第40話
◆
瘴気の地、試験調査から半年、いよいよ本格的に瘴気の地調査が始まることになった。この短期間で、中間点近くに調査隊の拠点官舎が作られ、隊員が募られ、研究室が建てられた。あまりに迅速な建築には、業者が「まいったよ」と愚痴を言っていたとはサコットから聞いたことだ。それでも国家事業なので断る手はないと、全力をつくしたのだそうだ。なにせ、国からの依頼だ。はくがつくし、いい宣伝にもなる。予算もよかったらしい。
調査隊員は一般公募もかけた。ヒアミックの魔法力取り込み制御装置もまだそこまで沢山の数は作れていない。適性のない者は順次交代されるので、シキアの部下は随分増えた。遠征ではないので、前のような野営訓練はそこまでしなくてよくなったが、調査が本格化するので、最低限の知識は叩き込まなくてはいけなくなった。
不良者が中心なので、読み書きができないものも多い。その教育係も雇われたが、それでもついていけない者の援護にシキアもあたらなくてはいけなくなって、本当に時間があっという間に過ぎ去っていく。
「教育係にまかせておけばいいものを」
ヒアミックは眉を寄せたが、不良者は「先生」に慣れていないこともあって、苦労しているのだ。ただでさえ劣等感と無力感を抱いて生きているのだから「できない」ことを思い知らされるのは、やっぱり苦痛だ。
同じ不良者のシキアなら少しは気安いかと思って声をかけているのだが、あわせて隊員のことも知れるので、無駄だとは思わない。
ただ、身体がいくつあっても足りないな、とは思う。図書館の仕事もしばらくはヒアミック家の掃除係にお願いすることになった。ヒアミックも調査隊責任者として瘴気の地へいくので、図書館はしばらく閉められることになる。だから今日は最後の勤務だ。
「早く戻ってこなければ、ですね」
「そうありたいな」
「最速でどのくらいでしょう?」
「さあ、まるで見当がつかないな。一年か五年か十年か」
「えっ、そんなに」
「父君のことは、我が家にまかせておきたまえ」
「ありがとうございます」
そう、それは本当にありがたい。父と離れるのは寂しいし心配だ。そう、ありがたい。
でも、それだけじゃなくて……。
うつむくシキアに、ヒアミックは珍しく声を上げて笑った。
「冗談だ。そんなに長い時間を取るわけにはいかない。王がこの計画を表ざたにしたのは、もう時間がないからだ。更に動くぞ。だから、調査は迅速に、できれば一年」
そんな短い時間で、あの鉱脈を解析して利用可能にしなければならないのか。とても実現可能だとは思えない。けれど。
ヒアミックが不適に笑う。
「私を誰だと思っている?」
「天才ヒアミック様です」
「そう、その私が、全力を尽くすのだ。できないと思うか」
「思いません」
だからシキアもヒアミックの為に、全力を尽くすのみ、だ。
「なんか、妄信的すぎないか」
それまで黙って聞いていたサコットが不機嫌そうに腕を組んで首を傾げた。
「先生は天才ですから」
「それは知ってるけど。……んーなんか、オモシロクナイ」
「そう嫉妬するな」
「お前は楽しそうだね」
「ああ、楽しいぞ。こんなに本気の全力で取り組める仕事なぞ、そうそうあるものじゃない」
それも、王の為だ。
小さく呟かれた言葉は聞きほれてしまうくらい純粋な祈りに似ていた。
「サコット、君はしっかりとこの王都と王を守りたまえ」
「お前に言われる間でもないよ」
「偉い偉い。シキア、頭を撫でてやってはどうだ」
「……先生、機嫌いいですね?」
「君たちは悲壮感にあふれているな。まあ、幸せな恋人同士がもうすぐ離れ離れになるのだから当然か」
ヒアミックは口の端で笑う。サコットは不愉快そうに何か言い返したが、シキアは「幸せな恋人同士」という言葉にちょっと酔ってしまった。
(恋人同士、だって)
それも、幸せな。
「シキア、もう今日は先生をおいて帰ろう」
「待て待て、遠距離恋愛を悲観する君たちに少しばかり報告がある」
「はあ」
「なんだよ、もったいぶって」
ヒアミックは大仰に前髪をかきあげて、まるで役者のようにわざとらしく眼鏡をとった。
「私の移動魔法は知っているだろう?」
「ああ。便利だよな、あれ」
「サコット、心配するな、離れても私は毎日でも君に制御魔法を掛けに来てやれるぞ」
「知ってる、っていうかこれまでもそうだっただろうが。今更なんだ」
そうだったのか。確かに、考えてみればサコットが国境や発掘所担当のときは制御魔法が切れていた、はずがない。移動魔法でヒアミックがかけに行っていたのか。思えば、サコットは初めて会う前からシキアのことをヒアミックからよく聞いているようだった。
「それなんだがね。私は前回の調査で己の無力さを恥じたんだ。もしあの時、私が移動魔法でサコットをあの場所から切り離せていれば、あんなことにはならなかった、と」
「移動魔法は自分にしか掛けられないものですよね?」
「そう。それを私は何故、もっと研究しなかったのか。シキアが倒れている間から研究を始めて、晴れて先日、私は開発したんだ」
「先生?」
「ひとを運べる移動魔法を、な」
「なんだと!」
サコットが悲鳴をあげる。シキアは魔法を使えないが、本で読んだことがあるから、それがどれだけ不可能なことなのか、なんとなくはわかっているつもりだ。この国の長い歴史の中で、何度も研究されては打ち捨てられてきた「不可能」それを、ヒアミックは完成させたというのか。
「まあ、まだ実験段階だがね。動物では成功したが、まだ人で試していない。だれか実験に付き合ってくれる人材がいるといいのだが」
「先生!オレが!」
「ヒアミック! 俺が!」
同時に叫んで、顔を見合わせる。ヒアミックは柔らかく薄く微笑んで、眼鏡を掛けなおした。
「では、二人に実験台になってもらおう。ということで、遠距離恋愛を悲観するのはやめておけ」
「この天才!」
「さすが先生です、尊敬してます!」
「わかりやすい煽てはやめなさい。さて、明日からも予定が立て込んでいる。今日くらいは早めにきりあげるとしよう。シキアも早く身体をやすめるように」
ヒアミックはひらひらと手を振って、さっさと図書館から出て行った。
サコットがそっとシキアの手を握る。
「あまり、無理をしないように」
「はい、サコット様も」
毎日はあまりに激動で、この先がどうなるかもわからない。けれど、きっと、大丈夫。この、青い目を思い出すだけで、強く生きていける。
憧れの人は、愛するひとになりました。
シキアは、そっと微笑んだ。
終
図書館主の弟子と金の騎士 高樹ヒナコ @hinakotakaki
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