第2話


(今月になって何度目だ)


舌打ちをしたくなる感情を無理やり心の奥に押し込むと、気力を振り絞り歩みを進める。

子供が熱を出したと保育園から連絡があり、アルバイトを早退して向かっていた。

人手がギリギリの中、何度も早退する自分に、他の従業員からは迷惑そうな諦めの「お大事に」で送り出された。

きっと新しいアルバイトが入れば、役に立たない自分は不要になってしまうだろうなと浮かび、また新しい仕事を探さなきゃいけないなと思うと、深いため息が否応無しに漏れた。

今はとにかく保育園に急がなきゃと気持ちを入れ直してみても、足取りは重いままだった。


何とか保育園に辿り着くと、熱を出した息子を抱きかかえ、上の娘を連れてアパートまでとぼとぼ歩いて帰った。

ほどなくして着いた古アパートの玄関ドアを開けると、薄暗い部屋の奥から貧しさの臭いが溢れ出た。

どんなに顔をしかめてみても、自分の居場所はここであって、逃げられない現実を改めて知らされるだけだった。

きしむ床を踏みしめて畳の部屋までいくと、敷きっぱなしの布団に息子を寝かせた。

今日中に熱が下がらなければ明日は休まなくてはいけない。


今月のアルバイト代を頭に浮かべてみると、何とか家賃は払えそうだが、他の生活費を考えればギリギリだろうなと思った。

滞納できそうなものは支払いを来月に回して、削れるものは削らなきゃと思うのだった。


食事の準備をしようと冷蔵庫を開けて見たが、食べるものは無く、中身はほぼ空っぽだった。

今から買いに行く気力もなく、何かないかと棚を開けたらカップ麺を一つ発見した。

息子はとりあえず寝ているので、娘と半分にして食べるため、鍋に水を入れて火にかけた。

ほどなくして、沸騰した熱湯をカップに慣れた手つきで注いでいく。

すっかり慣れた一連の流れをこなす中、自然とため息が漏れる。

知らず知らずのうちに日に何度もため息をついており、いつしかため息をついている自分にさえ気づかない日々だった。


娘のお気に入り容器に麺と汁を入れてテーブルに置くと、絵本を読んでいる娘を呼んだ。

娘に麺を多めにあげて、自分は鍋に残っていた湯をカップに追加する。

味は薄くなるが腹の足しになればそれでいい。


「熱いからふうふうしてね」


自分が母親から言われていたような言葉で娘を見守る。

ハフハフとまだ上手に麺を啜れない娘が食べながら笑顔で言った。


「美味しいね」


何気ない娘の一言に、無くしたはずの心が突然暴れ出し、体の奥底から、激情が次々と込み上げてきた。

溢れ出てこようとするそれを、奥歯で強く噛みしめ必死で堪えた。

自分が負けてしまえば全てが終わる。

この子達を食べさせていくためには、自分を決して出してはいけないといつからか思い込み、自分を犠牲にすることで何とか首の皮一枚が繋がる生活が続いていた。


振り返れば希望とは程遠い生活だった。

高校を中退して、働きながらバンドでプロを目指したが、メンバーの大学受験と自分の仕事の忙しさにかまけて集まりが悪くなって解散。

その頃には両親と折り合いも悪くなって実家を飛び出した。

結果、勘当状態になってしまいそれ以来音信不通となった。

やがて、バイト先で出会った女性との間に子供ができると勢いでそのまま籍を入れた。

家族を支えるために就職し、慣れない仕事であっても頑張った。

家族が増えると、今まで以上にもっと稼がなきゃと意気込んでみたものの、学歴もない自分には選べる仕事は限られ、稼ぐなら肉体労働か詐欺まがいの営業職に絞られた。

試しに営業をやってみたが、長時間労働と入社時には説明の無かったノルマのきつさに押しつぶされ、しだいに心と体を壊してしまった。

それでも、自分が家族を支えなきゃと踏ん張ってみたものの、会社に行くことができずにそのままクビとなった。


一度は自分の分まで頑張ってくれると言った妻もやがて疲れ果て、ある日、子供達を残して出ていってしまった。

残された子供達を食べさせなきゃと体に鞭を打ち、就職先を探したが見つからず、いよいよ追い詰められ行政に頼ろうかと頭をよぎったが、ろくに税金も納めていない自分では気が引けてしまい、何とか今のアルバイト先を見つけることができ、かろうじて毎日を凌いでいた。


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