(2)
「良いんですか? 私にも分けて頂いて」
「当たり前じゃない。ベリルはいつも私に尽くしてくれているもの」
「そりゃあ貴女の侍女ですからね。当然ですよ」
「ベリルはただの侍女じゃないでしょ。幼馴染だし、何でも話せる親友でもあるわ」
「確かに、一言で言い表せる関係ではありませんね。光栄です」
「そんな訳だから、こっちはベリルのね」
「では、ありがたく頂戴します。自室に戻った後に楽しませて頂きますね」
「うん」
お義母さまからもらったレイシのリキュールを早速飲んでみたのだが、上品な甘さでとても美味しかった。レモンを絞ると更に美味しいと聞いたのでやってみたけれども、それも実に美味である。こんなに美味しい物を独り占めするのは勿体ないので、早速ベリルにお裾分けした。
(……こんなに美味しいなら、彼とも一緒に飲みたかったな)
そんな考えが浮かんで、ふわふわしていた心が少しだけ冷たくなった。元々、美味しい物や素敵な物は周りと分かち合いたいタイプなので……一人で飲んでいるこの状況が、どうしても寂しいのだ。
「ごちそうさまでした」
「では、もうそろそろご就寝の準備を致しますか?」
「そうね。あんまり遅くなってもいけないし……ん?」
夜も更けて来た頃合いなので、基本的に普段この場所は静かである。しかし、微かにだが、足音が聞こえて来た。だんだんこちらに近づいてくるようだが……誰だろう。
「失礼、皇太子妃さまはまだ起きておいででしょうか」
「その声は菫青ね。ええ、起きてるけど」
「蒼玉様がお会いしたいと申しております。どうかご許可を」
「!」
その言葉に驚いて、ベリルと顔を見合わせる。お義母さまがどうにかするとおっしゃって下さったが、まさか今日中に事態が動くとは。
「蒼玉様は、今傍にいらっしゃるの?」
「いえ、自室にて待機されております」
「……分かった。お連れして」
逸った心臓を落ち着かせるように、胸元を抑えながら返答する。感謝致します、と一言答えた菫青は足早に立ち去って行った。
「……ベリル」
「はい」
「寝る準備じゃなくて、蒼玉様にお会い出来るだけの見た目にしてくれる?」
「勿論ですよ。今から着替えるのは流石に難しいので、羽織をお召し頂いてから髪を整えましょうか」
「お願いね!」
勢いよく返事をし、鏡台の前に座る。自分の髪が緩く二つ結びにされていくのを眺めながら、何とか気分を落ち着かせようと深呼吸を何度もした。
羽織を着て毛先まで綺麗に梳かし香油を塗っていると、扉の前から再び声が掛かった。ベリルが扉を開けて対応している姿を、固唾を呑んで見守る。
「マリガーネット!」
「蒼玉様。お待ちして……!!」
部屋に入ってきた彼を出迎えるため、一歩近寄った瞬間。駆け寄ってきた彼に腕を掴まれ勢いよく引き寄せられた。そして、力いっぱい抱き締められる。寒い中いらっしゃった割には温かい……お風呂上りなのだろうか。
「済まない。君を泣かせるつもりはなかったんだ」
「蒼玉様」
「君には何も落ち度などない。俺が不甲斐なかっただけで」
「……そうですか」
「そうだ。どう言えば良いのか分からなかっただけで……本当は、もっと言葉を纏めてから話をしたかったんだが、君が泣いていたと母上から聞いて、そんな事を言っている場合ではないと思って」
「……」
怒っていた訳ではなかったのか。嫌われた訳ではなかったのか。ああ、何も分からないし何も解決なんてしていないが、それだけで安心してまた泣きそうだ。
「許してくれ。その為ならば何でもする」
彼がここまで焦っている声を聞くのは初めてではなかろうか。抱き締めてくれる腕の力も強くなって、彼の必死さが伝わってくる。
「……皇太子殿下が『何でも』なんて言って良いの?」
そう呟くと、彼からの拘束が少しだけ緩んだ。ちょっと勿体ない気もしたけれど、お話をするなら顔を見たいので、そのまま顔を上げて彼の紺碧の瞳を覗き込む。菫青が驚いたような表情をしているのが横目に見えたが、気にしている余裕はなかった。
「恥ずかしい話だが、女性の慰め方は分からないんだ。それならば、誠意を見せるしかないだろう」
「女性の慰め方に詳しかったらそれはそれで面白くないから、詳しくなくても別に構わないわ。でも、そうね……誠意を見せようと思ってくれたのは、それだけでも嬉しいかも」
「そうか。それなら、俺は何をしたら良い?」
「……そんなの決まっているじゃない。この数日間、ずっと私を避けていた理由を教えてもらうわ!」
意識して眉間にぎゅっと皺を寄せ、怒っているような表情を作る。相手がずる賢い貴族等なら、微笑みながら嘘をつくなんて器用な事も出来るのだが……相手が身内だと、どうも全部顔に出てしまう質なのだ。嫌われてないと分かってほっとして、それが全面的に出てしまって、それならもう説明しなくても大丈夫だ、などと思われたら困る。
「マリガーネットを避けていた、理由」
「そうよ! 結婚式の日に、私が何かまずい事をしたら、理由と一緒に教えてくれるって言ったじゃない!」
「言ったな」
「それなのに、教えるどころか目を逸らされて、会話も出来なくて……本当に悲しかったし、寂しかったの!」
そうだ、私は寂しかったのだ。この国で一緒に生きていくと誓った彼に、夫である彼に、距離を感じて。距離が開いて、彼の傍にいられなくて、寂しかったのだ。手の震えを隠さずに、彼の両袖をぎゅっと握る。
「それは蒼玉様の落ち度でしたね」
「ええ。しっかり言い訳……んん、ご説明頂かないと」
少し離れた場所で私達を見ていた二人も、私を援護してくれる。うっすら滲んできた視界を気にせず、睨むように彼の顔を見上げた。
「……分かった。上手く説明出来ないかもしれないが、出来得る限り希望に沿おう」
「大丈夫よ。何にも無いよりは、その方がずっと良いもの」
嘘偽りない言葉を、彼に告げる。蒼玉様の両手が私の両手に触れて、優しく包まれた。
「座って話そうか」
「勿論よ。こっちに机と椅子があるから来てくれる?」
「ああ」
「マリガーネット様」
蒼玉様がこちらに来て座られたのと同時に、ベリルから声を掛けられた。こちらから近づこうとしたのを制して、彼女の方から近寄ってくれる。
「私は失礼致しますね。使い終わったグラスは机の上に纏めておいて下さい」
「分かったわ。ありがとうベリル。お休み」
「はい、お休みなさいませ」
いつもの挨拶をして、ベリルは一礼して部屋を出ていった。すると、次は菫青が蒼玉様へ向かって口を開く。
「私めは別室で待機しておりますので、お話が終わりましたらお声がけ下さい」
「お前も帰って良いぞ?」
「そちらをお飲みになるならば、居た方が宜しいかと思いまして」
そう言って菫青が視線を向けたのは、先程まで私が飲んでいたレイシのリキュール。もしかして、蒼玉様はお酒が苦手なのだろうか。
「お義母さまはね、このリキュールを貴方と一緒に飲むと良いっておっしゃっていたの。でも、もしかして、蒼玉様お酒は苦手?」
「……嫌いではないのだが、酔いやすい方ではあるんだ。だから、宴会では飲み過ぎないようにしているし、帰りは一人にならないようにしている」
「それなら、菫青にはいてもらった方が良いんじゃない? 飲まないなら、それでも良いけれど」
「いや、頂こう。せっかくの君の誘いだ……そういう訳だから、菫青。お前は待機しておいてくれ」
「かしこまりました」
菫青も一礼して、一旦この部屋を出ていった。久々に、蒼玉様と二人きりだ。
「得意でないなら量は少なめの方が良いわよね?」
「そうだな。酔っぱらって話にならなくなっても困るし」
「レモン絞ると美味しいわよって教えてもらったのだけど、絞る?」
「お願いしよう」
「分かったわ」
返答を受け、グラスを並べて中に注いでいく。レモンを適量絞った後で、どうぞと彼に手渡した。
「こっちのレモンは酸味が少ないのね。そのままでも食べられそう」
「エスメラルダのレモンは違うのか?」
「結構酸っぱいの。だから、蜂蜜に漬けたりレモン水にしたりってしないと、とてもじゃないけど食べたり飲んだり出来ないわ」
「なるほど。果物にも違いがあるんだな」
「そうね。でも、こちらの果物も美味しいから食べ応えがあって嬉しいわ」
リキュールを口に含みながら、ゆったりと会話を続けていく。お互い半分ほど飲んだ辺りで、本題を切り出した。
「それで? 私を避けていたのは、どうして?」
「……結果的にはそうなるのか。個人的には、時間稼ぎの意味合いだったが」
「時間稼ぎ、ね。じゃあ、いずれ話してくれるつもりはあった?」
「ああ。きちんと自分の考えを纏めて、言語化して、上手く伝えられそうだと思った所で話をしようと思っていた」
「……そこまで言葉にするのが難しい感情って、一体?」
グラスを置いて、彼の紺碧の瞳を見据えながら問うた。目は逸らさないけれど、焦らせないよう口は開かないでおく。
「……感謝はしていたんだ」
「感謝? 何に対して?」
「あの日、視察の日……君が、スリを捕まえてくれた事に」
やっぱり、それが原因か。あれから彼の態度が変わったから、そうかとは思っていたけれど。
「そして、俺が思っていた以上に君はマロン号を乗りこなしていた。君と彼女に、かなり高い技量がある事も分かった」
「……うん。ありがとう」
「君がマロン号と一緒に犯人を捕まえたのは、民を守るためにいる皇族として正しい行為だ。マリガーネットは皇太子妃として褒められた行動をしたし、実際君の評価や支持は高まったらしい」
「そうなのね。それは嬉しいわ」
「そうだな、その事自体は喜ばしいんだが……俺は、それを素直に喜べなかったんだ」
ずっと合っていた視線が、最後の一言が絞り出された時には外された。どういう事だろうかと思って、一言だけ促しの言葉を告げる。
「自分の妃が相応しい振る舞いをしたのだから、誇っても良い筈なのに。報奨し、称えるべきなのに。でも、どうしても、そうしようと思えなかった……そうしたら、君がもっと無茶な事をするんじゃないかと、無茶な事をして、怪我したり危険な目に遭ったりするのではないかと……そう思ったら、まるで、背中が凍り付いていくようで、足が竦むようで……だから、何も言えなかった」
蒼玉様は、俯いたまま。明朗な言葉で分かりやすく話す彼らしからぬ、絞り出すようなたどたどしい言葉で。思いの丈を、語ってくれた。
(……ああ、そうか。そういう、事か)
分かってみれば、単純な理由だ。それなら、十二分に私にも非がある。
持っていたグラスを机の上に置き、立ち上がって彼の前へと跪く。固く握り込まれた彼の左手を、今度は私が両手で包んだ。
「心配かけて、ごめんなさい」
誠心誠意、心を込めてお伝えした。蒼玉様は、とても真面目で優しい方なのだ。そんな方に、心配をかけて気を遣わせてしまった。その事は、きちんと反省しないといけない。
「……そうだな。心配、だったんだ」
「そうよね。今回は上手くいったけど、次もそうかは分からないもの」
「心優しくて民想いの君の事だ。もし、あの場で褒め称えたなら、また君は危険を顧みずに行動してしまうのではないかと思って……でも、そんな真っ直ぐさが君の良さでもあるのに、それを失わせるような事を、言っても良いのかと思って」
「私を気遣って下さったのね。蒼玉様こそ、優しいお方だと思うわ」
「……マリガーネット」
「教えてくれてありがとう。貴方の想いを知れて、嬉しい」
「こんな、上手く纏まらないで分かりづらい話でもか?」
「ええ。口に出して言葉にしている内に、纏まる考えも判明する感情もあるでしょう」
思わず勢いで言った、さっきの私みたいに。言葉に表してみれば、驚くほど簡単に納得がいって腑に落ちるものだ。私は寂しかったし、彼は心配してくれた。紐解いた感情は、どちらも単純なものだった。
「……そうだな。あれこれ考えていても、仕方ない事はあるんだな」
「思慮する事は必要でしょう。でも、煮詰まったなら思い切った方が解決しやすいのかもしれないわね」
「俺は皇太子だからな。何気ない発言で、予想外に周りが動いてしまって戸惑った事も幾度とあるから……言葉を発する、という事に対して慎重になり過ぎていたのだろう」
「そういう配慮自体は大事よ。私達みたいな、人を纏めていく立場にある者ならば猶更ね。だからこそ」
「だからこそ?」
「こうやって二人でいる時は、一緒に話して考えましょう? 私達は夫婦なのだもの、相互理解は必要だし、そうしたいと努力するのはもっと必要だわ」
「そうだな。良く分かった」
漸く、蒼玉様の視線がこちらを向いた。紺碧は少しだけ揺れているけれど、強さはいつもと変わらない。応えるように微笑みかけると、彼の顔も釣られて笑顔になった。
「誓いを破ってしまったな」
「誰との?」
「マロン号との。大事な主を泣かさないと誓っただろう」
そう言えば、そんな事を言っていた。威嚇してくるマロンに対して、蒼玉様はそう答えていた。
「……泣いてはしまったけれど、解決して幸せのままだから。内緒にしていたらバレないんじゃない?」
「秘密にしていてくれるか?」
「ええ」
「そうか。ありがとう」
お礼を言って下さった蒼玉様のお顔が、跪いたままの私の顔に近づいた。そして、柔らかいものが私の額に押し当てられる。
「話も出来たし、今夜はここでお暇しよう。お休み、マリガーネット」
「……おやすみなさい」
惚けた状態で、彼の背中を見送る。額に残った熱を自覚して、手をやって……かっと一気に顔が熱くなった。
(い、いま、額に、キ……!!)
解決したから、今夜こそはよく眠れると思ったのに。まだまだ、安眠は程遠い。
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