(5)
「これで一通りかしら。一旦休憩する?」
「ええ」
辺りを散策し終えたので、川沿いにやってきた。マロンから降りて、手頃な岩の上に腰を下ろす。マロンが勢いよく川の水を飲んでいるのを眺めていると、ふと視線を感じた。
「……子供?」
「この辺りの子でしょうか」
「せっかくだからお話してみるかしらね。菫青、一応一緒に来てくれる?」
「はい」
菫青を伴い、先程の子供に近づいていく。シンプルな服に身を包んでいる、五歳くらいの男の子のようだ。
「こんにちは」
目線を合わせるためにしゃがんで、男の子の顔を覗き込む。驚いてはいるようだが、怖がっている素振りは見せていないのでそのまま会話を続けた。
「私はマリガーネット。貴方は?」
「僕は……常盤」
「常盤と言うの? こちらの言葉で……確か、ずっと緑色の葉をつける植物の事だったかしら?」
「それもあるけど、ちちうえは岩だって言ってた」
「岩? そうなの?」
「うん。えいえんに変わらない岩。だから、僕が長生き出来ますようにって願ってつけたんだって」
「そうなのね。素敵な名前だわ」
常盤と名乗った少年は、お姉さまに似た茶色の瞳を、ぱちぱちと瞬かせながら答えてくれた。この年でこれだけ受け答えがしっかり出来ているという事は、教育熱心な家に生まれたという事だろうか。
「それで、常盤はどうして私達を見ていたの?」
「ご、ごめんなさい……」
「ああ、怒っている訳じゃないのよ。どうしてかなぁって不思議に思っただけ。だから聞いてみたくて声を掛けちゃった」
「ええと……あの……」
もごもごと口が動いているので、言葉を探しているのだろう。こういう場合急かしても逆効果なので、じっと待つ事にする。
「……かっこいいなぁって思って」
「恰好良い?」
「後ろの、その、馬が……かっこいいなって、思って」
私達の後ろにいる、馬。今この場にいる馬と言えば、私が乗ってきたマロンだ。なるほど、マロンが恰好良くて魅入ってしまったと。それならば。
そう思って、にまにまと口元を緩ませつつ琥珀に目配せすると、大丈夫だという風に大きく頷いてくれた。よし、担当者の許可は取った。
「気になるなら、近くで見る?」
「!」
「大人しい馬だから、顔を撫でてあげるくらいなら大丈夫よ」
「あ、ありがとう、ございます! あの!」
「ん?」
「妹も連れて来て良いですか?」
「良いわよ。他にも見たい人がいるなら連れて来て大丈夫」
「はい!」
破顔した常盤は、勢いよく走っていった。その間琥珀と馬術談義に花を咲かせ……話のキリが良い所で、彼は十数人を引き連れて帰ってきた。
「まぁ。随分沢山連れて来たわね」
「ご、めんなさい……皆、見たいって、言って」
「良いのよ。大丈夫って言ったのは私だし」
連れて来た中には、もう少し大きい子供も大人も混じっていた。皆、そんなに馬が見たかったのだろうか。まぁ、こんなにも格好良くて可愛い生き物なのだから、一目でも見たくて当たり前か。
「それじゃあ順番ね。常盤が最初で、妹ちゃんが二番目で、後は皆一列に並んでくれる?」
「はーい!」
「楽しみ!」
「琥珀は、皆がマロンの後ろに回らないようにしてもらえるかしら」
「分かりました」
それぞれに指示を出して、順番に触れあいタイムを楽しんでもらった。大人しく撫でられているマロンには、後で人参を差し入れておこう。
「わ、温かい」
「つぶらな瞳が可愛い!」
「分かってないな、あの背中から腰、足先にかけての曲線美が一番だろう」
「おみみ! うごいてる!」
マロン達を撫でた皆の口から、次々に嬉しそうな感想が聞こえてくる。そうか、乗馬の文化がないなら、町中だと馬自体と触れ合う機会も少ない訳で……それなら、手始めはこういう触れ合い体験の方が敷居は低いかもしれない。幸い、皇宮にはマロン以外にも撫でられるのが好きな馬が何頭かいる。検討しておこう。
「月晶帝国では、馬を見る機会はそこまで無い?」
せっかくなので大人達とも話そうと思い、近くにいた女性に声を掛けた。私よりも少し年上くらいだろうか。艶々した黒い髪を、紐で一つに纏めている。
「そうですね。農業をしている方々だと違うでしょうが……それでも、ここまで美しい馬は初めて見ます」
「ありがとう。私の自慢の愛馬なの」
「そうなのですね」
「金色の馬なんて初めて見ました!」
腰の辺りから、元気な声が聞こえて来た。こげ茶色の髪を綺麗に団子にしている女の子だ。似た色合いの大きな瞳が、きらきらと輝いている。
「太陽に当たると綺麗でしょ? 毛色としては栗毛になるわ」
「きんいろじゃないんですね。他にもありますか?」
「他だと、鹿毛とか芦毛とか……」
「ふうん……色々あるんですね!」
「それにしても、こんなに大人しくて懐っこい馬は初めて見ました。うちの馬は気性が荒くて、とても触れたものではありません」
「あら、そうなの?」
女の子とは反対の方から、また別の声が聞こえてきた。紺色の髪を綺麗に編んで、作業がしやすそうな恰好をしている。聞けば、馬や牛を使って荷物を運搬する仕事をしている一家の娘さんなのだそうだ。
「うちの父親の言う事だけは唯一聞くんです。でも、年だからもう引退しようかって言っていて……事業自体は兄が引き継ぐ事になっていますが、兄にも反抗的で、どうしようかと……」
「それは困るわね。気性を大人しくさせるだけなら去勢っていう方法もあるけど……仕事のパートナーとしてやっていく訳だから、やっぱり意思疎通出来る方が良いし」
「短期間だけ軍部に入れてみます? 軍部の方々ならば、荒馬の扱いには慣れていますのである程度矯正出来るかと」
「軍馬ってクォーターホースが中心だったわよね? そんなに沢山気性危ない仔いたかしら?」
「馬も個々それぞれとは言っていましたね。種としての傾向はあくまでも傾向ってだけですから」
「それはそうだろうけど……」
入れ替わり立ち代わり、めいめいが好きなように話している。がやがやとした空間は好きだ。輪に入って話をするも良し、少し引いて皆を眺めるのも良し……公爵令嬢、皇太子妃と言った立場にいるからこそ、こういう人々を守っていかなくてはならないのだと、改めて思わせてくれる。
そう思って、改めて気を引き締めたタイミングで。突如悲鳴が聞こえた。咄嗟に周囲を見回すが、マロンを含め怪我をしたとか、そういう様子は見受けられない。
「スリだ! 俺の財布が無い!」
「私のも!」
「俺のもだ!」
「あっちだ! あっちに逃げた!」
「追い駆けろ!」
殺気立つ民衆の隙間から、一人の男が走って逃げていくのを私も確認した……よし、一人なら大丈夫だ。
「マロン!」
名前を呼び、嘶いたマロンの背に飛び乗る。マロン自身も、かつかつと足を鳴らして準備万端だ。
「皆はこのまま此処に!」
「は、はい」
「琥珀は蒼玉様に知らせて!」
「はい!」
「菫青は私と一緒に来て!」
「かしこまりました!」
それだけ叫んで、足を使いマロンに合図を送る。もう一度嘶いたマロンは、力強く駆け出した。鍛えているらしい菫青は、難なく横を併走している。
「私とマロンはこのまま順当に追い掛けるわ。郊外へ誘導したいから、菫青はタイミングを見て別方向から追い詰めてくれる? もし出来そうなら、蒼玉様と合流して連れて来て頂けると尚良いわ。ある程度追い詰めたら知らせるから」
「承知致しました」
軽く打ち合わせした後、足扶助を入れて加速する。暫く併走していた菫青は、二つ目の角を曲がった辺りで別行動に入った。
「待ちなさい!」
逃げるスリを追い掛けて、北に南にと移動する。散策中にこの辺の地理を頭に叩き込んでおいて良かった。
スリはそこそこ頭が回るらしく、急に曲がったり人しか通れないような細い路地に入ったりして何とか私達を巻こうとしてきた。当然逃げ切りなんて許さないので、見失わないようにだけ気を付けて回り道し追い掛け続ける。
「!」
回り道が成功して、あと一歩で捕まえられそう。そこまで追い詰めたタイミングで、スリは道の端にいた母娘に近づき子供の方に手を伸ばした。子供を奪われまいと必死な母親ごと道の中央に引きずり出し足を払って転ばせ、自身はまた同じ方向に逃げ始める。
(姑息な!)
母娘を私の足止めにしようとしたのは明白だ。その結果、二人が大怪我を負ったとしても最悪の事態になったとしても構わないという事だろう。そんな奴、絶対に許せない!
「マロン!」
そう呼びかけ、エスメラルダで馬術競技に出た際と同じ合図を送る。母娘を障害に見立て、飛び越えるように指示を出した。
「二人とも伏せて!」
前方の二人へ叫び、目視で距離を測る。二人が両手で頭を覆い伏せたのを確認し、マロンに踏み切り合図を送った。高い障害を越える時と同じように、高さを出したのでスピードは落ちたが致し方ない。追っている相手は人間だから、それでも大丈夫だろう。
思っていたよりも足止めにならず焦ったのか、スリは樽やら荷物やらを道にばら撒いていたが、それらも難なく飛び越えていく。そろそろ頃合いだろうかと思って、帯の中に入れていた笛を取り出し、一旦マロンの首を叩いた後で勢いよく鳴らした。
その後は、追い掛けつつも等間隔で笛を吹いていく。かすかに、遠くから複数の足音と蹄の音が聞こえて来た。そちらの方に誘導しつつ、スリを追い詰めていく。
「止まれ!」
スリと私達の目の前に、蒼玉様が現れた。その後ろには、十騎程の軍馬と兵士。上手い事挟み撃ち出来たので、マロンの首を撫でながら一旦降りる。
すると、スリはいきなりこちらを振り向いて全速力で向かって来た。十対一よりは一騎のこちらからの方が逃げられると思ったのだろう。しかし、そんなのは想定の範囲内なので、走り抜けられる前に足払いを掛けてやった。無様に顔面からすっころんだスリの背中を、遠慮なく踏み付ける。
「観念なさい!」
私が叫ぶと同時に、兵士達がスリを取り囲んで拘束した。無事お縄に着いたスリから、財布を全て回収する。待っている皆の所に戻ろうと思った刹那、わっと周囲から歓声が上がった。
「な、何?」
「すげえ捕り物劇だ!」
「馬ってあんな早く走れるんだ!」
「道端の荷物もすいすい避けて!」
「皇太子妃さま、凄い!」
「……」
なるほど、皆一部始終を見ていたのか。大事にするつもりはなかったのだが、よくよく考えれば、町中を馬に乗って全速力で駆けていればエスメラルダでだって目立つ。この国なら猶更だろう。
「先程はありがとうございました!」
「あ……さっきの! 大丈夫だった?」
「最初に転ばされた際に負った擦り傷だけです。うちの子は怪我も無くて……何とお礼を言ったら良いか」
「ううん。巻き込んでしまって御免なさいね。誰か、手当てを」
そう言って兵士の面々の方を振り向いた。目が合った一人が、では自分がと言って手当てを始めてくれる。それを見届けた後で、蒼玉様の方へと駆け寄った。
「ありがとうございました! おかげでスリを捕まえられました!」
兵士達を動かし先回りして下さったのは蒼玉様だろう。彼がいなかったら、捕まえるのはもっと大変だった筈だ。
「……君は」
「はい?」
「怪我していないか?」
「私ですか? 大丈夫です!」
「…………そうか」
「蒼玉様?」
いつになく、彼の表情が固い。どうしたのだろうかと思って口を開く前に、兵士から声を掛けられた。
「お取込み中失礼致します。財布を被害者に返したいので、お渡し頂けますか?」
「ああ、そうね。ありがとう」
そう言えば、私が抱えたままだった。早く持ち主の元に返すに越した事はない。全部渡した後で、もう一度蒼玉様の方へ近寄る。
「蒼玉様、どうかなさいましたか?」
彼の紺碧の瞳を見つめながら尋ねる。が、何故か蒼玉様は何も答えて下さらない。
「……もうじき出発する。準備してくれ」
それだけ言って、さっさと背を向けて歩き出してしまった。そんな背中に掛けられる言葉なんてある筈もなく、呆然と立ち尽くす。
「蒼玉様……」
呟いた声が、虚しく響き渡った。
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