第2話 吟遊詩人ブレーフェン

吟遊詩人ブレーフェン その1

「わ、凄いお花!」


びっくりして声を上げる。

酒場「止まり木」が無事完成し、入り口には花の輪がかけられていた。

隣でアルンが笑って胸を張る。


「カティのお店が開店するんですもの。奮発したのよ」

「ありがとう!」


胸が踊った。

ここ一週間ほどで、長老からお酒や料理についての知識は、それこそ沢山教えられていた。

しかしそれでも不安がないと言えば嘘になる。

なにせ、初めてのことだ。

それにおそらく、自分は知らないことのほうが多い。


でも。

それでも、キラキラと光る自分の酒場を目にして、ワクワクしない訳がなかった。

ドワーフの工事長が書類をめくりながら近づいてくる。


「よぉ嬢ちゃん。これで工事完了だ。サインをくれ」

「うん。いろいろありがとう」

「いいってことよ。お代は、ガトン・クラシャからもらってるからな」


工事長が差し出した書類に、自分の名前を書き込む。

不思議なことに、カティは文字が読めた。

記憶とともになくなってしまっているとばかり思っていたのではじめは戸惑ったが、読み書きができるのは大きな利点だ。


工事の代金は、妖精の里ガトン・クラシャが払ってくれていた。

勿論それは、カティの負債だ。

これから店の売上から、少しずつ返していくことになる。

そしてガトン・クラシャは最初の「仕入れ」の金額も貸してくれていた。


「ね、中見てみようよ」

「うん!」


アルンに言われ、カティは頷いた。

連れ立って酒場のドアを開ける。

工事長がサービスでつけてくれたのだろうか。

涼しい音色の小さな鐘が揺れて、リンリンと音を立てた。


「わぁ……」


ちょっと大きめのカウンター。

酒樽や酒瓶が並んでいる。

一階と二階に、それぞれテーブル席が設置されていた。

壁にはランタンがかけられている。


「ちと簡素だが、それはこれからいろいろ飾ったりしていってくれ」


工事長がヒゲを揺らしながら近づいてくる。


「こっちが調理場だ。サービスで石窯を置いておいたぞ」

「石窯!」


見るのは初めてだったので感嘆の声を上げる。

石造りの大きな焼き器だ。


「こいつは特注品だ。良いピザやパンが焼ける」

「そんな、こんなにいいものをありがとうございます」


少し恐縮しながらカティが言うと、工事長は笑って羊皮紙を差し出した。


「ほれ。例のレシピだ。期待してるぞ」

「うん。頑張って作るよ」

「カティ、裏手に井戸があるから、水はそこから汲んでね」


アルンに言われて頷く。

氷室も設置されていて、冷気を逃さないようになっている石材で氷を長期間保管できるようになっていた。

カティ一人が入れるくらいは広い。


既に夕方だった。

ドワーフ達は一服、といった具合で、店の外でタバコをくゆらせていた。

どうやら、このまま時間を潰して初営業になだれ込むつもりらしい。


「大丈夫? 私も手伝うよ」


アルンにそう言われ、カティは首を振った。


「うぅん。アルンは昼間も花屋さんで働いてたでしょ。無理はいけないよ」

「でも、一人で大丈夫? ただでさえ、カティは記憶喪失なんだから……」


心配の声を受けて、カティは微笑んでそれに返した。


「大丈夫。何だか、そんな気がする」

「……そっか。いつでも手伝いが必要な時は言ってね。非番の時はお客として遊びにくるから」

「うん!」


アルンと別れて、店に入る。

止まり木の中は、窓を開けていたため涼しい風が吹いていた。

季節は秋。

段々と夜は肌寒くなってきている。


温かいお酒も教わっていたので、お湯を沸かそうと、竈にマッチで火をつける。

しばらくすると、薪がパチパチといい音を立てて燃え始めた。

棚を見上げる。

いろいろなお酒を仕入れてもらっていた。

それらすべての名前を覚えるところまではいかなかったが、長老から渡された羊皮紙をエプロンのポケットから取り出して広げる。

辛口、だったり甘口、だったり、いろいろな種類がある。


しばらくすると火が大きくなったので、カティは水桶からひしゃくで釜の中に水を入れた。

そして小さな体でそれを持ち上げ、竈の上にに乗せる。

続いて氷室を見に行く。

予めビール類等はそこに入れて冷やしてあった。

氷は殆ど溶けていないことを確認して、黒ビールの瓶を数本抱える。

ドワーフの皆さんは、ビールが好きだと聞いた。きっとその注文が来るだろう、と思ってのことだった。


料理に関しては、全くの未知数だった。

カウンターに黒ビール瓶を並べてから、また氷室に戻る。

カエルの足の肉は既にさばいたものを仕入れてある。

あとは揚げるだけだ。

卵に関しては、漬けるのに暫く掛かるため今日は見送りだ。


他に何が出来るか。

とりあえず保存が効く果物類は多めに入れてもらっていた。

あと、果実の塩漬け。

お酒にはしょっぱいものが合う。

そう、長老にも教わっていた。

いずれカエルの足や、他の動物の肉も塩漬けにしておくと良いかもなぁ、と思いながら、カティは持っていたカゴの中にカエルの足を一掴み入れた。


揚げ物用の花の油も、市場から入れてもらっている。

それも氷室から引っ張り出して、沸騰させている釜から少し離れたところに、揚げ物用の釜を設置する。

そこで、壁にかけられた時計が、夜の八時を示す鈴を鳴らした。


用意、間に合うかな。

ちょっとだけ不安になる。

開店は九時の予定だった。

すべてが初めてのことだ。

けれど、成功させたい。

そう思った時だった。


「ウッドフロッグですか。良いチョイスだ」


頭の上から落ち着いた男性の声がした。

まだお店は開けていないし、誰も入ってきた気配はなかった。

びっくりして、弾かれたように顔を上げる。


「豚肉のベーコンはありますか? あと、揚げ物には野菜を付け合わせで出すと良いでしょう。香りが強い香草でも良いです」

「だ、誰?」


頭の上に、白い雲のようなものが浮かんでいた。

それはゆらりと揺れると、人の形をつくった。

とんがり帽子をかぶった、長いローブを着ている青年だった。

雲の人はゆっくりと降りてくると、カティの前で頭を下げた。


「いや、失礼。本日ここが開店すると聞いて、楽しみにしていた者です」

「幽霊さん……?」


ゴーストだ。

幽霊の青年はニッコリと笑うと、指で釜を指した。


「油はあまり高温にしすぎないほうが良いでしょう。そろそろ、揚げ始めても良さそうですよ」

「あ……いけない!」


そこでカティはバタバタとカウンターの上に並べていた、香辛料を振ったカエルの足をトレイに乗せた。

そしてトングで掴んで油の中に入れる。


「慌てずに。油のハネには注意してくださいね」


優しく呼びかけられ、カティは美味しそうな匂いが漂ってきた店内を見た。

そして幽霊の青年を見上げる。


「ごめんなさい。まだ開店前なの」

「大丈夫。存じています。僕は生前、同じような酒場を営んでいたこともありましてね。何かお手伝いができないかと、そっと入ってきた訳です」

「酒場をしていたの?」

「ええ。見たところ、まだおぼつかない様子でしたので、つい声をかけてしまいました。あっ、カエルが揚がりますよ」


優しく指示をされて、カティはこんがりと揚がったカエルの足をお皿に盛り付けていった。

その様子を目を細めて見ていた青年が、フワァ、と動いて棚の酒瓶の方に移動する。


「立派な酒場だ。『止まり木』……実に良い名前ですね」

「ありがとう。私、初めてだからいろいろ慌てちゃって……」

「何事も始める時は、皆そうです。じきに慣れてきますよ」


包丁で香草を細かく刻み始めたカティの横に移動して、青年は言った。


「申し遅れました。僕はブレーフェン。ご覧頂く通りのゴーストです。流しで吟遊詩人をしています」

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妖精酒場へようこそ! 逢坂舞 @Aisaka_Mai

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