第7話 「王子」としてできること

「えっ?」


 ルーンは目を丸くし、言葉を続けた。


「来たばかりですよ? 少しお休みになられたほうがよろしいのでは?」


 アークの国へは輿こしで来たとはいえ、ここまで五日間かかっている。

 エシャは王子として、いろどりの国に来る他国の使者たちをもてなしたり、会話したりすることはあったが、他国へおもむくのはこれが初めてだ。

 そのため、ルーンは主人の体のことを考え、休息を取ったほうがいいと思っているのだろう。


 だが、エシャは疲れた素振りも見せず、にこにこと笑って言った。


「大丈夫だよ。ここまで来るときに、ルーンたちが、ぼくの体を気遣ってくれたからね。それに……」

「それに……?」

「……ううん、来たばかりだからこそ、できることはしないと、って思っただけだよ」


 エシャはルーンに、あえて「黒い色の筆記液」のために資質を問われていることは言わなかった。もちろん、マイーヤは特に「口外してはならない」とは言わなかったので、ルーンに言っても問題ないだろう。


 だが、彼はエシャに仕えるよりも前に、王のめいを受けてここにいる。つまり、話してしまったら、彩の国のことを考えて、アークの国に認めてもらうための作戦を考え始めないとも限らない。


 しかし、エシャはそれは嫌だった。

 甘い考えだというのも分かっているが、「王」がやらざるを得ない腹の探り合いではなく、「王子」という立場だからこそできる、相手がどんなことを考えているのか知ろうとする姿勢をつらぬきたいと思ったのである。


「しかし……、街の散策とは危険では?」


 だが、事情を知らないルーンはエシャのことを心配する。そのため、気が休まるようにと「ぼくらの国でいうところの、王女さまと王子さまと一緒だから大丈夫だよ」と言ってみたが、それでも気になるらしい。


「そうかもしれませんが……」


 ルーンが歯切れ悪く呟くので、エシャは少し考えてから、次のことを口にした。


「だったら、ルーンも一緒に行く?」

「……へ?」

「サリーさまとシラムさまに、ルーンも一緒でいいかぼくから話してみるよ。もし一緒に行動できるなら安心じゃない? あと父上に報告するなら、ぼくだけが見聞きして話したことだけよりも、ルーンが見たものも伝えたほうがいいような気がするし」

「それは……」


 ルーンは少し考えた末に、オホンッと一つ咳払いすると、「アークの国の方がよろしいと言うのでしたら、そのようにいたします」と言った。

 エシャは、ルーンの様子にくすっと笑うと、「じゃあ、そうしよう」と言って、ルーンと共に部屋を出るのだった。


     ☆


 部屋を出て、白い大理石の階段を下りると、そこにはサリーとシラム、そして彼らに付き添う数人の使用人たちが、エシャを出迎えてくれた。


「皆さん、待っていてくださったのですね。ありがとうございます。今日から数日間どうぞ、よろしくお願いいたします」


 エシャがぺこりと頭を下げる。後ろに控えていたルーンも、主人の動きに合わせて頭を下げると、サリーとシラムは目配せした。

 顔を上げたエシャとルーンが何だろうと思っていると、サリーはにっと笑い、くだけた口調でこんなことを言った。


「そんなに堅苦しくならなくてもいいよ。大変だろう?」


 突然のことで、エシャは目を丸くする。ルーンに至っては驚きを隠すように、顔を少しそらしたくらいだ。


 それもそのはずで、生まれたときから王子であるエシャにとって、このようなしゃべり方で声をかけてくる者がいなかったからである。


 その一方で、エシャにとっては物語に出てくる友達同士のような話し方で接してくれるのは新鮮さがあり、心躍るような感覚があった。


 しかし、自分は彩の国の代表として来ている身。その上、サリーもシラムも自分より年上のはずである。そのような相手に、同じような態度を取ってよいものか、エシャの中で葛藤かっとうが生まれた。


「あ、あの……お心遣いは嬉しいのですが、お二人は私よりも年上のように見受けられますから、サリーさまたちと同じような調子でお話をするのは難しいかと……」


 エシャが正直な気持ちを口にすると、サリーはきょをつかれたような顔をしたあとに、腰に手を当てて少し胸を張った。


「まあ、確かに私は十七歳で、シラムは十五歳だけど、そんな二、三歳の差なんて気にしていないから、私たちは別に構わないよ」

「そ、そうなんですか?」

「うん。な?」


 サリーがシラムのほうを見ると、彼は「うん」と言ってこくりとうなずいた。

 エシャは胸がぎゅーっとするような嬉しさを感じ、喜びで二人を交互こうごに見る。


「それじゃあ、サリーさんと、シラムさんとお呼びしますね。私のことは、どうぞエシャと呼んでください」

「分かった」

「それから、お二人に紹介したい者がいまして。彼はぼくの傍仕えのルーンです。もしよければ、一緒について行っても構わないでしょうか?」


 するとサリーはシラムと、周りにいた従者たちとうなずきあうと「ルーンも歓迎するよ」と言ってくれた。


「ありがとうございます!」


 お礼を言う主人の後ろで、ルーンが深々と頭を下げる。それを見たサリーは明るい声で言った。


「それじゃあ、エシャ。改めまして、アークの国へようこそ!」


 サリーはそう言うと、シラムとエシャたちと宮殿の外へ向かって、歩き始めるのだった。


「ねぇ」


 歩き始めてすぐのことである。シラムが横に並んだエシャに声をかけた。


「はい」

「アークの国のことは、どれくらい知っているの?」


 ゆったりとした口調で、シラムが尋ねる。

 エシャは、痛いところをつかれたと思い、顔を少しうつむかせて、本当のことを口にした。


「お恥ずかしながら、ほとんど詳しくないのです。よろしければ、教えていただけないでしょうか?」

「いいよ」


 怒られることも覚悟したが、シラムのあっさりとした反応に、エシャはほっとする。

 だが、彼がこの国のことを話してくれるのだと思うと、しっかり聞かなければと、身が引き締まる思いでシラムの声に耳を傾けた。

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