第10話 管理者・ラド
「ありがとうございます」
エシャは先ほど手に取った白い背表紙の本を元に戻したあと、サリーが持ってきてくれた本を手に取りそっと開ける。
文字が黒いと思った瞬間、独特なにおいがふわりとした。
彩の国にある本も、新しいものは植物の葉っぱのようなにおいがする。それは青い色の筆記液に使われている植物のにおいが残っているからだ。そのため、今におったものも、黒い色の筆記液のにおいだろう。
ぺらぺらとめくっていくと、時折、腕や足の図が描いてあって、見た限り外科に特化した医学書のようだった。そして、古い書物でありながら、文字がくっきりはっきりと残っている。
「これは、どれくらいの頻度で開かれているのですか?」
エシャは本をめくりながら、サリーに尋ねた。すると彼女は頬に手を当てて、困った表情を浮かべる。
「そうねぇ……。多分、最近はそれほど出していないと思うわ。奥の棚に入っている本は、すでに複写をしていて広く出回っているの」
「そうなんですね」
すると、そのとき「数え切れないほどめくられましたぞ」という、男のしゃがれた声が聞こえた。声が聞こえたほうを向くと、そこには小柄な、
「ラドさん……!」
老人の名を驚いた声で言ったのは、ここまでずっと黙っていたシラムである。
するとラドは、白くて太い眉に隠れ気味のつぶらな目を細め、「ほほっ」と変わった笑い声をあげた。
「そう驚くことではございませんよ」
「急に出てきたら驚きますよ」
シラムが少しむっとして言い返す。だが、ラドは笑みを浮かべたまま進言した。
「恐れながら申し上げますと、シラムさまが周りに気を向けていないで、異国の王子さまばかり見ていたからではございませぬか?」
「……」
ラドがそう言うと、シラムは
サリーは、二人のやり取りの意図がよく分からなかったのか小首を傾げ、一方のエシャは二人の会話に戸惑いながらも初めて会うラドに挨拶をした。
「初めまして。
「ようこそアークの国へいらっしゃいました。歓迎いたします。私の名前は、ラドと申します。この図書館の管理を任されています」
「そうでしたか」
「さて、エシャ殿。あなたはサリーさまに、その本がどれくらいの頻度で開かれたかについてお尋ねになられたでしょう」
「はい。ラド殿は、『数え切れぬほどめくられた』とおっしゃっていました」
ラドは「もう少し楽な言葉で話してくださって構いません」と笑みを浮かべながら言うと、そのあとに深くうなずいた。
「そして、その書物は百年前に出来上がってからというもの、何度もめくられ、多くの人々に読まれました。古い割に紙のよれが少ないのは、紙がしなやかな丈夫さをもっているからというのもありますが、使った者たちが大切に扱っていたので、それほどにきれいに残っているのです」
「はい」
「さらに、この図書館が出来上がってまだ二十年ほど。それ以前はこのような管理の行き届いた場所にはしまわれていませんでした。本は湿度の管理も必要ですし、虫に食われないようにすることも大切です。また、日の光に当てないことも大切でしょう」
「しかし、ここでは日の光が差し込んでいます」
すると、ラドは南側にある中庭にちらりと視線を向けると、再びうなずいた。
「長らく本を残しておくには、確かに日の光を避けることも重要です。しかし、それでは必要なときに知識を得ることができなくなります。そのため、私たちは日の光については考えず、本を大切に保管する図書館の中にも、日の光が行き届く場所を作りました。そしてそれができるのは、あなたの国が求めていらっしゃる『黒い色の筆記液』があるというのも大きいでしょう」
「つまり、日の光で
エシャが尋ねると、ラドは首を横に振った。
「違うのですか?」
エシャが眉をひそめて尋ねると、ラドは静かな声で語った。
「そうではありません。『絶対ではない』ということです」
「絶対、ではない?」
エシャは小首を傾げた。アークの国の「黒い色筆記液」は、永遠に残り続けるのではないのだろうか。
すると、その疑問にラドは答えた。
「はい。アークの国の黒い色の筆記液は大変優れています。日の光にも強く、こすれにも強い。そのため、アークの国の書物の全てに、黒い筆記液が使われています。それにより、人々が日の光を用いて書物を読んだとしても、多少乱暴に扱っても文字が残っているのです。しかし、どんなものでも絶対はありません。私たちは、自然のなかから
「なるほど……」
エシャはラドの意図することが分かり、しっかりとうなずいた。
これは単に「黒い色の筆記液」のことを言っているのではない。
言い換えれば、アークの国と彩の国の関係が結ばれたとしても、「永遠」ではなく、それぞれの努力が必要であるということを、暗に言っているのだろう。
「ラドさんの言っていることがよく分かりました。つまり『使う者の努力も必要です』ということですね?」
エシャがそう言うと、ラドは満足そうに笑った。
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