第33話
◆
目が覚めたのは自宅で、だった。
「シキア! よかった、目覚めなかったらどうしようかと思ったよ」
心配そうに顔を覗き込んでいた父親の目に涙が浮かんでいる。最初、何をそんなに喜んでいるんだろうと首を傾げたが、体の痛みに少しずつ現状を思い出してくる。
「あっ、サコット様、は?」
「国境戦は停戦されて、調査隊も無事に帰還しているぞ」
そうなのか、それは本当に良かった。ウサミを筆頭に皆に会いに行かなければと思ったが、しばらく体が自由に動きそうにない。ぱっと見たところ大きな怪我にはなっていないように見える。優秀な治癒魔法使いばかりだったのだろう。
「それで、サコットさま――」
「あ、ヒアミック様に報告しなければ。医者も呼んでくる、ゆっくり寝ていなさい」
「うん、父さん、あの」
「じゃあ、くれぐれもゆっくり寝ているんだぞ」
父親の顔色も良くはないが、今のシキアよりは元気そうだった。父親はあわただしく部屋から出ていく。一瞬、追いかけようかと思ったが、どうにも体に力が入らないので今は諦めておとなしく寝ていることにする。
国境戦でサコットに制御装置を取り付けるために、回復魔法と治癒魔法と防御魔法をかけてもらいながらサコットの側までいったことは思い出した。
(えっと、それからどうなったんだっけ)
確かに、側まで行った記憶はある。ちゃんと取り付けられたのか、サコットは魔法の暴走を止められたのか、そこのところがわからない。途中で倒れてしまったのかもしれない。それでもシキアが今生きているのだから、サコットの魔法は止まったのだろうと考えていいはずだ。
「いい、よな?」
いくら考えても答えはでなくて、早くヒアミックに話を聞きたかった。
父親はすぐに医者を連れて戻ってきた。父親を看てくれている医者なので気安い。
「国境戦に巻き込まれたんだって?」
「あ、はい」
そういうことになっているのか。まあ、前線に自ら飛び込みました、なんて言ったらどんな顔をされるかわからない。
「お父さんも眠れないくらい心配していたよ、目覚めてよかった」
「すみません」
「君が謝ることはないだろう。責任者はヒアミック様だからな、責任はあの子にある」
医者はヒアミック家にも雇われているので、ヒアミックとも顔見知りで、昔から知っているらしい。ヒアミックが「あの子」と呼ばれているのはちょっと笑ってしまったが、「責任」という言葉の重さにひやりとした。ヒアミックに何か罰でも下っているのでは、と思うと不安と恐怖で苦しくなってくる。今はとにかく、状況が知りたい。
と思うのに、安静にしなさい、と寝かしつけられ、シキアはベッドの中で悶々とすることしかできなかった。
飲まされた薬のせいか、うとうとしながら、気づけば薄暗い。もう夕方だろうか。と思ったとき、静かに部屋のドアがひらき、綺麗な顔が覗き込んでくる。
「せんせい」
ヒアミックだった。薄暗いからよく見えないが、顔色は悪くなさそうだ。見慣れたいつものヒアミックに見える。珍しく、その顔が柔らかに緩んだ。
「目覚めてよかった」
「あ、すみません、オレ、どれくらい寝てたんですか」
「十日目だ」
「十日も⁉」
父親も医者も教えてくれないから、せいぜい一日寝たくらいだと思っていたのに。それは父親も憔悴するはずだ。
「外傷はほとんどないからな、失血と内傷の回復に体が睡眠を選んだのだろう。今は静養するしかないらしい。まあ、目覚めれば食事で栄養補給ができるから、少しずつ回復するだろう、ということだ」
「そういえば、お腹がすいたかもしれないです。先生の顔みて安心したからかな」
「すぐに肉、とはいかないらしいぞ。スープ辺りから慣らしていくようだ」
「あー、はい」
空腹を自覚すると、がっつり食べたい気分だったが、それは駄目なのか。なんだかがっくりしてしまう。
それにしても、シキアは寝たままでヒアミックには立たせて話をするなんて落ち着かない。せめて上半身を起こそうとすると、慌てたようにヒアミックが駆けてくる。それまで入口で立ったままだったことに今更ながら気づいた。たぶん、遠慮していたのだ。
「先生が遠慮なんて面白いです」
背中を支えられて上半身だけおこすと、ヒアミックはバツが悪そうに肩をすくめた。
「私にも贖罪の感情くらいある」
「それはそうでしょうけど」
ヒアミックがまっすぐにシキアの目を見つめて、そっと伏せた。
「こんな姿にしてしまって、申し訳ない」
「こんな姿って。ちょっと寝てただけですよね」
「そんな訳がないだろう。傷がないのに昏倒している君をここまで連れ帰ったとき、父上がどんな顔をしたか……」
「でもオレが望んだことだから」
「許可したのは私だ」
ヒアミックは始終、神妙だった。こんな姿見たことがない。これは、シキアが思っているよりも大事になっているのではと、心臓がぎゅうと締め付けられたような気がした。
シキアはサコットを止めたかった。それだけで、他のことはなにも考えないで――。
「先生、あの、サコット様は」
「とりあえず、君は全快をするまで静養するように。歩けるようになったら散歩がてら図書館に来てもいいが、仕事は休みだ。ああ、動けない時間は退屈だろうから、何か本を見繕ってこようか」
「あ、はい、ありがとうございます」
こわいくらい、ヒアミックが優しい。師匠としても責任感なんだろうが、あまりに慣れないから、こわい。
「あの、先生」
「調査隊は皆無事に帰還して、通常生活に戻っている。君を見舞いたいと言っているが、今は安静期間だからと止めた」
「皆無事で良かったです! そういえば、ばたばたで解散になりましたね。何の声もかけてない、オレ、隊長なのに」
「全快すれば挨拶周りにいけばいい」
なるほど、そうすればいいのか。今回の調査隊は解散だけれど、またお願いすることになるだろうから、お疲れ様、ありがとうくらいは言っておきたい。今回で終わりの隊員もいるだろうし。
「それで、先生、サコット様は」
「私は君を守り切れなかったことを王から叱責されたくらいで、これといっておとがめ無しだ。宰相息子の地位は便利だな」
「それはそうでしょうけど。オレのせいで王様から怒られたんですか、すみません」
「その程度で終わるほうがおかしいだろうがな。まあ、調査は王の命令だから咎められるいわれがないのだ」
おかしい。明らかに様子がおかしい。絶対におかしい。さっきから、誰もサコット様の話をしない。父親と医者が話してくれないのはいいとして、ヒアミックは絶対にわざと避けている。
「先生」
ヒアミックもそのわざとらしさに自ら辟易していたのか、ここでようやく観念したように息を吐いた。
「分かっている、あいつのことだろう」
「はい」
「無事だよ」
「良かった! じゃあ、もう仕事に戻ってるんですね」
本当は顔が見たいと思ったけれど、サコットの事だからシキアに気を使って元気になるまでは来ない、とでも言いそうだ。それでもいい、サコットが無事なら、それで。
でも、ヒアミックが小さく唸ったから、不安になった。
「先生?」
「本当なら引きずってでもあいつを連れて来たかったがな。今は無理そうだ」
「あ、国境戦の後始末とかで騎士隊は忙しいんでしょうね」
「それもあるが」
ヒアミックがずっと言葉を濁している。こんな姿、本当に見たことがない。らしくない、というのはこういうときに使うのだろう。
つまり、あまりに「言いにくい」ことが、あるのだ。
ぞくりと背中から震えた。でも聞かないなんてできない。ヒアミックは伝えたがっていない、それだけで、色々な最悪の想像が頭をめぐる。
受け止めなければ。
「先生、大丈夫、です、聞きます」
「今の君に話すには、酷だと思うがね」
もうそれだけでも嫌なことが起きているのは分かる。
「聞きます」
「強情なのは父親似か?」
「先生に似てるって言われてます」
「なるほど、では仕方がないな。聞いても君は全快するまで静養するという約束だけ、くれ。いや、これは命令だ」
「――分かりました」
最悪の想像は、した。だから受け止められる。サコットが命は無事ではあるが、シキアと同じように昏倒したままだと聞かされても、落ち着いて居ようと、布団の裾を握り締める。
ヒアミックはシキアの目を見つめたままで、静かに口を開いた。ため息交じりの低い声が響く。
「サコットは今、城の地下牢だ」
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