第三話 実際に読み終えた方へ

※ここから先は割と強めのネタバレを含みますので、「アルジャーノンに花束を」を読み終えていない方はお読みにならないことをお勧めします。

















 まずは、改めてましてここまで読んでいただいた読者の方にお礼と挨拶を申し上げます。

 私の稚拙な感想文をお読みいただき、かつ私の好きな作品に興味を持っていただき、本当にありがとうございます。

 私は、普段あまりああいった類の本を読まない(読めない…)人で、本を読むのも遅く一周で内容を理解して要約!みたいなことも出来ないたちの人間です。

 昔から、自分のこういった部分はあまり好きではなかったのですが、この「アルジャーノンに花束を」という作品を読んで、少し感じ方が変わったように感じます。

 当書(アルジャーノンに花束を)(以後この呼び方をさせていただきます)を、読むまでの私は世の中の「天才」と呼ばれる方々に対して、劣等感というか、嫉妬心というかあまりポジティブではない、上方差別的な意識を抱いていた、という自覚があります。

 「あいつらは天才だからなにも苦労してない」や、「あいつらに本当の意味での苦しみ」なんてわかりっこない、と心の中で思い、そうすることで私の中のちっぽけな自尊心を保とうとしていました。

 しかし、実際のところどうでしょう?彼らは果たして私が想像していたような人間だったのでしょうか?

 何もしてなくても頭が良くて、なんの苦労もなく生活を送り、なに不自由なく誰からも縛られない、そんな風な生活を送れている人がこの世に本当にいるのでしょうか?あるいは、本当にいたとしてその人は真の意味で幸せだと言えるのでしょうか?

 私は、決してそんなことはないんじゃないかなと思います。

 当書の中のチャーリイのように、頭が良ければ良いほど世の中の暗部と呼べるような汚いところもたくさん目にすることになると思います。

 見えている世界が広ければ広いほど、人間に対して深くて強い絶望を感じるようになるというのはとても皮肉な話だと思います。

 当書において、チャーリイは最終的に徐々に元の知能レベルに戻っていき、また同じパン屋で働くという結末を迎えますが、彼のあの結末はバッドエンドなのでしょうか?ハッピーエンドなのでしょうか?

 彼の体験した夢のような時間は、彼に何をもたらしたのでしょう。私には、まだそれをうまく言語化するだけの理解も知識も足りません。

 ですが、人の立場に立って考えるという至極当然の考え方を改めて人類は大切にする必要があるのではないかなと思います。

 そういった意味でも、まさしく「全人類に1度は読んで欲しい本」として、この本を紹介させていただきました。

 実際に読んでくださった方や、昔読んだことがある方などは、ぜひ感想などお寄せくださりますと大変嬉しく思います。

 ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

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読書感想文〜アルジャーノンに花束を、を読んで〜 こーろぎガラガラ @koh_rogi

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