第35話

 サコットはこの更に地下の牢にいる。場所は知らないから、さっきヒアミックが言った通り、食事係に教えてもらうしかなさそうだ。

 普段は出入りしない城の厨房に行ってみたが、あまりに忙しそうなので声をかけるのはためらわれた。ちょうど昼食前、時間が悪かったのだろう。だいたい、誰に声をかけたらいいかも分からない。こんなとき、親しい人間の一人もいれば、こっそり聞いたりできるのだろうが、シキアはそれを怠ってきた。今の自分にできることなんて無いんじゃないないか、と途方にくれながら、出直すか、と思ったとき、厨房前の廊下を通りかかった掃除係の男に呼び止められる。

「シキアじゃないか、珍しいね、こんな場所に。具合が悪かったって聞いてるけど大丈夫なの?」

 男はヒアミックの屋敷で掃除係もしている顔見知りだった。ウサミほど話しはしないが、挨拶程度をするくらいだ。まさか声をかけてくれるとは思わなかった。シキアと同じくらいの歳ごろで、同じ不良者だ。話したら仲良くなれるって、とウサミには何度も言われているが、機会がなくてそのままにしていた。

「あー、そう、今日から図書館に復帰したんだ」

「そうか、よかったな、元気になって。ヒアミック様が荒れて大変だったんだぞ」

「荒れて?」

「そう。食事も睡眠もとらないでずっと何か研究に閉じこもって。あれって君の看病かなんかだったんだろ?」

 そんな話は聞いていない。看病は父親と医者がしてくれたと聞いている。それにヒアミックがそんなことをするとは思えないので、きっと何か他の研究だったのだろうと思うが、

「いやあ、びっくりしたよ。あのヒアミック様でも取り乱すんだなって。本当に大事にされているよなあ」

 ヒアミックの評判が上がっているようなので黙っていよう。大事にされている、それも間違いじゃない。きっと彼が思うような意味ではないが。それでも、彼の言い方には妬みや嫌味がなく。すんなりと受け止められた。ウサミが彼をオススメする理由が分かった気がする。きっと、いい人間なのだ。

「あの、ありがとう、心配、してくれて」

「ん、実はさ、ずっとシキアともっと話してみたいと思ってたんだよ、そういうやつ一杯いるぞ? 人と話すの苦手ってのはウサミから聞いてるけど、ちょっとずつでも苦手が治ればいいな。そうすりゃ、今みたいに困ってるとき声掛けれるひとが増えるだろ」

 シキアは驚いて瞬く。つまりこの男はシキアが困っていることに気づいて声をかけてくれたのだ。全然親しくもないシキアの為に。

「あの、ありがとう、ダン」

「お、名前知ってくれてたのか。それで? 何を困ってるんだ?」

 このまま彼の好意に甘えるのはどうなんだとは思ったが、今は他に頼れる人もいない。

(そうか、頼れる人を作るっていうのは、自分の世界を広げることなんだ)

 そんなことに今更気づく。浮いているからという理由で城の不良者の集まりに顔を出すのもやめていたけれど、今度顔を出してみようかと思う。世界を広げることは選択肢が増えるということだ。何もできない自分に苛立つくらいなら、変えていかなきゃいけないのだろう。

 その一歩。今はダンを頼ることにする。

「あの、食事の配膳係、っていうのかな、運んだりする人、その責任の人って、どの人だろう」

 厨房を覗き込んでみるけど、皆忙しそうに調理中だ。

「ああ、それならバトウ様だろ。今は隣の配膳室にいるぞ。でも今は忙しいからなあ、相手してくれるかな」

「だよね。落ち着いてからにしてみる」

「バトウ様分かるか? 髭が長い、眼鏡のじいさん」

 言い方は雑だが、シキアにもすぐ分かった。城で見かけたことがある。真っ白い髭が綺麗だなっていつも思っていた。

「それ言ったら機嫌よくなると思うぞ。あの人、髭褒められるの好きだからな」

「ダンは何でも知ってるんだな」

「なんでもは知らないぞ。それでいうならシキアの方がなんでも知ってるだろ、図書館の本、ほとんど読めるんだろ? 俺らなんて、簡単な文字しか読めないからな」

 じゃあな、と陽気に手を振ってダンは仕事に戻っていった。

 そういえば、ヒアミックからこの国の識字率について聞いたことがある。そのときは偉そうに何か答えた気がするが、今となっては恥ずかしい。

 シキアは森にいる頃から父親に読み書きと計算は習っていて、ここに来てからは難しい言葉はヒアミックが教えてくれた。図書館の本が読めるのは当たり前だと思っていた。きっと、もっと、色々なことを知らなければならない。

 だが、今は、サコットのことだ。

 そっと覗いた配膳室は、やっぱり忙しそうだった。でも、食事を運ぶなら、ここからだろう。今、聞かなければ夜まで待たなければならない。シキアは思い切って、配膳室に入った。すぐに気づいたバトウが眉をひそめてシキアの前まで足早に歩いてくる。

「なんだね、今は忙しい、見て分からないか」

「申し訳ありません、その、急ぎの要件で」

「なんだ、ヒアミックの使いか?」

 流石にシキアが何者なのかは分かっているらしい。話が早くて助かる。ここは宰相息子の権限を使わせてもらおう。

「はい、あの、サコット様に用事があって――食事の配膳を、させてもらえないでしょうか」

「なに?」

 バトウはぎゅうと眉を寄せて目を剥いた。怒られるかと身構えたシキアだったが、バトウは意外にもそのまま笑った。

「それは助かる」

「助かる、ですか?」

「そうだ、だいたいあの小僧が勝手に地下牢で謹慎なぞ初めおって、面倒はこっちに押し付けられて大変なのだ。騎士への配膳なぞ、誰にでも任せるというわけにはいかんからな。うちの優秀な配膳係をサコット一人に取られて困っていたのだ。ヒアミックの弟子なら問題ないだろう、ほら、そこに用意してある、持っていけ」

 随分な高齢だから、ヒアミックやサコットを小僧扱いなのが新鮮でちょっと面白い。そうだよな、想定外の仕事が回ってきて、皆大変なんだよな、と小さく頷く。

「なんなら、これからずっとやってくれてもいいぞ」

「それは、あの、先生に聞いてみないと」

「わたしから話をしておこう」

 それもいい気がする。できればサコットがすぐに地下牢から戻ってくれればよいのだけれど。

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