第5話
そんなある日、夜勤の期限が刻々と迫ってくる中、何もできず、変わらず仕事をしている時だった。
その部屋に飲み物を運んだ時に女性から声を掛けられた。
その部屋には女性二人できていて、もう一人の女性が気まずそうに歌っている時だった。
手拍子している女性から声を掛けられマイクを差し出される。
「はい。一緒に歌って」
笑顔で真っすぐマイクを差し出す。
(え?)
突然の事で驚いて体が固まる。
はい、とマイクを強引に掴ませられた。
すると歌っている女性が止めに入る。
「お兄さん困ってるじゃん。ごめんな」
画面を見てみると男女のデュエット曲だった。
よくよく曲を聞いてみれば、知っている曲だ。
「それじゃ、自分で良ければ」
そう言うと男性パートを歌い始めた。
今までの自分なら間違いなく断っていた。
でも、毎日押し寄せてくる不安や焦り、そして恐怖から逃れたいと藻掻くことに疲れてしまい、何かで心を苦しみから解放しないと、もう歩むこともできないところまできていた。
正直もう、全部やめたかった。
何もかもやめて自由になりたかった。
現実にはそうはいかないとわかっていても、心の奥ではそう叫んでいた。
この歌っている時間だけは自分を出せるだけ出そうと決めた。
あの頃の自分に戻って歌ってやると決めると、自然と音に合わせて体が動いている自分に気づいた。
更に、間奏に入ると言葉が次々と、自分でも驚くほどに口から出てきた。
良くわからないけど、いつか味わっていた、その感覚が体の内側から飛び出してくる。
「ヘイ!今日はドンドン盛り上がっていこうぜ~!」
「イエーイ!」
最高潮だった。
歌い終わってみれば、全てを出し切れたのかわからないが、とにかく気分が良かった。
懐かしい感覚がいつまでも体に纏わりついて、フワフワしてとても気持ちが良かった。
そんな中であっても、音楽が終わると、自分は勤務中だったとすぐに思い出し、失礼しましたと部屋を後にした。
すると、一緒に歌っていた女性が部屋を飛び出して追いかけてきた。
「兄さん!ちょっと待って」
早く戻らなきゃという気持ちと、何か粗相でもしてしまったのかとの不安がぶつかり、結果、不安が勝り足が止まった。
女性は少しうつむきながら話を続けた。
「あ、あのさ。さっきの最高だったよ。凄い上手だった。盛り上がったし、何か、こう胸の奥に訴えかけるものが凄いあったよ」
良かった、何も迷惑はかけていなかったと安堵すると同時に、誰にでもできる、自分はその辺に居る人と何も変わらない、褒められるようなことなど何もしていないと、謙遜ではない、褒められることへの恐怖からの照れ笑いが出た。
「はあ」
女性はまっすぐ目を見てくると懇願するように言ってきた。
「実はさ、今度DJのイベントがあって、その、あたし出るんだけど、なかなか上手くいかなくて、今度が最後のチャンスって言われてて。あたし、皆を盛り上げるのが下手で、どうしたらいいか悩んでて」
話しを聞くに、この女性はDJをやっていて、今度イベントがあって出ることになっているのだけど、いまいち実力不足で最後通告を受けているから、自分にさっきの盛り上げ方をレクチャーしてくれということだろうか?
自分なんかが人に教えられる立場ではないなと断ろうとしていると、女性は一方的にお願いをしてきた。
「一緒に出て!お願い!一生のお願い!」
あまりの衝撃に呼吸が止まった。
「・・・えーー?!いや、あの、あの」
戸惑って固まっている中、女性は畳みかけてくる。
「無理なお願いしているのはわかっている。今回だけでいいの。最初で最後の1回。そうしたら・・・もう、諦めがつくから」
女性の目から涙が零れた。
「いいよ」
自分でも驚いた。まるで勝手に口が動いたように思いがけず言葉が出ていた。
「え?!・・・いいのかい?」
女性が戸惑いながら見上げる。
「あ、う、うん。こんな俺にできるかどうかわからないけど」
女性の顔に笑顔が咲いた。
「ありがとう!ああそうだ、あたしエミって言うんだ。本当は笑うに子と書いてエミコって言うんだけど、いつも面倒だから皆にはエミって言ってる」
ショウは驚いた表情を浮かべ、エミを真っすぐ見つめた。
「本当に?俺はショウタって言うんだ。笑うに太いでショウタ。俺も皆にショウって言っているんだ。驚いたな」
「なんか似てるね」
不思議な感覚だった。
どこかで会ったことあるのだろうか?
他人じゃないような感覚がどんどん強くなっていく。
なんだか良くわからないが苦手な感じは一切感じられない、むしろ安心感が広がっていく感覚に包まれていた。
ショウは突然思い出した。
「あっ!ごめん。約束しといて、本当に申し訳ないのだけど、そのイベントって夜でしょ?実は俺、子供が居てさ、片親だから夜は出かけられないんだよ」
エミの顔がみるみる曇っていった。
「え?!・・・そっか」
ショウは変に期待をさせてしまったことを悔やんだ。
少し考えればわかった事なのにと自分を責めた。
その時だった。
エミの後ろから、連れの女性が二人の中に入ってきて言った。
「私が見ててあげる」
ショウは一瞬、何のことを言っているのかわからなかった。
「え?!」
やがて、自分の子供を見ててくれると言っているのがわかったが、申し訳ないし、ましてや今初めて会った人に預けるなんてという気持ちが強くあったが、エミとの約束を果たしてあげたいとの気持ちも負けずに二つの思いが心で戦っていた。
「いや、なんか申し訳ないし、あの、嬉しいけど、子供達がなんていうか、その・・・」
女性は全然気にせずマイペースに言った。
「大丈夫。私、子供大好きだから」
「・・・はあ」
ショウは何だかよくわからないが、この女性からもなぜか安心できるものを感じられるのだった。
仕事中だったので、とりあえずエミと連絡先を交換すると急いで持場に戻っていった。
仕事が終わり、家について携帯を見てみると早速エミから連絡がきていた。
今日のお礼と、イベントの日時等が書かれていた。
その後、何度か連絡をしあう中でエミの事がわかってきた。
今はスナックで働いていて、DJはエミの夢だった。
できるならDJで食べていけるようになりたいと頑張っているようだったが、さっぱり芽が出ず、続けるか諦めるのかと、いよいよ追い込まれた状況になってしまっているようだった。
ショウはイベントに参加するにあたり、一つ懸念を抱えていた。
それは、見た目の事だった。
エミは比較的小洒落た感じだったが、今の自分は生活に精一杯で、お洒落とは無縁のしょぼくれた見た目になってしまっていた。
その事をエミに伝えると、そんなの誰も気にしてないよと言いつつ、全部あたしが準備するから任せておいてとのことだった。
自分でも少しでもできることをやろうと、眉毛を整えたりした。
一度、二人は家にきてくれた。
今の自分の全てを見られるのは正直恥ずかしく思えたが、一方で隠したところで何も救われないとの思いもあった。
逆に、心のどこかでこの二人に現状を見て欲しいとさえ思うのだった。
変えたい、何としてでも今を変えたいとの思いがショウの中にあった。
子供たちはまるで、前から知っていたようにあっという間に二人に懐いたのには驚いた。
スーパーで他人に話しかけられると泣きそうになっていた子供たちが。
これなら安心してお願いできるとショウは安堵するのだった。
エミは当日の衣装を持ってきてくれていた。
ショウは見せてくれたそれに少々戸惑った。
「これ被るの?」
それは金髪の被り物のだった。
「そう。ちょっと被ってみなよ」
なんだか、自分に似合うのか心配になったが、言われるがまま被ってみた。
「おお!いいじゃん。あと、このメガネもね」
エミから差し出されたメガネはパーティーとかで付けるようなキラキラのものだった。
「ええー、何か恥ずかしくないか?」
エミは少しニヤケながらも押し通した。
「大丈夫だって。キマッてるじゃん。あとこれ着てみて」
そう差し出されたのはジャージ上下。
「ジャージでいいの?」
エミは早く着てみろと促す。
ショウはしぶしぶ着替え当日の恰好になって皆の前でお披露目した。
子供たちは大爆笑だった。
そんな中、エミと連れの女性はバッチリだと納得したようだった。
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