(3)

「……あの、マリガーネット様」

「どうしたの? ベリル」

 お使いに行ってもらっていたベリルが、戸惑ったような表情で帰って来てそう切り出した。感情を表に出す事が少ない彼女が珍しい。

「先程の使いの帰りに、珊瑚妃付きの女官に声を掛けられまして」

「珊瑚様の?」

「はい。それで、本日時間があるならば主が皇太子妃様にお会いしたいと言っておられるので、都合はどうかと」

「珊瑚様が私に? 何でかしら」

「何でも、先日のお礼をしたいと」

「先日のお礼……あ」

 珊瑚様に何か感謝されるような事をしただろうか……と思いながら記憶を辿り、心当たりに思い至った。無事に許可を得られたらしい黒玉様が、マロン号を見学したいと正式に依頼してきたのだ。

 それを快諾して対応を琥珀に一任したのだが、後日の報告で聞いた限り見学会は無事に終わったらしい。可能性があるとしたら、それだろうか。

「分かったわ。今日はもう差し迫った予定は無いし、何時でもご都合の宜しい時にいらして下さいと御返事して」

「はい」

 指示を受けたベリルが、部屋を出ていった。一応蒼玉様にもお話していた方が良いだろうと思い、申し出があった旨と内容は後日報告する旨を書面にしたためて別の女官に持って行ってもらう。女官を送り出して割とすぐに、ベリルが戻ってきた。

「準備出来次第いらっしゃるそうです。お茶の準備はお願いしてきたので、ちょっと部屋の中掃除しますね」

「私はゴミ集めたら良い?」

「マリガーネット様は化粧と髪型が崩れてないかをチェックして下さい。掃除は私がします、お召し物が汚れたり埃を被ったりしてはいけないので」

「……はーい」

 それもそうか、私自身の恰好に失礼があってはならない。そんな訳で、言われた通り鏡台の前に行って変な所がないかチェックする。今日は公務の書類仕事をしていただけなので、特に問題はなさそうだ。

 掃除を終えお茶を持ってきてもらった辺りで、廊下が賑やかになった。珊瑚様ご一行が到着したようだ。

「いきなり押しかけて御免なさいね。快諾してくれてありがとう」

「いいえ。こちらこそ、お待ちしておりました」

 今日も今日とて、珊瑚様は美しかった。長い真っ直ぐな赤い髪はハーフアップにしてかんざしで飾り、金銀の糸で刺繍が施された立派な羽織をお召しになっている。後ろに控えている女官二人も、うちの女官達よりも豪華な服を着ていた。

(……似合ってはいるんだけど、何か)

 珊瑚様も女官達も美人だから着られている……みたいな変な事はないのだけど、何となくしっくり来ない感じがした。何と言うか、彼女達の雰囲気にはそぐわない感じがしたのだ。考えすぎだろうか。

「こちらにどうぞ。お茶の準備もしましたの」

「ありがとう。頂くわ」

 珊瑚様を椅子に促し、向かいの席に私も座る。それぞれのお茶の準備が整った所で、珊瑚様が口を開いた。

「先日はありがとう。黒玉は大層喜んでいて、ずっとマロン号の話をしていたくらいだったわ」

「私も、琥珀から報告を貰いました。喜んで頂けてマロンも喜んでいるでしょう」

「自分もお兄さまのように乗馬がしたいと言い出して、驚いたくらいよ。あの子の体の事を考えると、もう少し成長してからの方が良いかなと思うけれど」

「……年相応にお育ちのようなので、現時点でも問題ないと思いますよ?」

「見た目には問題ないのだけど、臓腑があまり強くないのよ。あと一、二年は待った方があの子にも馬にも良いかなって」

「そうなのですね。差し出がましい発言を致しました。申し訳ありません」

 素直に謝ると、珊瑚様はにっこり笑って大丈夫だと言って下さった。そして、お茶を一口含んでゆっくり飲み込んでいく。お客様が手を付けたので良いだろうと判断し、私もお茶を飲んだ。

「お礼代わりになるかは分からないのだけど、良かったらどうぞ」

 そう言って、珊瑚様は綺麗な箱を手渡して下さった。早速開けてみると、中には美味しそうなお菓子が沢山入っている。

「ありがとうございます! 何と言うお菓子なのですか?」

「月餅と言う、薄い皮で餡を包んだお菓子よ。地域によって色々種類があるけど、それは胡桃と松の実と蜜柑の皮の砂糖煮が入っているわ」

「美味しそうですね! 早速頂いても宜しいですか?」

「私は大丈夫だけど……」

「ありがとうございます! 頂きます!」

 許可は得たので、遠慮なく一つ手に取って口に入れた。ざくざくした食感と甘酸っぱい柑橘の味がマッチしていて実に美味しい。

「美味しいです! もう一つ……あっ、ベリルにもあげて良いですか?」

「貴女に渡したものなのだから、貴女の好きにして良いわよ。久々に作ったけれど、口に合ったなら良かった」

 ベリルに手渡しつつ二個目を頬張りながら、思わず珊瑚様を凝視してしまった。この美味しい月餅を、側妃である珊瑚様が、作った?

「珊瑚様自ら作られたのですか?」

「ええ。料理をしたりお菓子を作ったり、お茶を淹れたりするのは好きなの」

「……こう言っては失礼ですが、陛下がよく許されましたね。火を使う事もあるでしょうから、危ないと心配されそうなものですが」

「最初はそうおっしゃって陛下もお父様も反対されたけど、どうしてもってお願いしたら条件を守るなら作っても良いと言って頂けたの。だから、月に数回はお茶を淹れたり月餅を作ったりしているわ」

「そうなのですね……私も蒼玉様にお願いしてみようかしら」

「何か作りたい物があるの?」

「時々故郷の味が食べたくなってベリルに作ってもらう事があるのですけれど、ベリルも忙しいので……いえ、私が色々お願いするからなので、ベリルが忙しいのは私のせいと言えばそうなんですけれども。だからこそ、お願いしてばかりで申し訳なくて」

「……別に、そこはあまり気にしなくても良いんじゃないかしら」

「えっ」

 さらりと告げられた言葉が意外で、声を出して驚いてしまった。咄嗟にベリルの方を振り返ったが、当のベリルは気にしていないらしい。寧ろ、彼女の言葉に賛同するかのように頷いてすらいる。

「侍女の仕事は、主の憂いを取り除き主に尽くす事よ。多少の無茶ならば、要領次第でどうにか出来る場合が多い筈だけど」

「そ……ういう、ものですか?」

「そうよ。下手に遠慮したら、かえって侍女の矜持を傷つける事にもなりかねないわ」

「そうですか……」

「そもそも、侍女の能力を正確に把握して適正な量の業務を割り振るのが主の役目。それに、きちんと信頼関係を築いているならば、仮に遂行が難しくても侍女の方から提案や進言が有る筈だし。それが出来ない間柄ならば、それは主の責任よ」

「……なるほど」

 言われてみれば、実に納得がいく話だ。もう一度ベリルの方を振り返ると、ベリルは不敵に微笑んでいる。

「珊瑚妃のおっしゃる通りですね。私達は、プレスクールの頃から一緒にいる幼馴染であり同じ王立学院で学んだ学友であり、寮では隣同士の部屋だった親友であり、卒業後はこうしてお仕えさせて頂いている主と従者ですもの。従者の身でおこがましい発言ですけれど、信頼関係は十分築けていると自負しておりますよ」

「それは間違いない事実だからその認識で良いわよ……実家の跡継ぎだったのに付いてきてくれたという部分でも、ベリルの忠誠を疑った事はないし」

 その言葉を聞いた珊瑚様が、驚かれたのか目を見開いた。そうなの? と尋ねられたので、かいつまんで事情を話す。

「ベリルの実家であるプレタポルテ子爵家は長子制を取っていますので、本来ならば長女だったベリルが跡を継いで子爵となる予定だったのです。元々、私の所で侍女をやっていたのも行儀見習いの名目で、子爵になった後を見据えた箔付けの意味合いでもありました」

「そうだったの」

「ですが、私が蒼玉様に嫁す事になって……今ではこうして毎日楽しく暮らしておりますが、当初はやはり不安も大きかったものですから。私と一緒に来てほしいと、無理を承知でお願いしたのです」

「あの時は本当に嬉しかったですよ。変な所で物分かりが良くて諦めがちなマリガーネット様が、それでも私を異国へのお供として選んで下さった訳ですから。その日の内に喜々として両親に話をし、跡は弟に任せて私も帝国入りした次第です」

「そう……二人は素敵な関係なのね」

「珊瑚様の目からも、そう見えたならば嬉しいです」

「十分見えるわ…………」

「珊瑚様?」

 最後の方の言葉が聞き取れなったので、どうしたのかと尋ねてみる。しかし、気にしないでと言われてはぐらかされてしまった。それ以上食い下がるのも失礼かと思って、残っていた自分のお茶に口を付け飲み干していく。

「もうそろそろお暇するわ。この後は予定があって」

「お忙しい中、わざわざありがとうございました」

「気にしないで。こちらこそ、紅玉や黒玉の相手をしてくれてありがとうね」

 珊瑚様はそうおっしゃって会釈して、女官達と共に帰っていった。何とはなしに、後ろに控えているベリルの方へと顔を向ける。

「珊瑚様、私が紅玉様ともお話する事があるってご存じだったのね」

「黒玉殿下が厩舎を訪問された際にでもお聞きしたのかもしれませんね。最も、側妃様ともなれば情報源は色々ありそうですが」

「確かにね……あ、そう言えばね」

「はい?」

「ベリルは、珊瑚様が十分見えるわっておっしゃった後の言葉、聞こえた? 私には聞き取れなくて」

「……確証は無いですが、それでも?」

「良いわ。分かる範囲で教えて?」

「分かりました。私の耳には、羨ましい……と」

「羨ましい?」

「はい。そう聞こえました」

「羨ましい……」

 何が羨ましいのだろうか。ベリルみたいな優秀な侍女が、私にいる事が?

(確かに、珊瑚様には侍女が居ないと噂で聞いた事があるけれど)

 立場的にいてもおかしくないというか、いないとおかしいくらいだと思うのだが。しかし、実際はそれに準じた女官が二人いるだけで、陛下や父親が見繕っても固辞しているらしい。

 でも、そう考えると、珊瑚様に侍女がいないのは珊瑚様ご自身の意思の筈。なので、羨ましがる理由とは考えにくい。

「……あ」

「ベリル?」

「しまった、これ、珊瑚妃の物では?」

 そう言ってベリルに見せられたのは、金細工が美しいかんざしだった。大ぶりの花があしらわれていて、実に華やかなかんざしである。

「あら、忘れ物かしらね?」

「落とし物と言った方が良いかもしれませんね。結構沢山つけてらっしゃったので」

「つけてらっしゃったわね。正直、重くないかなって心配だったけど」

「届けてきます。お茶の片づけはその後でしますので」

 そう言って部屋を出ていこうとしたベリルに待ったを掛ける。ベリルは、不思議そうな表情でこちらを振り返った。

「一緒に行く」

「……私一人でも大丈夫ですよ?」

「そうなんだけど、その……何となく気になって」

 何となく、珊瑚様の様子が気になる。妙に引っ掛かるというか、心配と言うか。真意が分かる保証はないが、じっとしているのも気が引けた。

「それじゃあ一緒に行きましょう。お部屋にお伺いしたら良いですかね」

「そうね。予定があるとおっしゃっていたから、いらっしゃるか分からないけれど……女官に渡せば大丈夫な筈」

「では、かんざしはマリガーネット様がお持ち下さい。私がお渡しするのを見ているよりは、何か掴めるかもしれませんから」

「ありがとう、ベリル」

 こちらの意を汲んでくれた彼女にお礼を言い、かんざしを受け取る。落とさないようにしっかりと握りながら、二人で廊下を進んでいった。

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