけでも殺さなければ、今度こそ自分は捨てられる。

だが、もしこの人にも家族がいるのだとしたら?

この人は下っ端で上の人間がやっていることはあまりわかっていない可能性もある。

仮に知っていたとして先程情報でもなんでもと言っていた。

情報を持っている。

この人を殺せば手に入れることができたはずの情報が自分のせいで機会を失うことになる。

まずは先輩にこいつを殺していいか聞いて、それから......それから殺せばいい。

一瞬、先輩の元へ視線をズラした。

先輩は自分を見ていた。

殺すなということだろうか。

いや、先輩は笑っている。

まるでこの状況を楽しんでいるように見える。

そういえば任務内容はこの建物にいる人間の一掃だ。

つまり生かせば任務の失敗。

それだけは避けたい。

覚悟は決まった。

わかっていたことだ。

この世界にいる限り、人の命を奪う機会なんていつか必ず来る。

その機会が今なだけだ。

両手に思い切り力を込めた。

これしきの力でナイフが変形することはない。

力を込めたまま腕を振り上げた。

その瞬間、自分の決心が揺らいだ。

これから自分が人を殺すという現実が自分を襲う。

動け動け動け。

動かなければ自分が死ぬ。

視線を感じる。

先輩の視線。

先輩は一体どれほどの人間を殺してきたのだろう。

息を吸うように引き金を引き、吐くように弾を頭に貫通させていく。

自分もいずれそうなる。

腹を括れ。

握りしめられたライフを思い切り振り下ろす。

バンッッッッ!!!!!!!!!!!

それと同時に熱くも冷たくも感じる銃声がこの空間に響き渡った。

振り下ろそうとした腕はいつの間にか止まっていた。

それはそうだ、振り下ろす理由がなくなったのだから。

先程まで命乞いをしていた目の前の人間は頭から血を流しているだけで動くことはない。

何度も嗅いだことのある、生々しい生き血の匂い。

いつまでもこの匂いには慣れることが出来ない。

それに混ざる、独特な火薬の匂いがする。

「遅すぎ」

そう言って先輩は2階へと続く階段を登って行った。

先輩は笑っていた。人を殺めたのに。

いや、殺めたからこそだ。

自分が殺すことができなかった人間をいとも容易く殺してみせた先輩は優越感に浸った顔をしていた。

そう考えると自分に劣等感を抱いた。

寒気がするほどの劣等感でその場から動くことができなかった。

「誰だお前は!!」

遠くから声が聞こえる。

「銃声もお前の仕業か!!」

また違う声色が遠くから聞こえる。

かと思いきや銃声が遠くで響き渡った。

6発だ。2階には6人いたのか。

声も聞こえなくなった。

微かに聞こえるのは階段を上がる足音だけだ。

ついには声が聞こえることはなく、先程よりも小さな音で銃声が2発鳴った。

「もう...終わったのか」

頬に付いた返り血を手の甲で拭った。

短いようで長い時間だった。

血も付いていないナイフを懐にしまうと先輩が階段から降りてきた。

「帰るよ」

先輩は返り血すら浴びていなかった。

綺麗好きなのかとも思ったが、先輩が履いている靴には血がこびりついており、靴の底通りの赤い足跡が先輩が歩く度に増えていった。


任務を達成し終わり、後は事務所へ帰るだけとなった。

足でまといがいなければもっと早く終わっていただろう。

このネクラ、終わった後もしばらく死体の上で馬乗りになったまま動かなかったのだ。

僕は我慢するのが苦手だ。

だから「さっさと動かないと撃つよ」と言うだけでネクラは足を動かした。

それでいいんだよ、僕の言うことだけ聞いとけばそれでいい。

帰り道は来た時よりは会話はしなかった。

結局ネクラは人を殺せなかった。

倫理観...僕にはもう無い考え方だ。

こちとら4歳で初めて人を殺してるんだ。

物心ついた時から僕は人を殺すことしかしていなかった。

倫理観なんて持ったことは一度もない。

だからこのネクラには共感し難いが、少し羨ましくも思った。

人を殺せないというのはどういう感覚なのだろうと。

それを意識すればするほど自分が人間ではないように思えた。

...もうよそう、そんなことを考えるのは。

そうだな、早く帰って冷蔵庫にあるひなせが買ってきたアイスでも食べようかな。

ひなせが買ってきたバニラアイス、美味しいんだよな。

そういえばプリンも冷蔵庫に入ってたっけ。

確かコーヒープリンだった気がする。

ちょっと高いヤツに見えたけど流石ひなせだよね。

高いヤツってことは美味いに決まってる。

帰ったら二丁食いに挑戦してみよう。

うん、この僕なら絶対成功するさ。

流石みかんちゃん、なんでもできる完璧みかんちゃんだね。

「......あの」

やっと心が晴れてきたという時に暗い声が聞こえた。

あーあー台無しだ。

「なんだよ、アイスとゼリーは僕のだぞ」

ネクラの方を見ると俯いている。

この僕と目を合わせる勇気もないのか。

半乾きの返り血だらけで汚れたスーツを着たみすぼらしいガキ。

触りたくはないな。

「っ....なんで先輩は......」

声が少し明るくなった。

「そんな簡単に人を...殺せるんですか」

気のせいだった。

声が途切れ途切れになっている。

出せない声をこれでもかと絞り出した結果がこの声ならばあまり絞らない方がいいと思う。

喉を痛めてしまいそうだ。

それにしても痛い質問をする。

まるで遠回しに「君は人間ですか」と聞かれている気分だ。

不意に、小麦と初めて交わしたまともな会話を思い出した。

自分には珍しく、その状況を細かく覚えている。

場所は確かバーだった。

お高くとまった連中がお高い酒が入ったグラスをカラカラと鳴らす場所。

1人で日常を送っていた僕を彼女はそのバーに誘ってきた。

最初は余計なお世話だとも思ったが、別に忙しい訳でもなかったため、ほとんど好奇心で動いた。

彼女と共に入る初めてのバーはあまり良い気分ではなかった。

アルコールのキツい匂いが充満し、なんとなく加齢臭の匂いもした。

そのバーのオーナーが作るカクテルが格別に美味いのだと言うから自分もオレンジカクテルを1つ注文した。

しかし彼女はウイスキーを注文していた。

でも確かに、そのオレンジカクテルは格別に美味かったのは覚えている。

「君はなぜそんなにも簡単に人を殺せる?」

彼女はウイスキーを片手に、カクテルを飲む僕にそう問いた。

その時は特に複雑なことは考えていなかった。

お酒に酔っていたのもあるかもしれないが。

「んー...なぜって言われてもなー特に深くは考えたことないしなー」

本人は落胆するわけでもなく、黙って微笑んでいた。

まるで話に続きがあるとわかっているかのように。

そんな彼女を見て、僕は思わず話を続けなければいけないと思って続けて口を開いた。

「強いて言うなら」

そう言った時、若干彼女の目が輝いた。

「死ぬ覚悟があるからかな」

口から勝手にこの言葉が出てきた。

別に言う気は無かった。

生きたくて踠いている連中の方が多いこの世界ではこの言葉は命取りになる。

目の前にいるこの人物もそいつらと一緒かもしれない。

僕は訂正しようとした。

「あっ今のは」

「すごいじゃないか」

彼女はやっと口を開いた。

さっきからずっと口を閉ざしていたくせに自分の聞きたいことが聞けたら後のことはお構いなしか。

その時はそう思った。

だが心の底ではほっとしていた。

自分の気持ちを訂正する前にこの人が遮ったおかげで僕は僕自身を訂正することもなくなったのだ。

「私は今でも怖いよ、もし自分が殺される側だと考えると」

彼女は僕の方を見つめているフリをして、実際は遠いどこかを見つめていた。

その目を見ると、少なくとも人を殺した経験はあっても沢山の人を殺したことはないように見える。

「うちの事務所来ないかい?事務所と言っても2人しかいないんだけどね」

彼女は「ハハハ」と乾いた笑いを浮かべた。

2人...それで事務所が成り立つのか。

だがそれでもいいかもしれない。

1人で生きていくよりも、仲間が居た方がいいでしょ。

「衣食住の安定を保証してくれるなら」

「意外と現実主義なんだね」

彼女は持っていたウイスキーをやっと口にした。

その後にお酒と氷が入っているグラスをカラカラと回して見せた。

僕も負けじとグラスを回してみた。

だが不規則に氷とグラスがぶつかり合うだけで、彼女のように綺麗に回すことはできなかった。

「そういえば名前は?」

「ハルみかん、可愛いでしょ」

回すことが出来なかったため仕方なくカクテルを一口飲んだ。

やはりさっぱりとしていてとても美味しい。

「ハル...そうか、みかんと呼ばせてもらうよ」

「あんたは?」

「あぁ、私はアリうさパンだよ」

「パンか...じゃあ小麦ね!!」

最後にカクテルを飲み干した。

流石に頭がクラクラする。

見ると小麦もウイスキーを飲み終えた所だった。

「それじゃ、これからよろしく」

小麦はそう言ってウイスキーをもう1杯注文していた。

まじかこいつ。

そう思ったがその後の記憶はない。

多分酔いつぶれたのだ。

今ではなかなか良い思い出だと思う。

しかしこのネクラに小麦と同じように答えるほどこいつには価値はない。

「お前みたいなネクラに?!」

だから、盛大に笑って煽り散らかしてやる。

ネクラ野郎を指差し、笑ってやった。

「教えるわけないだろ?!?!」

そう言ってやるとネクラは困惑したような顔をした。

目を見開き、口をへの字に曲げている。

ちょっと面白い。

「僕みたいに元気で〜可愛いなら〜考えてあげても〜いいんだけど〜!」

僕は両頬に手を当て、これまでにないほど可愛子ぶった。

我ながらこれは可愛いのではないかと思う。

きっとネクラ野郎もこの僕の可愛さに面食らっていることだろう。

更に僕は右手を胸に当て、ネクラを憐れみ、慈しむような笑顔を浮かべた。

「生憎、君みたいなネクラにかける優しさなんて、僕は持ち合わせていないよ」

多分今の僕は世界で一番可愛い。

今この場に鏡が無いのが本当に悔しいほどだ。

現にほら、目の前に立っているネクラ野郎も目を丸くさせて僕を見つめている。

きっと僕の可愛さに目を奪われているに違いない。

僕は「フフンッ」と鼻を鳴らし、如何に自分が可愛いかを見せつけてやった。

おかげでネクラも声が出ないようだ。

それも仕方がない、なんてったってこの僕の可愛さをこんな近くで見られるのだから有り難いと思え。

不意にネクラの奥に立つ、時計が視界に入った。

かなり遠くにあるが、自分の視力があればギリギリ黒い針が見える。

時刻は午後4時の前半くらい。

15分を超えたぐらいだろうか。

せめて午後4時には事務所に着いていたかった。

4時半からひなせが任務を終えて帰ってくる。

その前に冷蔵庫のアイスとプリンを食べてしまいたかったのに、このネクラのせいでその可能性も低くなってしまった。

僕がアイスとプリンを食べられなかったらどうしてくれるんだ。

「早くしないと僕のアイスとプリンがひなせに食べられちゃう!!」

僕はネクラ野郎をわざと急かすように早口で言った。

自分ではちゃんと喋ったつもりだが、このネクラに聞き取れているかはわからない。

聞き取れていなくてもどうにか頑張って聞き取らなければ僕に失礼というものだ。

「小麦のやつ、止めてくれないんだよね。ほらネクラ、早く!!!」

そう言いながらも僕は立ち尽くすネクラを置いて1人走って事務所へ向かった。

ネクラは一言でも何かを発しようとはしなかった。

そういえばネクラの名前まだ聞いてなかったな。

僕より可愛い名前じゃないのは確かだが。


先輩は自分を急かすような口振りをしたくせに俺に背を向けて走って行ってしまった。

確かに俺は先輩の足でまといになっていた。

だが入ったばかりの右も左もわかるはずのない俺が足でまといになることなんて最初からわかっていたはずだ。

なのに俺を虫ケラでも見るような目で煽ってくるなんて本当に性格が悪い。

「......何アイツ」

心の奥底から湧いて出た本気の言葉が口から漏れ出た。

幸い、先輩はもうとっくに遠くへと行ってしまっているためこの言葉は聞こえていない。

この際聞こえていないならば、もう何をしてもいい気になる。

「...なんであんな清々しく言われなきゃなんねーんだよ」

ずっと喉の奥に押さえ込んでいた感情が吐く息と共に外へ逃げていく。

「開き直んなっ!」

もう何年も表に出していなかった腹の底から這い出る気持ちのいい本音。

「手柄1つ取っただけで調子乗んな!!」

通行人が奇異なものを見たかのごとく視線を俺に移す。

だがこんな場所にいる人間なんてどうせ裏世界の人間に決まっている。

裏世界で生きる人間なんて何かしら罪を犯しているような奴だ。

そんな奴らが自分の首を絞める可能性が高くなる真似をするわけがない。

警察を呼ばれる心配なんてない。

顔にかかる長ったらしい前髪の隙間から見える空模様に向かって叫んだ。

「クソが!!!!!」


いつもと変わらない日常なんてものはいくらあってもいい。

変わらないという安心感のおかげで日常に人生を預けることができる。

だが変わらないだけの人生なんて面白味もなにもありゃしない。

たまに変化があるだけで人生に華がうまれる。

例えば最近組に入った新人だったり、冷蔵庫に入れておいたアイスとプリンが食い散らかされていたり。

後者に至ってはほぼ毎日なため若干いつもの変わらない日常となりつつはあるが。

そんなことを考えながら俺は事務所のベランダに出て煙草をふかす。

前までは、アリうさも元喫煙者だったおかげで事務所の中で煙草が吸えたのだが、今となってはみかんが煙草が苦手なため仕方なくここで吸っている。

仕方なくと言っても悪い気はしない。

夜の闇に散りばめられた宝石のように輝く星々は煙草の味によく合う。

前はノルマのように感じていた煙草も、今となっては楽しみの1つとなっているのがむしろ嬉しい。

今ではもう、なぜ煙草を吸い始めたかなんてことも思い出す暇もない。

冷たくなったベランダの柵に腕をかける。

しかし口に咥えた煙草を持つために右手を上げた。

吸い込んだ煙を夜空へと吹きかけると同時に、ベランダのドアの開く音がした。

「おぉ、珍しいな」

普段俺が煙草を吸っている間は誰もベランダへと入ろうとしない。

アリうさは俺の事情を汲んでくれているのと、みかんは単に煙草の匂いがキツいからだ。

ならばこのタイミングでベランダに足を踏み入れるような奴は最近入った新人のみ。

「どうした」

今日はなんだか新人の機嫌が悪い。

特に俺が帰ってきてからはそれがわかりやすくなっている。

だが新人はベランダのドアを閉めた後は俯いたまま動こうとはせず、返事も返ってこなかった。

「殺ったんだって?お疲れさん」

新人の方へ視線を合わせ、わざと吸った煙を新人へ向けて吐いた。

だが新人は煙が顔面を直撃しようと微動だにせず、咳き込むなんてこともしなかった。

懐かしいな、これ最初みかんにやったら殺されかけたっけ。

「吸うか?1本」

ルキ、コンテ地区出身の17歳。

まだまだ若いな。

未成年に煙草を勧めるのもどうかとは思うが、何せここら辺の平均初喫煙年齢は14歳ときた。

小卒という輩も少なくはなく、一部の腐敗が進む地区なんかじゃ勉学すらまともに受けたことのないガキが大半。

学も無い上に戸籍も無いなんてことはそこらじゃ普通のことだろうな。

コイツの出身であるコンテも、ありゃゴミ溜めそのものだ。

一度アリうさと一緒に赴いたことはあるがあそこまで酷い所は初めて見た。

以来、俺はコンテに行く任務は拒否している。

新人には悪いが、人と汚物の区別もつかないような場所なんて二度と行きたくない。

新人は後ろめたそうに視線を斜め下に動かした後、俺の方へ視線を上げた。

「吸います」

新人は俺が寄りかかっている柵の隣に立ち、遠くの景色を眺めた。

視線の先には周りの地区とは明らかに格差を感じるビル群の光が、闇夜に溶け、星のように輝いて見える。

シトラス地区の方は随分変わった。

流石にコンテのようなゴミ溜めではなかったが、代わりに昔はゴミのような人間がひしめいていた。

性根が腐り、倫理観が腐り、常識も腐る。

そうすれば簡単に人間にはウジが湧く。

そんな奴らを幼い頃何度も見た。

あそこで特に有名なのはやはりアダルトタウンだろうか。

その名の通り大人の街。

パチンコ、スロット、麻雀にダーツ、ギャンブルや賭博は当然、キャバクラや風俗、ホストクラブ、同性風俗店など「大人の遊び」と聞いて思いつくものはほとんど揃っている。

だが全てが法に基づいて営業されているわけではない。

あの場所に倫理観は無いに等しい。

風俗店に小学生と同じ年齢の子供が働いていたのは流石の俺でも驚いた。

更には人の黒い部分が日夜見ることができてしまう。

例えばホストに貢ぐホス狂いのガチ恋メスガキ。

自分の身体を売って金にし、それを自分の好きな人をNo.1にするために全てを使い切る。

本人はそのお返しとしてメスガキをまるで食事でも楽しむかのように性処理の道具として扱う。

だがその女に金が無くなればすぐに捨て、新たなカモを何台か補充する。

それで貢がれた金を使って男は風俗嬢なんかに貢ぐ。

正にこれが負の悪循環ってことだよな。

だが一歩アダルトタウンを出てみればそこは既に違う世界。

建物は廃れ、水は汚染し、人の罵詈雑言で空気が汚れるスラム谷、皆そう呼んだ。

必要最低限の金も使い果たし、稼ぎ道が無くなった人生の敗北者が溜まる、同情もできない"可哀想な奴ら"だ。

だがある時を境にあの街の建物は過去の面影は消え、今では立派な、工業と商業の織り交ざる都市へと変貌を遂げた。

「お前がもしあそこで生まれてればちっとは幸せだったかもなぁ」

新人はまだ火の付いていない煙草を咥え、遠い目でシトラス地区を見つめている。

「ん」

俺はズボンの右ポケットから安いライターを取り出し、新人の方へと向けた。

「ん、ありがとうございます」

新人はライターから燃え盛っている火に咥えている煙草を近づけ、無事火が着くとまた遠い場所を見つめた。

「...それはないと思いますよ」

新人は吸い込んだ煙を吐き出すために人差し指と親指で煙草をつまんだ。

それと同時に俺も新しい煙草に火を付け息を吸った。

「...ん?なんの話...あぁ、幸せかもって話か。かもだ、かも。可能性のことを話してるだけだ」

「そうですか」

新人はそう一言だけ言葉を発っしただけで、口以外は動かさず、当然目線も動いていなかった。

俺はすぐに気づいた。

幸せだったかどうかではなく、ただコイツがシトラス地区を羨ましがっていることに。

自分の生まれ育ったコンテ地区がもしシトラス地区のようだったら、と。

しかしコイツの目は利己的ではない。

誰かの幸せを優先しているような、そんな感じがする。

誰かのために羨ましがれるのは誰でもできることではない。

アリうさはどうやってこんな人間を探し当てたのか、自分の中の謎がまた深くなった。

「あそこって何地区ですか」

新人は煙草を人差し指と親指でつまんだまま俺に問いかけてきた。

「シトラス。みかんの出身地区だ」

「みかん...?」

「あぁ、ほら、今日お前が一緒に任務に行ったオレンジ頭の」

そう言うと新人はつまんでいた煙草を食べる勢いで口に咥え、思い切り吸った。

そして吸った煙が息と混ざり合い、ため息のような煙の塊を思い切り吐いた。

これは相当嫌なことでもあったんだろう。

みかんのことを話すだけでこうなるということは犯人はみかんで間違いない。

丁度いい。

俺もみかんにお楽しみのデザートを食い散らかされててストレスが溜まっていたんだ。

この際、この新人とみかんの文句でも言い合えば少しは煙草の味も美味くなるだろう。

「なんかあったのか?」

新人はすぐには答えなかった。

燃え続ける煙草を咥え、どこか遠くを見つめているだけだった。

俺も遠くを見つめた。

だがそこには毎日見ている光景が飽きるほど広がっていた。

横目で新人の方を見ると、咥えた煙草を持て余すかのように煙草を上下左右に動かしてみせた。

「なにかあったのか?」

もう一度同じことを聞いてみる。

すると今回はすぐに返答が返ってきた。

「あの、み...みかん...先輩が俺を見下すような言動ばかりしていて」

新人は俺と目を合わせようとはしてくれない。

そりゃそうだ。

自分の愚痴の対象よりも地位が高い奴に仲間の悪口なんて軽々しく言うものではない。

ここが極道だったりすれば新人の頭と首は一瞬にして離れ離れになる。

だが俺は新人なんてものがそういう生き物である、と理解しているため特に腹を立てたりはしない。

「なるほどなぁ」

俺は咥えていた煙草を二本指で挟み持ち上げると、吸い込んだ煙を口から外へと吹き吐いた。

この新人がなぜそんな仕打ちを受けているかなんて少し考えればすぐにわかることだが、そう簡単に答えがわかってしまっては面白くない。

それに、俺みたいな奴よりもアリうさに言う方が優しい対応をしてくれることはコイツもわかっているだろう。

「で、それをなんで俺に?」

口角を上げながら新人の方を見た。

それでも新人は頑なに視線を合わせようとはしなかった。

それどころか、咥えている煙草を左右に動かして気を紛らわそうとしている。

そんなことでストレスが解消されるわけでもないのに。

「...あのオレンジ頭...ここ来ない...から」

「声ちっさ...まぁ、あいつ煙草の匂い好かんからなぁ」

初めて会った時からみかんは感覚が鋭い奴と認識はしていた。

匂いに敏感なことや、手先が器用なこと、また視力も人並み以上には良い。

みかんが入ったばかりの頃、事務所の家具に近寄る度に「煙草臭い」と言っていた。

この前、煙草の匂いはどうなったか聞けば「いくらかマシになったけどそれでも臭う」とのこと。

当然、このベランダもみかんは滅多に寄り付かない。

ベランダの窓の横に消臭剤を置くほどだ。

正直、俺にはそんな匂いの違いなんて全くわかるものではない。

この匂いも、随分と昔に慣れてしまって今では生活の中で感じる匂いの一部だ。

そんなことを考えてると煙草の強い匂いがした。

新人の持っている煙草の煙が風によって吹き上げられたのだろう。

それに妙に腹が立ち、顔周りに纏わりついた煙を手で仰ぎ払うと、俺は新人の求める答えを口にした。

「率直に言えば、お前はみかんに嫌われてる。ただそれだけ」

俺は薄ら笑いを浮かべ、あたかも新人の全てをわかっているような目で新人を見た。

新人は口を尖らせ、眉をひそめている。

おそらくショックを受けている表情だ。

まさかとは思うが、自分が嫌われていることに気付いていなかったのか。

それとも、気付いてはいたがその事実を叩きつけられたくなかったか。

理由はどうであれ、その結果に納得がいっていないのは確かだ。

まぁ、初対面でいきなり嫌われるというのもそう無い機会なため納得できないのは承知している。

俺は持っていた煙草を親指で軽く押し、長くなった先端の灰の部分を地面へ落とした。

「ゆーて俺も、最初はアイツに嫌われてた」

煙草をわざわざ咥えることはせず、二本指で挟んだ状態のまま燃え口を見つめた。

「多分アリうさもそうだと思うよ」

徐々に短くなる煙草を観察し、灰の部分が長くなれば親指で軽く叩いて落とす、という作業を繰り返した。

「嫌うというよりも、警戒心が強いんじゃないか。アイツは」

もう吸う気のない煙草を一度口で咥えてみたものの、そこから空気を吸うことはなく、そのまま口元から煙草を離した。

「当初はカッコつけだの、生気が無いだの、散々言われたさ」

いつの間にか煙草のことが頭に入らなくなり、みかんの回想を思い出すのに頭をほとんど使ってしまっていた。

「俺は先輩だし、初めての後輩だしで、みかんをどう教育すればいいか、そればっかしだった」


最初の印象はなかなかに顔が良い子供、というものだった。

事務所の客間で初めて彼女を見た際は、人の第一印象がほとんど外見で決まることを実感させられた。

今思えば、俺の中での彼女の好感度はあの時が一番高かったのかもしれない。

彼女は客間のソファに座るなり、部屋の至る所を視界に収めようと忙しそうに首と目を動かしていたのを見ると、所詮は子供か、と思ってしまった。

足をバタつかせ、両手はソファを付き、色褪せたような古めかしいセーターを着て、なんともさも自分が偉いかのように振舞っていた。

自分はどちらかと言えばアリうさの目を信頼していた方だ。

だがその横柄な子供を見ていると、その時だけは小麦への信頼も薄くなってしまった。

どうせ見限られるだろう、そう思い俺はそのまま客間を後にした。

しかし次の日にはオレンジ頭の子供が事務所のソファの上で呑気に昼寝をしていたのには衝撃を受けた。

彼女は俺に気づくなり「センパ、よろしくー」と仰向けのまま右手を上げて握手しようとしてきた。

もちろん俺はその手を振り払うと「ありゃ」と嬉しそうな声色で一言発するとまたソファの上で、今度は横向きになって眠ってしまったのだ。

どうしてこんな奴がアリうさを惹き付けることができたのかはわからない。

前日に客間を去る際に微かにアリうさの声で「契約内容の確認だ」と言っていたのは聞こえた。

もしかしたら客間に上がり込んだ時点でこの事務所に入ることは確定していたのかもしれない。

後日、俺はアリうさに抗議とまではいかなくとも、みかんに対する文句を言い放った。

「なんであんなヤツ連れて来たんだ」

アリうさは近くのコンビニで買った栗饅頭を頬張りながら、余裕そうな表情で答えた。

「人手が足りないと言ったのは君じゃないか」

唇に付いたマロンクリームを舌で舐め取りながら、彼女は器用に皮と餡を同時に食べている。

「だからって仕事も面倒くさがるようなヤツが欲しいと言ったことは一度も無いぞ」

アリうさは自分の分の他にも2つお菓子を買ってきている。

俺はわらび餅を手に取り、残った蜜柑大福を机の中央に移動させた。

「お前の目を信じた俺が馬鹿だったよ。今からでも元いた場所に返してこい」

わらび餅のカップを開け、付属の爪楊枝を手に取る。

まだきな粉をかけていないため、透き通った水のように透明なわらび餅を1つ爪楊枝で刺し、口へと運んだ。

ほんのりと甘いが、あまり味はしない。

あくまで見た目と味のギャップを感じるためにきな粉をかけずに食べているだけで、二口目以降はちゃんときな粉をかける。

「ひなせ、もしかしてみかんを客間へ連れてきた時が初対面だと思っているわけではないよね」

アリうさは既に栗饅頭を食べ終えており、食後のお茶をすすっている。

対して俺はきな粉が溢れ落ち、非常に食べづらくなっているわらび餅をゆっくり1つずつ頬張っていく。

「1ヶ月前の紅月組全滅の件。あれを目の当たりにしたのは私達なわけだけど」

アリうさは風情のある茶の飲み方で、一瞬裏の世界の人物には見えないほど"普通の人"だった。

「あーあれな、俺らに来てた仕事だったのにのやつか」

着々とわらび餅を口へと運んでいき、ついに最後の1つという所まで来た。

これを食べればこの食べづらい餅地獄から解放される。

というのに、アリうさは茶柱を立てたいがために自力で軽く湯のみを回して茶柱を立てようとしている。

「あれの犯人がみかんだよ」

「は?」

口元へ運ぼうとしていたわらび餅が刺さっていた爪楊枝から外れ、そのまま机の上に落としてしまった。

アリうさは変わらず湯呑みを軽く回し続けている。

「有り得ねーな、んな話。あそこはそこら辺の極道よりも頭と熟練度が高い。正直、仕事が来た時点で俺たち2人でできるかどうかの任務だったんだぞ。それをあの子供が...1人で...」

怒りと衝撃と困惑、他にも言葉には言い表せないような複雑な感情が絡まった糸のように俺の中でぐちゃぐちゃと混ざってしまっている。

アリうさは茶柱を立てるのを諦めたのか、回していた湯呑みを机上に置き、俺が落としたわらび餅を指で掴み、頬張った。

「信じられないのなら練武場に行くといい」

アリうさは指に付着したきな粉を自前のハンカチで拭き取りながらそう言い放った。

その後俺はやっとアリうさの目を改めて信頼することができた。

練武場には高速で動く5つの的のど真ん中を拳銃で正確に撃ち抜くみかんの姿が目に焼き付かれたからだった。


そんなこともあり、自分がはたして先輩ヅラをしていいのか、みかんを見る度にそればかりを考えるようになった。

最初は扱える武器は拳銃だけかと思っていた。

だがいざ蓋を開けてみると、スナイパーやライフル、ショットガン等の銃系統だけでなく、ナイフや刀、更にはヌンチャクまでも使いこなしていた。

護身術や体術等の格闘技は当たり前のように身につけており、もはや何を教育すべきか、わからずにいた。

だがアリうさの指示だけはしっかりと遂行しなければならない。

そのため表面上は教育係、という立場になっていた。

そして3ヶ月後、俺がみかんを練習相手として練武場で手合わせをしていた際、みかんが不意にこんなことを言った。

「ひなせさ、」

「ひなせ"さん"な」

「ひなせさ、いつもありがとね」

相手のことを褒めて油断している隙に攻撃を仕掛けようという魂胆だろう。

俺は持っている刀身により意識を集中させ、何がなんでも攻撃を受け流す体制になった。

「僕、常識とかこれっぽっちも無いから、ひなせが教えてくれてほんと良かった」

普段こんなことを言わないようなヤツがいざ言うとなると、なんだかおぞましく感じる。

少なくともその時、鳥肌が立つ感覚がしていたのは覚えている。

俺はみかんの出生やら生い立ちなんかは一切知らない。

そのためみかんについて知っていることは事務所に来てからのことだけだ。

どうやらアリうさは知っているようだが、特に口に出さないということは俺が知る必要のないことなのだろう。

ならば俺も知ろうとはしない。

下手に調べて仲間を疑ってしまうのも御免だ。

「なんだ急に」

油断させる魂胆も念頭に置きつつ言葉を返した。

「僕ってどんな風に見える?」

先程からみかんは普段言わないようなことばかり言ってくる。

死ぬ前に人は急変するという話をよく聞くが、彼女に限ってそのようなことは起こらないだろう。

死ぬ前の人間がわざわざ人のヨーグルトを勝手に食べたりはしないだろうから。

「ぐうたらで傲慢」

「だよねー」

彼女は眉を八の字にして俺の意見に賛同した。

だが口元は笑っている。

「だが、」

その表情をみて、俺は口を開いた。

「強くて頼りになる。それは確かだ」

そう言って、俺は持っていた刀を鞘に収めた。

「...あーーーっそ!」

彼女も持っていた剣を握りしめるのをやめ、元あった場所へと片付けた。

そのまま練武場を後にするかと思いきや、おもむろに俺に目線を合わせてきた。

「そんなに気になる?僕の過去」

彼女は目を細め、口角を上げ、まるで嘲笑うかのようにニヤニヤとした表情で言い放った。

みかんの過去。

気にならないと言えば嘘になる。

何故紅月組の全滅を目論んだのか、他に強い事務所なんかたくさんあるのにどうしてうちの事務所に来たのか。

気になることはそこそこにある。

「あぁ、そうだな」

俺もみかんに目線を合わせた。

相も変わらず、綺麗な瞳をしている。

透き通ったレモン色。

宝石のようなその瞳がやけに羨ましく思った。

「是非聞かせてもらおうか、銃の扱い方を。少しは覚えておいて損はないだろ」

俺はまだ足りない表情筋で笑みを作った。

そんな俺を見てみかんは一瞬驚いたような、何も考えていないような表情を浮かべた後、すぐに口角を綺麗に上げた。

「えー?僕の指導は厳しいよォ〜?」

「ならいい」

「なんでさ!!!」

みかんの過去なんて気になることだらけだ。

だがそれは俺もアリうさも同じ。

みかんにとって俺たちの境遇は好奇心が湧くものかもしれないが、お互いが詮索をしない以上、お互いは何も話さない。

暗黙のルールってやつだ。

その後俺がみかんと再戦をしたか、練武場を後にしたかはあまり覚えていない。

ただ1つ、みかんが笑っていた。

いつものことだが、その時は妙にその顔が頭にこびりついて離れなかった。


「態度が悪いと、それこそいがみ合ってばかりだったが」

指で持った煙草の灰を軽く落とし、俺はしばらくその灰が落ちていく様子を眺めた。

「時が経つにつれてそのいがみ合いも無くなっていった」

落ちる灰が2つになった。

どうやら新人も煙草の灰を落としたらしい。

当然、俺の灰の方が速く地面に着いて崩れた。

「その後言われたんだ、アリうさに」

思い出すよりも早く、俺の口は動いた。

そうだ、アリうさに指摘されたんだ。

なんて言われたんだったか...。

「『ヒナセ、変わったね』って」

また脳よりも早く口が動いた。

おそらく印象に強く残っているおかげだろう。

俺自身、自分が変わった自覚なんて無い。あってたまるものか。

だがアリうさのその一言で意外にも納得することはそう難しいことではなかった。

言われるまでは気づかなかったが、今の自分は昔に比べてもだいぶ丸くなった方だと思う。

単に年月が経ってあのことを思い出すことが少なくなったのもあるのだろうが、やはり俺の変化の大部分は癪に障るが十中八九みかんだろう。

新人なのに先輩である俺達をへりくだるようなこともせず、文句愚痴は日常茶飯事。それなのに俺達よりも実力は上ときた。

厄介な存在と言わずしてなんと言う。

初めはその腐った態度を正そうと試みたが失敗。みかんは「はいはーい」と言いながらも直す気はゼロだった。

そんなことが続くもんだから、俺は半ば諦めていた。

するとそれに呼応するようにみかんの問題行動は目に見えて少なくなった。

そうすれば自然と衝突することも減り、もしかするとアリうさはこのことを言っていたのだろうか。一丁前にウォッカなんて飲みながら。

「ヒナセ先輩も変わることなんてあるんすね」

「急に生意気じゃないか」

新人は煙草を片手に「ふへっ」と笑った。

こいつがここに来てから笑ったところを見るのは初めてだ。

それでも遠くを見る目だけは変わらなかった。

そのため俺は同じように遠くを見つめるフリをして横目で新人を見つめた。

この闇夜でうざったらしく目元まで伸び靡く白髪にその隙間から見る人を魅了する星のごとく輝く四芒星形の瞳。

何もかもが俺と真逆だ。

羨ましい、なんて考えも一瞬よぎった。

だが一瞬だ。あくまでも一瞬。一瞬考えただけだ。

俺は新人を見つめるのをやめ、遠くではない、近いようで遠いような虚空をただただ見続けた。

「多分みかんはお前に...変わって欲しいんじゃないのか」

何故だろうか、少し声が詰まってしまった。

すぐに唾を飲み込み、紛れる程度で喉を潤した。だが一度では紛らわせることはできず二度、三度と唾を飲み込んだ。

「どうっすかね、あいつ、そんな頭良いようには見えないっすけど」

「いや、高尚だよ、みかんは」

やっと喉が潤った、気がした。


「何もすぐに自分の全てを何もかも変えてしまおうなんてしなくていい」

先輩の重くも軽くもある声が頭に響く。

「ゆっくり、少しづつ」

あの時言われた言葉を何度も思い出す。

「自分を見つけられるようになるまで」

小麦先輩に買って貰った真新しいスーツに腕を通し、長く伸びた前髪と後ろ髪をワックスで整える。

鏡には今まで見たこともあり、ないような自分がいる。

「自分を作っていけばいい」

それでも鏡の中の目を見ればしっかりと"それ"は自分であるとわかる。


窓からは目が痛くなるほど蒼い空が差した頃。

いつものように小麦はこっちが飽き飽きするほどパソコンと見つめ合っている。

「ねぇねぇ〜」

「なんだい」

聞くからにどうでもいい感が伝わってくる返事だ。

でもそんなの僕には関係ないもんね。

「新人にさぁ『なんで人が殺せるか』なんて聞かれてさぁ〜」

「へぇ」

一応は話を聞いてるみたいな短い返事。しかしそれに反して長いカタカタ音を鳴らせる小麦。

「今回の新人は当たりだよ!!!」

「それはよかった」

話を聞いていない、なんてことはないらしい。相変わらず変な脳みそしてる。

僕は寝転がっていたソファから身体を起こし、ガッツポーズをして見せた。

「僕、俄然教育にやる気出てきちゃった」

「おぉ、それは怖い」

その瞬間、ドアノブが動く音がし、その後すぐに事務室の扉が開かれた。

「おっ来たな新人!!!」

僕はドアの方を振り返り、あの冴えない新人を視界に入れようとした。

しかしその姿は決して冴えないものでは無かった。

全体的なオールバックに、ダサかった前髪は横に流されていた。

「......ども」

新人が恥ずかしがるように小さく声を発した。

その声にすかさずパソコンを閉じ、小麦が反応する。

「よく似合っているんじゃないか」

僕が喋ってた時はこっちを見向きもしなかったくせに。正直者め。

しかし僕はそうは思わなかった。

「う〜~~~〜ん」

少し頭を捻っていると、机の上に置かれた小麦のサングラスが目に入った。

「これだっ」

机に置かれたサングラスを素早く奪うと、それをルキにかけて見せた。

「どーよ」

物足りなかった新人の見た目が一気に目新しくなった。

サングラスで特徴的な瞳が見えなくなるとも危惧したが、杞憂だった。サングラスの下からでも眩しく輝いている。

流石僕のセンスだよね。

「よく似合ってるじゃないか」

小麦は似たような感想を言った。

にこやかに笑ってはいるが、内心自分のサングラスを使われて若干不服そうだ。

ふん、僕を蔑ろにした報いだ。

「ほらルキ!!!早く練武場行くよ!!!」

ルキは僕の後輩らしく、律儀に返事をした。

「はい」


「へーい」

相変わらず気の抜けた返事だ。

「おい」

そして相変わらずの苛立ちを隠せない声が聞こえる。

ここの所、毎日のようにこんな会話を聞いている気がして頭というか、耳が痛くなる。

「適当な返事をするな」

ヒナセはルキの背後に立ち、鬼の形相でルキを睨む。気のせいか、殺気すら感じる。

ルキはそんな殺気も臆すことなく舌を出して面倒くさそうな顔をする。

「馬鹿に見えるぞ」

背後にいるのにルキの表情が見えているかのようなセリフだ。

「へぇ」

そんな挑発の言葉にルキはまんまと引っかかった。

ルキは徐ろに振り向き、右手の人差し指をヒナセの胸に突き立てながら薄ら笑いを浮かべる。

「じゃあそんなバカと付き合うお前もバカってことになるな」

そんな嬉々としたルキの表情が、ヒナセの神経を逆撫でした。

「ふん、馬鹿らしい」

ヒナセはルキに背を向け、口をへの字にひん曲げた。どうやら少しでもルキの手の上で踊らされたことが気に食わないらしい。腕を組み、呆れたような表情をしている。

「あっ逃げんの?」

ルキは眉を八の字に曲げ、若干吹き出すようにして笑った。

ヒナセはその発言に対して言い訳でもするかのようにすぐに声を上げた。

「逃げてない」

「いくじなし!!!」

タイミングを測ったかのような素早い煽り言葉。

流石、あのみかんが育てただけのことはある。

「付き合いきれん」

ぶっきらぼうに答えるヒナセは徐ろに事務所のドアノブに手をかけ、烏色の髪が揺れ広がるほど振り向いてみせた。

「任務には一人で行く」

眉間に皺を寄せ、口を尖らせながら言う様はさながら駄々をこねる子供のようだ。

「ついてくるなよ」

警告するように言い放たれたその言葉は到底冗談のようには聞こえないものだった。

ヒナセは「ふん」と鼻を鳴らし、その後すぐに事務所のドアを勢いよく閉じた。そのおかげか、ドアが閉められる大きな音と共にドアの何処かが壊れるような音が小さく聞こえた。

勘弁してくれ。この建物を買うのにどれだけ大変だったと思っているんだ。

対してみかんとせんちゃんはそんなことにも動じずに、事務所に唯一あるソファと机でババ抜きをしている。みかんの顔が少々歪んでいるところを見るに彼女がやや劣勢のようだ。

「はぁ...」

身体の中から出てきた重々しく生暖かいため息。

自分の吐いたため息を聞いてまた更にため息を吐きたくなるのを堪えた。

「ルキも行きなさい」

「えぇ...」

まだ堪えられるレベルの感情を押し殺した言葉はルキにはあまり深くは刺さらないようだ。しわくちゃになった表情でいかにも嫌だということがわかりやすく伝わってくる。

そんな態度のルキに対して、堪えていた蓋が少し開いてしまった。

「そもそも君達に任せた任務は1人だと成功率が低い」

自分らしくない。

瞬時にそう思った。

「気分で動くようなみかんに任せるよりも君達2人の方が確実性があるんだ」

口が言うことを聞かない。

いつもなら感情なんてもの、すぐに制御できるのに、今日は調子が悪い。

「失敗出来ないからこそ任せているんだ」

少々強気な言い方になってしまった。とことん自分らしくない。

ようやく落ち着いた唇を指の腹で撫でると若干カサカサとしていてなんだか落ち着かない。

普段はこんなに喋ることのない自分の言葉に明らかな気怠げさを見せながらも、態度を見る限り話は聞いているようだ。そこはみかんに似なくて本当に良かったと感じる。

ルキは気怠げな態度から奮起するような態度に一変させ、私の方に指をさした。

「行ってやるから給料増やせよ!!!」

「無理だ」

「このブラックめ!!」

そう言葉を吐き捨て、壊れかけのドアをこれまた乱暴に閉めて行った。

いつもの仕事を振るだけで何故給料を上げなければならないのかが理解できない。

それに加えて自分の意見がまかり通らなかったからとむやみやたらにブラックなどと言うものではない。

「はぁ...」

このため息が果たして何が原因で出たものかも自分には分からない。疲れか、怒りか、呆れか。はたまた別の感情からなのかもしれない。

しかし自分にはそれを知る術はない。

ふと目をやるとせんちゃんとみかんがまだババ抜きをしている。

だがもうそれもすぐに決着がつきそうだ。

机の上に積まれ、崩れ、重なり広がった、同じ数字でペアとなったトランプの山。

そしてせんちゃんの手にはトランプが1枚とみかんの手にはトランプが7枚。

そんな状況になるはずもないのだが、生憎彼女らが使っているトランプは私が幼少の頃に使っていた物を再利用している。

子供の頃なんかもう十数年も前なため、当然トランプの1枚や2枚は無くなってしまうものだ。

おそらく次にトランプを引くのはみかんなのだろう。せんちゃんがやけに可愛らしく笑っている。

それに相反してみかんは口を尖らせてまだ勝つ気でいる。負けず嫌いなのか、ただ間抜けなだけか。

数分の沈黙の中での奮闘の末、とうとうみかんはトランプを引いた。

その瞬間、せんちゃんの勝ちが確定した。

どうやら引いたトランプはババだったらしい。ということはペアがないトランプが7枚もあるということになる。

「負けたあああああああああああああああ!!!!!」

みかんは手に持っている8枚のトランプを半ば放り投げるようにして机の上に叩きつけ、絶望したような表情で大声を上げた。

それに対してせんちゃんは右手で拳を作り、小さくガッツポーズをしながら「勝ちましたっ」と嬉しそうな声を上げた。

みかんの騒ぎ方を見てふと、みかんが昔と少し変わったように思えた。

事務所に迎え入れた頃は今と同様に傲慢な部分も多かったが、今では教育者も務めているせいか、協調性が増した。

昔はなんでも1人で出来なければ不機嫌になったり、まだ自分やヒナセのことを信用していなかったこともあり、このように大声を上げることは決してなかった。

それなりに信用してもらったのは有難いが、それにしてもうるさいとは思う。

ルキだって、拾った当初は大人しく、まるで闇を見てきたかのような目をしていたが、急にイメチェンをした。

ヒナセはだいぶ変わった。

2人とも、みかんと接するようになってから徐々に変わり始めた。

しかも悪い方向に。

おかげで事務所内では毎日のように2人の言い争いの声が聞こえたり、みかんの大声が響いたりもする。

最初より明らかに賑やかになったのは喜ばしいことだがそれ以上にデメリットが大きいような気もする。

ため息混じりの本音がつい口から漏れ出てしまいそうになり、一度飲み込むが、みかんがトランプで負けて騒いでいることを言い訳にして飲み込むのをやめ、小さく呟いてみた。

「変わったなぁ」

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