トリちゃん、とりあえず

澤田慎梧

トリちゃん、とりあえず

 「トリちゃん」、それが彼女の名前だ。

 もちろん、本名ではない。あだ名だ。本名は香取という。

 

 だったら素直に「香取ちゃん」と呼ばれてもいいのだろうが、そうはいかない。僕らの学年には先生も含めて三人の「香取」がいるのだ。

 そのうちの一人、香取先生のあだ名が「香取ちゃん」なので、トリちゃんはやはりトリちゃんと呼ばれる。


 ちなみにもう一人の香取である僕は、「正次」と下の名前で呼ばれる。あだ名はない。

 いいことなのか、悪いことなのか。


 ――とりあえず、僕らの紹介はこんなところで良いだろうか。

 そろそろ本題に入ろう。


「わ〜ん、正次〜! またフラれた〜」


 中学二年の冬のことだ。トリちゃんが毎度お馴染みの定型句を叫びながら文芸部室に駆け込んできた。


「今度は誰にフラれたんよ」

「硬式テニス部の太刀川先輩」

「そらフラれるわ」

「なんでよ!?」


 太刀川先輩と言えば、うちの学校でも有数のイケメンだ。

 しかも実家はお金持ちで本人の性格も良い。テニスも上手いし、学外ではカートレースの全国大会でも優勝経験のある完璧超人だ。

 言うまでもなく、狙っている生徒はわんさかいる。男女問わず。


「なんで競争率が高い人をピンポイントに狙うかな」

「だって……好きになっちゃったんだから仕方ないじゃん!」


 身も蓋もないことを言うトリちゃんだったが、まあ真理ではある。

 モテる人というのは、好きになる人が沢山いるからモテると言われるのだ。

 問題は、好きになったからといっていきなり直球勝負に行く奴があるか、ということだ。


「あ〜、野球部の先輩にフラれたのっていつだっけ?」

「先月」

「トリちゃんがさ、男子に告白されたとして、そいつが一月に一度の頻度で女子に告白してはフラれてる奴だとしたら、どうする?」

「ぶっとばす」

「だろ? 太刀川先輩からはトリちゃんがそう見えたんだよ。そりゃフラれる」

「あ、あうう……」


 トリちゃんいつも、公衆の面前で告白に及んでいる。そりゃ、噂にもなるし、悪い意味で有名にもなる。

 ――ここだけの話、トリちゃんは女子の中でも可愛い方だ。小柄で元気があって人当たりも良い。クラスではマスコット的存在だ。

 そのお陰で、「カッコイイ男子に片っ端から告白している」という悪評があるにもかかわらず、同性の敵が少ない。どころか上級生の女子にもやたらと人気がある。


 トリちゃんは知らないことだが、彼女に告白された先輩の中には女癖の悪い人もいたらしい。その先輩はスケベ心を丸出しにして、トリちゃんからの告白をOKしそうになったらしいが、公衆の面前だったことが幸いして、周囲の女子の先輩達がにらみを利かせ、事なきを得たそうだ。

 けれども、そんな幸運がいつまでも続くものじゃない。悪い男に引っかかって、今度こそ痛い目を見る可能性だってあるのだ――。


「トリちゃんさあ、あんまり脊椎反射的に告白ばっかしてると、軽い女だって思われるよ?」

「軽い女? 体重の話?」

「そうじゃなくて……チョロい女だって思われるよってこと」

「むしろ思われたい~! たまには告白するんじゃなくて、されたい~! ウェルカムなのに、なんで誰も告白してこない~!?」


 「それは周りがトリちゃんのことを守っているからだよ」という言葉が喉まで出かける。そのことを知ってしまえば、トリちゃんのことだから「あたしは周りにメーワクかけてたのか~! うわあああん!」等と泣き出しかねない。

 子どもか。……いや、中二は十分子どもだけど。


 ――と、その時。


「う~っす、やってるかね諸君~。……って、なんだ二人だけか」


 やる気のなさそうな挨拶と共に、顧問の香取ちゃんこと香取先生が部室に入ってきた。

 おっさんくさい口調だけど、これでもまだ二十五歳のうら若き女教師だ。美人で胸もデカいので、男子には人気があるし、気さくに相談に乗ってくれるので、女子からの信頼も厚い。


「お疲れ様です、先生。他の部員は委員会とかに浮気中ですよ」

「香取ちゃん、ちわ~」

「『香取先生』と呼べ、トリちゃん」

「先生もあたしのこと『香取ちゃん』って呼んでくれたら考える~」

「ただでさえ香取が三人で紛らわしいから、却下」


 ――等という、香取三人による紛らわしい会話はさておき。


「ところでトリちゃん。早速、先生方の間でも話題になってるぞ」

「なにがですか?」

「太刀川に突撃して撃沈したこと」

「うっ」


 トリちゃんの玉砕は既に職員室の話題にもなっているらしい。毎月のことなので、既にわが校の風物詩扱いだ。


「そうだ、香取先生からも言ってくださいよ。そんな『待て』が出来ない犬みたいに男に告白しまくってたら、いつか危ない目に遭うぞって」

「ちょっ!? その例えひどすぎない!?」

「流石は正次、的確な例えだ」

「か、香取ちゃん!?」


 驚愕するトリちゃんを放っておいて、僕と香取先生とで話を続ける。


「まあ、確かに。男子中学生なんてのは脳の代わりに下半身で思考するヤングアニマルだからな。そのうちトリちゃんが、中学教師の口からはとても言えないような目に遭って緊急職員会議が開かれる可能性は……高い」

「先生、もっとこう、手心というものを……」


 目の前にその男子中学生がいるのだが。


「トリちゃんは、付き合えれば誰でもいいのか?」

「まさか! ちゃんと好きになった相手とお付き合いしたいです」

「ふむ。ならば、まずは男を知り男に好かれる――性的な意味じゃなくな――努力をしてみてはどうかな」

「……具体的には?」

「そうだな。まずは実際に男女交際というものを経験してみて、男女関係の機微を勉強するというのは、どうだろうか。男を見る眼も養われるぞ」

「だから、その相手がいないんじゃないですか」


 トリちゃんがぷんすか怒り出す。どの立場で怒れるのだろうか? と思わなくないが、香取先生の言っていることもやや無理がある。

 誰かと付き合う為の練習で誰かと付き合う、というのは中々に意味不明で本末転倒だ。


「いきなり本番に臨むからいかんのさ。誰か信頼出来る男子に、『お試し』で彼氏になってもらえばいいんだ。言わば、疑似交際だな」

『疑似交際……?』


 香取先生の意外な提案に、僕とトリちゃんの声がハモる。

 なるほど、その発想はなかった。――なかったが。


「先生、そんな都合の良い男子なんていますか?」

「いるじゃないか、私の目の前に」


 ビシッと指をさす香取先生。その先にいるのは、僕だった。

 隣でトリちゃんが「はい~?」等と間抜けな声を上げる。


「トリちゃんと君はツーカーの仲だろう? 彼女の将来の為だ。一肌脱ぎたまえ。エロい意味ではなく」

「いやいやいや。確かに僕らは、まあ、仲が良いかもですが。疑似とは言え僕が彼氏なんて、トリちゃんも納得しないよな? ――って、トリちゃん?」


 トリちゃんの方を見ると、彼女も僕の方を見ていた。

 目と目が合う。

 彼女の大きな瞳の周り――顔全体が真っ赤になっているのは、僕の目の錯覚ではないだろう。


「あの……正次は、嫌?」

「いやじゃ……ないけど」

「その……じゃあ。お、お試し? た、頼んでも、いいかな?」

「えっ」


 ――あまりに予想外な展開に、思考が追い付かない。

 チョロいチョロいとは思っていたが、まさか僕を男子として意識した瞬間に惚れてしまった……?


 いやいや。流石のトリちゃんでもそこまでチョロいはずはない。

 ならば、僕のことを信頼して「疑似交際」の相手に選んでくれたものの、照れくさくて赤くなっている?

 ……どっちだ?


「あぅ、やっぱり嫌、だよね? あたしみたいなやつじゃ」


 逡巡している間に、トリちゃんの表情が不安から哀しみへと目まぐるしく変化していく。

 まずい、これは非常にまずい! なんか香取先生の視線も痛いし!


「あ~、嫌な訳ないじゃないか」

「じゃあ」

「うん」


 なんとなく、トリちゃんに向かって手を差し出す。

 トリちゃんがその手をおそるおそる握る。

 ――彼女の手は、温かくて柔らかくて、思ったよりも小さかった。


「トリちゃん、とりあえずだけど……よろしく?」

「よろしくね、正次」


 そこでようやくにっこりと笑ったトリちゃんの顔がやたらと可愛くて。

 僕の胸は早鐘を打つようにドクンドクンとうるさくなった。

 どうやら、僕もかなりチョロかったらしい。


 ――とはいえ、これはあくまで「お試し」。

 彼女の信頼を裏切らないように、僕の中のヤングアニマルには黙っていてもらわないと……。

 頼んだぞ、僕の理性。



(おわり)




 

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