(4)
珊瑚様が普段暮らしていらっしゃる建物に入り、教えてもらった通りに廊下を進んでいく。首から下げている札が地味に重いが、来客用の許可証なので仕方ない。
「それにしても、すんなり入れたのには驚いたわ」
「流石に、皇太子妃を門前払いにはしないでしょう」
横からそんな言葉と溜め息が聞こえてきたので、ちらりと振り返る。ベリルも同じ札を下げているので、久方ぶりの御揃いだ。
「とは言え、案内役の女官くらい付けてくれてもって気はするけど。こう言っては何だけど、不用心じゃない? 一応、私って藍玉様側として見られている筈よね?」
「それは思いましたけど……これだけ人が居れば、いちいち付けなくても監視は出来るという事なんじゃないですかね。言うて私がマリガーネット様の真横にいても何も言われませんから、監視されてるのか微妙ですけど」
周りを見渡しながら、ベリルがそう呟いた。確かに、視界に入るだけでも十数人は女官がいるし、門には兵士が沢山いた。恐らく、うちの倍は人がいる。
「母国ではそうだったんだろうって勝手に思われてるのかもね、違うけど……それはそれとして、ここまで人が多いと息が詰まりそう」
「人員管理も大変でしょうね。うちは少数精鋭で行きましょう」
「人目が多すぎないに越した事はないけど、あんまり少数過ぎても心配だから交代でしっかり休み取れるくらいの人数は揃えておいてね」
「それは勿論……ん?」
隣のベリルが立ち止まったので、一緒に立ち止まる。目的地まではあと少しと言った所なのだが、何やら話し声が聞こえてきた。よくよく確認すると、さっきまであれほどいた女官が一人もいない。珊瑚様が普段過ごされる場所だからという理由で人払いされているのかもしれないが……それならば、ますます私達が野放しなのは不用心と言わざるを得ないだろう。
慎重に耳を澄ませ、会話が聞こえてくる方向を特定する。どうやら、私達の進行方向である曲がり角の先からだ。ベリルと一緒に角からそっと伺った所、三人の姿が確認出来たが……もしかして。一旦顔を引っ込めてその場から離れ、ベリルと顔を見合わせる。
「あれって……珊瑚様と」
「……陛下と楊家当主、ですね」
「出直した方が良いかしら」
「でも、元から来訪が予定にあったなら私達通されてなかったと思うんですよね。向こうの方が勝手にいらっしゃったのでは?」
「なるほど。それならそう掛からないかしら。待っておく?」
「そうですね。どうせなら、会話の内容も確認しておきます?」
「え」
「幸い、周りに誰もいませんし……いざとなっても我々には明確な訪問理由があります。下手な反応をしなければ怪しまれはしないかと」
「そりゃ、元々怪しまれるような事をしに来た訳でもないけど……でも、万一があって蒼玉様に迷惑が掛かった、とかならないかしら」
「可能性はゼロではないでしょうね。でも、何か掴めれば珊瑚様の憂いの様子が分かるかもしれませんし、情報は何でも多いに越した事ないです」
「……そうね」
エスメラルダでも似たような事を二人で幾度もやったし、珊瑚様が気掛かりなのは間違いない。気持ちを落ち着けるように深呼吸して、もう一度角まで行きそうっと三人を覗き込んだ。
(……流石に声は潜めているのね。会話の内容までは分からない)
けれど、三人の表情ははっきり見えた。視力は良い方なのだ。楊家当主は何かしかめっ面をしていて、陛下は特に感情を出してなくて……珊瑚様は、浮かない表情だ。
暫くは何かを話していたようだが、終わったのか楊家当主はその場から立ち去って行った。幸い、私達がいる方向とは反対に行ってくれたので、そのまま陛下と珊瑚様の観察を続ける事にする。
「……金細工にして正……った。良く似合っておるぞ」
「ありがとう……ます」
二人だけになって、少しだけ声が大きくなった。途切れ途切れだが、ある程度内容が掴めそうだ。
「次は……にしようと思う。女官達の分も……楽しみにしていてくれ」
陛下は、先程よりは明らかに表情が明るかった。言い方は悪いが、愛人の面々を前にしたランウェイのお父さまに近い気がする。一方の珊瑚様は、かつての彼女達のような笑顔ではなかった。
(……やっぱり、浮かないお顔)
形の良い眉を下げて、赤い瞳が下を向いている……見ていて、ぎゅうっと胸が締め付けられるような心地だった。少なくとも、愛されている寵姫が皇帝の前でする表情ではないと思う。
何とも言い難い感情を持て余しながら、二人を観察する事数分。陛下の話がひと段落したからなのか、珊瑚様が口を開かれた。
「わたくしからも何か、という事でしたらば」
「ああ」
「……わたくしばかりが頂いていては申し訳ありません。皇后陛下にも、是非何かお贈り頂ければと存じます」
その言葉に、心の中で首が取れそうな程頷いた。珊瑚様は、息子が世話になったと言ってわざわざ私の所にお礼を言いに来て下さるような方だ。そりゃあ、自分ばかりに偏っていれば心苦しいと思うのも無理はない。
しかし、そんな奥ゆかしい珊瑚様の申し出を聞いた陛下は、分かりやすく眉を寄せて怪訝そうな表情になった。不機嫌そうな視線を向けられて、珊瑚様はまた俯いてしまわれる。
「何を言うかと思えば。あれは今まともに公務をしていないではないか、他ならぬそなたがその穴を埋めていると言うのに」
「……皇后陛下は体調を崩されているのです。側妃であるわたくしが代理を務めるのは理にかなった義務でございます。その代理が滞りなく務まっているのも、皇后陛下が丁寧に公務を取り仕切り詳しく記録を取って下さっていたからに他なりません」
「はっ……どんな理由であれ、自身の責務を果たしていないのに今ものうのうと後宮に留まっているんだぞ。だからあれほど、もうそなたに交代」
「ですが! 過去の功績まで消えるものではありません!」
この国に来て初めて、珊瑚様が叫んだのを聞いたかもしれない。ともすれば陛下への反抗と取られても仕方ないくらいだし、そもそも彼女にお義母さまを庇う義理は無い筈だ。それでも、珊瑚様はこうやって感情を露わにしてまで、そうおっしゃるのか。
「……差し出がましい発言を致しました。申し訳ありません」
珊瑚様が跪いて、手を組んで頭を下げた。その仕草は、場違いなまでに優雅で美しい。
「良い、面を上げよ」
「合わせる顔がございません」
「朕が良いと言っているのだ、面を上げよ」
「……かしこまりました」
組んでいた手を解き、珊瑚様が跪いたまま陛下を見上げる。陛下は、珊瑚様の頬に手を伸ばして軽く撫でると口を開いた。
「考えてはおく」
「ありがとうございます。深謝致します」
「……また来る」
それだけ答えて、陛下は楊家当主が去った方と同じ方向へ去っていった。行き止まりなのかと思っていたが、裏口でもあるのだろうか。地図には書いていなかったと思うが……そうまでして珊瑚様の元へ来て顔を見て話をしたいと思っていると、そういう事なのか。
再び顔を引っ込めて、ベリルと顔を見合わせる。この雰囲気、この状況で、それでも元気に話しかけられるほど私は能天気な性格ではない。今のまま顔を合わせれば、立ち聞きしていた事は簡単にバレてしまうだろう。どうしたものか。
「あら、どうしたの?」
「ひょああああ!?」
思案している間に、珊瑚様は近づいてらっしゃったらしい。悲鳴を上げて文字通り飛び上がってしまったが、珊瑚様は不思議そうなお顔をしているばかりである。
「いきなり押し掛けて申し訳ありません。珊瑚様のかんざしが主の部屋に置いたままでしたので、お持ち致しました」
声が出せないでいた私の代わりに、ベリルが訪問理由を告げてくれた。そのまま肘で小突かれたので、こちらですと言って持っていたかんざしを手渡す。
「わざわざ御免なさいね。届けてくれてありがとう」
「いえ……」
「ちょっと待っていてくれる? さっき渡した月餅に合うお茶があるから、茶葉をお裾分けするわ」
「そんな、お気遣いなく」
「良いのよ。このくらいさせて頂戴」
そうまで言われてしまえば、断るのも失礼である。そんな訳でベリルと一緒に待っていると、ほどなくして珊瑚様が戻ってらっしゃった。
「淹れ方を書いた紙を入れてあるから、その通りにすれば美味しく飲めると思うわ」
「ありがとうございます……あれ、この包みって」
手渡された茶葉入りの箱は、銀糸の刺繍が入った綺麗な群青色の布に包まれていた。この布には、見覚えがある。
「以前お貸し頂いた羽織と同じ布ですか?」
「ええ。随分前に頂いたものだから古いけれど、手入れはしてるから包みとしては十分使えると思うわ。色々活用してね」
言われてみれば、あの時の羽織も使い込んだ布特有の柔らかさがあった。珊瑚妃は、お召し物から小物に至るまで、大事に使うタイプなのだろう。
「帰りは女官に送らせるわね。呼んでくるから待っていて」
「何から何までありがとうございます。この包みも、大事にします」
そう告げて頭を下げる。見上げた先の珊瑚様は、先程よりも幾分明るい表情をなさっていた。
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