第8話 宿の朝
「あ"〜……いやぁ、悪くないなぁ」
『安らぎの泊まり木』に泊まった翌日の朝、エデンは大きく伸びをしてベッドから起き上がった。
エデンの睡眠時間はいつも通り2時間。勿論、部屋に備え付いている机の上には沢山の石が乗っていた。
「貴方はあまり寝ないから良いでしょうけど、私にとっては最悪だったわよ……此処夜中まで"お化け通り"の声が聞こえて来るじゃない」
「いや〜……いつもより集中出来た気がするなぁ」
嫌々と呟くヨルを横目に、エデンは気にした様子もなく顎に手を当てて頷く。
部屋には風呂なんて高価なものは無い。あるのはベッドと机に椅子、通りに面する鍵もついていない窓ぐらいだったが、エデンにはその杜撰さが何処か心地良かった。
(懐かしい……)
エデンは眉尻を下げ一息ついた後に、あらかじめ寝る前に着ていた吸魔の外套のフードを被ると、ヨルと共に部屋から出てギシギシと音が鳴る廊下や階段を降りた。
「おはようございます!」
すると出迎えたのは、太陽のような燦々とした笑顔で、お盆に料理を乗せたエプロン姿のアイナだった。
「あぁ、おはよう。随分ナイスタイミングだぁ」
「えへへ、実はうちってボロいからお客さんとか起きたのが直ぐ分かるんです。お早めにお食事をと思いまして」
「そうか、それは態々ありがとよぉ」
エデンは手をひらひらと振りながら、気怠げに近くの席へと座る。何故か、そんなエデンをアイナは茫然と眺める。
「んぁ? どうかしたか?」
「い、いえ、皆さん『プライバシーも無い宿なのか』と怒られる事が多いので……その上お礼を言ってくれる人も珍しくて」
「はっ……それは最初から見れば分かるようなものだしなぁ。それに、お礼を言うぐらい普通だろぉ」
エデンはよく見なくても分かる穴や隙間を一瞥した後、バカにするように笑い椅子の背にもたれ掛かる。
「そんな奴等無視しろ、無視」
「はは……そうですね。そうします。では、こちら置いていきますね」
アイナはそんなエデンの態度に柔らかな苦笑いを浮かべながら、テーブルへと食事を置きカウンターの奥へと戻って行った。
机上には水が入ったコップ、小さなロールパンが2つにサラダ、少し白く濁ったポタージュスープが置かれていた。値段にしては妥当と言った所だろう。
「はわぁあぁ……今日は何すっかなぁ」
「街を回ってみる? 昨日ラクリスが言ってたじゃない? ラクトの街には"通り"が一杯あるんだって」
ラクトの街はアルザック公爵家の屋敷を中心に3角形に広がっており、その角から屋敷を目指して大きな通りが存在する。
街に入った者を食べ物や芸で歓迎する"エンタメ通り"、幻想的な光と美麗な植物のコントラストが見れる"観光通り"、礼儀を重んじる騎士達の歴史が分かる"回顧通り"。
「昨日のがエンタメ通りなんだろ? じゃあもう全部行ったようなもんだろぉ」
「んな訳ないでしょうが!! 折角久々に街に来たんだし、色々見て回りましょうよ!」
「いや外出するのは……俺石以外興味ねーし。ヨル1人で見に行けよ」
「あ〜!! もう!! 何なのよ!! じゃあ『何すっかなぁ』なんて言わないでよ!!」
ヨルはエデンの頭を可愛い足でフミフミすると、宿の扉から飛んで出て行く。すると、ヨルの怒鳴り声に気付いたのか、アイナがカウンター奥から顔を出した。
「アレ? 誰かとお話してませんでしたか?」
「いやぁ〜?」
「そ、そうですか。てっきり新しいお客さんが来たかと思ったんですが……」
分かりやすく肩を落とすアイナは箒や雑巾などといった掃除用具を持って出て来る。
「……」
「あ、お食事中はお掃除しませんので安心して下さいね」
「いや……別にそれはどうでも良いが、この宿ってアイナが管理してるのか?」
「え、あ、そうなるんですかね?」
「何で疑問系なんだよ……」
「あははは、実は何ヶ月か前までは母が経営してたんです」
「してたって事は……」
「えっと、もっとお給金が出る所で働いているんです」
此処の宿の様子では、母と子……父が居ないにしても2人分となれば十分な収益は見込めないだろう。
そう考えれば、母は別の所で働き、娘が宿の管理をするというのもおかしくはない。
(もっとお給金が出る所、ねぇ……)
高級とまではいかないが質の良い素材が使われたであろう服装、毎日身体を拭いているような綺麗な身体。しかし、それとは相反して痩せこけた頰が、アイナの存在の歪さを際立たせる。お金を貰っているならこうはならないだろう。
「そうか、なら1人でこの宿の清掃とか毎日大変だろう?」
「あ、それなら全然苦じゃありませんよ! えっと、此処を見てて下さい!」
エデンは気まずそうに視線を下に降ろすアイナ見て話題を変える。すると、アイナは近くにある窓を指差した。
「…………ふっ!」
集中するかの様に窓に手を翳し数秒。アイナが叫ぶと、窓は先程よりもピカピカの状態になる。
それは千差万別、知能ある生物に分け隔てなく与えられる、神からの贈り物。
「へぇ、それがお前の魔法か。それなら宿なんてやらなくても清掃業で食っていけるんじゃないか?」
「いえ、範囲はそこまで広くも無いし、あまり連発すると疲れちゃったりするので……」
戦闘に使えるものから、日常に使えるものまで、魔法の種類は様々。それ以外にも、全く意味のない"使えない魔法"というものも存在する。
その他大勢の者が、ほぼそうだ。しかし、アイナの魔法は日常の生活でも上位の魔法と言えるものだった。
「これからも頑張って使っていけよぉ。熟練度が上がれば一瞬で街全部を綺麗に出来るかもしれないぜ?」
「ははは、そんな事出来たら楽しそうですね! っと……もうこんな時間なんだ!? 早く行かないと!!」
談笑していると、アイナはもう日が高くなって来ている事に気付いたようで準備を始める。
「何処か行くのか?」
「お買い物に! エデンさんが食べる物とか、色々買おうと思って!」
「あ"ー……そうかのか。じゃあ頑張って行って来ーー」
そんなアイナを横目に、エデンがご飯を食べ終えテーブルに突っ伏そうとした、その時だった。
「うっ、うっ、うっ、うえぇぇぇぇえぇぇんっ!! 」
突然赤ん坊の様な鳴き声が宿中に響き渡る。お化け通りの影響、という訳でもないようだ。
「これって……」
「あ、あーっ!? エデンさん!! 良かったら一緒にお買い物に行きませんか!? 行きたいですよね? 私1人だと荷物が多くて!! さぁ行きましょう!! 直ぐ行きましょう!!」
「え、あ"?」
アイナはエデンの腕を引き、外へと飛び出す。
宿の奥の方からは、赤ん坊の泣き声が宿から出た後も絶えず聞こえて来ていた……。
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