第9話 ラクリスの依頼 ☆

 ラクリスは朝霜が残る早朝、エンタメ通りにある冒険者ギルドへと向かっていた。



(ふわぁ……早めに行って依頼取らないと)



 エデンに言った通り、ラクリスはお金が無かった為に路地裏で夜を明かしていた。

 身体を拭く事も出来ず、固く冷たい地面のお陰で早朝に起きる事が出来たのは僥倖と言えるが、あちこち身体が痛い。



(今日は無理をしないであの人の言った通り、街の雑用でもしよう……)



 依頼の事を考えながら、数十秒後視界には冒険者ギルドが見えて来て、ラクリスは何故か大きく溜息を吐いた。

 ギルドは周りの建物よりも数倍は大きく、荘厳な雰囲気を纏った木造建の3階建。Cランク冒険者でギルドに来慣れているラクリスにとって、この扉を潜るのは胸を張れるランクと言えるだろう。


 しかし、ラクリスは何処か緊張した面持ちで、猫背になって静かにギルドの扉を押し開いた。


 中に入ると早朝のお陰か、人はまばらだった。広々としたホールの奥に5人の職員がラクリスの方を向いて一定間隔で座っており、左右の壁にはタバル王国中の依頼が貼ってあるボードがある。

 ラクリスはその中でも、人気の無い端っこに貼ってある依頼ボード前へと移動する。



(『ドブさらい』300ゴールド……『家屋の修理』1500ゴールド……『赤ちゃんのお世話』500ゴールド……うーん)



 どれもやりたくは無い。ドブ浚いは汚くなりそうだし、家屋の修理は不器用だから出来ない。赤ちゃんのお世話に至ってはどうやって接したら良いか分からない。本当なら討伐依頼等の依頼が良いが、今のラクリスには武器がない。

 そう考えると、単純且つ報酬が高い雑用依頼が望ましい。



(……『観光通りの掃除』5000ゴールド! これだ!)



 何分か探した所で、ラクリスは目の前にあった依頼を剥ぎ取る。

 ラクリスは依頼用紙を持って、1番近くの端っこの受付へ向かう。



「あの、この依頼を受けたいんですが……」

「はい。ギルド証はお持ちですか?」



 ラクリスはCランクである事の証明である銅板で出来たギルド証を提示する。



「ラクリス、さんですね。今受理致しますので、少々お待ち下さい」



 そう言って受付嬢は奥へと消えて行った。

 ラクリスは自分のギルド証に視線を落とし、唇を引き結ぶ。


 前までは入っていた筈のアルザックの苗字。


 この世の者は誰しも苗字が存在するにも関わらずこの欄が消された者は、犯罪者・孤児・何らかの理由で家を勘当された者、つまり碌な奴ではないという証明だった。



(何でこんな事に……)



 端っこでラクリスが顔を伏せていると、突然後ろからドンッと押される。

 カウンター上に這うような格好でラクリスが振り向くと、そこには男2人の冒険者が冷たい双眸で睨みつけていた。



「よぉ、卑怯者。死んじまったのかと期待してたんだが……まだ生きてたのかよ?」



 その内の1人が見下ろすようにして詰め寄り、ラクリスは対抗するように態勢を立て直して負けずに睨み付けた。



「……貴方達みたいにひ弱では無いので」

「何言っても負け犬の遠吠えにしか聞こえねぇな。今の今まで縮こまってた癖によ?」

「そうだ、縮こまってた癖によ?」

「別に、怖がっていたという訳ではありません。貴方達みたいな人に絡まれたら面倒だったというだけです」

「そうかそうか。まぁ、絡まれたらやられちまうもんなぁ?」



 男のニヤけた顔が目前まで迫る。

 その冒険者達はラクリスが勘当されてからよく絡んで来ていたDランク冒険者パーティー……ラクトの街の門の前で会った冒険者の内の2人だった。


 ラクリスが『卑怯者』と呼ばれる所以。それは公爵令嬢という立場を利用し、Cランク冒険者にまで登り詰めたという噂があるからであった。

 実力でランクを上げたものの、そんな噂が出て来た所為でラクリスはランク詐称をしている疑いが掛かり多くの者から誹謗中傷された。

 そして、それを証明しろと言われ決闘したのがこのパーティー『蒼龍の顎』だった。



「あの時は……訳があったんです」



 実際、それは合っていた。だが病で身体が動かず負けてしまったのだ。

 ラクリスは苦虫を噛み潰したかのような顔で反論する。しかし『蒼龍の顎』の2人はそれを聞いて、バカにするかの様に更に口角を上げた。



「おぉ? じゃあ今からやっても良いんだぜ?」

「そうだそうだ、やってやるよ」

「い、いや、今からは……」



 今体調は元に戻った。しかし戦うにしても武器が無い。



「はははははっ!! やっぱりやられるのが怖いんじゃねぇか!! お前みたいな穀潰し、公爵家も要らねぇ訳だ!!」



 今ここで反論してもまたバカにされるだけだとラクリスは押し黙る。悔しいが、そうするしか選択肢はなかった。



「依頼の受理、完了致しました」



 そんな時、受付嬢が戻って来て依頼用紙をラクリスへと渡す。



「ありがとうございます……」

「ぷっ!! 『観光通りの掃除』って!! Fランクの初心者が受ける様な依頼だろ!!?」

「Fランクの! 初心者!!」



 覗き込まれ、そんな笑い声から逃げる様にラクリスは冒険者ギルドを後にする。



(今は、我慢……)



 そう自分に言い聞かせ、ラクリスは観光通りへと向かうのだった。




「あー……じゃあ宜しく頼むよ」



 依頼人へ用紙を渡し、自己紹介をした所であからさまに嫌な顔をされ箒を投げ渡されたラクリスは、今日何度目か分からない大きな溜息を吐いた。



「これ……1日で終わる?」



 目の前に続くは、終わりが見えない程の石畳で整備された自然と光とのコントラストが素敵な観光通り。通りの両側には家屋の屋根の上まで枝を伸ばした木が並んでいる。

 そして、その下には星の数よりも多そうな大量の落ち葉が散らばっていた……。



「パーティーでやるなら……5日。1人でやるなら……3日ぐらい? はぁ、掴まされた……」



 用紙には期日等、詳しい事は書かれていなかった。ラクリスは今までランクを上げようと、効率の良い討伐依頼を多くやって来た。その為か、この様なハズレ依頼を掴まされたのだろう。



「……よし! クヨクヨしても仕方ない! やるぞーっ!!」



 ラクリスは自分の両頬を叩いて気合いを入れる。

 しかしその1時間後、ラクリスは自分の今まで掃除した道のりを振り返り泣きたくなっていた。



「まだ100メートルも進んでないじゃない……しかも片側だけ」



 通りは広く、長い。観光客も居る為に避けて掃除をしなければならず、ただ時間が過ぎる方が長かった。



「3日で5000ゴールド……それまで路地裏? ははは……」



 思わず乾いた笑いが溢れ、近くの縁石に腰を下ろす。

 これなら他の依頼をやった方がマシだ。だけどーー。



「Fランクの依頼を失敗したって、周りにバレたらまた……」



 このまま街を出て、何処かに逃げてしまおうか。そうした方が楽になれる。

 そんな考えが頭をよぎった所で、ラクリスは頭を横に振る。



(私には契約がある、逃げる事は出来ない)



 契約の反故で何が起こるのかは分からない。だけど、何か不幸な事が起こるのは間違いがなかった。

 そんな中、エデンのある言葉がラクリスの心を傾けていた。



(でも……例え"契約"だったとしても『必ず戻って来い』って言われて、何か久しぶりに嬉しかった、かも)



 ここ最近……どころかここ数年ぶりの感情だった。

 エデンを除けば、そんな事を言われたのはリドムのみ。しかし、リドムはラクリスの幼少期からの付き合いで家族みたいな者。他人から言われた言葉は、否応にも心を揺さぶった。



「………ふぅー。ちょっと休んでから頑張ろうかなぁ」



 ラクリスは後ろに手を着き、上を見上げる。

 暖かな陽光に葉陰に見え隠れする青い空、自然に魔法の光が装飾された絵画の様なコントラストに思わず嘆息してしまう。ザワザワと風でさざめく葉音が何処か心地良い。

 数分ボーッと落ち着いた後、ラクリスはある者を見て目を見開く。



「よ! ヨルさん!? こんな所で何をしてるんですか?」

「あら、ラクリス! 奇遇ね! 私は観光だけど……ラクリスはこんな所で箒持って何してるの?」



 呑気にパタパタとラクリスの前で飛んでいたヨルは不思議そうに首を傾げた。



「ギルドの依頼でこの通りの掃除をやってるんです」

「あら、ここの通りを掃除? 良いわね〜、やり甲斐がありそう!」



 ここの通りを見てそう言えるのは、家事好きのヨルだからこそだろう。



「はは……そ、そうですね」

「……何か疲れ切ってるわね? もしかして困ってる?」



 ヨルに問われ、ラクリスは正直に今の現状を伝える。



「ふーん……不当な依頼を掴まされちゃったのね。それは気の毒……んー、じゃあ魔法とか使ってみたら? ラクリスがどんな魔法を使えるのか知らないけど」

「私が使えるのは『風魔法』ですけど……掃除をするには使えないですね」

「? 風魔法? なら葉を集めるのに使えるじゃない?」

「いえ、私の風魔法は斬撃に特化してるんです。剣に魔力を纏わせて素早く振る事で、真空の刃を作ったり、飛ばしたりする事しか出来なくて……」



 遊猟の森では使いものにはならなかったが、ラクリスの風魔法は冒険者を続けていく上で素晴らしいもの。しかし、日常では使えないというのが痛い所だった。

 ラクリスが少し自虐気味に言い、ヨルは面白そうに口角を上げた。



「絶対?」

「え?」

「絶対無理なの? 風魔法なのに? 風は本来、何かを切り裂く為にあるものではないわよ?」



「さっ、立って立って! 魔法使ってみましょう!」とヨルは言いラクリスの肩に乗り、ラクリスは戸惑いながらも立ち上がり魔力を練り始める。



「もう一度言うわ。風は何かを切り裂く為にあるものではない。想像してーー風は『移動する空気』。押しては押されを繰り返す、ただの空気なの。海上から地上へ、地上から上空へ、そして上空からまた海上へ空気が循環する」

「空気が、循環?」

「難しかったかしら? 空気が世界を周るの。そう……今も此処で風が吹いている」



 そう言われ感じる、頰をよぎる温かくも緩い風。その風は木の葉を動かし、落ち葉を踊らせる。



「さぁ、やってみなさい」

「……『風魔法』!」



 そう叫び、ラクリスの掌からは1陣の風が吹く。その風はふわりと、落ち葉を道の端へと寄せて行き、それは一瞬で100メートル程を終わらせる。



「ぷはぁッ!! で、出来ました!!」

「ふふっ! 魔法も使い方や考え方次第って事よ! 私はエデンよりも頭が良いんだから!! さぁ!! 此処の掃除を終えて最高の"観光通り"を見るわよ!!」

「え、えぇ……」



 ヨルは最高の観光通りを見る為にラクリスを利用していたに過ぎず、ラクリスは少し複雑な気持ちになりながら魔法を発動させるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る