第28話 想いと思い

 翌日の放課後。


 俺は八女先生に言われた通り、一人で生徒指導室へ向かった。


 ただ、噂の渦中にいる俺だ。


 この日もやはり朝から瑠衣姉との関係を問い詰めてくる連中や、畑中さんたちから心配され、とてもじゃないが穏やかとは言い難い一日。


 既に心身ともに疲弊しきっていたものの、瑠衣姉のためにも弱音を吐くわけにはいかない。


 体にムチを打ち、俺は今こうして生徒指導室の前へ辿り着いた。


 二、三回ほどノックし、中へ入る。


 するとそこには、既に八女先生と早苗川さんが向かい合うようにして椅子に腰掛けていた。


 一足遅かったというやつだろうか。


「すいません、遅くなりました」


「大丈夫だよ三代君。僕たちも今さっきここへ来たところ。帰りのホームルームだってまだ終わってそこまで時間経ってないしね」


 八女先生に言われ、俺は促されるがままに空いていた近くの椅子へ腰を下ろす。


 早苗川さんは俺の方を睨むように見つめてきた。


 やっぱり、俺がいない間に何か少しくらい会話はあったらしい。


 彼女に以前ほどの作られた柔らかさは無く、むしろ今は最初から冷たさ全開の視線を俺へ向けてくれている。


 ただ、そっちの方が俺としてもやりやすかった。本音で語ってくれるような気がするし、俺も言葉を選ぶことなく思ったことをしっかり言えそうだ。その方がいい。


「じゃあ三代君も来たことだし話そう。ね、琴美ちゃん?」


「……はい」


 俺へ向けていた睨みを消し、うつむくようにして早苗川さんは頷く。


 八女先生の方も彼女は見なかった。


「さっき僕も聞いたけど、今回の事件で青山先生と三代君のことを盗撮し、その写真を学校の掲示板に貼り付けたのは琴美ちゃん、君で間違いないよね?」


「……間違いないです」


「その動機としては、僕が青山先生と三代君にたぶらかされ、変わろうとしていることを阻止したかったから。これで間違いないかな?」


「……はい」


「加えて、昨日の昼休みに三代君へ宣戦布告した、と。徹底的に戦ってやる、って」


「そ、それはいったいどこから……!」


 彼女が言って、俺は割って入るように咳払いする。


 それから切り出した。


「俺が言った。こんなことを君から言われた、と八女先生に」


「っ……!」


 凄い勢いで睨まれる。


 殺してやらんとでもする鋭さ。


 学校一の美少女と名高い彼女にここまでの敵意を示されると、こっちも少し怖気づいてしまうし、傷付いてしまう。


 でも、早苗川さんは勘違いをしているから。


 俺はその誤解を解かなければならない。それまでは我慢だ。自分に言い聞かせる。


「そんなに三代君のことを睨まないで、琴美ちゃん? 君は一つ大きな誤解をしているんだから」


「違うよ! 違うの、ハルちゃん! 私、誤解なんて一つもしてない!」


「してる。そこにいる三代君と青山先生は私をたぶらかしてなんていないし、変わろうとしたのは僕の意思だ。僕が二人に無理を言ってお願いしたんだから。女性らしくなるにはどうしたらいいのか、教えて欲しいって」


「そ、そんな……! そんなこと……!」


「三代君が来る前もそう言ったよね? 嘘じゃないし、本当だよ。ね、三代君?」


 問われ、俺は頷く。


 そして付け加えた。先生をたぶらかすなんて考えてない、と。


 すると、また睨まれた。悔しそうに下を向いていたところから。


「嘘ばかり言わないでもらえる!? あなた、ハルちゃんの弱みでも握っているんでしょう!? 何!? どんな弱みを握ったの!? 吐きなさい! ハルちゃんの目の前で私が断罪してあげるから!」


「断罪って……。弱みなんて一つも握ってないよ、俺。そもそも先生を脅すとか、そんなご立派なことできるわけないし」


「嘘ばっかり! 何がご立派なことなんて、よ! 校内で青山先生と淫行に勤しんでいたのは誰!? あなたでしょう!? できるに決まってるじゃない! ハルちゃんを脅すことなんて簡単に!」


「い、淫行……」


「ハルちゃん、私がハルちゃんを守ってあげる! 小さい時はたくさん守ってもらってたし、今度は私があなたを守る番! 任せて! こんな男にいやらしいことをされたとしても、私は絶対に屈しないから!」


 肩で呼吸し、言い切ってみせる早苗川さん。


 その捲し立て具合に俺は圧倒され、ただ無言で彼女を見つめるしかない。


 八女先生は深々とため息をついていた。


「琴美ちゃん、少し落ち着いて。冷静にならないと事実を見逃すよ。僕は何もされていないし、三代君もそんな男の子じゃないから」


「どうしてなの、ハルちゃん!? どうしてさっきからこの男の味方ばかり!? そんなに酷い脅され方をしたの!?」


「だから脅されてなんかないってば。三代君も何もしていないよ。ねぇ?」


 頷く俺。


 けれど、そんなやり取りは早苗川さんからしてみればまるで無意味らしい。


 泣きそうな顔で椅子から立ち上がり、八女先生の両肩を手で掴んだ。


「目を覚ましてよ、ハルちゃん! ハルちゃんはそのままで充分すぎるくらい魅力的なのに! カッコよくて、私の一番大好きな人なのに!」


「……やっぱり、か」


 つい呟いてしまう。


 すると、早苗川さんは俺の方を速攻で睨んでくる。


 あなたに何がわかるのよ、と。


 俺はあくまでも真剣に彼女を見据え、そして言葉を返した。


「気持ち、わかるんだよ。俺。早苗川さんの気持ち」


「うるさい! 勝手にわかった気にならないで! そもそも、あなたなんかにわかられたくもないし!」


「俺も青山先生……瑠衣姉のこと、恋愛的な意味ですごく好きなんだ。しがらみが何も無かったら今すぐにでも恋人にしたいくらい」


「……!」


 早苗川さんの目が一瞬見開かれる。


 が、すぐに視線を下へやり、だから何、と抗議を受けた。


 俺は続けた。


「先生との恋なんて簡単に叶わない。それは仮に、昔から知り合った仲であっても、だ。俺が未成年であれば社会が許してくれないし、瑠衣姉が未成年で俺が成人だった場合、余裕で犯罪になる。それが諦めの原因になって、二人の恋は想い合っていたとしても崩れ去ってしまう。悲しいくらいにあっさりと、さ」


「っ……」


「俺は昔から瑠衣姉のことが大好きだった。今、早苗川さんが八女先生のことを大好きだって言ったのと同じくらい。それで今年の春、ようやく再会できたんだ。疎遠になっていた瑠衣姉と」


「……」


「ここしかないと思った。瑠衣姉を引き留めて、想いを伝えるには、このタイミングしか。嬉しいことに瑠衣姉も俺のことを想っててくれたし、絶対に付き合いたいって、強くそう思った」


「……だけど……」


「うん。俺たちは先生と生徒の関係だから。堂々と付き合うなんてご法度。せめて卒業まではちゃんと付き合うの、無しにしようって伝え合った」


「……」


「で、かりそめの恋人。仮恋人としていようって約束した。正式に付き合えないけど、仮の恋人として仲良くしたい。卒業する時にちゃんと付き合えるよう、仲を深めておくことは欠かすことがないようにしようって」


「……それであの……」


「そういうこと。自分のことながら情けないと思う。約束したのに、学校でそんなことしたら誰かが見ててもおかしくないのにな。冷静に考えて笑えるよ。自分がバカ過ぎて」


「……っ」


「だから、早苗川さんも気を付けて。……気を付けてってのも変か。あはは……」


 自嘲するように笑うと、早苗川さんはただ無言で下を向いた。八女先生もコメントしづらそうにしてる。


 ただ、二人の関係を知らない俺は、情けなくヘラヘラするしかなかった。


 これくらいしか今はできない。今は。


「……琴美ちゃん、わかった?」


 八女先生が絞り出すように切り出した。


 早苗川さんはうつむいたままだ。


「三代君と青山先生は、僕をたぶらかすなんてことしていない。そもそもそんなことをするメリットがない。二人は自分たちのことで手いっぱいで、自分たちの関係をいいものにしようと頑張ってる最中なんだ。僕なんかに構ってる暇ないんだよ。本当は」


「……っ……」


「僕が無理言ってお願いしてる。それだけ。僕は、僕が変わりたくて動いているだけだから」


 八女先生が言った刹那、早苗川さんは顔を上げた。


 そして、先生の方を見やる。


 その瞳は潤んでいて、今にも泣き出しそうだ。


「じゃ、じゃあ……それなら……私は……」


「……うん……」


「私は……ハルちゃんに変わって欲しくないって心の底から思ってるよぉ……! カッコよくて……昔のままのハルちゃんが大好きだからぁ……!」


「……そっか。……でも、僕は……」


「変わらないでぇハルちゃん! お願いだから、お願いだからぁ!」


 涙ながらに懇願し、八女先生の方を見つめる早苗川さん。


 それはもはや普段見る彼女の姿とは打って変わって違っていて。


 本当に本心から八女先生のことが好きなんだ、ということが伝わってくる。


 まるで自分を見ているようだ。


 たぶん俺が彼女の立場だったら、同じようにああしていたはず。


 他人事とは思えなかった。


 心の底で応援してしまっている自分がいる。あんなことをされたのに。


「……八女先生。あの、俺からもお願いします」


「……へ?」


 八女先生と、涙に濡れる早苗川さんの視線が俺へ集まる。


 俺は、強い意志を持って伝えた。


「無理言ってるのはわかってる。けど……どうか変わらないでいてあげて欲しいです。先生は、そのままでも充分魅力的ですし」


 八女先生の目が見開かれる。


 俺と見つめ合い、それから視線を早苗川さんの方へ向ける。


 彼女は八女先生に抱き着き、ひたすらに泣いてしまっていた。嗚咽が止められない。


 そんな早苗川さんのことを見つめている。


 彼女の想いと自分の思い。二つを天秤にかけるようにして。


「……そうか……。魅力的、か……」


「……はい……」


「それはただの口車とかではなく、だよね?」


 苦笑しながら冗談っぽく問うてくる。


 俺は頷いた。少し恥ずかしさを感じつつ。


「……わかったよ。やめとく」


「……え……?」


 早苗川さんがしゃがれた声で疑問符を浮かべる。


 八女先生はそんな彼女の頭を優しく撫でて、


「変わろうとするのはやめにしとく。可愛い生徒たちの言葉を信じて、ね」


 確かに言い切った。


 そして、喜ぼうとする早苗川さんはすかさず押さえつけるように続ける。


「ただし、琴美ちゃんは皆に謝ること。教頭先生から、色んな人へすぐに。写真の元データスマホに残ってるってさっき言ってたよね? それ加工して、本当はキスなんてしてなかったんです、って皆に伝えるの。わかった?」


「せ、先生……」


 結構あくどいやり方だ。


 嬉しいし、ありがたいけど、俺は思わず引きつった笑みを浮かべてしまう。がっつり加工してって言ってるし、この人……。


「う、うん。わかった。わかったよ、ハルちゃん……!」


 嬉しそうに頷く早苗川さん。


 この人もこの人でとんでもなく従順。


 願いが叶えば何でもアリだ。簡単に言うこと聞いてしまった。


「それから、琴美ちゃんには今度お願いがあります」


「うんうん。何、ハルちゃん? 何でも言って?」


「私が言ったような格好で男装すること。男装して、一緒にデートしよう? 琴美ちゃん美人だし、きっと男装も似合うと思うから」


 え、えぇー……。


 何言ってるんだ、と思ったけど、さすがは早苗川さんだ。


 疑問すら感じることなく、ただそれを素直に受け入れていた。


 嬉しそうに、幸せそうに。


 俺が瑠衣姉と再会できた時のような笑顔を浮かべて。

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