第36話
地下牢の場所を聞いて、バトウじきじきに地下入り口の門番に話をつけてくれて、あっさりとシキアはサコットの配膳係になった。ヒアミックの言う通り、地下牢自体には見張りも含めて誰もいない。今の刑務所ができるまではここに罪人が囚われていたのは本当で暗く冷たい石づくりの牢がいくつも並んでいる。図書館も地下だから寒いのは慣れているが、ここはもっと奥だから、芯から震えるくらい、寒い。申し訳程度に通路にろうそくがかけてあるだけで、たぶん、まめに補充もしていないから、ところどころ火が消えている。
教えられたサコットの牢は一番奥だった。ろうそくがついているからと教えられたが、消えている。サコットは魔法を使わないので、火は消えたままだった。こんなに暗いと顔も見えない。
こわい。こんな場所で一人で謹慎していて、サコットはどんな気持ちでいるのだろうか。会うのが、初めて怖いと思った。
牢の前の火が消えたろうそくに火打石で火をつけて中を見ると、サコットは入口を背に、足を組んで座っている。絨毯もない、固い石の床に直に座って、まっすぐに背中を伸ばして。瞑想でもしているのか、シキアが来たことには気づいていないようだった。
「サコット、様」
声をかけると、ぴくりと背中が跳ねた。
「昼食です」
サコットは背を向けたままで、また背中が跳ねる。少し、唸った声が聞こえた。
「あの、食事をテーブルに置くので、入りますね」
牢に鍵はかかっていないのだから。
木でできた簡素なテーブルに持ってきた食事を置く。ちらとサコットをみると、薄暗いながらも表情がやっと見えた。あきらかに、痩せている。でも、思ったより身ぎれいで、安堵した。さっきバトウが愚痴っていたが、本当に罪人のような扱いをするわけにはいかないので、洗髪魔法や洗体魔法を使える者も定期的に来ているそうだ。本人は拒んでいるそうだが。
古い地下牢なのに思ったより綺麗なのも、掃除をこまめにしているのだろう。この自主謹慎は思ったより、いろいろな人の手が取られている。
「サコット様」
もう一度声をかけると、ようやく声が届いたかのようにサコットがはじけるようにこちらを向く。
「な、シキア⁉」
「はい、食事の時間ですよ」
「いや、な、ん、え? なぜ、君が」
「今日から配膳係になったんです」
正式にはまだ、だが。
サコットはぼんやりとシキアを見つめて、それから大きく首を振った。
「ヒアミックの差し金か」
流石、付き合いが長いだけあってか察しがいい。でも、シキアはその答えが不満だ。だって、久しぶりに、会ったのに。
「あの、オレは、サコット様に会いたかったです」
「っ、ぁ、そんなこと、俺も、同じだ」
サコットはもう顔を背けている。シキアに背を向けて、さっきと同じように瞑想でもしている格好だ。でも全然、集中できていないのだから、そんなごまかしは無駄だ。
「やっと会えたのに、顔も見ることができないんですか」
「合わせる顔なんて、ない」
「そう、ですよね、サコット様がこんな目にあっているのは全部、オレのせいだから……だから、ちゃんと謝りたかったんです、本当に、ごめんなさい、申し訳ありません」
サコットがまたはじけるようにこちらを振り返る。やっと、正面から見られた。シキアは深く頭を下げながら、嬉しくて笑いを抑えきれなかった。
「君のせいじゃない! ヒアミックから聞いていないのか? 俺には正式な懲罰は謹慎しか下っていない、これは君を傷つけた罰を、俺が勝手に」
「はい、聞いています。でも、サコット様がオレを傷つけたことが赦せないように、オレもあの時、世界樹までサコット様を来させてしまった自分が赦せないんです。オレもここで謹慎したいくらいです」
「シキア――」
しばらく、どちらも言葉を失った。何か言おうとは思うのだが、何も出てこない。地下牢は静かで、静かすぎて、耳が痛かった。
どれくらいの時間が流れたか分からない。先に口を開いたのは、サコットだった。
「まだ、ちゃんと謝罪していなかったな。君を傷つけて、本当に申し訳ない。正気を取り戻したとき、目の前で君が、血に、まみれて、それが俺の魔法のせいだって、分かって」
目がそらされていく。いつも太陽のようだったひとに、暗い陰がさしている。
(オレのせいだ)
あの時は他に方法が見つけられなくて、あれが正しいと思った。あれしかサコットを救う方法はないと思った。そのあとのことまで、考えてなんていなかった。正気を取り戻したサコットが、どれだけ傷つくか、そういう人だと、知っていたのに。でも、後悔はしていない。
「あれ以上、サコット様が人を傷つけるのを見ていることはできなかったから、他に方法がなかったんです。先生も止めてくれた、オレの我儘です」
「君は、死ぬかもしれなかったんだぞっ、それを」
「オレはそんなつもりなかったです。先生がいましたし、絶対助かると思ってた」
「ヒアミックを信頼しすぎだ」
「サコット様は違うんですか」
答えはない。まるで図星を言い当てられたみたいにサコットは小さく唸っただけだった。
「あの、食事が冷めてしまいましたよ」
「……あとでいただく。君はもう戻ってくれ」
「いえ、配膳係は片付けまでが仕事だと言われたので」
サコットは仕方なしに食事を始めた。
「食事もいらなと言っているのに」
「何言ってるんですか、罪人でもないのにそんな扱い、出来るはずがないです。知っていますか? サコット様が質素な食事を求めるから、厨房はわざわざ上質な材料で質素な食事を作っているんですよ、サコット様の為だけに」
ちょっと嫌味がきつすぎたかな、と思ったが、バトウの話を聞いていると同情してしまったので仕方がない。サコットは今知ったのだろう、気まずげにシキアと、食事を見比べて瞬いた。
「俺は罪人だぞ」
「違います、騎士様です」
「辞職した」
「王様は受け付けていないと聞きました」
「俺が辞めると言っているのに?」
「先生が言うには、騎士には自分から辞める権利などないそうですよ。騎士は王の為にある、そうなんですか?」
「それは、そうだが」
サコットは唸りながら食事を済ませ、また唸った。
「俺は今、シキアから説教されているか?」
「すみません、僭越ながら、そうです」
「俺の行動って、騎士の我儘なのか?」
「すみません、僭越ながら、オレにはそう見えます」
「シキアは容赦ないな」
サコットはようやくはじけるような笑顔を見せた。
「そうか、これは騎士の我儘か」
本当は、王様とヒアミックを心底困らせているので、結構な背信なのではと思うが、黙っておく。
「だが、謹慎期間はここで過ごすと決めたからな、このまま我儘は貫き通させてもらおう」
「あー、サコット様は強情だって先生が言ってました」
「あいつには言われたくないな。それに、君にも」
「オレはそんなことないです」
「何言っているんだ? 先生にそっくりだよ」
やっと、よく知るサコットと話せたような気がする。やっぱりこの人は太陽なのだ。
「じゃあ、オレもしばらくは配膳係のままですね」
「なぜ」
「バトウ様に頼まれました」
まだ正式にではないが。
「バトウか。はあ、怒ってた?」
「疲れてました」
「そうか、謹慎あけたら謝りにいくよ」
とりあえず、話はできた。謝りたいと思っていたことは伝えられたし、笑顔も見られた。今日はこれで十分だ。まだサコットの口から「騎士を辞めない」と聞いていないので、配膳係は続けさせてもらおう。
食器を下げるために立ちあがると、サコットが小さく息を吐く。
「シキア、本当に、体は、大丈夫なのか」
「見てのとおりです。ジーン隊の魔法使いはすごく優秀なんですね、大きな傷ひとつ残ってないです。見ますか?」
「っ、君ね、そんなことを軽々しく」
最初首を傾げたが、サコットの言う意味が分かって、シキアは一人で赤くなった。違う、そんなつもりじゃなかった、でもこれではまるで、寝所に誘っている言葉そのもので――。
でも、見て欲しい、それは、本当で。
「あの、ほんとうに、その、みて、欲しいです」
貴方はオレを傷つけなかったんだ。そう、思って欲しい。欺瞞だけれど、それでも、また、貴方と並んで、歩きたいから。
サコットはもう何度目か分からない唸り声で困ったように顔をそむけた。本当はいますぐここから出て欲しいんだけどな。そう思いながら、この日は地下牢を後にした。
正式に食事係になったのは、次の日からだった。
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