第四章 蒼青の願いと紅赤の祈り
(1)
(……確か、こういう状況を八方塞がりって言うんだったかしら)
郊外の視察から帰って来て、数日は経った。経ったのだが、未だに蒼玉様とはまともに会話が出来ないままでいる。腹を割って話せるよう何度かお茶に誘ってみたけれども、全部不発に終わってしまった。
「視察の際に、何か怒らせるような事をしてしまったのかしら……」
「怒ってらっしゃる、という雰囲気ではない気がしますけれどもね」
「でも、それじゃあ何で? 何でここまで会って下さらないの?」
ベリル相手に言っても仕方ない事ではあるのだが。もういっそ、先回りして蒼玉様のお部屋の中で待っていた方が良いのだろうか……いや、そしたら部屋に帰って来てくれなさそうな気がする。
「何ででしょうね……それはそれとして、今日は皇后さまとお会いする予定がありましたよね? 相談してみては如何でしょう」
「心配かけてしまわないかしら」
「あのお方ならば、頼ってもらえたと喜んで頂けるような気もしますが」
「そうかな……そうよね……」
「ひとまず支度しましょうか。遅れてはいけないですから」
「そうね。お願い」
ぐだぐだ考えていても仕方ない。一旦切り替えて、目の前の事をやり遂げなければ。切り替えは得意な方だ。
最近帝国内で流行っているという髪型に結い直してもらい、お化粧もそれに合わせて準備は完了した。上半分の髪を左右に分けて束ねた後で、輪を作って結び目を隠すように花飾りをつけるらしい。私の髪は青緑色だから合う花飾りは限られるけども、ベリルが用意してくれた青い花飾りはとてもしっくり来た。流石の目利きである。
そして、予め用意していたお茶菓子を持って、二人で藍玉様……お義母さまの元へと向かった。
***
「盗人を捕まえたのですって!? 凄いじゃない!」
彼女のお部屋に通されて一礼すると、開口一番拍手と共にそんな言葉を掛けられた。頭を上げ、ありがとうございますとお礼を言う。
「馬に乗って縦横無尽に駆け回り、妨害にも屈せず仕留めたって! 貴女が馬に乗れるのは知っていたけれど、そこまで凄かったのね!」
「仕留めては……私がやったのは、追い込んだ事くらいで」
「でも、貴女が足払いを掛けて背中を踏み付けていなければ、逃げられていたかもしれないって聞いたわ」
「そこまでご存じなのですか? 詳しいですね」
「私付きの女官に、現場に居合わせた人と交流がある子がいてね。久々に会ったら、興奮した様子で教えてくれたって」
「なるほど……」
人の口に戸は立てられないものだ。別に悪い噂ではないから、広まったところで構わないのだけども。
「この国では、馬と言えば馬車を曳いてるか農作業のお手伝いをしているかだものね。役人や兵士は移動手段として直接馬に乗る事もあるみたいだけど」
「そうですね。直接馬に乗れれば行動範囲も広がりますし、乗馬は鍛えられますので」
「体が鍛えられるの?」
「はい。揺れる背中に乗るので、バランス感覚や体幹が鍛えられます。そして、有酸素運動なので持久力や心肺機能を鍛える事も出来ます」
「へえ、そんなに効果があるのね」
「私、この国に来てから体力があると褒められる事が多いのですが、長年乗馬をしてきたからだと思っています」
「そうなのね。やっぱり乗馬って凄いんだわ」
「……やっぱり?」
その言葉が引っかかって、思わず聞き返してしまった。お義母さまは、そんな私を咎める事無く話を続けていく。
「皇子の一人に、紅玉様がいらっしゃるでしょう?」
「ああ……珊瑚妃が御産みになった」
「そう、その紅玉様。今でこそ堂々と振る舞われているけど、小さい頃は少しだけ引っ込み思案だったのよね」
「そうなのですか?」
とても想像が出来なくて、思わず目を見張った。そうなのよと答えるお義母さまは、一瞬だけ周りを確認した後でもう一度口を開く。
「彼の母親が陛下の寵姫だから表立ってどうのっていうのはなかったけど、やっぱりこの国でも赤い髪とか赤い目って珍しい部類なのね。だから、産まれて数年の間は何となく遠巻きにされていたと言うか……それを本人も察していたのか、母親や臣下の陰に隠れてる事が多かったわ」
「そんな過去が」
「それでも、頭の良い子だし何より珊瑚妃が産んだ子だから、陛下はとても目を掛けていたし楊家当主も期待していたのでしょう。あの手この手で身分に相応しい振る舞いが出来るようにって、かなり必死だったわ……ちょっと見ていて可哀想だなって思ったくらい」
「それほど、ですか」
「それほど。蒼玉も積極的な方ではなかったけれど、ああまで極端な事はされなかったもの。逆効果にならないかしらって心配になって何度か進言したけど……陛下は聞いて下さらなかったし、楊家当主に至っては随分余裕な事だなって皮肉を言われて頭に来たわ。私は、祖父と父に無理強いされてる紅玉様が心配だっただけなのに」
形の良い眉を寄せて頬を膨らませたお義母さまが、ぺしぺしと扇を打ち始めた。自分が産んでいない方の皇子の事も気に掛けているなんて、正に皇后の鏡である。
「そんな紅玉様が、唯一積極的だったのが乗馬……というか、動物に関わる事だったのよね。だから、それに目を付けた珊瑚妃が乗馬をさせるのはどうかって進言したみたい。当初は陛下も当主も良い顔しなかったらしいけど、色々資料を持ち出して頑張って説得したそうよ。子を思う母は強いわね」
「それで許可が下りたのですか?」
「ええ。珊瑚妃が懇意にしていた指導者を一家ごと皇宮に呼び寄せて、馬も何頭か揃えてから始めたみたい。一年も掛からずに皇宮内を走り回っていたし、自信がついたのか堂々としてきたから、その点は二人とも喜んでいたわね」
「珊瑚妃はほっとされたでしょうね」
「したでしょうね。息子を見る目は、少しだけ羨ましそうだったけれど」
「羨ましそうだった?」
「……彼女も馬に乗っていた時期があるそうよ。だからこそ、その一家と繋がりがあって呼び寄せられたんだろうし。紅玉様が乗馬を始めた辺りで噂になっていたわね」
「へえ……」
初めて聞く話が多くて、つい聞き入ってしまった。出して頂いたお茶が冷めてしまったので飲み干すと、近くにいた女官がお代わりを入れてくれる。
(……もしかして)
ふと浮かんだ疑問を尋ねてみる事にした。お義母さまが茶碗を置いた辺りで、あの、と切り出してみる。
「今、私の愛馬を担当している厩務員……琥珀と言うのですけども。琥珀は、もしかしてその指導者の方の家族ですか?」
「ああ、そうね。珊瑚妃が呼び寄せた一家の娘さんよ。二女だったかしら」
「では……紅玉様と琥珀は小さい頃からお互いを知っていたのでしょうか」
「そうなんじゃない? あの子が皇宮の厩務員になったのは大人になってからだけど、父親について出入りはしていたみたいだし」
趣味が乗馬だからというだけでああまで会話が出来るものなのだろうか……と思っていたが、幼馴染だというのならば納得がいく。先日も、偶然お会いしたから偶然の会話を三人で楽しんだけれども、そこでも琥珀は遠慮がなかった。最も、それは私がマロンにあげるためにと言って琥珀が用意してくれていた人参を紅玉様があげていたからなので、私も全面的に琥珀に味方したが。
「思い返してみれば、私の周りは乗馬が出来る人が多かったわね。住んでた場所の影響もあったのかしら」
「……お義母さまは張家のご出身ですよね? 張家の領地は皇都寄りで、お屋敷も皇都に近いと聞いた事がありますが」
「一応そうなんだけど、私は体調面の関係で別荘にいる事の方が多かったのよね。山に近い場所だったから、空気も水も綺麗で良かったわ……冬は寒かったけど」
「山沿いの冬は厳しいですものね、うちもそうでした。でも、それならば移動手段として馬に乗れる方が多くてもおかしくなさそうですね」
「そうね。領地では農業も盛んだったし、そういう意味では馬は身近な方かも」
「お義母さまは馬に乗られました?」
「乗ってみたかったけど出来なかったのよね。いずれ後宮に入るのだから傷でも出来たらどうするんだって言って反対されてしまって……別に、当時決まっていた話ではなかったのに」
「貴族は願望を決まった話のように語るものですからね。でも、落馬の危険もありますから心配になる気持ち自体は良く分かります。私も、昔は何度も落ちました」
「そうなの? その割には問題なく健康そうね」
「普通に歩いている時ならば、受け身さえ取れれば割とどうにかなりますよ。襲歩……全速力で駆けている時だとやっぱり危険ですね。言ってみれば、馬車から振り落とされるような感じですので」
「それは中々怖いわね。それなら、私は見学に留めておく方が良いかもしれないわ。運動神経良い方でもないし」
「乗馬に関しては、運動神経なくても上達出来るものではありますよ。でも、無理強いするものでもありませんし、馬は見ているだけでも可愛いですからね。お義母さまも、時間がある時には是非マロンを見にいらして下さい。琥珀には話を通しておきますので」
「あら、ありがとう。近々見せてもらうわね」
にこにこ人好きのする笑みを見せながら、お義母さまはそう言って下さった。それに大きく頷いて返事をし、ベリルの方を確認する。思ったよりも時間が押してしまったので、蒼玉様の件は別の機会にお話ししよう。もしかしたら、それまでに解決しているかもしれないし。
「それではお義母さま。名残惜しいですが、時間も押しておりますのでこの辺りでお暇させて頂きます」
「あら、もうそんな時間?」
「はい。張家のご当主……お義母さまのお父さまも到着されたようですし」
「お父さま相変わらず正確ね。それならね、これ持って行って。美味しかったから」
そう言ってお義母さまから手渡されたのは、綺麗に包装された箱だった。何でも、先日実家に帰っていた女官の一人が持って帰ってきたものらしい。
「お菓子ですか?」
「レイシの実をお酒に漬けたものよ。彼女の実家は有名な酒店で、張家でも色々愛用しているの。だから、お裾分け」
「そうなのですね! リキュールは好きです、ありがとうございます!」
「別荘にいた時も、風味付けに使ってくれたり寒天作ってくれたりと侍女が色々活用してくれていたのよね。ああ、そうそう……蒼玉は甘い物好きな方だから、誘って一緒に飲んでみると良いわ」
「……」
何気なく言われたその言葉にすぐ答えられなくて、動きも止めてしまった。そんな私の変化に気づいたらしいお義母さまは、横にいた彼女の侍女に何事かを言付けている。侍女が下がったところで、真剣な水色の瞳と真正面から目が合った。
「蒼玉と何かあった?」
「あったというか何と言うか……でも、ご当主がいらっしゃっているのですよね? これ以上お時間を取らせるのは」
「孫夫婦の危機だと言えば少しくらい待ってくれるわよ。貴女達がこじれたら困るのはお父さまだし」
それはそうだ。楊家に押されながらも、それでも蒼玉様は未だ皇太子としてその地位に留まっている。それは皇后が産んだ嫡子であるからでもあり、彼個人が為した業績も多いからだ。国内の治水工事や建設、道路の整備などは今やほとんど彼に一任されているらしいし、他の政務も手際よくこなしてらっしゃって評判も良いそうだ。張家にとっては、まさに希望だろう。
「……先日蒼玉様と一緒に視察に行って、行きは普通に会話していたのですけれど」
「うん」
「スリを捕まえた後から、あんまりこちらを見て下さらなくて……会話も最低限で」
思い出したら落ち込んできて、視界が滲みだした。初めて会った時から、蒼玉様はずっと目を合わせて会話をしてくれていたし、笑いかけてくれていたのだ。それが無くなったのが、こうも悲しいものだなんて思わなかった。
「何か気に障るような事をしてしまったのかと思って、それならお聞きしたいと思って、謝りたいと思って尋ねても門前払いで……私が何か間違った事をしたら、理由と共に教えてくれるって約束したのに……」
それを伝えるだけで、みっともなく声が震えてきた。どうして、どうして。私は、こんなに弱くはなかった筈なのに。目尻に溜まった涙が零れていかないように、俯いて唇を噛み必死に耐える。
「……マリガーネット、面を上げて」
静かで、凛とした声が響いた。素直に顔を上げると、お義母さまの綺麗な水色が再びこちらに向けられる。ほっそりした白い手が伸びてきて、私の頬を優しく包んでくれた。
「大丈夫。貴女は何にも、悪い事も間違った事もしていない」
「おかあさま」
「だから、堂々としていなさい」
「でも、それなら、どうして」
「……私は蒼玉ではないから分からないけれど。でも、何となく心当たりはある」
「こころあたり、ですか?」
「ええ……私にも覚えがある感情だから」
「かんじょう……」
「でも、貴女を泣かせていい理由にはならないわね。だから、ここはお義母さまに任せてくれる?」
「ごめいわく、では」
「良いのよ。こういう時は、第三者が入った方が良い場合もあるの。だから、ね?」
そこまで言って下さるのならば、遠慮するのも失礼だろうか。八方塞がりで途方に暮れていたのも事実だ。
「……宜しくお願い致します」
声は変わらず震えたままになってしまったが、きちんと最後まで言い切って。お辞儀をして顔を上げた先には、頼もしいお義母さまの顔があった。
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