第2話

 ◆


 王宮図書館の朝は肌寒い。王宮前の噴水広場には眩しいほどの朝日が輝いている時間だが、図書館は地下だからだ。ここが温かくなるのは昼を過ぎてからだ。天気が悪い日などは一日中肌寒いこともある。図書館主が温暖魔法を使ってくれれば過ごしやすいのだが、本の管理上適正な室温というんがあるらしく、図書館主は厳密だった。まあ、肌寒い、くらいなのでそれほど苦痛ではないのだが。


 ぐるりと見渡して奥までギリギリ見えるほどの図書館は館主ヒアミックと弟子のシキアで運営している。といっても、来訪者はあまりいない。シキアの仕事はすべての棚からほこりを取り除くことから始まる。毎日やらないと本が傷んでしまうのだとヒアミックから教わった。通常、こんな業務はほこり集めの魔法を使えば早いのだが、シキアは魔法が使えない。柔らかい絹の布で作ったはたきで、ひと棚ひと棚ほこりを払う。天井まで届きそうな本棚の下から五段目までが手を伸ばしてぎりぎりはたきが届く範囲で、そのうえは梯子を掛けなければならない。これも浮遊魔法が使えれば早い話なのだが、シキアにはできない。 


 魔法が使えないというのは、すべての生活において不便と疎外感を強いられるものだ。この国の「魔法器官不良者」は百人に一人ほどらしいが、シキアはそのうちの一人というわけだ。とはいえ昔と比べて不良者は昔ほどの迫害を受けていない。それは十五年前、颯爽と現れた「騎士サコット」の影響だ。将軍下の軍を束ねる四騎士のうちの一人「金の騎士」は「不良者」だったのだ。魔法が使えなくても強ければ騎士にまでもなれるというのは、この国の常識をひっくり返した。サコットはすべての不良者たちが憧れる英雄だ。もちろん、シキアもその一人だった。忘れもしない、あれは十五年前、魔物大襲撃の日……。


「おはよう、シキア」


 回想に浸りながら上の段のほこりを払っていると、図書館主のヒアミックが入ってきた。いつも来る時間はまちまちだが、今日は随分と早い。


「おはようございます、先生。珍しく早いですね、まさか研究室に泊まったんですか? あまり無理しないでくださいね、あ、こんなに早いってことは朝食もまだですよね、食事を抜くには体に良くないって父さんが」

「分かった分かった、食事は客人が訪ねてくるから、そいつと一緒にとるつもりだ」


 ヒアミックは深緑の長い前髪をかきあげる。眼鏡にかかって視界の邪魔そうだと思うのだが、何度言っても前髪を短くする気はないようだ。鋭い目、整った鼻筋、薄い唇、白い肌、恐ろしく美形なのはいつまでたっても慣れない。比べてシキアは無骨な真っ黒い髪に真っ黒い目、しかも釣り目で可愛げはなく、背も伸びなくなったからヒアミックには見下ろされるばかりで、まるで違う生き物だとため息が出る。


 ヒアミックは宰相の息子だ。シキアより十歳年上ながら役職は「王宮図書館館主」のみ。昔は「騎士団」にいたこともあるようだが、向かないからと辞職し、今は図書館主をしながら隣の研究室で魔法の研究をしている。まるで老人の隠居暮らしのようで、変人の天才などとささやかれていることも本人には「おもしろい」ことらしい。


 そんなヒアミックが魔法も使えないシキアを弟子にしているのにはれっきとした理由がある。『魔法が使えない』からだ。いや、正しくは『魔法器官が存在しない』から。


 魔法を使う上で「魔法力を取り込み出力する器官」が魔法器官だ。ヒアミックに言わせれば、それがない人間など見たことない、そうだ。シキアだって見たことない。魔法器官自体に不良が生じて魔法が使えないことを不良者と呼んでいるが、そのなかにおいてもシキアは特殊だろう。器官がない理由は分からない。母は幼い頃亡くなって父と二人で暮らしてきたが、父にも母にも器官はある。こんな突然変異がありうるのか、とヒアミックは目を輝かせていたが、シキアにとっては絶望でしかなかった。魔法器官がない、など万民の前にさらせばどんな迫害を受けるかもわからず、森小屋でひっそり生きてきた。

 そこに「弟子になれ」とヒアミックが声をかけてきたのは四年前になる。読み書きから始まり魔法式解読、編纂、本の扱い、街での暮らし方、あらゆることを詰め込まれた四年だった。病気の父ともども屋敷で面倒を見てくれて、弟子なのに給料までくれる。感謝している。尊敬もしている。だからヒアミックの願いを一日でも早く叶えるためにシキアは生きている。


「それにしても、誰かと食事なんて珍しいですね」


 変人の天才美形がだれかと「つるんで」いるのを、この四年見たことがない。話に聞いたこともない。


「四年ぶりに友人が帰還するんだ。君にも紹介しよう」


 友人いたんだ、とは言わないでおこう。そもそもシキアだってずっと森で父と二人暮らしだったから友人はいない。会話をする相手、は増えたがそれを友人と言っていいかもわからない。


(先生の友人ってどんな感じなんだろ? やっぱ似たような感じの人なのかな)


 ちょっとした怖さを感じながらも、ほこり払いを終えて梯子を片付けたとき、だった。


「やあ! ヒアミック、いるか?」


 明るく張りのある声が図書館に響き渡る。ヒアミックにこんな砕けた物言いをする人なんて、シキアは初めてみた。というか、図書館の入り口からひらひらと手を振りながら長いマントを翻す、金色の髪に青い目は――!


 ヒアミックがちらと視線だけを入口に投げ


「ああ、帰ったか」


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