第17話・思わぬ申し出

 マルセル先生と僕以外のジョルジュ班の三人が隊長室に集まって話をしていた。内容は主に意識を取り戻してからの僕の様子についてだ。扉越しに聞きながら、口元を手のひらで覆う。塞がなければ、嗚咽が漏れてしまいそうだったからだ。じりじりと後ずさりし、隊長室に背を向ける。


「っ!」


 すると、僕の背後にサイオスが立っていた。廊下の角に立ち、こちらを見ている。いつからそこに居たのか分からない。盗み聞きしているところを目撃されてしまったのだ。口止めすべきか悩んでいると、サイオスから手招きされた。大人しく従い、忍び足で歩み寄る。


「ねえ。食事の時間まだかな」

「……はぁ?」


 サイオスが立っている場所は廊下の曲がり角。突き当たりには隊長室があるが、角の手前には食堂の入り口がある。腹が減って階下に降りてきただけで、僕の動向を見ていたわけではなかったようだ。あれだけ食べておいて、次の食事の時間が来る前に我慢できなくなったのか。


「アロンさんに言えば何か出してくれるかも」

「ほんとう?」

「一緒に食堂に行きましょうか」

「うん」


 僕の提案に、サイオスはすぐさま頷いた。無表情だが喜んでいる。厨房にいるアロンに声を掛けると、早い時間にも関わらず快く軽食を用意してくれた。僕はまだお腹が空いていないからお茶だけ貰う。


「もう新人さんと仲良くなったんですねぇ」

「いや、たまたま一緒になっただけで」


 並んで座る僕たちを見て、アロンが微笑ましそうに目を細めた。つい否定してしまったが、サイオスはやや食い気味に「仲良くなった!」と答えている。食堂に付き添ったおかげで好感度が上がったようだ。


 食事の準備のため、アロンが厨房に引っ込んでいった。出されたお茶を飲みながら、先ほど聞いてしまった会話を思い出す。


『他人みたいで嫌かな』

『正直腹立たしい』

『信じられない』


 どうすればいいんだろう。どうすれば良かったのだろう。僕はゼノンの姿を借りた赤の他人だ。記憶が戻らない限り、本物のゼノンが戻ってこない限り、彼らからの信頼は得られない。いや、ジョルジュはゼノンが怪我を負った経緯を怪しんでいたのだから、今さら僕が何をしようと関係ないのかもしれない。


 バクバクと軽食を食べるサイオスの隣でお茶の入ったカップを見下ろす。視界の端がにじみ、ぽたりとお茶に波が立つ。鼻の奥がツンとして、僕は自分が涙ぐんでいることに気が付いた。


 悲しい。悲しい。仲間だと思っていた人たちの言葉が胸に深く突き刺さる。僕が怪我で動けない間にジョルジュ班が休暇を貰った理由は、交替で見張るため。どこへ行くにも付き添ってくれた理由も同じだ。僕は最初から信用されていなかった。


「ゼノン」


 俯く僕に、サイオスが声を掛けてきた。もう食べ終えたようで、自分で厨房のカウンターまでトレイを返却している。彼は僕のかたわらに立ち、肩に手を置いた。隣の椅子に座らないのは、目線の高さが同じになれば僕の泣き顔が見えてしまうからだ。


「私の部屋に来る?」


 予想もしていなかった誘いに涙が止まる。自室に戻れば、いずれディノも戻ってくる。あんな会話を聞いた後で普通に接するなんて出来ない。サイオスは一人で一部屋使っている。サイオスの部屋に行けば、ディノと顔を合わせなくて済む。


「うん。行く」


 僕は指先で涙を拭い、立ち上がった。お茶のカップはサイオスが代わりに返却してくれたので、アロンに泣き顔を見られずに済んだ。彼の後を追うように食堂を出る。ディノたちはまだ隊長室から出てきていない。チラリと廊下の奥を確認してから階段を上がった。


「入っていいよ」


 サイオスに当てがわれた部屋は二階の一番奥にあった。造りは僕とディノの部屋と同じ。左右にベッドが一つずつ。窓のそばに小さな机と椅子。個人の荷物はベッド下の箱の中に。隊服や私服は入口脇のハンガーラックに掛けている。片側のベッドは使われておらず、埃避けのカバーが被せてあった。


「すみません、気を遣わせてしまって」

「私も話したいことがあったから」


 部屋の真ん中で所在なく立ち尽くす僕に椅子をすすめ、サイオスは自分のベッドに腰を下ろした。彼は相変わらず無表情で、何を考えているのか全く読めない。


「初めてキミを見た時から気になっていた」

「えっ」


 サイオスが真っ直ぐ僕を見つめた。淡い金の瞳が僕を映している。確かに、初対面でいきなり凝視されている。別の時に「普通とは違う」とも言われた。何のことかさっぱり分からず、聞き流してしまったけれど。


「キミの中にはもう一人いる。キミは誰?」





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