第39話


 三日後、サコットは自主投獄を終えて謹慎から復帰した。すぐにでも会いたかったが、一か月も休んだので、仕事が溜まっていたらしく、それまで隊を仕切っていた副長に引きずられるように訓練所と事務所を往復する日々を送っているらしい。それとあわせて王との謁見やジーン隊への挨拶まわりなど、多忙を極めている、とはヒアミックから聞いたことだ。

 サコットが無事戻ったことにより、一つ問題が解決した王様は、本格的に瘴気の地調査を国の事業として打ち出した。今度はシキアが忙しくなる番だった。

 ヒアミックとあのとき世界樹で見た光景を報告しあって、あの地下にある鉱脈こそ凝縮魔法力だと決定づけた。あの鉱脈をまるまる掌握できれば、今の鉱脈など、おまけ程度になる。それこそ取り合いをしているのが馬鹿らしくなるほどに。

 夜鳴鳥があの大きさだったのは天敵がいない場所だというだけでは解決しない。ヒアミックは小鳥が食べていた魔法石に成長因子でもあるのではないかと推理しているが、これは研究してみないと分からないらしかった。

 それから最も大きな発見は、魔法石から湧き出る水のことだ。今でも魔法石に魔法を込めることはできるが、それには相当純度のたかい選ばれた魔法石が必要で、とても大量精製などはできなかった。だから魔法石は基本的に魔法力の補充だけで使われる。だが、もしあの鉱石の石がすべて純度の高いものだとすれば、魔法石そのものに魔法を混め、利用ができるということだ。それこそ、誰にでも簡単に、同じ精度の魔法が手に入るということだ。シキアにさえも。

「国力をつけるために、まさにそれは理想の状態だ」

「だれでも高度な魔法を手にできる、からですか」

「それだけではない。今まで人の手でしていた作業を魔法力に任せることもできるようになる。例えば、小さなことで言えば、暗くなるたび蝋燭に火をつけて回らなくても魔法石一つ置くだけで済むようになる。そうなれば、蝋燭に火をつけて回っていた時間を他の作業にまわせるだろう。そこから始めるんだ」

 とにかく、そのためにも瘴気の地の調査は本格的に早急に進められることになる。王が先導する事業は最優先で進められるから、あっという間に道が整備され、中間点近くに調査隊官舎および研究所が建てられいく。遠征では時間がかかりすぎるから、そもそも拠点を作ってそこに住み込みで調査が進められるのだ。さすがに大金が動かせるとなるとやることが大きい。

 引き続き、調査隊はシキアが率いることになり、当然、責任者はヒアミックだった。官舎ができるので、隊員の人数も増やすことになり、そこを管理する人間もつれていかなければならない。

 目が回るような毎日の中で、サコットのことを思わない日はなかったが、とてもゆっくり会うなんてことができないままに、時間だけが流れていく。このまま調査が始まってしまえば、シキアはしばらく王都に戻れなくなる。サコットはまだ三年は王都の騎士なので、離れ離れだ。

 こうなると、地下牢で二人だけですごした時間が懐かしく思えて、不謹慎だと己を叱咤する日々が続いた。

 駆け抜けるような毎日が、ひと月は続いただろうか。ヒアミックからようやく一日だけ休みを貰えた。ヒアミック方が断然忙しそうではあったが、王の事業だからか、生き生きしている。 

 身体が心配だったけれど

「私は休みなどいらん」

 と笑うので、それを信じることにした。シキアはさすがに限界だったのでありがたく休みを貰う。サコットに会えないかと思って、こっそり訓練所を覗きに行こうと思ったときだった。

「シキア!」

 城前の噴水広場で声を掛けられる。振り返らなくても誰の声かなんて、分かる。ずっと、会いたかった。

「サコット様!」

 かけてきたサコットは金の髪に日を翻しながら、柔らかく笑う。

「休みなんだって? 俺もようやく休日だ」

「そうなんですか! あの」

「うん、約束だった焼き菓子屋に行こう!」

 え、あ、そうだった、その約束もあったんだ。嬉しそうなサコットに連れられて商業層におりる。相変わらずにぎやかな街はシキアをわくわくさせた。

「ねえ、シキア、焼串も買っていいか」

「貝ですか、珍しいですね」

「そうだろう? よし、買おう。店主、二本くれ」

「サコット様! ありがとうございます」

 サコットは財布から硬貨を取り出して店主に渡した。最初は革袋そのまま渡していたことを思い出して、おかしくなる。そんな前のできごとじゃないはずなのに、随分前のことのように感じる。あれからあまりに色々ありすぎて。

 それでもサコットの側に居られること、夢のようだ。

「はい、シキア。あ、美味いな」

「ありがとうございます、本当だ美味しい。今度父さんにも買おう」

「今日はいいの?」

「今日はヒアミック様の屋敷にお呼ばれしているので」

「あー、じゃあ、シキアも早く帰らなきゃいけない?」

「いえ、オレは仕事のはずだったので丁重にお断りしています」

「じゃあ、今日一日、君を貰っても?」

 悪戯気に微笑みかけられて、嬉しくて奇声を発しそうだ。そういえば、最初の事はよく奇声を発しては父にうるさいと叱られていたな、とおかしくなる。そんな人の側にいるのは不思議だ。

「さて、肝心の焼き菓子屋に行こう」

 焼き菓子屋は大繁盛だった。列ができている。そこにおとなしく並んだら、サコットに気づいた人たちに囲まれて大変だった。店の前がめちゃくちゃだ、と店主に叱られて、仕方なく退散すると、こっそり裏口から焼き菓子を渡してくれた。

「サコット様、来てくれる約束だったのに、なかなか来てくれなかったから心配してましたよ」

「すまない、少し取り込んでいてね」

「国境戦で負傷をしていたんですよね? これは見舞いですから代金は結構です、今度からは変装してきてくださいよ」

 気のいい店主に礼を言ってから、サコットは服屋に入った。

「サコット様?」

「いやあ、確かに変装した方がいいかと思って。せめて帽子でもかぶろう」

「あと変装ならマントは外した方がいいかと」

 騎士として街に来たかったのならマントでもいいが、変装なら目立ちすぎる。

「え、シキアもそう思ってたの? 早く言ってよ」

 サコットは苦笑しながらマントを外して、帽子を買った。

「次はどこへ行きますか」

「そうだな、少し街はずれなんだけど付き合ってくれる?」

「どこへでも」

「言ったな?」

 本気だ。 

 サコットはどこへ連れて行ってくれるのだろうと思うと楽しさが更に嬉しくなる。

 サコットが言った通り、少し街はずれまできた。店はあるが、中心地よりも静かな印象だ。路地に入って、サコットはおもむろに小さなドアの前で立ち止まる。街に溶け込んだ、縦長の小さな二階建ての家という感じだ。誰かを尋ねるのだろうか。

「ここですか」

「そう」

 ノックをするかと思ったサコットは、鍵を取り出してドアを開けた。

「どうぞ」

 促されて足を踏み入れる。

「ようこそ、我隠れ家へ」

「え、サコット様の家ですか」

サコットの屋敷は上層にある。宰相の家からも近く、シキアも城に行く道でその前を通る。

 それとは別に――。

「隠れ家だと言っただろ? 案外、皆持っているもんだよ。騎士は俺以外皆持っていた。俺はいらないと思っていたけど、ね」

「ヒアミック様からはそんな話聞いたことな――」

 声を飲んだのは、背中から抱きしめられたせいだ。

「サコット、様」

「二人だけになりたかった」

 項の辺りで囁かれて、背中から跳ね上がる。

「あっ」

 声がこぼれて、羞恥で泣きそうになった。触れたいと、ずっと思っていたけれど、こんな不意打ちは、妄想の中にもなかった。

 項を這ったサコットの唇が首から、喉へと伝って、あ、と思ったときには正面から抱きしめられた。身を包むサコットの香りに頭がくらくらする。

 ずっと、こうしたかった。

 こうしてほしかった。

 ずっと。

 サコットの背に手を回して、力いっぱい抱きしめ返す。

「シキア」

 返事の代わりに顔をあげると、そのまま口づけられた。そっと触れるそれは、すぐに貪る熱に変わり、唇を舌で割られて、熱い塊が咥内を暴れた。必死でそれに応えながら、身体中から力が抜けていく。がくりと膝が折れたときには、慌てたように腕を引かれ、

「ごめん、性急すぎたな」

 謝る言葉ごと、唇でふさいだ。

「っ、シキ……っ!」

 まだ日が高い。こんな太陽の下でも、獣の目をするんだな、とぼんやり思う。これは自分だけのものだ、オレだけのたからもの。騎士を脱いだサコット様を知っているのは、オレだけだ。

 もうそれを思うだけで、シキアはなんでもできる気がした。

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